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聖景放浪記
 
 
 
 駅前で車を降ろしてもらう。
「ここでいいの? 景さん」
「ええ。それじゃあ、お父さん、気を付けてね」
「ああ、それじゃあな」
 景は父の乗った車を見送った。運転しているのは父の後妻。お母さんと呼ぶのはもうこの年では気恥ずかしい。けれど、父の妻という事実に違いはない。
 景は、実家にしばらく帰っていた。そして今日から温泉に出かけるという二人の車に便乗して、下宿に戻ってきたのだ。
 正確には、駅前まで。
 景は時間を確認すると、そのまま駅前スーパーに入っていく。
 
 パンと牛乳。それから卵。野菜も。
 とにかく、留守にする前に冷蔵庫は大掃除したのだから、家には何もないはずだ。今日は外食するにしても、明日の朝ご飯の材料は準備しておかないといけない。
(あ、また佐藤さん押しかけてくるかしら?)
 何故か、食材が不足気味の時に限って姿を見せるのが佐藤聖だ。何かと差し入れをしてくることもあるのでトータルではプラスマイナス0にはなっているので、それほど気にはしていない。けれど、この調子だと明日、いや今夜辺り姿を現しそうな気がする。
(まあ、今夜は外食の予定だからいいか)
 下宿の家主、弓子さんも旅行に出かけて留守のはずだった。 一人で食べる食事はあまり楽しくない。
 少し考えて、いくつかのインスタント食品を買い物かごに入れる。
 そろそろと、レジへ向かおうとして気付いた。
 そういえば、財布や携帯電話を入れたセカンドバックはどこ?
 ……車の中?
 景は自分の顔から血の気がひいていくのを感じていた。
 車の中。つまり、今セカンドバックは父と一緒に温泉へ向かっている。
(電話しなきゃ!)
 とは言っても、父の携帯電話の番号など覚えていない。番号は、自分の携帯のメモリの中だ。そして、自分の携帯の番号も覚えていない。
 冷静になれ、と自分に言い聞かせる。
 車に追いつくのは無理。連絡手段もない。
 とりあえず今できることは。
 ……
 景は、買い物かごの中のものを陳列棚に戻し始めた。
 
