しっぽがいっぱい
お猿さんとお猿さんはとっても仲良し。
今日も二匹で手と手を繋いでお散歩に。
手と手を繋げで、尻尾も絡めて。
仲良しこよし。
乃梨子は自分の目を疑った。
――なんだろう、これは。
目の前に座っている二人。
松平瞳子と細川可南子。二人は何の因果が隣同士の席になっている。それはいい。それはいいのだけれど、その後ろに座っている乃梨子には、二人の間に妙な物体が見えているのだ。
細長い。くねくねと曲がったもの。
それは二人の座っている椅子の辺りから伸びている。
形といい、場所といい、これはまるで尻尾?
どうして可南子と瞳子に尻尾が?
それも、二人の尻尾はくねくねとまるで踊り出すように動いている。
口を開きかけて乃梨子はあることに気付いてやめた。
あれだけ激しく動いていれば、乃梨子以外の人間も気付いてるはずだろう。それなのに誰一人として声も上げないどころか、見向きもしていない。
自分の正気を疑って言い出せないでいる、とも考えられるけれど、視線を向けることもないというのはやっぱり不自然だ。
「あの、涼子さん?」
乃梨子は少しためらったけれども、隣に座っているクラスメートに声をかける。
「あら、なんですか? 乃梨子さん」
「あれなんだけど」
乃梨子は、床でピコピコ動いている瞳子の尻尾を指さしてみた。
「あれがどうしたの?」
やっぱり尻尾は見えているのか。だとすると、どうしてみんな無視しているんだろう。
「さっき、誰かが墨をこぼしてしまったのね」
え? 乃梨子はまじまじと尻尾を見た。
墨?
違う。瞳子の尻尾の向こうに見える床。そこに黒い汚れがある。
「さすが白薔薇のつぼみね。あんな所にまで目が行き届くなんて。今日の掃除当番は誰かしら、私も気付いたら言っておくわ」
「え、ええ」
乃梨子は適当に合わせて返事を済ませると、もう一度床を見た。正確には、乃梨子の目と教室の床の間にある瞳子の尻尾を。
尻尾が邪魔で染みなど見えない。
ということは、涼子さんには尻尾は見えていないのか。
自分だけに見えているのだろうか。
でも、何故?
しかも、可南子と瞳子だけに尻尾があるなんて。
「あら、消しゴムがどこに行ったのかしら」
瞳子が、ペンケースを開いて首を傾げている。
「消しゴムがないの?」
「さっきまではあったんです」
「落としたかどうかしたのね。足下にはないの?」
「ええ、ありませんわ」
「よく探してみたら? 瞳子さんはちょこちょこしすぎて、結構自分の足下がお留守になっているときがあるもの」
「どういう意味ですの?」
「こう見えて、結構落ち着きがないって言ってるの」
もぉ、と頬を膨らませながら、瞳子がごそごそと足下に手を伸ばしている。見ると、尻尾が力無く垂れ下がっていた。
感情に左右されるのだろうか。これでは猿と言うよりも犬だ。
「あ、そこ」
瞳子が何かに気付いた。その顔は可南子の足下に向けられている。
「可南子さんの足下ですわ」
「え?」
可南子が慌てて自分の足下に目をやる。
「あら、いつの間にこんな所に」
「人のことばかり言って、可南子さんこそ、自分の足下が見えてないんじゃないかしら? あ、それとも、大きすぎて自分の足下が見えないとか」
「なによっ、それ。ひどい」
「お互い様ですわ」
お互いに文句を言いながら、それでも可南子は消しゴムを拾って瞳子に渡している。瞳子もそれを素直に受け取って。
「瞳子さんに落ち着きがないのは、見ていればわかることですもの」
「そんなことありませんわっ」
「だから消しゴムを落としても気付かないんです」
「それは……」
気付かなかったことは確かに事実なので、瞳子は強く言えないようだった。
「可南子さんだって、足下に気付かなかったじゃありませんか」
「私が落としたんじゃないもの」
「遠すぎて、足下がよく見えないのよ」
「あのねー」
また、同じようなことを言い合い始める。
本当に仲が悪いんだな、と乃梨子が思っていると、二人の足下に伸びていた尻尾がうねうねと持ち上がる。
見てる間に、二本の尻尾は二人のちょうど中間で触れあい、ハイタッチのように尻尾の先端を触れあわせると、楽しそうに揺れながら絡んでいる。
そしてやっぱり、その尻尾は誰にも見えていないようだった。
――なんなんだ、これは
首を傾げていると、授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。
教室の入り口には先生の姿が。
「ごめんなさい。連絡が遅れたけれど、この時間は特別教室に移動よ。持ち物はいらないから、静かに移動してね」
ざわついて、それぞれが自分の椅子から立ち上がる。
乃梨子も立ち上がりながらそれとなく回りを観察してみる。
何人かに尻尾が見えた。
してみると、可南子と瞳子だけの特別なものというわけではないようだった。
特別教室でビデオを見終わると、お昼休み。今朝は炊飯器が故障していてお弁当が間に合わなかったからパンを買うことになっている。そしてパンを買った後は、当たり前のように薔薇の館で志摩子さんと一緒にお昼ご飯。
