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帰ってくる処
 
 
 
「や、お久しぶり」
 玄関口で悪びれもせずに片手を上げているのは、見慣れた腐れ縁の相手。
 ニコニコと、人の気も知らずに気楽そうに笑っている。
「これ、お土産ね」
 私が呆れているうちに、聖は靴を脱いで上がり込んでくる。
 私は土産だという代物を強引に押しつけられ、仕方なく下がって道を空けた。
「貴方、来るなら来るで、連絡くらいしなさいよ。こっちにも準備っていうものがあるんだから」
「あれ、この前の電話の時言わなかったっけ?」
 寒い寒いと言いながら、ワンルームの真ん中にぽつんと置かれたコタツの中へと足を入れ、座り込む。
「暖房入れずにコタツだけ? 確かに一人だとそっちの方が無駄がないのかも知れないけれど、蓉子らしいね」
「そりゃそうよ。使わないところまで暖める必要はないもの」
 私は、渡された紙袋をそのままコタツの脇に置いた。
 中をチラリと見ると、ワインの瓶や食べ物の瓶詰め缶詰めの類らしい。
 いつでも渡せるように、渡すのを忘れたとしても構わないように保存の効くものばかりというのが、とても聖らしい。と私は思った。ずぼらな癖に、ずぼらをフォローする術をきちんと心得ている。そこまで気が回るなら、ずぼらを直せばいいと思うのだけれど。
「電話って」
 話題を戻す。聖に訪問の約束をされた覚えなんてないのに。
「もしかして、日本に帰ってきたときの電話のこと? 先週の」
「そうそう。帰ってきて最初に電話したのが蓉子だったんだからね。感謝しなさい」
「呆れた。家にするものでしょう、そういうことは」
 そうは言っても、実は少し嬉しかった。ううん、かなり。だけどそれを表情に出すのはなんだか悔しい。
「そもそも、電話って言っても、貴方、『やっほー帰ってきたよ』しか言ってないじゃないの」
「嘘。その後に『蓉子、愛してるよ〜』って付け加えたじゃない」
 私は真っ赤になった自分の頬を意識しながら、聖に背を向けた。
 まったく、どうして聖はいつもこうやって私を困らせるのか。
 人に何も言わずに海外旅行。それもただの観光ならいざ知らず、放浪旅行だなんて。無事に帰ってきたからいいようなものの、若い女性がたった一人で放浪旅行なんて、どれだけ心配したと思っているんだか。
 連絡がついたところでそれを指摘したら、「だって、事前に言ったら蓉子止めるでしょう?」って、そんなの当たり前でしょう!
「あー、やっぱりコタツっていいよね。うちもエアコン止めてコタツにしようかなぁ」
 いつの間にか買い置きのお茶菓子を出して食べている。
 本当に油断も隙もない。私は肩をすくめてため息をつきながらお茶を煎れる。
「コーヒーでいいのね?」
「うん。ブラック」
 言われるまでもなく、聖の好みはわかっている。聖だって、言うまでもないとはわかっているはずなのに。何故だか、どうでもいいことが少しいらだたしい。
「ねえ、私がいない間に江利子の所、産まれたんだって?」
「ええ、可愛らしい女の子よ」
 私と聖ともう一人。元黄薔薇さまの鳥居江利子。いまでは山辺江利子という名前で幸せに暮らしいている。
「これで三人目だよね?」
「江利子が産んだのは二人だけどね」
 元々山辺氏の前妻との間に産まれていたのも、江利子が産んだ二人も全部女の子。江利子の話によると、江利子の兄たちは早速伯父馬鹿ぶりを、そして父は爺馬鹿ぶりを発揮しているそうだ。結婚にはあれほど反対だったのに。身内の女の子に弱いというのは、あの家の男達の血なのかも知れない。
「まあ、江利子の結婚は、あの頃から時間の問題っていう感じだったからそんなに驚かないけれど」
 聖の前にコーヒーを置く。
「そうだね。江利子に関しては、山辺氏がいつ負けを認めるか、ただそれだけの問題だったもの」
 聖はコーヒーを一口飲むとにっこり笑った。
「うん。やっぱり蓉子のコーヒーが一番美味しい」
 見え透いているな、と思うのだけれども、それでも嬉しくなってしまう。結構私も単純なのだ。
「だけど、令と由乃ちゃんにもビックリしたわよ。本当に」
「そうね、まさかあんなに早く結婚しちゃうなんて」
「黄薔薇姉妹には早婚の血筋でもあるのかな?」
「さあ、由乃ちゃんの妹のことは知らないけれど、三人続くとそんな気もしてくるわね」
 確か、菜々という名前だったと思うけれど、それ以上のことは覚えていない。私は祐巳ちゃんの妹を知っているし、聖は志摩子の妹までを知っているけれど、さすがに他の姉妹に関しては、曾孫の代までは覚えていないものだ。
 令と由乃ちゃんはそれぞれ家庭を持って、子供もいる。直接会うことはないけれど、江利子や祥子から聞いた話だと幸せにやっているらしい。ちなみに旦那様同士も仲が良く、またもや二世帯住宅状態で暮らしているらしい。流石というかなんというか。
「ところで、令の旦那さんがかなりの年下って本当?」
「確か……十才近く離れていたと思うけど」
 そのまま私たちは、共通の知り合いの近況を互いに確認し始めた。
