祐巳さんと可南子ちゃん
「禁じられた甘味」
それは可南子の一言から始まった。
「祐巳さま、少し重くなったような気がします」
いつものように膝の上にちょこんと座った祐巳に、可南子は首を傾げて尋ねた。
「え?」
慌てて、飛び降りる祐巳。
「重い……の?」
「あ、あの、ほんの少しだけ、ですけれど、いつもより重いような気が」
「祐巳、ちょっとこっちを見てご覧なさい?」
祥子さまの言葉に、祐巳は顔を向ける。
どうしたのかと聞く前に、お姉さまは祐巳の頬に手を当てた。
ふむ、などと呟きながら、頬の手触りを楽しむようにぷにぷにと。
「最近、なんだか輪郭が変わったとは思っていたのだけれど、祐巳、貴方もしかして少し太ったのではなくて?」
お姉さまの言葉に固まる祐巳。そして可南子。
「祐巳さまが、太った?」
「え、あの……」
周りの様子をキョロキョロと伺う祐巳。幸か不幸か薔薇の館にいるのは紅薔薇姉妹のみ。つまり三人だけだった。
「残酷かも知れないけれど、間違いないわね。祐巳、貴方は間違いなく少し太ったのよ」
「太った」
余程のショックだったのか、祐巳はお姉さまに言われた言葉をただ繰り返すだけだった。
その様子におろおろとする可南子に、お姉さまは追い打ちをかける。
「可南子ちゃんも気付いていたはずよ? 膝にかかる重さが増えていたのでしょう?」
言い逃れる術はない。ましてや、お姉さまの言うことは間違っていなかったのだから。
「はい」
可南子は認めてしまった。
「このままにしておくわけにはいかないわ」
祥子さまの言葉に可南子も頷く。
「はい。それはその通りだと思います。けれど、一体なにを」
「それを今から決めるのよ」
「今からですか」
「そうよ。祐巳のために」
「お姉さまのために、ですか?」
「そう、祐巳のためよ」
「お姉さまのため……」
「祐巳のため……」
なにやらトリップしながらも話をどんどんと先へ進めていく二人に、祐巳は一抹の不安を隠しきれなかった。
話し込む二人を不安そうに見ながら、祐巳はお茶のお代わりを準備することにした。
三人分のカップを運ぶと、ちょうど相談がまとまったところらしい。
「決まったわよ、祐巳」
何が? というよりいつの間に?
「少しくらいなら太った祐巳も可愛らしいと思うわ。その点では可南子ちゃんとも意見は一致したのよ」
「太ってしまうのならまだしも、心配なのはお姉さまの健康です」
可南子がお姉さまの言葉を引き取る。
「お姉さまはそもそも、甘い物を取りすぎかと思われます」
「そ、そうかな」
女の子はみんな甘い物が好き。それは可南子もお姉さまも替わらないはず。
「そんなに取りすぎてるかなぁ」
「論より証拠ですわ。今日のお昼ご飯はお弁当ですよね、お姉さまは」
「そうだよ」
「では、その時に献立を確認します」
「う、うん」
そして昼休み。
白薔薇姉妹と黄薔薇姉妹も揃っている。
そして可南子とお姉さまの注視の中、祐巳はお弁当をとりだした。
ご飯。きんぴらごぼう。かまぼこ。鶏の唐揚げ。しば漬け。
「特におかしなものはないわね」
「当然です。普通のお弁当ですよ」
抗議したついでにお姉さまのお弁当を覗き見。
なんの変哲もないハムとタマゴとキュウリのサンドイッチ。
だけどやっぱり、材料は高級品なんだろうな、と祐巳は思う。
反対側の可南子のお弁当を見ると、ご飯が炊き込みご飯になっている。うわっ、豪華。そして、卵焼き、ほうれん草の胡麻和え、粉ふきいも。
これも美味しそう。
三人はそのまま仲良くお弁当を食べ終わる。
「そうだ、デザートがあるんだ」
思いだしたように言うと、祐巳はお弁当箱とは別のタッパーを取り出す。
「お姉さま、可南子も食べる?」
「まあ、美味しそうなイチゴね」
「はい、いただきます」
二人がそれぞれ、手を伸ばそうとしたとき、
「あ、忘れてた」
祐巳は何故か二人を制止した。
「イチゴにはこれだよね」
ごそごそと取り出すのは、チューブ入りのコンデンスミルク。さらにお徳用のビッグサイズ。
それを見たお姉さまと可南子が複雑な顔。
でも、まあ、イチゴにコンデンスミルクをかけるくらいなら……と、可南子。それに頷こうとしたお姉さまの動きが止まる。
「祐巳ッ! ちょ、ちょっと待って!!」
慌てるお姉さまの行動に首を傾げながら、祐巳はイチゴにコンデンスミルクをかけ終わる。
そしてチューブをゴミ箱へ。
練乳がけイチゴ。というより、練乳の中に浮かぶイチゴ。