 下宿に向かいながら、最悪の想像を景は受け入れていた。
 弓子さんは旅行中。万が一、帰っていたらラッキー。もし帰っていなかったら……。
 最悪の予想はあっさり当たった。
 鍵はセカンドバックの中。今頃は温泉めがけて一直線。
(せめて、財布くらいはポケットに入れておくんだった……)
「やほー。景さん」
 いつもならややウザイと思ってしまう能天気な声も、この時ばかりは天使の福音に聞こえる。
「佐藤さんっ!」
「おりょ? どうしたの、お景さん。私に会えたのがそんなに嬉しい?」
「ええ、今日ばかりは凄く嬉しいわ」
 家にも入れないのだから、仕方ない。聖に頼んで泊めてもらえないだろうか。景はそう考えていた。
「じゃあ、景さん、一つ頼み聞いてくれない?」
「ええ、いいわよ。何?」
「二三日、泊めて」
「え?」
 空気が凍った。と景は感じた。
「だから、泊めて」
 聖はにっこり笑ってそう言った。
「……何があったの?」
「うん。ウチの両親が旅行に行ったんだけど、私鍵を落としちゃったみたいでさ」
「あ、そ、そうなの……」
「お昼ご飯食べようと思って外に出て、財布を忘れたことに気付いて帰ろうとしたら、ズボンのポケットに穴があいててね。家に入れないうえに、今、一文無しなんだよねぇ」
 腕を組んで首を傾げる聖。そのまま、苦笑い。
「それで、頼れる景さんの所に来てみたんだけど」
「……ねえ、佐藤さん」
「ん?」
「私も同じ境遇だって言ったら、どうする?」
「……マジ?」
「大マジ」
 二人の周囲を沈黙が支配する。
 くるっと振り返る聖。
「それじゃあ景さん、御達者で」
「まさか、見捨てないわよね?」
 聖の襟元を掴む景。
「佐藤さん、一人だけこの窮地から脱出する気?」
「……いや、そう言う訳じゃないけど……。景さん、私の知り合いの所に一緒に来るの?」
「私だって、こんな状況で迷惑だっていうのは充分わかっているわよ。限りなく非常識だわ。だけど、他に方法がないんだもの。緊急避難よ、緊急避難」
 聖はもう一度振り向いて景に向き直る。
「うーん、まあ、困っているのはお互い様だし、蓉子なら多分面倒見てくれると思うけど……」
「蓉子……ああ、前に話していた水野蓉子さんね。元紅薔薇さまの」
「うん。少し歩くけれどいいでしょう?」
「他に選択肢はないものね」
 二人は歩いた。
 聖の言うことは正しかった。本当に困っていて、聖が日頃のお世話になっている相手なのだから、蓉子が放っておくわけはない。しかも、景は礼儀も態度もきちんとしている大人だ。蓉子が嫌がるようなタイプではない。
 問題は、蓉子が留守だったこと。
 親友とは言え、さすがに本人がいないところでお世話になることは出来ない。
「……えーと、じゃあ江利子の所に行こうか」
「ああ、一度会ったことがあるわね」
 とりあえず、泊めてもらえなくても、お金を借りるだけでもいい。
 今のままでは食事すら出来ないのだ。
 けれど、当たり前のように江利子はいなかった。
 久しぶりに会った江利子の父は喜んでいたが、まさかいきなりお金を貸してくれとは、いくら聖でも言えない。
「佐藤さん、日頃の行いじゃないの?」
「……景さん、無理について来なくてもいいよ?」
「……御免」
 公園のベンチに座り込む二人。
「佐藤さん、他に心当たりは?」
「景さんこそ」
「ないわ。自慢じゃないけれど、住所を知っているのは佐藤さんだけだもの」
 景が携帯の中のメモリ無しで連絡が取れるのは、家の場所を直接知っている聖だけなのだ。
「あー」
 がくん、とベンチにもたれる聖。
「行くところはあるんだけど……」
「そうなの?」
「豪華な夕食とフカフカなベッドを用意してくれそうな心当たりはあるんだけど……」
「いきなり話が大きくなったわね」
「歩いていくには辛い場所よ」
「遠いのね」
「遠い。でも、行くだけの価値はある所」
「どこなの?」
「後輩の家なんだけれど、景さんは構わない?」
「後輩……」
 さすがに景は考えた。
「あ」
 聖が突然叫ぶ。
「そうだ、景さんなら歓迎してくれるわ。祐巳ちゃんの恩人だもの」
「え、まさか祐巳ちゃんの家?」
「さすがにそれはちょっと。だから、祐巳ちゃんのお姉さまの家」
「ふーん。祐巳ちゃんのお姉さまの家……」
 景の不満そうな顔に聖は気付く。少し考えて、その原因に思い至ると、
「大丈夫。もう祐巳ちゃんは仲直りしてるよ。景さんは祥子にいい印象ないかも知れないけれど、それは巡り合わせが悪かっただけ。祥子は取っつきにくいかも知れないけれど根はいい子よ」
 
