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寂しい季節
 
 
 この二、三日、三奈子さまの姿を見ないような気がします。
 一年生にそう言われて、真美はキーボードを打つ手を止めた。
 確かにその通りだ。
 もっとも、今のかわら版編集長は真美。お姉さまが部活に出てこなければならない理由は特にない。だけど、何かと理由をつけては顔を出していたのは事実なのだ。
「そう言えば、そうね」
「真美さま、気付いていなかったんですか?」
「うーん。気付いてなかった訳じゃないけれど、今のお姉さまは別にここに来なければならない訳じゃないし」
「それはそうですけれど」
 ここで別の一年が笑った。
「だけど、あんなに毎日毎日来ていたのに、急に来なくなると少し心配ですね」
 一年生にとってはそんなものか、と真美は思う。
 お姉さまの気まぐれは昨日今日に始まったものではなく、この程度の気まぐれなど真美にとっては日常茶飯事に等しい。特に気にする様なことではないのだ。 
「まあ、お姉さまのことだから、なにか気を引かれる様なことを他に見つけたんだと思うわ」
 あるいは、もしかしてスクープの種を見つけて単独で追っているのか。
 もう新聞記事を書く必要はないのだけれど、築山三奈子さまにとってスクープを追うというのは第二の本能のようなものになっているに違いない。とにかく、何か面白そうなものを見かけるとつい追いかけてしまう、それがお姉さまなのだから。
「あまり気にしなくてもいいわよ。それより次の締め切りを気にしておいてね」
 はーい、と返事をしながらにそれぞれの作業に戻る一年生達。
 よくよく注意してみると、特に指示したわけでもないのに一年生をまとめている子がいる。
 確か、あの子は……高知日出実。入部の時に臆面もなく「三奈子さまと真美さまに憧れて入部しました」と言ってのけた子だ。
 日出実のまとめっぷりをしばらく密かに観察してから、真美は自分の原稿に戻る。
 あまり、身が入らない。今までは別に気にもしていなかったのだけれど、一年生に指摘されたことで自分もお姉さまの不在が気になってしまった。
 確かに、しばらくは引退の身であるにもかかわらず毎日姿を見せていたのに、突然パタリと姿を見せなくなったのだ。何かあったにしろ、妹の自分には連絡ぐらいしてくれてもいいのに。それとも、本当にただの気まぐれなのだろうか。あるいは、本当にスクープを見つけて追いかけているのか。
 考えていると、完全に手が止まってしまった。
 ああ、もうこうなってしまっては仕方ない。
「ちょっと出てくるから、後はお願いね」
 日出実に声をかけると、真美は部室を出た。
「どちらに?」
「気分転換の散歩よ」
 
