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特別なお弁当
 
 
 
 満面の笑みを浮かべて彼女がやってくる。
 るんるん、なんてちょっと古い形容詞を思わず付けてしまいそうになるほど、彼女の足取りはとっても軽やか。見ていると、ついこっちも頬を緩めてしまいそうになる。
 こちらに向かってスキップを踏んでいるような足取りで近づいてくる彼女の手には、小さな巾着袋が二つ。その中身は見なくとも、何が入っているかはわかっている。
 なぜなら、ここ最近はいつもその巾着袋の中身とご対面しているから。
「お待たせしました」
 別に待ってないのよ。と言ってみようかなとも思ったけれども、そうするとこの子は簡単に涙目になってしまいそうで。
 実は涙目もとても可愛いから、見てみたい気もするのだけれど。何が恐いかって、そんな風に悪いことを考える自分すら、きっとこの子は受け入れるんだろうなと思えてしまうところがとても恐い。そして、この子には悪気なんて全くないと断言できることも。
 純粋って恐い。だけど、純粋な人ばかり集まった場所だから自分のような人間も許されているんだし、そして何よりもそれだからこそ大好きな場所なのに。
 まさか、その純粋さを自分に向けてくる様な子がいたなんて。それも、眩しいくらいひたむきに。
 祐巳さんみたいに、全方位に向けている純粋さじゃない。明らかに自分に向けられているとわかるこのベクトル。
 柄じゃない。こんなのを微笑んで受け取ることが出来るなんて、どう考えても自分の柄じゃない。
 そういう風に考えてみると、生徒達の純粋さを一身に受け入れて佇んでいる薔薇の館というのは、やっぱり相当恐い場所なのだ。
 そしてそこでよろしくやっている祐巳さん、志摩子さん、由乃さんは、やっぱりどこか違っているのだろう。それがいいことなのか悪いことなのかは別として。
 蔦子がそこまで考えたところで、笙子ちゃんが手の届く範囲まで近づいた。
「今日は、卵焼きときんぴらゴボウを作ってみました」
 笙子ちゃんの作ったお弁当は美味しい。それは間違いない。
 だから、楽しみにしていないわけではない。本当に。
「どちらでお食べになります?」
 蔦子は、少し考えると中庭に近いベンチを指さした。
「あそこにしましょう」
 出来るだけ、目立たないところがいい。本当なら、外でなくて部室で食べたいのだけれど……。
 部室で食べていると、部長がにやにやとこちらを見ているのがよくわかる。嫌味とかそんな類のものではない。それなら蔦子は真っ正面から受けて立つ。悪意に容易くひるむほど弱くはないつもりだった。
 ただ、からかいというのは純然たる悪意よりも、時に始末に悪い。
「ほほぉ。姉妹なんて作らないって行ってた蔦子さんが?」
「部長のロザリオを頑として受け取らなかった蔦子さんが?」
 悪意ではなく、ただ単に面白がって言っているのがわかるだけに、蔦子には有効な返す言葉が見つからない。
 悔しいけれど、この数日は昼時には部室に近寄っていない。
「はい、蔦子さま」
 コポコポと、水筒からお茶を入れる笙子ちゃん。
「ありがとう」
 お茶を受け取って、一口飲む。
 うん、これはこれで、悪くはない。悪くはないのだけれど……。
 お弁当の包みを開いて、フタを開ける。
 想像通り。やっぱり、美味しそう。いつの間にか笙子ちゃんは蔦子の好みを把握していた。卵焼きもきんぴらも、蔦子好みの濃さに合わせてある。
 どうしたものかと思いながら、それでも美味しいものは美味しくて。ついつい箸がのびてしまう。
 あれ? そう言えば何か忘れている様な。
 なんだったっけ。でも、とりあえず今はお弁当を。せっかくの美味しいお弁当なんだから。
「お食事中恐れ入ります」
 突然の言葉に、蔦子は慌てて箸を置いた。
「驚かせて申し訳ありません。私のお姉さまが蔦子さまを捜しているものですから」
「あら? 日出実さん?」
 笙子ちゃんが、むせかけた蔦子にお茶を差し出しながら首を傾げている。
「日出実さんのお姉さまといえば、山口真美さまですよね?」
「ええ、そうよ」
「新聞部の真美さまが蔦子さまに御用というと、やっぱり写真の事かしら?」
「ええ。そうよ。しばらくここにいらっしゃる予定なら、お姉さまを呼んできたいのですが」
「どうしましょうか? 蔦子さま?」
 辛うじてむせるのを我慢した蔦子は、ゆっくりと頷く。どちらにしても、この状況では逃げようがない。だったら素直に受けた方がお互いのためというものだ。
「それじゃあ日出実さん。蔦子さまもこう仰ってますから、真美さまをこちらにどうぞ」
「ええ。少し待っていてね」
 