「指が汚れるから、お箸を使ってね、可南子。お姉さまにはこれを」
小さなプラスチック製のフォーク。
「祐巳」
静かにお姉さまは言った。
「なんですか?」
「それは、イチゴの味がするのかしら?」
「とっても甘くて美味しいですよ」
何故か頭を抱えるお姉さま、ついで可南子が、
「あの、お姉さま、今のでコンデンスミルクお徳用のチューブを一本使い切りましたよね?」
「ああ、そういうことか」
祐巳はようやく得心がいったというようにうなずいた。
「大丈夫よ。家ではこれを箱買いしてあるから」
「あの、そういう問題では……」
突然お姉さまの手がタッパーの蓋を閉じると、そのまま取り上げる。
「お姉さま?」
「祐巳、これは見逃すわけにはいかないわ」
祐巳は慌てた。
まさか、
まさかこんなにお姉さまがイチゴを好きだったなんて。
「違うわよっ!」
「明らかに糖分の取りすぎです」
可南子はどこからか出してきたお皿に、祥子さまから受け取ったイチゴを並べている。
何をしているのかと見ていると、そのまま流しに持っていって、コンデンスミルクを洗い流してしまった。
「イチゴを食べるならこちらをどうぞ」
練乳カットのイチゴ。
祐巳は一つを摘んで口の中に入れた。
「……甘くない」
「イチゴは甘い物よ」
お姉さまがイチゴを摘んで、口の中に入れる。
そして首を傾げる。
「……確かに、甘くないわ。祐巳、これは本当にイチゴなの?」
その光景を見ていた可南子、そして他の姉妹もやってくる。
「確かにおかしな味ですわ。本当にイチゴですの?」
一つ食べた瞳子ちゃんがきょとんとしている。
祐巳もワケがわからない。確かに練乳の甘さがないけれど、イチゴはイチゴなのに。
「立派にイチゴだと思うけれど……」
乃梨子ちゃんの言葉に頷く志摩子さん。可南子も由乃さんも頷いている。
「あー」
令さま一人が何故か頷いていた。
「これ、祥子と瞳子ちゃんにはイチゴじゃないかも」
その言葉で、乃梨子ちゃんが薄く笑った。
「ああ、なるほど。そういうことでしたか」
説明して、と言う顔の由乃さんと志摩子さんに、乃梨子ちゃんはこめかみに斜線の入ったブルーな表情で答える。
「……松平家と小笠原家のイチゴは庶民のイチゴとは違うんですよ。きっといかなる状態でもイチゴ本来の甘さを最大限に発揮できて、かつ大粒でみずみずしい一粒数百円が基本のイチゴなんですよ」
ふっふっふっ、と不気味に笑う地方公務員の娘。
なるほど、と納得した由乃さんは、そそくさと乃梨子ちゃんから離れて、今度は瞳子ちゃんに「そんなに違うの?」と尋ねる。それに令さまが「ほら、由乃のお誕生日りんごと普段のりんごの違いだよ」と答えると、「ああ」と納得。
志摩子さんは志摩子さんで、乃梨子ちゃんの肩を撫でながら「いくらお金を積んでも天然物には勝てないわ。一番美味しいのはリリアンで拾った銀杏だもの」と、わかるようなわからないような慰めを。
「祐巳、明日から貴方のお弁当は私が、いえ、小笠原で準備させるわ」
二姉妹の騒動をあっさり無視して宣言するお姉さま。
「きちんとカロリー計算、栄養管理の行き届いたものを作らせるわ」
翌日。
お姉さまから受け取ったお弁当をしっかりと食べた祐巳。流石に小笠原家の面目だけあって、本当に美味しい。祐巳にわかる限りでは材料も吟味されている。
本当にこれでカロリー計算は正しいのだろうかと疑問に思うほどのボリュームもあった。ダイエット用だからと言ってこぢんまりとした情けない量ではないのだ。
やっぱりプロの料理人は凄い。
感心しながら、祐巳は鞄の中からタッパーを取りだした。
「お姉さま?」
何故かひきつった笑顔の可南子。
「あ、可南子も食べる? デザート」
「……念のためにお聞きしますが、メニューはなんですか?」
「豆大福だよ」
可南子の手がさっと伸びてタッパーを抑える。
「お姉さま。祥子さまの持ってこられたお弁当の意味がないような気がしますが」
「デザートは別腹だよ?」
にっこり笑うと、可南子の力が弱くなる。祐巳はすかさずタッパーをこじ開けた。
「はい、半分個」
パクッと豆大福を食べて、残りを可南子に差し出す。
「あーん、して」
真っ赤になった可南子がおずおずと開けた口へ、祐巳は豆大福の残りを押し込む。
何かの壊れた音。
破砕音に顔を向けると、お姉さまが扉の所に立っていた。右手がノブを掴んだまま、よく見るとノブが砕けているように見える。