ところがミルクホールに一歩足を踏み入れた瞬間、乃梨子はゾッとした。いたる所に尻尾が蠢いている。
ミルクホールにいる全員、ではないけれど、半分以上の生徒達に尻尾が生えているのだ。
さすがに一瞬驚いた。それでも冷静になってみると、尻尾があるだけで他に何があるわけでもない。そもそも尻尾は乃梨子にしか見えていないようなのだ。
乃梨子は気を落ち着けると、パンを買いに人混みの中へ入っていく。
「ごきげんよう」
人混みからようやく抜け出て、ミルクホールを出たところで声をかけられた。
「乃梨子ちゃん、今日はミルクホールなの?」
由乃さまと令さまだ。
「ごきげんよう、由乃さま、黄薔薇さま。はい、家の炊飯器が故障したもので」
「まあ、大変ね」
いいながら、乃梨子は由乃さまの背後にあるものに気付いた。
尻尾がゆらゆらと動いている。
その尻尾の先端は黄薔薇さまの方へと伸び、黄薔薇さまの方はといえば、こちらもやはり尻尾がくるりと背後から前に回ってきている。
二本の尻尾は空中で先端を絡めていた。
「由乃さまもミルクホールなんですか?」
「私はジュースを買いに。令ちゃ……お姉さまが奢ってくれるって言うから」
「何言ってるの。由乃が強引に、あれは奢るじゃなくてたかるって言うの」
「えー。だって令ちゃんが悪いんだよ。勝負に負けたじゃない」
「負けた方が奢るなんて、終わってから由乃が決めたんじゃない」
黄薔薇さまがため息混じりに言うけれど、さすがに乃梨子も最近はわかってきていた。こうやって由乃さまの無理な注文を聞くのも、令さまには楽しいことなんだって。
その乃梨子の想いに「そうだよ」と応えるように、二人に尻尾がクネッと動いた。
楽しそうに文句を言いながら歩き始める黄薔薇さまの後ろに由乃さま。二人は薔薇の館に向かっているので、乃梨子はその後をついていくような格好になる。
いい機会なので、乃梨子はじっと尻尾を観察した。
今まで気付かなかったのがおかしいのかも知れないけれど、乃梨子はあることに気付いたのだ。
尻尾が本当にあるのなら、スカートのお尻の部分には穴が必要になる。さもないとスカートを尻尾が持ち上げて、大変なことになってしまうだろう。
だけど、尻尾の付け根をどう見てもそこにあるのはただのスカートの生地。穴が空いている様子もないし、無論尻尾がスカートから生えているわけでもない。
つまり、この尻尾は乃梨子にだけ見えている物体と言うよりも、実際には存在していない物体なのだろう。どうして乃梨子に見えているのかは謎だけれど。
そして、尻尾を絡みつかせているのは、親しい人同士に違いない。
そう決めて回りを見渡してみると、確かに当てはまる人ばかりだ。
校舎の向こう、カメラを構えて歩いている蔦子さまと、その後ろに従っている笙子さん。
なにやら大包み――多分かわら版の最新号を抱えて歩いている真美さまと日出実さん。
みんな、尻尾を絡めて歩いている。
「ごきげんよう」
途中で合流した祐巳さまと紅薔薇さまなんて、一本に融合してしまっているんじゃないかと思うくらいしっかりと絡んでいる。
やっぱりこれは、そういうことなのだ。
乃梨子にしか見えない尻尾。
思い切って、大きな欠伸をするフリをして尻尾に触れてみたけれど、やっぱり手には触れない。実体がないのだ。
これはもう、こういうものなのだと思うしかない。
薔薇の館には、一人先着していた志摩子さんが待っていた。
「ごきげんよう、乃梨子。ごきげんよう、紅薔薇さま、黄薔薇さま、由乃さん、祐巳さん」
「ごきげんよう、お姉さま」
なんだかお尻がむずむずする。
――尻尾?
乃梨子は志摩子さんの隣に座ってパンと珈琲牛乳をテーブルに置いた。
お尻のムズムズは止まらない。それどころか、だんだん熱くなってきたような気もする。
熱いけれど、なんだか気持ちいい。
「乃梨子は今日はパンなのね」
志摩子さんの声を聞くと、ムズムズが大きくなる。
「炊飯器が故障しちゃって」
「まあ、大変ね。明日もパンなのかしら?」
「うん、多分、そうなると思う。今日の夜は麺類にするって言っていたから」
「ねえ乃梨子。それなら、私は明日のお弁当を二人分つくってこようかしら?」
ムズムズがとっても大きくなった。
「いいの? 志摩子さん」
「もちろんよ、乃梨子」
やったぁ、と叫びたくなって、乃梨子は口を閉じる。
ふと見ると、窓ガラスに自分と志摩子さんが映っていた。
そして二人の間には、しっかりと絡みついた尻尾が。
お昼休みが終わる直前に、乃梨子は教室に戻る。
いつものように、背の高い可南子が涼しい顔で瞳子を見下ろしてなにやら言っている。
瞳子はムッとした顔でそっぽを向いて、可南子のほうなんて見ていない。
それでも、二人の尻尾は仲良く絡まっている。
可南子が何か言うたびに、瞳子が何か言うたびに、二本の尻尾がキュッと動く。
――結局、仲がいいんじゃない
乃梨子は、何となく二人が羨ましかった。