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姉妹のカタチ
 
 
 四角い箱が軽く揺れた。
「キャッ!」
 瞳子が小さく叫んで、咄嗟に隣にいた可南子にしがみつく。
「瞳子さん?」
「ち、違いますよ、たまたま可南子さんが隣にいたからですわっ!」
 慌てて離れながら、瞳子は首を振っている。
「いえ、それは別にいいんですけど」
 可南子は少し首を傾げていた。
「エレベータが揺れたくらいで大仰に騒ぐのですね、と思っただけですから」
「揺れたくらいって!」
 瞳子は顔を真っ赤にして、可南子に詰め寄っていた。
「突然揺れたりしたら誰だって驚きますわ!」
「それはそうですけれど、少なくとも私は、そんな風に近くの人に抱きついたりはしませんもの」
「バランスを崩して転びそうになったら、たまたますぐ近くに可南子さんがいただけですわっ!」
「うるさい」
 たまらず、乃梨子は二人の間に割って入った。
「狭いエレベータの中でギャアギャア騒がないで、ただでさえ瞳子の声は高いんだから、少しは気を付けなさい」
 その後ろでは笙子と日出実が笑いを堪えている。
 一年生五人は、校舎の屋上へ向かっているのだ。
 小柄な女子高生(一人除く)といっても、さすがに五人ではエレベータの中は一杯になる。
 瞳子が何か言い返そうとしたとき、再びエレベータが揺れた。
 ガクンガクン、と数回。
 さすがに何かおかしいと思った可南子は、とりあえず手近な階で止まるためのボタンを押そうとする。
 手を伸ばした瞬間、エレベータが止まった。
 点滅する照明。
「え?」
「ちょっと、ちょっと!」
 一旦照明が消え、非常用の電灯が点く。
「故障なの?」
「そうみたいね」
「嘘!」
「とにかく、外と連絡を取りましょう」
 乃梨子は、一旦全員を見渡した。全員が乃梨子に視線を返す。
 不安そうな顔はしているけれど、さすがにパニックになっている者はいない。それぞれが演劇部、新聞部、写真部、バスケット部、山百合会の一年生筆頭だ。それなりに肝は据わっているのだ。
 乃梨子は緊急用連絡と書かれたスライドを開く。
「あ……」
 そこには、外部と連絡できる受話器がある。
 まずは緊急ブザーを押す。そして受話器を取る。
「もしもし、一年椿組の二条乃梨子です。エレベータに閉じこめられました」
 機械合成の声で「落ち着いて状況を話して下さい。録音されています」と聞こえてくる。
「閉じこめられているのは同じく椿組の松平瞳子、細川可南子、桃組の高知日出実、菊組の内藤笙子です。怪我や緊急を要する事態は起こっていません。全員元気です」
 落ち着いた言葉に、四つの尊敬の視線が集まる。
 話し終えて受話器を置く。あとは向こうが気付くのを待つだけだ。
「誰か、携帯持ってない?」
 首を振る全員。普段は持っているとしても、今現在身につけている者はいないようだった。そもそも、校内には持ち込み禁止なのだから。
「救助がすぐ来るかどうかはわからないわね」
 