 約一時間後。
「御免、景さん」
「いいのよ、気にしないで」
 棒のようになった足を休ませながら、二人は空を見上げていた。
「まさか、祥子も小母さまもいないなんて……」
「どうする?」
「うーん」
「佐藤聖さま?」
 呼びかける声に二人が目をやると、縦ロールの特徴的な子がこちらに歩いてきている。
「あ、えーと確か……電動ドリルじゃなくて……あ、松平瞳子ちゃん?」
「……」
 ムッとした顔になる瞳子。けれど、一応相手は先輩だと思い出して、
「やっぱり、先代白薔薇さまの、佐藤聖さまですのね? 奇遇ですわ、こんなところでお目にかかるなんて」
 聖はあはは、と力無く笑った。
 どうしよう、ワケを話して力を貸してもらうにしても、相手とはほとんど面識がない。ほとんど初対面に近い相手にお金を借りたり泊めてもらうというのも無茶な話だ。
 だけど、背に腹は替えられない。さすがに無一文で一晩星空の下で過ごすのは勘弁して欲しい。
「お兄さまの言ったとおり、お知り合いの方がこんな所にいらっしゃるなんて。本当に、女の人には目敏いこと」
「誤解を招く言い方はやめてくれないか、瞳子」
 新たな出現者に、聖はゲッと言いそうになるのを辛うじて堪える。
「か、柏木」
「やあ、お久しぶり、白薔薇さま。いや、今は佐藤さんの方がいいのかな?」
 驚いたのは景だ。今時珍しい――いや、リリアンなら当たり前か?――典型的お嬢様ヘアースタイルの少女が現れたかと思ったら、こんどは絵に描いたような美男子好青年。
 美男子は景に気付くと頭を下げる。
「これは。初めまして、柏木優と申します。こちらの佐藤さんとは因縁浅からぬ仲でして」
「正真正銘の犬猿の仲って言ってくれないかな」
「やれやれ、リリアン女子大で外部入学生に揉まれれば少しは柔らかくなるかと思ったら、君にはそれも通じなかったようだな」
「お生憎様でね。私の性格は少なくともお前相手には一生変わらないよ」
「なるほど、この栄枯盛衰激しい世の中にも、永久不変のものが一つはあるわけだ。喜ばしいね」
「もう一つあるよ」
「ほう、それは何かな?」
「お前の頭の固さだよ」
「ちょっと佐藤さん」
 ようやく我に返った景が二人の間に入る。
「お知り合い? まさか、元彼?」
「絶対違う。仮に男とつきあうことになったとしても、こいつだけは絶対に選ばないから」
「僕だって同じだ。仮に女性とつきあうことになっても君だけは絶対に選ばないね」
「仮にも何も、お前祥子の婚約者じゃないか」
「それとこれとは話は別だ」
「相変わらず最低な男だな」
 二人のやりとりが再開すると、柏木の背後からおずおずと瞳子が声をかける。
「あの、優お兄さま? 積もる話もおありになるのでしょうけど……こんなところでいつまでも立ち話は……」
 我に返る柏木。
「ああ、そうだな。御免よ、瞳子。せっかくのデートなのにね」
 瞳子の顔が真っ赤に染まる。
「な、何を仰るんですか! 優お兄さまが、一人で夕食も味気ないと仰るから、瞳子がわざわざお付き合いして差し上げているのに!」
「ああ、そうだったね。悪かった」
「さ、さあ、早く行きましょう、お兄さま。瞳子はお腹が減りましたもの」
