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三人寄れば
 
 
 志摩子さんは昨日少し風邪気味だった。
 乃梨子が心配しながら薔薇の館にやってくると、先に到着していた由乃さまから、案の定、今日は欠席していると教えられる。
「普段は超が付くぐらい真面目な志摩子さんのことだからね。たまにはゆっくり休めばいいのよ」
 どこか他人事のような由乃さまの言い方に少しムッとしたけれど、由乃さまと志摩子さんは自分がリリアンに入る前からの親友だ。こういう言い方ぐらいは許されるだろう。
「心配そうね、乃梨子ちゃん」
 当たり前じゃありませんか、そう言いたいのを堪えて、乃梨子は言う。
「当たり前です」
 口調が変わっただけで内容は変わっていない。
 それでも由乃さまは笑い出した。
「そりゃそうね。乃梨子ちゃんは志摩子さんのことが心配よね」
 なんだか、揶揄されているような気もする。
 由乃さまというのはいつもこうだ。何でもかんでも面白おかしく仕立てようとする。それはそれでいい。雰囲気を盛り上げたりするムードメーカーはどんな集団にも必要だ。山百合会もそれは例外ではない。
 だけど、由乃さまには大きな問題がある。由乃さまの「面白い」は、「皆が面白い」ではなくて、「由乃さまが面白い」なのだ。これはちょっと恐い。面白いと思えば、強引に自分の意を推し進めてしまうところがあるのだ。
 だから、正直に言うと乃梨子は由乃さまが少し苦手だった。
「お姉さまですから」
 それだけ言うと、乃梨子はカバンを置いて棚に向かう。
 志摩子さんと二人でこつこつと進めていた書類がここにしまってある。志摩子さんがいないのだから、その分まで頑張って仕上げてしまわないといけない。
 乃梨子の分はあと少し頑張れば終わるのだけれど、志摩子さんの分の書類が結構量を残している。体調が悪くてあまり進められなかったというのもあるのだろうけれど、そもそも志摩子さんは最初から乃梨子の数倍の仕事を持って行ってしまったのだ。
 それに抗議しても始まらないことは乃梨子にもよくわかっていたので、とにかく自分の仕事を先に仕上げてから志摩子さんの手伝いをしようと思っていたのだ。それなら志摩子さんも否とは言わないだろうから。
 乃梨子がシャーペンをかちかちとしながら書類とにらめっこをしていると、由乃さまが言った。
「乃梨子ちゃん、今日はもういいよ。早く帰ってお見舞いに行ってあげたら?」
「え、でも、これだけ残っているのに」
 仕事の分担は由乃さまもまだ残っているはずだった。
「こういうときは、素直に『ありがとうございます、由乃さま』って言えばいいのよ」
「由乃さま」
 言われたとおりに礼を言って、志摩子さんの所に行きたい。乃梨子がそう思ったのは確かだった。
 けれど、このまま志摩子さんの所に行っても志摩子さんは喜んでくれるだろうか。由乃さまの許可が出たからといって、仕事をほったらかしにすることを志摩子さんが喜ぶとは思えない。それに、志摩子さんの所へはこれが終わってからでも充分行けるのだ。
「ありがとうございます。だけど、ノルマはきちんとこなします。お姉さまも、多分そう言うと思いますから」
「そう、それなら無理にとは言わないわよ」
 由乃さまが少し気分を害したようにそっぽを向いた。
 行為を断ったには違いなく、乃梨子は少し悪いなと思ったのだけれど、普段から由乃さまの強引さには少し辟易していたので、これくらいは別に構わない、と思ってしまった。
 そして仕事を進めていく。とりあえず、志摩子さんの担当と自分の担当を交互に進めていく。志摩子さんの分も少しは減らしておかないと、後が大変だ。
 少しすると、乃梨子の手が止まった。
 書類が間違っているような気がする。
 昨日、志摩子さんがやっていた部分だ。やっぱり相当無理していたのだろうか。普段の志摩子さんからは考えられないミスだ。
「どうかしたの?」
 こういうときには敏感な由乃さま。
「いえ、別に何でもありません」
 これが自分のミスなら正直に言っていたかも知れない。だけど、志摩子さんのミスを知られるのは何となく嫌だった。由乃さまのことだから、軽い悪戯のつもりでそれをネタにしかねない。それは断固嫌だ。
「もしかして、昨日の志摩子さんの書類が間違っているとか?」
 どうして。
 どうして、この人はこんな時になると勘がいいんだろう。
 乃梨子はさすがに少し腹が立ってきた。
「そんなことありませんっ」
 口調がきつくなってしまう。
「ああ、そう。それなら別にいいけど」
 由乃さまはやや鼻白んだように言うと、自分の作業を再開する。
