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ペアで行こう!
 
 
 松平家に出入りしている販売員が、瞳子の前にカタログを置いた。
「それではこちらなどいかがでしょう?」
 別に瞳子が用事を持っているわけではない。販売員が訪れている理由は父母の用事なのだけれど、ついでに何か欲しいものはないかという母の言葉につられて、姿を見せているのだ。
 瞳子は販売員の言葉に招かれるようにカタログを見る。
「こちらでしたら、お嬢様にもピッタリかと」
 さすが、と瞳子は心の中で唸った。
 やはり長年出入りしている玄人の目というのは凄いものだ。確かに、これなら瞳子の好みにピタリと当てはまる。つい先日読み終わったばかりの小説の表現を借りるならば、「小数点以下十九桁まで」というやつだ。
「なかなかよろしいですわね」
 瞳子の視線はカタログの上を動いている。そして止まった。
「あら、これは……?」
 男は瞳子の視線を追うと、やや残念そうな顔になる。
「ああ、失礼しました。こちらはただいま、在庫を切らしておりますので取り寄せとなりますが」
「まあ、在庫を切らしているのにカタログに?」
 瞳子にその意志はなかったのだけれど、やや相手の不注意を咎めるような言葉になってしまった。
「申し訳ありません。つい昨日までは在庫を一つ置いていたのですが、注文を受けてしまいまして」
「まあ。それは残念」
 瞳子はカタログ上の写真……ティーカップをじっと見つめる。
「今からですと、海外取り寄せになりますので多少日数がかかりますが」
「それならばよろしいですわ。また別の機会にいたしましょう」
「もうしわけありません」
 そこでふと、瞳子は思い出した。
 確かこの販売員は、もともと小笠原家に出入りしていたはず。それが縁で柏木、松平家にも顔を見せるようになったのだ。
 そして、今見せられたティーカップは、よくよく考えてみると祥子お姉さまの好みにも合っているような気がする。
「あの、もしかすると、このティーカップを買い求めたのは小笠原祥子さまでは?」
 販売員はやや躊躇していたようだけれど、瞳子と祥子さまの関係を思い出したのか、ニッコリと笑う。
「ええ。そうです。小笠原祥子さまがお買い求めになりましたよ」
 やっぱり、と瞳子は手を叩く。
「だと思いましたわ。祥子お姉さまがお好きそうですもの」
 だけど、それはペアのティーカップ。
 少し前なら、優お兄さまと一緒にお茶を飲むに違いないと思っていただろうけれど、今は違う。
 祥子お姉さまがペアでお茶を飲むのなら、相手はただ一人。
 そう、祐巳さましかいない。
 ちょっと悔しいけれど。
 ちょっと羨ましい。
 祐巳さまと一緒にお茶を飲む祥子お姉さまが。
 ……
 あれ?
 訂正。
 祥子お姉さまと一緒にお茶を飲む祐巳さまが羨ましい。
 祥子お姉さまが羨ましいなんて、そんな訳ありませんことよ!