 柏木が瞳子を先導してその場を去ろうとするところを、
「ちょっと待て、柏木」
 聖が呼び止める。
「何か用かな?」
「それはこっちの台詞だ。そっちがこちらに来たんだろう?」
「ああ」
 それもそうだと言いながら、柏木は身体ごと向き直る。
「車の窓から君らしい姿が見えたのでね、気になって止めたら瞳子が先に降りてしまったというワケさ。こんな時間にこんなところにいるから、さっちゃんに何かあったのかと思ってね。どうやら、君たちの様子を見ているとさっちゃんには関係ないようだから安心したよ」
「ああ、祥子には関係ないよ。たまたまここにいるだけだから」
 聖の中から、助けを求める気は全くなくなっていた。そもそも、柏木に助けてもらうのは断じて嫌だ。
 それじゃあ、と言って今度こそ去っていく柏木。
 名残惜しそうに後ろ姿を見送っている景を強引に座らせると、聖は次の行動を考え始めた。
「とにかく、ここに座っていても仕方ないわ。あと行けるところは……」
 小寓寺、という選択がある。志摩子なら歓迎してくれるだろう。志摩子自身がいないとしても、志摩子の両親なら面識はある。泊まったこともある。
 ただ、問題は、小寓寺まで歩いていくのは問題外だということ。
 あと、知っているところと言えば……
「あれ、佐藤さん、あそこにいるのは、貴方のお友達の黄薔薇さまじゃないの?」
「令?」
 違った。景が黄薔薇さまというのは、静と同代の黄薔薇さま、鳥居江利子のことだ。
 間違いない、江利子の姿が見える。
 一緒にいる小さい子とヒゲの男は山辺親子だろう。
 良かった。地獄に仏とはこのこと。助かった。
 聖は満面に安心しきった笑みを浮かべて手をあげる。
「おーい、江利……」
 ギンッ!!
 聖の動きが凍てついたように静止する。
(何人たりとも私と山辺さんのひとときの邪魔はさせない!)
(例え兄貴でも、例え父でも!)
(例え、リリアン幼稚舎からの幼馴染みで一緒に山百合会を率いた仲間でもっ!!!)
 江利子のオーラがこう語っていた。
(邪魔する奴は指先一つでダウン!)
 まだまだ、たわばとかあべしとか言いたくないので、聖は視線を外した。
「佐藤さん?」
「景さん、見ちゃ駄目、視線合わせちゃ駄目、顔上げちゃ駄目。いいって言うまで俯いていて」
 聖の普段見せることのないせっぱ詰まった口調に、景は渋々ながらも従った。
「うん、もういいよ」
 聖の合図で二人が顔を上げると、既に江利子の姿はない。
「黄薔薇さま、いなくなっちゃたわよ?」
「うん。いいの、命を失うことに比べたら一晩や二晩の野宿ぐらい、どうってことないわ」
「野宿決定なの!?」
「もう当てはないし、何より疲れたわ」
 通算にして数時間歩きづめだったのだ。疲れない方がどうかしている。 
「そうね、野宿はさておいて、とりあえず休憩したいわ」
「せめて、温かいところに行かない?」
「喫茶店に入るお金なんて無いわよ」
「……コンビニ……かな」
 我ながら情けない、そう思いながら聖は言った。
「そうね。コンビニね。ただで暖房に当たれるわ」
 ふふふふ、と自暴自棄な笑いを浮かべながら立ち上がる景。
 