 その後は、二人ともまったく口をきかなかった。
 重くなってしまった空気に、乃梨子は自分のやったことを反省していたのだけれど、今さら謝るのはタイミングが悪い。だからといって、待っていればいいタイミングがあるのかと言われると困ってしまう。
 結局、その日は重い雰囲気のまま薔薇の館を後にすることになってしまった。
 卒業間近で館に顔を出すことのほとんど無い令さまや祥子さまは別として、祐巳さまでも顔を出してくれればかなり空気は緩和されるのに。乃梨子のそんな思いを裏切るように祐巳様は姿を見せなかった。
 どうして来ないのか、それを由乃さまに尋ねることも憚られ、結局乃梨子はもやもやした気持ちのまま帰宅した。
 気分転換にもなると思って志摩子さんの家に電話してみると、よく眠っていると志摩子さんのお母さんに言われてしまい、お見舞いどころか声を聞くことも出来ない。
 様態を聞いてみると、明日一日休めば明後日には学校に戻れるようだといわれて乃梨子はホッとした。
 明日一日。あと一日だけ我慢すればまた志摩子さんに会えるのだ。
 翌日は祐巳さまもやってきた。おかげで重い雰囲気はないのだけれど、由乃さまとのギクシャクとした感じは続いている。
「なんか、おかしくない?」
 乃梨子が三人分のお茶を煎れて少しすると、祐巳さまがおずおずと切り出した。
 由乃さまと乃梨子の間の微妙な雰囲気のことだろうか。こういうことになると祐巳さまは突然鋭くなる。
「何が?」
 由乃さまが尋ねると、祐巳さまはじっと由乃さまを見ている。
「どうしたのよ、祐巳さん」
「うん。あの、ちょっといいかな、由乃さん」
 祐巳さまは由乃さまを連れてビスケット扉の向こうへ行ってしまう。
 すぐにまた開くと、今度は由乃さまが先頭になって入ってきた。
「そんなことないわよ。ねえ、乃梨子ちゃん」
 突然振られても。
「え?」
「祐巳さんが、私と乃梨子ちゃんが喧嘩したんじゃないかって」
 鋭い。さすがは次代の紅薔薇さま。
「喧嘩なんてしてないわよね」
 そう。確かに喧嘩はしていない。
「ええ」
 即座に乃梨子は答えた。喧嘩をしていないのは事実だし、騒ぎを大きくしたいわけでもない。
「本当に?」
「ちょっと祐巳さん、嘘なんか付かないわよ。ねえ、乃梨子ちゃん」
「はい。勿論です」
 うーん、と首を捻る祐巳さま。
 そんなに、薔薇の館の雰囲気を悪くしてしまったのだろうか。由乃さまとの関係がどうこうというよりも、志摩子さんの居場所でもあるここの雰囲気を悪くしてしまうことを乃梨子は避けたい。
「今は、きっと祐巳さまが神経質になっておられるんですよ」
「そうそう。最近祥子さまと会ってないから、心に潤いがないのよ」
 こういうところは何故か由乃さまと一致してしまう。
 それでも、祐巳さまはうーんと首を捻り続けていた。
 結局のその日は、変に気を使った祐巳さまがいろいろと間に入ろうとしたせいで、却って乃梨子は疲れてしまった。
 勿論、祐巳さまはまったく悪気はないし、由乃さまと乃梨子のことを思っての行動なのだから無碍には出来ない。ここで祐巳さまの手まで振り払ってしまえば、どう考えても悪いのは乃梨子だ。
 由乃さまの台詞ではないけれど、志摩子さんと会えないせいで自分が苛立っているのに気付いている乃梨子にとって、そんな評価が下されかねないというのはとても辛い。志摩子さんがいないと二人の上級生とまともにつきあうこともできないとなると、先が思いやられる。順当に行けば、志摩子さんの次は自分が白薔薇さまなのに。
 今の乃梨子は、リリアンの薔薇さまの伝統を守ることもそれはそれで意義があると思い始めている。入学時とは、かなり変わっているのだ。
 結局終わってみれば、また一日、由乃さまとの微妙な空気を引きずってしまった。
 祐巳さまの目を盗んで、思い切って乃梨子は歩み寄ろうとしたのだけれど、由乃さまは言う。
「昨日のことなら、別に気にしてないわよ?」
 たけど、そう言いながらも由乃さまはなにやらこちらを観察している。なにか言いたいことがあるのだろうかと乃梨子が顔を向けると、何事もなかったかのように自分の作業に戻る。
 言いたいことがあるのならハッキリ言って。
 同級生が相手ならそういう言い方も出来るのだろうけれど、相手が上級生だと言いにくい。それも志摩子さんの親友だというと尚更だ。
 結局乃梨子はそれ以上何も言えずに帰宅した。
 志摩子さんに電話をすると、今度は本人が出てくれた。
「昨日はゴメンナサイね。布団の中にいたらつい寝てしまったの」
「ううん。風邪だもの。たっぷり寝て早く治ってくれた方が嬉しいよ」
「薔薇の館はどうかしら?」
 少し考えて、乃梨子は答える。