 
 屋上に行ってみません?
 笙子を伴った日出実が乃梨子にそう持ちかけたのは、月曜日の昼休みのことだった。
「屋上に?」
 そう聞き返したのも当然のことだろう。持ちかけられた内容もさることながら、日出実と笙子という組合せも今ひとつしっくり来ない。
 と、そこで乃梨子は思い至った。
 ここにいるのがそれぞれの姉だとすればしっくり来る。つまり、真美さまと蔦子さま。
 この二人ならば、新聞部と写真部、取材者とカメラマンと言うことで理解できる。
 ということは、この二人は新世代の取材コンビという事か。
 そう水を向けてみると、あっさりと日出実は白状した。
 実は、一年だけで新聞を作ってみるように言われていると。そして、どうせ作るならということで新聞部の一年一同は燃えていると。
 なるほど、と乃梨子は理解した。そして日出実の気持ちもわかった。これはチャレンジ。現二年生に対するチャレンジ。
 だから、乃梨子は素直に協力する気になったのだ。
「だったら、生徒会代表と言うことで乃梨子さんに。あと、文化部と運動部の代表も揃えたいんです」
 だったら話は簡単じゃない。と乃梨子は言った。なにしろ、椿組には文化部運動部双方のホープが揃っている。
 松平瞳子と細川可南子。それぞれ、演劇部とバスケット部の自他共に認める実力を備えたホープだ。
「乃梨子さんの頼みというのなら、別に構いませんわ」
「乃梨子さんが言うなら、構わないわ」
 乃梨子からの頼みということで二人はあっさり了承し、日出実のアイデアで屋上で撮影をすることになった。
 屋上で、リリアン全景をバックにして写真を撮るという。インタビューされる三人も、それはいいアイデアだと思ったのだ。
 そして、勝手に上がってはいけないという規則があるので屋上の使用許可を取り、つい最近増築したばかりのエレベータで現場へ向かっていたのだ。
 ちなみに、古い校舎なのでエレベータは元々無かったのだけれど、規制によりエレベータを付ける必要が出来て最近増築したのだ。
 だから、割と不便な場所にエレベータは作られている。それもあって、普通の生徒達はあまりエレベータに用事はない。
 もっとも、発見が多少遅れる可能性はあってもそれほど待つ必要はないとわかっている。
 屋上の使用許可を取ったときに、屋上のドアの鍵を借りているのだ。これを返しに行かなければ必ず探しに来る。そうなれば発見されるのは時間の問題だろう。
 だから、無闇に慌てる必要はない。
 乃梨子がそう言うと、日出実を除く全員が頷いた。
「ごめんなさい、私のせいで」
「日出実さんのせいじゃありませんよ」
「そうそう。少し時間が無駄になった程度の事じゃないですか」
「そんなに気に病むような事じゃありませんよ」
 口々にそう言いながら、何とか別の話題を見つけようとする一同。
 世間話で少し時間を潰していると、
「ねえねえ。じっとしていても仕方ないし、ここでインタビューをしてしまうって言うのは? どうせ救助が来るまでは暇よ?」
 乃梨子の提案に一同は賛成する。ハッキリ言って、救助が来るまでは本当になにもすることがないのだ。
「じゃあ、言い出したって事で乃梨子さんから。写真は後で、笙子さんに撮ってもらうから」
「そういえば、笙子さんの撮った写真って見たことがないわ」
 日出実が初めて気付いたように目を丸くした。
「あ、そう言えば私も」
「え? 日出実さんが笙子さんを連れてきたんでしょう?」
「私は、写真部に一年生を一人貸して欲しいって言っただけよ。笙子さんを選んだのは写真部だから」
「大丈夫ですよ」
 笙子は首から提げたカメラを掲げてニッコリと笑う。
「こう見えても、蔦子さま直伝でたっぷり鍛えられていますから」
「そういえば、で、ついでにお聞きしますけど」
 瞳子が笙子の胸元に目をやりながら尋ねる。
「蔦子さまからロザリオは戴いていませんの?」