「まさか、コンビニすらないなんて……」
 聖は肝心なことを忘れていた。この辺りはほとんど小笠原の敷地。つまり、人口密度が極端に低い。つまり、コンビニが出店しても採算が取れる場所ではないのだ。
 結論。コンビニがない。
 結局、またもや一時間ほど歩くことになった。
「都内で……コンビニ見つけるまで一時間かかるなんて……本当にここは東京都?」
「……祥子の家は治外法権かも……」
「さすが、リリアンは違うわね」
「いや、祥子は別格だから」
「あれ?」
 ふと、景は空を見上げる。
「どうしたの? 景さん」
「……今、雨がポツッと」
「嘘ッ!?」
 今降られては、確実にびしょぬれになる。さらに、乾かす当てはないのだ。
「屋根、屋根を探して!」
 夕立だった。
 容赦なく叩きつける雨。
 
「あはははははは」
「あはははははは」
 もう、笑うしかない。
 雨の中、二人はびしょぬれになったお互いの姿を見て笑っていた。
 もう笑うしかないのだ。今さら雨宿りしてもなんの意味もない。そもそも乾いた部分がない。
「……あの、聖さま、加東さん、何をしてらっしゃるんですか?」
 聞き覚えのある声。まさに地獄で仏、否、地獄で天使。あるいは地獄で子狸。
「祐巳……ちゃん?」
 そこには傘を差して呆然としている祐巳の姿が。
 それはそうだろう。祐巳にしてみれば呆然とするのも仕方がない。
 頼まれた買い物に向かう途中で、二人の知り合いが雨に打たれてなにやら笑っているのだ。正直言って、これが聖さまでなければ無視して逃げていたかも知れない。
「何をしてらっしゃるんですか?」
 二度目の問いに、聖は素直に答えた。ここで体裁を繕ってもしかたないし、そもそも祐巳相手に体裁を繕わなければならない必要などない。
「それは大変ですね。あの、とりあえずうちに来ません?」
 渡りに船とはこのことか。二人に拒否する余裕は全くなかった。
 とぼとぼとついていくと、まず玄関前で待たされた。身体中が濡れているのでいきなり上がるわけにはいかないだろう。
 少し待っていると、なんだか嬉しさを満面に表した祐巳の母がやってきた。
 母は大喜びしていた。リリアンの元白薔薇さま、そして以前お世話になった加東景である。祐巳の母の性格では歓迎しないわけがない。
 とりあえず、祐麒と父親は遠くに押しやられ、二人は風呂場へと通される。
 沸かしてあるお風呂に入る。
 あがって礼を言おうとすると、ご飯が出来ていた。
 二人とも、昼から何も口にしていない。しかも、非常に疲れている。
 かなり恥ずかしい食べっぷりを見せてしまったのではないだろうか、と聖と景は食べ終えてから気付いて恐縮してしまった。
 今日は泊まっていってください。と、祐巳から詳しい話を聞いた母が二人に告げる。
 祐巳ちゃんの部屋でいいわよね? お布団持っていくから。
 祐巳は当然のように頷いた。この頷きまでに微妙な間があったのを聖は見逃さない。
 その夜………
「すいません、寝間着の代わりがそれしかなくて」
 聖と景はジャージを着ている。
「文句なんて言いようがないわよ、突然押しかけてお風呂に、ご飯まで食べさせてもらって、これで文句を言ったら罰が当たるわ」
「そうそう、景さんの言うとおり。だけど……」
 聖は自分の着ているジャージをつまみ上げる。
「好奇心で聞くけれど、これ、祐巳ちゃんのじゃないよね? 景さんが着ているのは、見覚えあるリリアン指定のものだから、祐巳ちゃんのお古だってわかるけれど」
「それしかなくて……でも、ちゃんと洗濯してあるものですから」
「……ははあ、祐麒くんのだな?」
「はい。ごめんなさい」
「ん? 別にいいよ? おかしなものって訳じゃなし、なんなら、祐麒君に洗濯せずにそのまま返そうか?」
「馬鹿言ってないで」
 さすがに景が止める。
「あはは。それじゃあ、そろそろ寝ましょうか」
 祐巳はベッドの上、そして床に布団が敷いてある。面積はベッドの方が広そうだ。
「あの、私がお布団で寝ますから、お二人はベッドで」
「佐藤さんと一緒?」
「はい」
 祐巳が頷くと、景が首を傾げる。
「何故かしら、妙に危険を感じるのよね」
「あ、鋭い」
 祐巳の呟きに苦笑する聖。
「やだなぁ、大丈夫だよ。せっかく祐巳ちゃんがいるのに」
「聖さま、それって……」
「ふっふっふっ。祐巳ちゃん、なんか警戒してる? つれないなぁ、もう一度は一緒に寝た仲じゃない」
「あれはお姉さまの家でしたし、お姉さまも合わせて三人で寝たんじゃないですか」
「ああ、柏木と祐麒も合わせると五人だね」