 
 
 日出実が、真美が隠れている柱の陰にこっそりとやってきた。
 真美の視線の先には、蔦子さんと笙子ちゃんの姿が。
「来たわね、日出実」
 ニコリともせずに頷いて、日出実は冷静に言う。
「お姉さま、お昼はどうされましたか?」
「もう、部室で済ませたわ。日出実は?」
「私も済ませてきました。これで、ゆっくり取材が出来そうですね」
 日出実の言うことに間違いはない。蔦子さんに取材を申し込もうとして、この数日は頑張っているのだ。
 だけど、間違いはないというのに真美は物足りなさを覚えていた。
 日出実が昼食の時間も切りつめて取材に頑張るのは、新聞部員としては正しい。
 だけど……
 向こうにいる肝心の二人の姿を見ていると、物足りなさが余計に感じられてくる。
 別に日出実にお弁当を作ってこいとは言わないし、そんなことをして欲しいわけではない。それでも、考えてみれば日出実と一緒にお弁当を食べ事がどれくらいあるだろう?
 取材とか原稿とか、そんな名目でいつも忙しくしている様な気がする。勿論、真美だって年がら年中新聞部の仕事をしているわけではない。空いている時間だってある。けれど、日出実と会うのは結局ほとんどが部室だから、つい部活を優先してしまうのだ。
 それはそれで、かわら版編集長としては歓迎すべき事なのかも知れないけれど、山口真美個人、ひいては高知日出実のお姉さまとしてはちょっとどころの騒ぎではなく、かなり物足りないのだ。
「ねえ、日出実」
「なんですか?」
「あの二人を見て、何とも思わない?」
「蔦子さまと笙子さんですか?」
「そうよ」
 姉妹で仲良さそうとか、一緒にお弁当を食べていて羨ましいとか、真美が期待しているのはその類の答。
 日出実が少し首を傾げる。
「ああ、そうですね」
 日出実は、言いながら隠れていた柱の陰から出て行く。
「日出実?」
「お弁当を広げた状態では逃げられませんから、取材を申し込む絶好のチャンスですね」
「え? ちょ、ちょっと、日出実」
 日出実の言うことも尤もなのだけれど、蔦子さんと笙子ちゃんのランチタイムを邪魔するつもりは毛頭無かったわけで。
「それでは、行ってきます」
 日出実は行ってしまった。
 仕方なく待っていると、自分を手招く日出実の姿。真美は、こうなったらとことん取材してやると割り切って柱の陰を出た。
 
 
 
