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椿組三人娘「お弁当」
 
 
 炊飯器が故障した。
 気付いたのが夜というのが痛かった。早い内にわかっていれば学校の帰りや、家に帰ってすぐに量販店に出かけることも出来たのだけれど、気が付いたのが遅い夕食の直前だったのだ。
 お母さんの帰りを待って、結構遅くなった時間に「御免、先に食べて」と電話がかかってくる。それ自体はいつものことだから別に可南子は気にしていない。
 けれど、そのおかげで炊飯器の故障に気付くのが遅くなってしまった。
 仕方ないのでその日の夕食は急遽パスタにしたのだけれど(おみそ汁とアジの干物とパスタという取り合わせはなかなか新鮮だった)、翌日のお弁当に困ってしまう。
 サンドイッチというのも有りだけど、たまにはミルクホールというのもいいかも知れない。と可南子は思った。
 実は、祐巳さまとのパンの押し付け合い(「涼風さつさつ」)以来、パン当番の日以外はミルクホールには行っていない。
 基本的にお弁当なので用事がない、というのが第一の理由だけれども、実際はあの時のことを思い出して少し恥ずかしくなってしまうからだ。
 あの時の自分は本当にどうかしていた。
 けれど、そのせいであと二年以上も残っているリリアンの高校生活、ずっとミルクホールを利用できないというのも困ったものだ。だから、これはちょうどいい機会。しっかり利用して嫌なことは忘れよう。
 そう考えて、可南子は登校した。
 
 まさか、ミルクホールが改装中で臨時休業中だなんて。
 教室の後ろに貼られている緊急のお知らせの紙は、日付が一週間前。つまり、一週間前から告知されていたのを可南子が気付いていなかっただけのこと。
 クラスの様子を見てみると、自動販売機だけは使える様子。何人かがイチゴ牛乳やコーヒー牛乳のパックを手にしているのがわかる。
 仕方ない。お昼はパック牛乳で何とかお腹を誤魔化して、授業が終わったら早く家に帰ることにしよう。
 でも、こういう日に限って三時間目に体育がある。しかも、冬と言えば恒例の耐寒マラソン。
 出来るだけお腹が空くようなことはしたくないのだけれど、だからといってずる休みはしたくない。それとこれとは話が別。
 案の定、というか恐れていたとおり、四時間目直前の休み時間には空腹がかなり我慢ならないレベルまで来てしまっていた。
 普段なら、我慢できる。四時間目が終わればお弁当があることがわかっているんだから。お弁当までの我慢と自分に言い聞かせればいいだけのことなんだから。
 だけど、今日はお弁当がない。今から一時間頑張っても、せいぜいパック牛乳程度のものなのだ。
 とにかく、精神力をフルに発揮して乗り切るしかない。そう気合いを入れていると、クラスメートの会話が耳に飛び込んできた。
「あー、残念。もうコーヒー牛乳はないわよ」
「ええー、それじゃあイチゴ牛乳でいいわ」
「あ、それも駄目」
「なんでよ」
「自動販売機が故障したみたいなのよ」
「なんですって!」
 思わず叫んで立ち上がった可南子に、皆の視線が集まる。
「どうかしたの? 可南子さん」
 驚いているクラスメートに替わって、乃梨子さんが尋ねた。
「い、いいえ、何でもないわ。うん、なんでもないの」
「それならいいけど」
 自分の席に戻っていく乃梨子さん。それを目で追っていると、こちらを見ている瞳子さんと目があった。
(何をやっているんですか)
 瞳子さんの視線が痛い。
 情けない気分になって机に突っ伏せる。いや、そんなことをしている場合じゃない。これで、お昼休みにお腹に入れるものは何もなくなってしまったのだ。しいて言うなら、水飲み場のお水くらいだけど、さすがにそれは遠慮したい。
 この時点での空腹具合は普段と変わらないはずなのだけれど、お昼に何もないという事実だけでいつも以上に空腹な気がしてくるから不思議だ。
 ――そういえば
 薔薇の館にはいつもお茶請けのお菓子があったような気がする。
 事情を話せば食べさせてくれると思う。祐巳さまが居なくても、乃梨子さんや白薔薇さまがいれば、喜んで分けてくれるだろう。いや、由乃さまや黄薔薇さま、紅薔薇さまだってそこまで薄情じゃない。
 ――ちょっと待て
 理性が必死で止める。さすがにそれは本当の最後の手段だ。 空腹を紛らわせるお菓子を食べるために薔薇の館へ。それはかなり恥ずかしいことのような気がする。
 やっぱり、我慢するしかないか。
 可南子は結論を出した。
 とりあえずは、四時間目を頑張って受けよう。一食ぐらい抜いても死にはしない。多分。
 チャイムが鳴った。
 