安普請もここまで来たか。祐巳はノブの交換と修理はいくらぐらいだったか、お父さんに聞いてみようと思った。
「ごきげんよう、お姉さま」
「ごきげんよう、祐巳。可南子ちゃんを借りるわよ? 可南子ちゃん、ちょっと、いいかしら?」
「……は、はい」
フラフラと立ち上がり、お姉さまに可南子はついていく。
一体なんだろう。いや、今はとりあえず甘味摂取。
豆大福もしゃもしゃ
お茶ずずーーーっ
無心に甘い物を食べている祐巳の耳に、薔薇の館の外から聞こえる打撃音もなにも聞こえてはいない。
「弁当の意味ねえだろがーーーーっ!!!」とか
「あんなもん断れるかーーーーーーっ!!!」とか
「それはそれとして、なに食いかけ大福もらっとんじゃーーーー!!!!」とか
「結局はそれかい! このヒステリーが!!!!」とか
「だまれストーカー!!!!」とか
豆大福もしゃもしゃ
お茶ずずーーーっ
「ごきげんよう」
黄薔薇姉妹が三人揃ってやってきた。
瞳子ちゃんが涙目で由乃さんに半分抱きかかえられているのは一体。
「お、お、お、お姉さま……」
「瞳子、貴方は何も見てないから。何も見てないのよ、忘れなさい」
「さ、さ、祥子お姉さまが……可南子さんが……、あんな、あんな……ひくっ、ひくっ」
何か余程ショックなことがあったのかも知れない。
豆大福を食べ終わったら聞いてみよう。祐巳はそう決意すると、三つ目の豆大福に手を伸ばす。
豆大福もしゃもしゃ
お茶ずずーーーっ
「あのね、祐巳ちゃん」
令さまが隣に座った。
「甘い物を食べるなとは言わないけれど、祥子と可南子ちゃんの前で食べるのはやめた方がいいと思う。二人が心配しているのは事実なんだから。心配かけちゃ駄目だよ」
「そうですね。わかりました。二人からは隠れて食べた方がいいんですね」
「ちょっとニュアンスが違うような気がするけれど」
少し考えて、令さまは頷いた。
「ま、いいか」
一週間後。
「なにか、余計太ったような気がしますけれど」
「体重はどうなの?」
「重くなったような気が」
お姉さまと可南子に挟まれて、祐巳は頭を掻いている。
「あの、やっぱり、そうなんですか?」
二人は祐巳の頭上で会話を交わしている。
「甘い物は食べていないはずです」
「……監視を増やす必要があるのかしら」
休み時間。
蔦子さんが何かを口の中に。
「蔦子さん、なに、それ?」
「祐巳さんも食べる? 甘い飴」
「チェストーーーーーー!!!!」
何かが教室内に走り込んできた。
二つの塊は猛速度で蔦子に激突する。
窓を破ってどこかへ飛ばされる蔦子。
「ああ、蔦子さん!」
キラン、と光ってその姿は見えなくなった。
「……油断も隙もないわ」
「ええ、お姉さまに甘い物を与えるのは、厳禁ですのに」
紅薔薇さまと紅薔薇のつぼみの妹の姿に、クラス一同は声もない。勿論、苦情など言えるわけもない。言えば、次に飛ばされるのは自分。
次の休み時間。
「あ、祐巳さん、お昼のパンを買いすぎて余ったのだけれど。甘いのがいい?」
「もらっていいの?」
「チェストーーーーーーー!!!!!」
「真美さん!」
キラン
「あ、祐巳さま、今日の調理実習で作った甘いクッキーが…」
「チェストーーーーーーー!!!!!」
「ああ、一年生が!」
「祐巳さんは相変わらず甘い…」
「チェストーーーーーーー!!!!!」
「ええっと、誰だっけ。一年の時同じクラスでテニス部の人!」
「福沢、これ訳してみろ。My sweet…」
「チェストーーーーーーー!!!!!」
「今の先生で、英語の時間ですけれどっ!!」
「昨日の体育の時間のフォークダンス、なんだっけ。あ、マイムマイムか……」
「チェストーーーーーーー!!!!!」
「勘違いしてるーーーーっ!!!」
「あーあ、毎日毎日……」
「チェストーーーーーーー!!!!!」
「今のは独り言じゃないのーーーーっ??!!」
「みんな気を付けて、私の周りで『甘い』って言ったらお姉さまと可南子に襲撃されるのよ」
頷くクラスメート達。
「あ、うん」
「まかせて」
「いつまで気を付けるの?」
「チェストチェストチェストーーーーーー!!!!!」
「縦読みまで!?」
さすがの祐巳も困り果てた一週間後、体重が元に戻ったことで二人の暴走はようやく終わった。
「頑張った甲斐があったわね」
「ええ、紅薔薇さま」
その二人に挟まれて、力無く笑う祐巳。
言えない。
心労で痩せたなんて。