 真美さんのとりあえずの用事はごく単純。
 新聞部に使いたい写真を提供して欲しいと言うだけのこと。
 ちなみに、その行事の写真を新聞部のために撮ると約束した覚えはないけれど、蔦子なら間違いなく撮っていると真美さんが確信していたのだ。そして、それは正しかった。
「ところで蔦子さん、記事にしていい?」
 ほらきた。
「駄目」
「まだ何も言ってないけど」
「笙子ちゃんのことでしょう。絶対駄目ですからね。そもそも、私は山百合会でも薔薇さまでもないの。私なんて記事にしてどうするのよ。とにかく、取材は絶対お断り。記事にするのも断固拒否するわ」
 真美さんはそれでもめげない。
「だって、蔦子さんといえばリリアンでは有名人なのよ。武嶋蔦子という名前は知らなくても、怪奇カメラ女と言えば知らない生徒はいないわ」
 ちょっと待って。その名前は何?
「自分自身の姉妹にはまったく興味がないという一匹狼。その蔦子さんにつきまとう、一年生ではかなりのレベルの可愛らしい美少女。記事にならないわけがないでしょう?」
 逆ならば、自分は写真をたっぷり撮っていただろうなとは思う。だけど、それとこれとは話は別。
「気持ちはわかるけど、私が嫌なのよ。恥ずかしいわ」
「何が恥ずかしいのよ。今だって、ものすごくアツアツッぷりを見せつけていた様な気がするけれど」
 見せつけていたと言うよりも、目立たない様に隠れようとしていたのだけれど。
「別に、見せつけるつもりなんてないわよ」
「そう? 笙子ちゃんの作ったお弁当、美味しそうに食べていたみたいだけど」
「それは、実際に美味しいんだから仕方ないでしょう?」
 笙子ちゃんと日出実ちゃんは、少し離れたところで二人で話を続けている。蔦子の見たところ、日出実ちゃんは日出実ちゃんで笙子ちゃんにインタビューを試みているらしい。さすがは、真美さんの妹。リリアン新聞部の伝統はしっかり受け継がれている様だった。
「ま、ともかく、お弁当をわざわざ作ってきてくれるような後輩なんだから、第三者から見れば妹候補以外の何者でもないわよ? いらない誤解を招きたくないのなら、素直に取材を受けて二人の関係を白日の下にさらけ出すのも一つの手だと思うけれど?」
 二人の関係とか、さらけ出すとか、知らない人が聞いたらそれこそ誤解されかねない真美さんの言いっぷりに、蔦子は一つ大きな息をして答える。
「あのね、真美さん、私は事を大袈裟にしたくないの」
「だから、リリアンかわら版で真実を伝えるのよ」
 そのリリアンかわら版に載せると言うことが既に事態を大きくする一因なのだと蔦子は思っているのだけど、真美さんには多分その理屈は通じない。
「とにかく、私は断固取材拒否だから」
「ええー。勿体ない。せっかくいいスールだと思ったのに」
「スールじゃないわよ」
「お弁当作っていても?」
「作っていても、違うものは違うの」
「蔦子さん、贅沢よ」
「はい?」
「世の中にはね、妹にお弁当を作って欲しいと思っていても、作ってもらえない姉もたくさんいるのよ」
 蔦子はまじまじと真美さんを見た。
 真剣な眼差しだ。ジョークではないらしい。
「真美さん?」
「なに?」
「日出実ちゃんはそういうことをしてくれないわけ?」
 ビクッと震える真美さん。
「え、え? なに?」
「うん。だからね、真美さんの妹である日出実ちゃんは、真美さんにお弁当を作ってくれたりしないわけ?」
「な、何の話よ」
「ないのね」
「ちょっと、蔦子さん?」
「一度もないのね」
「何を言い出すのよ」
「甘えてくれないのね?」
「だから、蔦子さん、人の話を聞いて」
 真美さんの抗議を頭から無視して蔦子は続ける。
「お弁当作って欲しいんだ」
「私は別に……」
「日出実ちゃんと一緒に食べたいんだ」
「…………うん」
 ついに認めた真美さんに、蔦子はニッコリと笑う。
「それじゃあ、そう言えばいいじゃない」
「そんなの、言えるわけないじゃない」
「どうして?」
「恥ずかしいというか、ずうずうしいというか……。お弁当作ってきて、なんて」
「日出実ちゃんが嫌がると思う?」
 突然矛先を替えて、蔦子は話題を続けた。
「日出実ちゃんが嫌がるのなら、無理強いは良くないと思うけれど。真美さんはどう思うの?」
「え?」
 攻めどころを変えられて、真美は一瞬戸惑う。
「逆の立場ならどうなのよ」
 蔦子は返事を待たない。一気呵成に質問を続けている。
「三奈子さまにそんなこと言われてたら、自分はどうしてたと思う?」
「それは……」
 答は聞くまでもない。真美の表情が雄弁に物語っている。
 蔦子は大きく頷いた。
「素直になれば?」
 