 
 気分転換の散歩で三年の校舎に来るのもなかなか珍しい。
「あれ? 貴方確か新聞部の」
 間違えて迷い込んだんだ。そう自分に言い聞かせながら足早に立ち去ろうとした真美に、背後から声がかかる。
「あ、……ごきげんよう、黄薔薇さま」
 黄薔薇さまこと支倉令さまだった。
「どうしたの? 取材?」
「あ、いえ……」
「三奈子さんなら、さっき写真部へ行くと言っていたよ」
「え?」
 思わず気の抜けた声で聞き返してしまう。
 写真部。どうして?
「なんだか楽しそうだったけれど、スクープ写真でも手に入れたのかな」
「あ、ありがとうございます」
 黄薔薇さまの疑問には答えず、真美は頭を下げるとその場を後にした。
 別に、お姉さまを捜すつもりなんてなかった。ただ、ぼうっとしていたらいつの間にか三年の校舎にいて、偶然出会った黄薔薇さまが勘違いして教えてくれただけ。
 三年の校舎を出た真美の足は、自然とクラブハウスに向かっていた。といっても、新聞部室に戻ろうとしたのではない。
 写真部といわれて咄嗟に浮かぶのは、どうしても蔦子さんの顔だ。
 確かに、かわら版編集長として、お姉さまは蔦子さんと組むこともあった。だけど、今は一体何があるというのだろう。やっぱり何かスクープを掴んで、写真の必要が出てきたのだろうか。
 考えながら歩いていると、当の蔦子さんがクラブハウスから出てくるところだった。
「あら、真美さん。取材の帰り?」
「お姉さまを見かけなかった?」
「三奈子さま? いいえ、今日は見てないけど。私と入れ違いになったんじゃないかしら」
 入れ違いということは、お姉さまは写真部に行ったということ。そしてそれを蔦子さんは確信している。
「お姉さまが写真部に何の用事なのかしら」
「ああ、なんだか、写真の現像と引き延ばしを急ぎでお願いしたいって言っていたわよ。前に作った貸しを取り立てるとか言って、三年生に働かせていたわ」
「写真?」
 言われてみればもっともなことだった。それに、貸しを取り立てるという言い方からすると、個人的な用事なのだろう。そうなると、これは真美の関知することではない。
「ええ。可愛い写真だったわよ」
「そう。え? 可愛いって」
「三奈子さまの持ってきた写真、見せてもらったけれどとても可愛かったわよ」
「それじゃあ、お姉さまはまだ中に?」
「残念ながら私が見たのは、先輩が分けてもらった焼き増し写真だけ。三奈子さま本人はもういないわ」
 どうやら本当に入れ違いだったらしい。それもほんの少しの差で。
 落胆した真美を尻目に、すたすたと去っていく蔦子さん。
「何の写真だったの?」と真美がようやく聞こうとしたときには、もう蔦子さんの姿は消えていた。
 どうしようかな、と思う。
 このまま写真部へ行けばその写真というのが見られるかも知れないけれど、見せてもらう理由がない。
 お姉さまの写真だから妹の私に見せてください、というのはいくら何でも理由にはならないだろう。
 少し考えて、真美は踵を返した。これ以上ここにいても仕方ない。それに、そろそろ部室に戻らないと一年生達に示しがつかない。
「真美」
 一歩、歩き始めたところに声がかかる。
「何か私に用だったの?」
 他の誰でもない、お姉さまの声。
「教室に戻ったら黄薔薇さまが、真美が私を捜しているみたいだったって言うから、こっちに戻ってきてみたんだけど」
 振り向くと、当然の様に立っているお姉さま。
「お姉さまこそ、何かあったんですか?」
 嬉しいような、気の抜けたような。どちらにしてもこんなつんけんとした声を出す場面ではないのに。
 真美は自分の性格が少し恨めしくなった。
「何かって、ああ、写真部の誰かに聞いたの?」
 言うと、お姉さまはポケットからガサゴソと写真を数葉取り出す。
「ほら、見て、可愛いの」
 これだ。
 そうだ。蔦子さんに確認できなかったこと。一体『可愛い写真』とはなんのことなのか。
 差し出された写真を渋々といったポーズで覗き込んだ真美は、すぐに納得した。
 そこには可愛らしい子犬の写真が。
「まあっ」
「ね、可愛いでしょう? 一昨日、お父さんが知り合いから預かってきたの。家で飼うことになったのよ」
 一昨日。ということは、お姉さまが部室に姿を見せなくなったのは、この子犬に夢中なせいか。
「可愛い……」
「ね、ね」
 目を輝かせて、真美は写真に見入っている。
「あ、そうだ真美。明日うちに来る? この子に会いに来る?」
「え、いいんですか?」
「なによ、今さら」
「でも、お姉さま、受験の準備が」
「そんなの何とでもなるわよ。第一、この子のおかげでどっちみち身が入らないんだから、いいのよ」
 いいのよと言われても、困る。けれど、身が入らないのは事実なんだろうなと真美は納得した。
 
 
 翌日――
 結局真美は誘われるままにお姉さまの家にいた。
「はい、いらっしゃい、真美」
 お姉さまと可愛らしい子犬が出迎えてくれた。
 まだ小さいのか、ワンワンでもキャンキャンでもなく、ヒャンヒャンと吼えている。
「ほらほら。きちんと真美に挨拶してね」
 子犬を抱きかかえたまま、お姉さまは真美を部屋へと案内する。
 子犬も一緒だ。
「本当はあんまり小さい内に家の中にいる習慣をつけると駄目なんだけれどね、今日は特別だから。ほら、真美」
 小さな子犬を抱きかかえると、嬉しそうにペロペロと顔を舐めてくる。
「きゃ、くすぐったい」
「うふっ。懐っこいのよ、この子。初めて家に来たときからじゃれまくりだったもの」
 再びお姉さまに抱きかかえられる子犬。
「それで、真美。昨日はどうしたのよ」
 あ。
 聞かれないと思っていたことを突然蒸し返され、真美は驚いた。
 さすがはお姉さまだった。なんだかんだ言っても、きちんと真美を見ていたのだ。
「まあ、あんまり部室に出入りしすぎた私も悪いけれど、部室に顔を出さなくなったくらいで不安になっちゃ駄目よ。そんなことじゃ、一年生も迷ってしまうわ。編集長は無責任なくらいどっしりしていればいいのよ」
「そんな、無責任なんて」
「私はそうやってきたわよ?」
 ニッコリと笑うお姉さまに、真美は毒気を抜かれた様に絶句する。
「おかげで、貴方が一人前になってくれたんじゃない」
「そ、それは」
 ヒャンヒャンと鳴きながら、子犬がお姉さまに頬ずりしている。
「はいはい、ごめんねぇ、ほらほら」
 んー、とキスをしながら子犬を可愛がっているお姉さま。
 真美は複雑な気分でそれを見ている。
 一人前になるためにわざと無責任なように見せていたなんて。それくらいのハッタリを言う人だとは理解しているけれど、それくらいの深謀もしかねない人だと言うことも知っている。お姉さまをぎゃふんと言わせることが出来たのは前三薔薇さま、特に水野蓉子さまか、かわら版の前々編集長、つまりお姉さまのお姉さまくらいのものなのだ。
 そんなお姉さまなのだから、頼りにしないほうがどうかしている。だけど、卒業はもうすぐなのだ。
 でも、そんなことはもうとくの昔からわかっていることだった。言ってしまえば、ロザリオを受けた瞬間からわかっていること。どんな姉妹でも同じ事。
 お姉さまは妹よりも先に卒業してしまう。
 それはわかっている。
 理屈ではわかっている。
 