「誤解を招くようなことを言わないで下さい」
 祐巳は景の丸くなった目を見て慌てて言う。
「合宿みたいなものです、合宿みたいな」
「ま、祐巳ちゃんがそんないかがわしいことに関わっているようには絶対に見えないから安心しなさい」
「私は見えるの? 景さん」
「じゃあ寝ましょうか」
 聖の抗議を無視して、景は話を進めていく。
「私と祐巳ちゃんがベッド。佐藤さんがお布団。それならいいんじゃない?」
「加東さん、私と一緒でいいんですか?」
「佐藤さんより断然いいわよ。祐巳ちゃん妹みたいで可愛いし」
「ふっふっ、景さんもなんだか妖しいじゃない?」
「怒るわよ、佐藤さん」
 その時、ドアにノックの音が。
「祐巳?」
「あれ? 祐麒、どうしたの?」
 聖と景は顔を見合わせる。
 さすがにこの状況を目にするのは照れくさいのか、祐麒はドアを開けずに言葉を続けた。
「ああ、あのな、俺、今日は居間で寝るから、もし部屋が狭いなら、祐巳は俺の部屋で寝ればいいから」
「あら、そんなの悪いわ」
 景が言うと、聖も頷く。
「そうそう。私たちのことなら気にしなくていいんだよ、祐麒。あ、でも祐巳ちゃんが狭いのはなぁ」
「聖さま、私なら気にしなくても、三人で寝るのって楽しいじゃないですか」
「あ、そうだ」
 聖がポンッと手を叩いた。
「じゃあ、私が祐麒の部屋で一緒に寝てあげようか?」
 一瞬、静まりかえるドアの外と内。
「い、いえ、けっ、けっ、結構ですっ! とにかく祐巳、俺は居間で寝るからなっ!」
 どすどすと怒っているようにも聞こえるけたたましい足音に続いて、何かが階段から転げ落ちていく音。
「あちゃあ、悪いコトしたかな」
 頭を掻く聖に、景はため息混じりに呟いた。
「同情するわよ、祐巳ちゃんの弟に」
 結局、ベッドには景、布団に聖。そしてせっかくなので祐麒の部屋で祐巳が寝ることになった。
「それじゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ」
 翌朝、景と聖は打ち合わせていたとおり早起きして台所へ降りた。そこで祐巳の母が出てくるのを待って朝食の準備を手伝う。
「あら、いいのに、お客様にそんなこと」
「いえ、急に押しかけて、これくらいはお手伝いしないと」
「そうですよ、座っていてください」
 その日の朝は二人の作った朝食が食卓に並ぶことになった。
 食べ終えたところで、祐巳の母が何かを取り出す。
「そういえば、聖ちゃん」
 昨日祐巳の母が聖をどう呼ぼうかと悩んでいたら、聖がそう呼んで欲しいと申し出たのだ。自分にしてみれば祐巳の母はリリアンの先輩でもあるので、ちゃん付けでもちょうどいい、と。
 この申し出に祐巳の母が喜んだのは言うまでもない。
「シャツのポケットからこんなのが出てきたんだけど」
 それを目に留めた景があんぐりと口を開ける。
「佐藤さん……それって……」
 どう見ても鍵。家の鍵。
「……そっか。ズボンのポケットだと思っていたけれど、シャツのポケットに入れていたんだ……」
「……佐藤さん?」
「そっかあ、気付かなかったなぁ。ん? どうしたの、景さん、お味噌汁が冷めるよ。ああ、やっぱり景さんのお味噌汁美味しい。うん、私の作った卵焼きも成功作だね」
 いけしゃあしゃあと食事を続ける聖に、景は毒気を抜かれたように口を閉ざした。
「……はあ。も、いいわ」
「……ごめん、今度奢る」
 
 二人は、聖の家に入った。
「はあ、良かった。鍵が見つかって良かった」
「祐巳ちゃんの家にはお世話になりっぱなしね」
 朝食の後、祐巳の父の車で送ってもらえたのだ。
「うん。今度ちゃんとお礼に行かなきゃ」
「あの、それでね、佐藤さん」
「うん、わかってる。弓子さんが帰ってくるまではうちにいていいよ。そうと決まれば、買い出しに行こう。とりあえず景さんの下着の替えとか歯ブラシとか買わなきゃ」
「そうよね、ずっと借りるわけにも行かないわよね。あ、お金」
「とりあえず貸しておくよ」
「ありがとう」
 
 そして、買い物を終えて戻ってくると、
「……」
「ねえ、佐藤さん、どうして家の前で立ち止まるの?」
「……」
「ねえ、佐藤さん、どうしてズボンのポケットに手を入れてるの?」
「……」
「ねえ、佐藤さん、もしかしてズボンのポケットに穴があいていることを忘れて鍵をそこに入れたの?」
「……」
「……佐藤さん?」
「……蓉子、帰ってるかなぁ」
「佐藤さん!!」
 
 
 
あとがき
 
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