 
「聞いてもいい?」
「蔦子さまに関係のある取材なら、蔦子さまの許可を戴いてからにしてください。私個人のことなら、いくらでもどうぞ」
 笙子はキッパリと言う。見た目に騙される人も多いけれど、笙子は言いたいことはハッキリというタイプだ。
「取材とは関係ないの。蔦子さまに関係あるかも知れないけれど、個人的に聞きたいことよ」
「それなら、いくらでもどうぞ。出来る範囲で答えるから」
 日出実さんはちらちらと取材中の二人の姿を見ている。
「蔦子さまのお弁当のことなのだけれど」
「ええ」
「蔦子さまに頼まれたの?」
「え?」
「蔦子さまに作るように言われたり、頼まれたりしたの?」
「まさか」
 笙子は驚いたように言うとニッコリと笑う。
「私が蔦子さまに食べて欲しいと思ったから作ったのよ。別に頼まれたりしていないわ」
「迷惑かも、とか思わなかった?」
「全然」
 これまたあっさりと、笙子は答える。
「蔦子さまはそういうことはハッキリと言ってくれる方よ。本当に迷惑ならそう言ってくれるわ」
「本当に?」
「少なくとも、私はそう思ってる」
「それって、貴方が勝手に思っているだけじゃないの?」
「そうかも知れないけれど、そもそも、私は蔦子さまのために作っている訳じゃないから」
「え?」
 首を傾げている日出実さん。
「だって貴方……」
「私は、蔦子さまに作ってあげたい自分がいるから作っているの。だから、言ってしまえば自己満足なの。我が侭かも知れないけれど、私は自分が作りたいから作っているだけだもの」
 ついと傾げた頭で、笙子は日出実さんと真美さまを見比べる。
「だから、日出実さんも真美さまに食べて欲しいと思うのなら、作ればいいと思う」
「私はただ、聞いてみただけでお姉さまに作るなんて……」
「もっと我が侭になっちゃえばいいんだよ。食べて欲しいんでしょう?」
 日出実さんは俯くように頷いていた。そのまま、顔が上がらない。
「笙子さんみたいに可愛ければ、素直になれるのかな」
「可愛いって言われるのは嬉しいかも知れないけれど、言われ続けるのは嬉しくないの」
 子供モデルをしていた頃の経験を笙子は手短に語る。
「だから、私はわかったのよ、沢山の人に可愛いって言われることよりも、たった一人に言われた方が嬉しいときもあるんだって。日出実さんだって、他の誰よりも真美さまに言われた方が嬉しいんじゃないの?」
 ゆっくりと上がる日出実さんの顔。笙子はその肩に手を置く。
「だから、その人にお弁当を食べて欲しいのなら、勝手に作ってしまえばいいの。日出実さんが作りたいから作るのよ」
 それに答えようと日出実さんは口を開いた。
 それにちょうどタイミングを合わせたように、
「日出実、そろそろお昼休みが終わるわ。取材が押しても授業には遅刻しないのが新聞部の鉄則だからね、急ぐわよ」
「はい」
 去り際に、日出実さんが軽く頭を下げていたのを笙子は見逃さなかった。
「さ、私たちも戻ろうか、笙子ちゃん」
「はい、蔦子さま」
 
 
 
 数日後――
「蔦子さん、今日こそ取材、受けてもらいますからね」
「いいわよ」
 自分で言い出したことながら、真美は「へ?」と間抜けな声を出してしまった。
「いいの?」
「いいわよ。私と笙子ちゃんのことでしょう? ただし、条件付きね」
「何よ、条件って」
「この仲良し姉妹のことも一緒に取材してくれれば、オッケーよ」
 蔦子の差し出した一枚の写真を見て、真美は静かに唸る。
「いつの間に、こんなもの……」
 そこには、仲良くお弁当を食べている真美と日出実の姿が。
「真美さん、ちゃっかり日出実ちゃんにお弁当作ってもらったのね」
「こ、これは……」
「真美さんも日出実ちゃんもすごく楽しそうね。日出実ちゃん、こんな風に笑うんだ」
 数枚の写真を見せた後、蔦子はにっこり笑って席を立つ。
「取材はいつでも応じるわよ。ただし、この写真を公開する条件がもらえるならね」
「絶対出しませんから!」
「勿体ない。いい笑顔なのに」
 じゃあ、部室に行くから。と言い残して蔦子は去っていく。
 残された真美は必死で頭を回転させるのだけれど、少なくとも今すぐには何のアイデアも湧いてこない。
 それでもとりあえず、真美は蔦子を追いかけ始めた。
 日出実と自分のツーショット。
 焼き増しを頼みたいのだから、仕方ない。
 
 
 
 
 
 
 
あとがき
 
 
 
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