「あ、ロザリオはまだ。蔦子さまを唸らせるような写真が撮れたら、その時こそロザリオを下さいって言うつもりなの」
「あら、それじゃあ、かなり頑張らないとね」
 可南子がシラッという。
「あの蔦子さまを唸らせるような写真なんて、ちょっと想像できないわ」
 実は五人の中では一番、蔦子に写真を撮られた経験が多い可南子。もっとも、ストーカー時代の写真を計算にいれればの話なのだけれど。
「そんなことを言わずに、あっさりと授受なさればいいのに。蔦子さまと笙子さんはお似合いだと思いますわ」
 瞳子の言葉に、乃梨子と可南子は顔を見合わせる。
「……瞳子にだけは言われたくないわね」
「そうですね、まったくです」
「どういう意味ですか!」
「そりゃあ……ねえ」
 乃梨子の言葉に意味深に頷く可南子。日出実と笙子も二人に会わせて頷く。
「日出実さんと笙子さんまで!」
 可南子がにっこり笑って瞳子に顔を近づける。
「祐巳さまのロザリオをとことん渋って、粘りに粘ってようやく受け取ったのはどこのどちらさまでしたっけ?」
 他の誰でもない、可南子に言われるのはかなり痛い。
「そ、それは……瞳子の勝手ですわ!」
「だったら、笙子さんも笙子さんの勝手。瞳子さんがどうこう言うことではありませんわ」
「そうそう。ロザリオの授受なんて、言ってみれば副産物なんだから。気持ちが通じていればそれでいいのよ」
 臆面もなく言う乃梨子に、却って残りの一同が照れてしまう。
「乃梨子さん、言いますね」
 ひそひそと囁く笙子に日出実が頷く。
「さすが、山百合会一のバカップルと呼ばれているだけあるわね」
「日出実さん、何か言った?」
「いえ」
「バカップルとか聞こえたけれど」
「黄薔薇姉妹のことです」
「ああ、なるほど」
「って、納得するんですか!?」
 瞳子の唖然とした顔に、可南子が冷静に、
「まあ、ここにいないのは黄薔薇関係者だけだから、一番無難なオチね」
「無難って……」
「あら、ここで祐巳さまと祥子さまだと言われたら、瞳子さんだって嫌でしょう?」
「あのお二人は……別格ですもの」
 瞳子のやや落ち込んだような口調に慌てる可南子。
「そういう意味で言った訳じゃありませんから。祐巳さまだって、瞳子さんのことは大事に思ってます。いいえ、絶対に思ってます。思ってなかったら私が許しません」
 その剣幕に、今度は乃梨子も参加する。
「可南子の言うとおり。姉と妹は別なの。祐巳さまは、瞳子のために祥子さまを軽んじるなんて事は絶対にしないだろうけれど、逆に祥子さまのために瞳子を軽んじるなんて事も絶対にしないから。もしそんなことしたら、私だって許さない」
「……でも、お二人は……」
 話の流れが何かのスイッチを押してしまったようで、瞳子は俯いてしまっている。
 そして、瞳子が言葉を濁した内容も可南子と乃梨子はわかるような気がしていた。
 乃梨子には姉はいても、その上の姉は校内にはいない。さらに言ってしまえば、聖―志摩子の姉妹関係はリリアンでもかなり特殊なものだったと乃梨子は聞いている。
 可南子には元々姉はいないし、乃梨子には姉を巡るライバルなどいない。そもそも、瞳子の悩みに共感できる土台はないのだ。だから二人の慰めは、祐巳の人間性を訴えるものでしかない。
 この意味では、笙子も同じく。ロザリオを受け取っていないのはいいとして、蔦子に姉はいない。
 三人の目が期せずして同時に日出実を見た。
 その視線を見返した日出実は、すぐに自分の求められた立場に気付く。
 日出実には真美と三奈子がいる。つまりこの中では瞳子と自分だけが、三代きっちり揃った姉妹の末妹なのだ。
 日出実は考えた。自分のお姉さまが三奈子さまと自分を両天秤にかけたら……。
「……瞳子さん」
 少し間を空けて語り出す日出実に、三人の視線が集められる。
「瞳子さんは、祥子さまのことが嫌いなの?」
「え?」
 予想外の内容に、三人は目を見開き、瞳子は思わず聞き返していた。