 とりあえず。四時間目は耐えた。というか、耐えられないわけはないのだけれど。
 後がない状態というのは、本当に精神的に来るものがある。
 別に飢餓などというレベルではないのだけれど、そこまではせっぱ詰まっていない。
 でも、やっぱりお腹が空いた状態というのはとても情けない。回りで皆がご飯を食べ始める様子に、被害妄想まで湧いてくる。
 ――皆で見せつけているのね
 なんだ、この被害妄想は。あ、もしかすると少し前までの自分は年中空腹状態だったのかも知れない。だからあんな風にお父さんにも夕子さんにも噛みついて、祐巳さまに迷惑かけて祥子さまに叱られて………
 なんだか泣きたくなってきた。空腹恐るべし。
 さて、どうやって昼の時間を過ごそうか。教室で他の人のお昼を眺めているのが辛いのだけれど、だからといってどこかうろうろすると余計にお腹が減ってしまう。
「可南子さん?」
 そう考えていると突然名前を呼ばれた。
「はい?」
 乃梨子さんがお弁当を持って立っている。
「良かったら、久し振りに薔薇の館に行かない? 勿論、お弁当持って」
 どうして? 今までこんなことは言われたことがないのに。
 乃梨子さんの申し出は嬉しいのだけれど、今日は手ぶらで薔薇の館に行くことになってしまう。それは遠慮したい。
 遠回しに断ると、乃梨子さんは椅子を持ってきて目の前に座る。
「そうすると、私も困るの」
「どうして?」
 連れてこいとでも言われたのだろうか、祐巳さまに。
 祐巳さまのことだから、何かの思いつきで突然「可南子ちゃんと一緒にお昼ご飯を食べよう」ぐらいは言い出しかねない。祐巳さまとは、良くも悪くもそういう人だ。
 そして乃梨子さんは、瞳子さんが絡むとかなりお節介になることに可南子は気付いている。もしかすると、それは瞳子さん限定ではなかったのかも知れない。
「お弁当を半分にすると、私も困るのよ」
「え?」
 聞き返そうとした可南子の言葉を遮るもう一人。
「仕方ないですわね。三分の一ということで手を打ちましょう」
 いつの間にか瞳子さんまで来ている。
「三分の一ってどういうこと?」
 瞳子さんが自分のお弁当を可南子の机の上に置いた。
「どうもこうも、私と乃梨子さんのお弁当を三人で分けて食べるんですわ」
「え?」
「可南子さん、事情は存じませんけれどお昼ご飯を持ってきてないのでしょう?」
 乃梨子さんが頷く。
「まさか、ダイエットなんて言わないわよね。その身長の分だけ、少なくとも、瞳子よりは痩せて見えるんだから」
「ちょ、乃梨子さん! それはどういう意味ですの? 私は出るところが出ているだけです。乃梨子さんこそ、もう少し腰回りを引き締めてはいかがですの? 白薔薇さまが泣きますわよ?」
「どうして志摩子さんがそこで出てくるのよっ! 第一、志摩子さんはいつも私のお腹が柔らか……いえ、なんでもないわ」
 何か乃梨子さんが口走ったような気がしたけれど、可南子はとりあえず無視することにした。
「あの、二人とも、どうしてわかったんですか?」
 瞳子さんと乃梨子さんは呆れたように苦笑する。
 二人に言わせると、おかしいと思ったのは朝。
 教室の後ろに貼ってある、ミルクホール改装中のお知らせの前で固まっている可南子を見たときから。そして、休み時間の不審な行動でピンと来たらしい。
「だからね、薔薇の館に行くと、少なくともお茶とお菓子があるの。少しはお腹の足しになるじゃない?」
 乃梨子さんは声を潜めて辺りをうかがうようにしながら言っている。
「でも……」
「でもじゃないの。あのね、可南子さんだから言っているのよ? 可南子さんにはそれくらいしてもいい貸しがあるのよ?」
「貸し?」
「そう、文化祭のこととか、それ以外にも色々手伝っているでしょう? だから、他の人には内緒でね?」
「まあ、たまには三人で食べるのもいいかも知れませんわ」
 そう早口に言うと、瞳子さんは立ち上がる。
「何をしていますの? ゆっくりしていると、お昼休みが終わってしまいますわ」
「瞳子、たまには三人で食べたいんだ?」
 乃梨子さんが意地悪そうに言うと、瞳子さんは振り向きもせずに答える。
「いいから早く行きましょう!」
 さあ、と手を取る乃梨子さんに引きずられるように、可南子は教室を出る。
 
 新しい炊飯器で最初に作るのは、腕によりをかけた三人分のお弁当にしよう。
 お昼休みが終わる前に、可南子はそう決めていた。
 
 
 
 
 
あとがき
 
 
 
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