 誰にともなく心の中で呟きながら、瞳子は客間を出た。
 だけど、ティーカップに関しては本当に残念。
 そうだわ。
 瞳子は心の中でパチンと手を叩く。
 学校で祥子お姉さまに現物を見せて頂きましょう。祐巳さまと一緒に使うおつもりなら、きっと薔薇の館に置いてあるはずですわ。
 
 
 薔薇の館に出向くと、乃梨子さんがぽつねんと一人で座っていた。
「珍しいですわね、乃梨子さんが一人なんて」
「志摩…お姉さまは環境整備委員会で遅れてくるのよ。由乃さまと黄薔薇さまは部活。祐巳さまと紅薔薇さまは二人でさっき出て行ってしまったわ。鞄が置いてあるから、直に戻ってくるとは思うけれど」
「そうですか」
 瞳子は部屋内をすすっと横切ると、食器棚の前に立つ。
「乃梨子さん、食器棚の中を拝見しますわよ」
「別にいいけれど、今日は何もないよ? お腹が減ってるなら、パンが一つあるけれど」
「違います」
 ムッとして、瞳子は振り向いた。
「棚の中のものを確認したいだけですわ」
「確認って……、私たちが使っているカップくらいしか入ってないわよ?」
「それを見たいんです」
「なんでまた」
 乃梨子の疑問には答えず、瞳子は棚を開いた。
 なんの変哲もないカップが並んでいる。
「おかしいですわね。ありませんわ」
「何を探しているのよ」
 乃梨子も椅子から立ち上がると、瞳子の隣に並ぶ。
「皆さん、本当にここのカップを使っているんですの?」
 何故か乃梨子は答えない。
「乃梨子さん?」
 瞳子の視線から何故か乃梨子は体を反らす。
「乃梨子さん?」
 答えない乃梨子。瞳子が仕方なく三度目の呼びかけをしようとしたとき、扉が開いて白薔薇さまが姿を見せる。
「ごきげんよう、乃梨子。ごきげんよう、瞳子ちゃん」
「ごきげんよう、お姉さま」
「ごきげんよう、白薔薇さま」
 乃梨子は瞳子にいる場所とは反対側の棚に移動すると、中から大事そうに木箱を取り出す。
「お姉さま、今、お茶を煎れますね」
 瞳子は唖然とした顔で乃梨子の行動を見ている。
 あの木箱は一体?
「ありがとう、乃梨子」
 乃梨子さんが仰々しく木箱を開けている。瞳子が見守る中、木箱から出てきたのは夫婦湯呑み。
 もしかして?
 乃梨子さんはまたもやどこからか出してきた茶葉でお茶を煎れ始める。どうやら、普段使っているカップや茶葉とは明らかに別のもの。
 二人専用なのだろうか。
「乃梨子さん、それは一体なんですの?」
「これは、私がお姉さまと私のためだけにお茶を煎れるときのための専用品よ」
「夫婦湯呑みに見えるんですけれど」
「そりゃあ、夫婦湯呑みだから」
「あの……夫婦湯呑みって」
「いいのよ。私とお姉さまは夫婦同然だから」
「おいおい」
 瞳子が思わずツッコミかけると、
「乃梨子ったら…」
 白薔薇さまが、
「こんなところで恥ずかしいわ」
 そっちかよっ! と瞳子は突っ込みたかったけれど、乃梨子さんが恐いので自粛する。
 乃梨子さんは、こうなっては二人の世界を作るだけ。そして瞳子は見せつけられるだけ。乃梨子さんとは友達だけれど、見せつけられるだけというのはつまらない。
「乃梨子さん、失礼ですけれど私そろそろ……」
「ごきげんよう」
 なんだろう、このタイミング。まるで瞳子が帰るのを見計らっていたかのように。
 祐巳さまを筆頭として、山百合会にはタイミング外しの達人ばかりが揃っている様子。瞳子は密かに心の中でため息をつくと、新しく来たメンバーに挨拶する。
「ごきげんよう、由乃さま、黄薔薇さま」
「こぎけんよう、瞳子ちゃん、来てたんだね」
「はい、生憎と」
 今から帰るところですわ、と言いかけた瞳子の言葉を由乃さまの叫びがかき消した。
「乃梨子ちゃん、それって!」
 由乃さまの目は、夫婦湯呑みに注がれている。
「なんだか、特別な湯呑みに見えるのだけれど?」
「まあ、由乃さん。これは、乃梨子がわざわざ準備してくれたのよ」
 知っているのか天然なのか、ニコニコと湯呑みの由来を答える志摩子さま。
「わざわざお揃いを持ってきてくれたから、使うことにしたの」
「なるほど。二人っきりの時にはそういうことをしていたわけね、乃梨子ちゃん!」
 乃梨子さんは開き直ったようだった。
「いけませんか? 由乃さま。私と志摩子さんがどんなカップでお茶を飲もうと、別に構わないじゃないですか」
「べ、別にいけないなんて言ってないわよ」
 由乃さま、押され気味?