 ヒャンヒャンと犬の声。
 くすぐったそうに笑いながら、顔を舐められる間に任せているお姉さま。
「こらこら、駄目でちゅよ〜」
 どうして人間は、動物の子供相手でも幼児語を使って語りかけてしまうのだろう?
 変に醒めた頭の片隅でふとそんなことを思ったとき、お姉さまが突然驚いた顔で手を伸ばしてくる。
「真美、どうしたの?」
「え?」
 お姉さまの手が頬に触れて、ようやく真美は気付いた。
 涙――
 涙が、流れている。
 どうして? 何も哀しいことなんてないのに。
「そっか……」
 お姉さまは、子犬の頭を一度優しく撫でると、下に降ろした。
 不思議そうに子犬はお姉さまと真美を交互に見上げていたけれど、お姉さまがゴムボールを放ると、それを追って部屋の隅へ行ってしまう。
「ごめんね。真美」
 自分の涙にまだ首を傾げていた真美は、突然立ち上がったお姉さまの姿を見上げる。
「そのままいなさい」
 お姉さまは、真美に寄りかかるように座り直すと、今度はしっかりと真美の頭を抱きしめた。
「真美、寂しかったんだ?」
 そんなことないです、と言いかけた真美は頬がさらに温かくなるのを感じていた。
 涙がたくさん――
 そう気付いた瞬間、真美は泣き出していた。それも、大泣きではなく、小さな子がぐずるようにちびちびとしゃくり上げて。
「だって、だって……卑怯ですから……子犬は何もしてないのに、あんなに甘えて……あんなに……お姉さまの傍にいて……」
 自分でも支離滅裂だと思った。だけど、一度放った言葉はもう戻せない。それに、後から後から言葉が湧き出るように繋がっていく。
「寂しくないもん……寂しくないもん! でも、あの犬が……羨ましくて……悔しくて」
「うん。うん。わかるわよ、真美。うん、大丈夫」
 後は声にならなかった。
「私はね、いつだって真美の所にいるから。もしリリアンからいなくなっても、貴方の傍には必ずいるから」
 声にならない真美の声を、お姉さまが少し強引に止めた。
 唇で。
 
 
 
 翌日、真美が部室に入ると、出迎えたのは一年生達の不思議な視線だった。
「ごきげんよう?」
「あの、真美さま。こんなものが、三奈子さまから」
 日出実の差し出したものに、真美は絶句する。
 どこで見つけてきたのか、カチューシャについた犬耳。
 そして手紙。
 一年生達に見守られながら、真美は慌てて手紙の封を切る。
『そんなに子犬が羨ましいなら、次からはこれをつけてくること』
 音を立てんばかりの勢いで赤面する真美に、一年生の疑惑の視線が突き刺さる。
「…………」
 無言で編集長席に座る真美。
「…………」
 ゆっくりと周りを見回す。
「メンバーも揃っているみたいだし、編集会議始めましょうか」
「あの、真美さま?」
「編集会議始めるわよっ!」
 文句があるなら言ってみろ。
 その眼力の前に、次々と着席する一年生。
 
 そして真美は会議の間中、どうやって犬耳を叩き返せばいいかを考えていたという。
 
 
 
 
あとがき
 
 
 
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