 祥子は、つい最近結婚した。相手を紹介されたときは、驚き半分納得半分だったけれど、よく考えれば祥子らしい相手だった。あの人なら、祥子と上手くやっていけるのではないかと思う。
 祐巳ちゃんは、ケアの仕事に就いている。実に彼女らしい選択肢だと思うけれど、小笠原グループが介護事業に進出したタイミングがあまりにもできすぎていて、祥子の祐巳ちゃんに対する溺愛ぶりには改めて舌を巻いたものだった。
 祐巳ちゃんの妹は、中高と続けていたクラブ活動をそのまま職業にしている。いずれは日本を代表する一人になると言われているらしいけれど、その辺りには私は疎いのでよくわからない。
「ちょっと、余所ばかりに気にしているけれど、志摩子達はどうなのよ?」
 私が尋ねると、聖は気まずそうに笑った。
「志摩子のことは知っているでしょう?」
 知っている。シスターとして、リリアンに戻っているのだ。
「で、志摩子の所に泊めてもらおうと思ってたの、実は」
「泊まるって? 貴方自分の家は?」
「言ってなかったっけ? うちは両親とも田舎に戻ったのよ。もう東京にはいないわ」
 初耳だ。ちょっと待ってよ。それじゃあ今夜はうちに泊まる気だったの?
「迷惑なら、その辺のカプセルかビジネスホテルでも探して、泊まるけれど?」
 迷惑と言うより、突然すぎて心の準備、いえ、寝具の準備とかができないじゃないのよ。
「追い出すつもりはないけれどね。ただ、準備が……」
 追い出すつもりがないのなら、別にいいじゃないの。心の中で誰かが、そう自分に語りかける。
 その言葉を無視して、私は聖をへの質問を再開した。
「志摩子はどうしたの? 志摩子の家なら広いし、志摩子が貴方を断るとも思えないけれど」
「あれ、蓉子知らなかったの? 志摩子はリリアンでシスターになってるよ?」
 それは知っている。
「それで、家を出て職員寮に住んでいるのよ」
 それは知らなかった。だったら、聖が泊まることができないのもうなずける。けれど、それを知っていたのに何故泊めてもらえると思ったのか。
 聖のことだから、屋根さえあればどこでも雑魚寝しそうな気もするけれど。
「一晩くらい何とかなると思ったんだけどね、なんなら床や椅子でごろ寝でも良かったし」
 あ、やっぱり。
「でも、リリアンの職員寮って二人一部屋だったんだね、知らなかったから驚いたよ」
 いくら聖でもそれは無理か。志摩子は慣れているとしても相手が驚くだろう。
「まさか、乃梨子ちゃんと同室だったとは」
 え? 乃梨子ちゃんって、確か、志摩子の妹。まさか志摩子を追ってそのままシスターになったの?
「ああ、乃梨子ちゃんは数学の教職免許取って、リリアンで教師やってるのよ」
 そこまで志摩子のことを追いかけたかったのか、リリアンが気に入ったのか。多分前者なんだろうけれど、なかなかの行動力だ。私も、少しは見習った方がいいのかも知れない。
「皆、いなくなっちゃうんだね」
「仕方ないじゃない。いつまでも学生ではいられないし、社会人としての生活があるのだもの」
 そう言う私も、大学を出てからはここで一人暮らしを始めている。リリアンにいた頃と同じ所に住んでいるのは、話題に出た中では祐巳ちゃんくらいだろう。
「それに皆変わっていくし」
「本質は変わるものじゃないわよ。まあ、あの江利子が良妻賢母になってるなんて、ちょっと想像できないけれど」
「それを言うなら、普通に結婚した祥子も想像できないよ、私は」
 姉の私が言うのもなんだけど、聖の意見には賛成。
 確か今でも祥子の男性恐怖症は完治していないはずだ。結婚相手だって、祥子が普通に話せる数少ない男性の一人だったのだから。
「貴方は変わらないわね」
「蓉子だって、私のことは言えないよ?」
 聖は笑っていた。
「だから、私は安心してここに戻ってこれるんだから」
 そう言って、いつも唐突に現れる聖。
 私は呆れた顔だったに違いない。
「貴方の家はここじゃないんだけど?」
「もう、面倒くさいから、ここを家にしちゃおうかな」
「うちは旅館じゃないんだからね」
「うー、意地悪。水野旅館にしてよ」
「一泊一万円。食事代は別ね」
「うわっ、それは暴利っ!!」
「勝手に泊まりに来ておいて文句言わないの」
 
 
 ご飯を食べて、ワインを開けて、寝て、朝ご飯を食べると聖は帰ってしまった。
「蓉子の家って、安心できるのよ」
「どういう意味よ」
「さあ? 別に意味なんて無いわ。ただ、私が安心できる場所、それだけよ」
 そんなやりとりをしながら、聖を駅まで送っていった。
 安心できる場所。
 聖の安心できる場所。うん、なんだかくすぐったいような、誇らしいような。
 言葉一つで他愛もないのだろうけれど、それはそれ、これはこれ。
 私は聖の乗った電車が遠ざかっていくのを視界の隅に置きながら、買い物のリストを頭の中に作っていた。
 缶詰めや冷凍食品を補充しなければ。
 聖が突然やってきても、ご飯くらいは食べられるように。
 
 
 
 
あとがき
 
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