「ただ、私は……」
 言いながら、由乃さまはチラリチラリと令さまを見ている。何か言いたいみたいだけれども、何も言えない。そんな感じ。
「まあまあ由乃。乃梨子ちゃんだって、志摩子とペアの湯呑みを使いたかっただけなんだし。別に誰が何を使ってもいいじゃない」
「それはそうなんだけれど……」
「それとも、由乃もペアのカップが欲しいんだ?」
「令ちゃんっ!」
 真っ赤になって首を振る由乃さま。いつもはビックリするぐらいイケイケ赤信号なのに、こういうときになると突然恥ずかしがり屋になってしまうのはどうしてだろう。
 瞳子が首を傾げていると、令さまが何かを思い出したように手を叩いた。
「ああ、そうだ。由乃、ちょっと待っていてよ」
 令さまは由乃さまの返事も待たずにカバンを置くと、急いで階段を駆け下りて行ってしまった。
「ちょっ、ちょっと、令ちゃん!?」
 ぽつんと残された由乃さま。瞳子も帰るタイミングを失って、思わず座り直してしまう。
 乃梨子さんと志摩子さまは二人の世界。
「……で、瞳子ちゃん。最近調子はどうなの?」
 何事もなかったかのように世間話ですか!!
 さすがは黄薔薇のつぼみですわ、と瞳子は内心舌を巻きながら、それでも他愛のない世間話を開始してしまう。
「おかげさまで、部活動のほうもクラスのほうでもうまくいっておりますわ」
「それは良かったわ。ところで、祐巳さんの妹のことなんだけれど」
 瞳子は少し眉を上げた。
「いえ、正確には違うわね。祐巳さんの妹が誰になるとか言う問題じゃないのよ」
「はあ?」
「可南子ちゃんにもできれば同じ事を言いたいんだけれど。よかったら、暇なときでいいんだけれど、ちょくちょく遊びに来ない? お茶ぐらい出すわよ」
「仕事を手伝え、と?」
 由乃さまはニッコリと笑った。
「このままだと、乃梨子ちゃんにばかり負担がかかりそうなのよね。かといって、誰でもいいというわけにはいかないのよ。この前のお茶会の後始末で痛感したわ。貴方と可南子ちゃんは逸材なのよ。薔薇の館でも物怖じせずに動けるんだから」
 褒められている。多分。
「暇があれば、ですわね」
「勿論無理強いはしないし、したところで乃梨子ちゃんと、誰かになるかはわからないけれど祐巳さんの妹が気分よくお仕事できないと意味がないしね」
 祐巳さまの妹。親友の由乃さまがこんな言い方をするということは、やっぱり祐巳さまはまだ決めかねている?
 それとなく聞いてみようかな、と少し考えていると、令さまが戻ってきた。
「お待たせ、由乃。ジュースでも飲まない?」
 入ってきていきなりこれ。言われた当人の由乃さまも目を白黒させている。
「どうしたの、令ちゃん」
「これを取ってきたの」
 ニコニコと差し出すのは二本のストロー。
 由乃さまは首を傾げている。
「ペアカップはすぐには用意できないけれど……」
 令さまはどこからか大きめのコップを持ってきて、購買部で買ってきたらしいジュースを入れる。そして、二本のストロー。
 まさか?