「瞳子さんは、祥子さまのことが嫌いなの?」
「そんな訳ありません。祥子お姉さまのことだって大好きですわ」
「じゃあ、問題ないじゃない」
 日出実はポケットから小さなシャープペンシルと手帳を取り出す。
「このシャープペンシルは、お姉さまと同じものを探して買ったもの」
 何を言い出すのかと興味津々で見つめる一同。
「この手帳は、三奈子さまと同じものを探して買ったもの」
 一同の視線に気付いた日出実は一瞬たじろいで、それでも言葉を続ける。
「私はもともと、お姉さまと姉妹になりたいとかじゃなくて、新聞部員としてのお姉さまと三奈子さまに憧れていたの。今でもその気持ちは変わらないから。だから、お姉さまと三奈子さまのどっちが大事かと言われても、私は困るの。多分、お姉さまもそう答えてくれる。少なくとも私は、そう信じているから」
 三人の視線が、日出実から瞳子へと移る。
 いつの間にか、瞳子は頭を上げていた。
「ありがとう、日出実さん」
「どういたしまして。せっかくのインタビューの前に凹まれていたら、台無しですもの」
 わざとらしく言う日出実に笑う一同。
 良かった、と一息ついて乃梨子は可南子を見上げ……いない。
 頭上にあるはずの可南子の頭が、乃梨子の目線より下に移動している。
「………」
「おーい」
 乃梨子は小さく囁いた。
「……姉妹のちょっといい話を聞いて、いきなり寂しくなったなんて言わないでよ?」
「………」
「可南子?」
「……ビンゴ」
 脱力感がドッと押し寄せてくる。
「大丈夫よ、乃梨子さん。理屈じゃわかってるから。ただちょっと落ち込んだだけ。すぐ戻るわ」
 突然、けたたましい音。何事かと見回すと、緊急連絡用の電話が鳴っている。
 乃梨子はすぐに受話器を取った。
「はい、はい。わかりました。私たちは大丈夫です。はい、わかりました」
 乃梨子は全員に救助が来ていることを伝えた。さらに、電話の向こうで聞き間違えようのないメンバーの声がしていたこと。
 それぞれの姉が、電話の向こうで待っているのだ。
 待つほどのこともなく、ガクンと衝撃があってエレベータが動き始めた。
 そして一番近い階で扉が開く。どうやら内部で思っていた以上に大騒ぎになっていたようで、フロアには姉たちに限らず知り合い達が皆詰めかけていた。
「日出実ちゃん!」 
 最初に血相を変えて飛び出してきたは三奈子。その後ろでは苦笑気味に、でも心配の表情を隠そうともせずに真美が手を振っている。
 日出実は三奈子に抱きすくめられながら、やっぱり苦笑気味に真美に頭を下げた。
「笙子ちゃん!」
 いつもならカメラを構えて待っているはずの蔦子が、何も持たない手で笙子を待っていた。
 笙子は思わず走り寄りかけ――そしてシャッターを押す。しまった、という顔になる蔦子に、笙子は自分から抱きついていった。
「乃梨子……良かった」
 志摩子が由乃と令に押されるようにして前に出てくる。
 乃梨子はゆっくりと近寄り、手を握る。大丈夫だったよ、心配かけて御免ね、お姉さま。と言いながら。
「瞳子ちゃん、大丈夫だった?」
 微笑みながら、この場でも優雅に歩む祥子。その後ろで手を引かれるように、半泣きの祐巳が続いている。
 まったく、お姉さまはいつも大袈裟なんですから、と呟きながら、瞳子は歩きかけ、そして立ち止まる。
 振り向くと、静かにその場を歩み去ろうとする可南子がいた。
 可南子に手を伸ばそうとして、瞳子は一瞬ためらう。その瞳子の肩に祥子は手を置いて言った。
 瞳子ちゃんは間違ってないわ。その言葉で、瞳子はすぐに可南子に駆け寄る。
 そして怪訝な顔の可南子の手を引き、祐巳のもとへ。
 祐巳の泣き顔も広げた両手も、きっと二人用だから。
 
「二人とも、心配したんだよ?」
 
 
 
 
あとがき
 
 
 
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