「由乃。一緒に飲もうか?」
 目を白黒させていた由乃さまの顔が真っ赤になる。
 何か言いかけて美味く言葉にならないようで、あわあわとしていたかと思うと、突然、令さまの前の椅子に座る。
「……令ちゃんの馬鹿。いきなりなんて、恥ずかしいじゃないの……」
「それじゃあ、飲まないの?」
「飲む。飲むわよ、せっかく令ちゃんが準備してくれたのに、飲まないわけないじゃない」
 それじゃあ座ろうか。なんて、周りに瞳子や白薔薇姉妹がいることを忘れてしまっているかのように、爽やかに笑って令さまが椅子をひく。
 由乃さまのために椅子をひいているんだ。さすが、由乃さまの騎士。けれど、令さまの場合は由乃さまのためとか、格好をつけようとかは微塵も思っていなくて、とても自然にやっているように見える。
 由乃さまも、当然のように座る。
 ジュースの入ったコップが二つ。刺さったストローは二本。そして、向かい合っている二人。
 本当に、周りに人がいることを忘れているんじゃないだろうか。
 瞳子は、やれやれと肩をすくめて、今度こそ部屋を出ようとする。
「ごきげんよう、瞳子ちゃん」
 紅薔薇さまと祐巳さま。二人仲良く並んでいる。人が見ていないところでは腕でも組んでいるのではないかしら。そう瞳子が思ってしまうほど、端から見ていても仲睦まじい二人。
「あら」
 祥子さまは黄薔薇姉妹と白薔薇姉妹の様子に気付く。
「まあ、令も志摩子も、楽しそうね」
 瞳子は、そういった祥子さまの手に下げられた紙袋に気付く。
 見覚えのあるお店のマーク。
 これはもしかして、ティーカップ? ということは、これを取りに行っていたのだろうか?
 どうやら、ティーカップはまだ祐巳さまの手には渡っていない模様。
「ちょうどいいわ。祐巳、私たちのお茶も用意してくれないかしら?」
 嬉しそうに返事をして、祐巳さまはカップを取りに行こうとする。
 それを引き留める祥子さま。
「お待ちなさい。今日はこのカップを使いましょう?」
 祥子さまはあくまで優雅に紙袋から包みを取り出す。
「祐巳とお揃いのカップにしたいと思って、買ったものよ。一緒に使いましょう?」
 包みを開けると、祐巳さまのぽかんとした顔。それを見る祥子さまの嬉しそうな顔。
「お姉さま、こんな高価そうなもの……」
「いいのよ。私が祐巳とお揃いにしたいと思ったのだから」
「このカップに合うような、とびっきりの美味しいお茶を煎れますね」
「楽しみね」
 やがて、三組がそれぞれ独自の世界を作った。
 瞳子の居場所がない。
 瞳子は無言で館を出た。この状態では、挨拶をしても無視されかねない。
 羨ましい。
 大きな声では言えないけれど、あの三組が羨ましい。
 ペアカップ……。
「何してるの?」
 いつの間にか、とぼとぼと中庭まで来てしまっていたらしい。
 不思議そうな顔でこちらを見ているのは可南子さん。
「別に、何でもありませんわ」
「なんだか、元気がないみたいだけれども」
「少し疲れているだけですわ」
「そう? それならいいのだけれど……」
 なんのつもりか、可南子さんは手に持っていた紙コップをスッと差し出してきた。
「飲む? まだ口を付けていないから平気よ?」
 元気づけてくれているつもり? そう考えると、少し気が晴れてきて、瞳子は素直に紙コップを受け取った。
「ラッキーの紙コップよ」
 ラッキー? 瞳子はそっと紙コップを持ち上げると、そこに印刷されている記号を見た。
 ☆が五つ。幸運のサインだ。
 中庭の自動販売機から出てくる紙コップには、ランダムで☆が印刷されている。最大で五個なのだけれど、いつの間にか数が多ければ多いほど幸運なのだという話がまことしやかに囁かれるようになったのだ。
「あら、またラッキー」
 見ると、可南子さんが自分用に新しい物を買っている。
「二つ連続で五つなんて珍しいこともあるものね」
 希少価値があってこその【幸運】なのに。と可南子さんがなにやらブツブツ言っている。ラッキーはいいことなのだから、別に文句は言わなくていいと思うのだけれど。
 でも、なんとなく可南子さんらしい。瞳子はそう思いながらベンチに座った。
 隣に可南子さんが座る。
 二人並んで、正面を向いて、紙コップの中身をズズッと。
 そして、傾けた紙コップの底には、二人並んで☆五つ。
 あらら、これも立派なペアカップなんだ。
 妙におかしくて、瞳子はクスクスと笑ってしまう。
「どうかしたの?」
 可南子さんの不思議そうな顔が余計におかしくて、しばらくの間、瞳子のクスクス笑いは止まらなかった。
 
 
 
あとがき
 
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