「いつも通りだよ。志摩子さんが居ないと、寂しいけれど」
「ふふ、それも今日で終わりよ。明日には登校できるから」
「本当?」
「ええ」
 その日乃梨子は、ワクワクしながら眠りについた。
 
 翌日、つい早起きして、マリア像の前で志摩子さんを待つ。
「ごきげんよう、お姉さま」
「ごきげんよう、乃梨子」
 志摩子さんの挨拶。ただそれだけがものすごく嬉しい。
 そして、一年校舎と二年校舎の分かれ道が恨めしい。
「それじゃあ、お昼休みに薔薇の館でね」
 本当は、休み時間にだって会いたい。いや、このまま授業をエスケープしたっていいくらい。だけど、そんなことをすれば志摩子さんに怒られる。
「うん、それじゃあ、お昼にね、志摩子さん」
 待ちかねたお昼になると、お弁当を持って教室を走るように飛び出す。勿論、本当に走ったりしない。それでも、わかる人にはわかってしまうようで、可南子さんと瞳子さんがクスクス笑っているのが見えた。
 久し振りに一緒に食べるお昼ご飯。今日の乃梨子はきっと何を食べても一緒だっただろう。もしかすると、白飯だけのお弁当でも気付かずに全部食べてしまっていたかも知れない。
 それくらい嬉しくて。志摩子さんと一緒に食べるお弁当はとても嬉しくて。
「二日も休んでしまって、作業がずいぶん遅れてしまったのではないかしら。由乃さんと祐巳さんに迷惑がかからなければいいけれど」
 乃梨子は胸を張って言った。
「それなら大丈夫。私が志摩子さんの分も進めておいたもの」
「え? 乃梨子が?」
「うん。志摩子さん、気持ちは嬉しいけれど、何も言わずに作業を沢山引き受けようとしないで。私だって、志摩子さんの役に立ちたいんだから」
「乃梨子。だけど、私の分の書類は乃梨子の分の書類とは書式が違うのよ?」
「知ってるよ。だから、去年の志摩子さんの書類の書式を参考にしたから」
「乃梨子」
 志摩子さんの口調が微妙に変化していた。
「去年と今年は、書式が違うのよ?」
 その瞬間から放課後までのことを乃梨子はよく覚えていない。授業のノートは残っているから、きちんと授業を受けていたことは間違いない。けれど、乃梨子の記憶は放課後の薔薇の館まで飛んでいる。それほどショックで、気が動転してしまったのだろう。
 放課後の薔薇の館で、志摩子さんが書類をチェックしている。
 見ている間に、乃梨子が手伝って仕上げたつもりの書類が抜き出され、積み上げられていく。明らかに、それは「失敗」のグループ分けだった。
「ごめんなさい、志摩子さん。私、手伝うつもりだったのに」
 おろおろと、乃梨子はそう言った。
「いいえ、乃梨子。きちんと伝えておかなかった私が悪いの」
 そんなわけがない。そもそも、志摩子さんが別途に分けておいた書類を勝手に持ち出したのは乃梨子だ。志摩子さんに責任があろう訳がない。強いて言うならば、馬鹿な妹を野放しにしていたという監督不行届。結局、悪いのは乃梨子だ。
 だから乃梨子は、ただうなだれて謝罪するしかない。
「私がやる。だから志摩子さん、新しい書式を教えて」
 乃梨子は志摩子さんが途中まで書きかけていた書類にまで手をつけている。志摩子さんから見れば明らかな二度手間だ。乃梨子は足を引っ張っている。
「いいのよ、乃梨子。これは私の分の作業だから」
 触るな。そう言われているような気がして、乃梨子は泣きたくなった。
 これは作り直し、これは一部訂正。と志摩子さんが呟きながら書類を分けていく。
「乃梨子ちゃん」
 二人しかいないと思っていたのに、いつの間にか誰かが背後に立っていた。階段を上がる音も、ましてや扉を開ける音にも乃梨子は気付かなかったのだ。
 振り向くと、由乃さまが真剣な表情で立っている。
 怒られる。と乃梨子は思って身を固くした。
 由乃さまはカバンを置くと、改めて正面から乃梨子の肩に手を置いて、志摩子さんに顔を向ける。
「ごめん、志摩子さん。私のミスだから。乃梨子ちゃんは悪くないよ」
 え? 乃梨子は自分の耳を疑った。
 何故、由乃さまが?
「私、乃梨子ちゃんが作業しているのを見てたんだ。それに、志摩子さんが去年と同じ書式のものを乃梨子ちゃんに渡して、違う書式のものは自分の分にしていたことも知ってた。だから、乃梨子ちゃんに教えてあげれば良かったんだよね」
 今度は、乃梨子に向かって頭を下げる。
「ごめんね、乃梨子ちゃん。乃梨子ちゃんが真面目にやっているのを見て、私がからかったのが悪いんだよね。からかわれた乃梨子ちゃんが怒るのは当たり前なのに、私もそれで意地を張っちゃったんだ。素直に確認すれば良かったんだよ。もうすぐ黄薔薇さまになるかもしれないって人間のやることじゃないよね。ごめん、乃梨子ちゃん」
「違いますよ!」
 乃梨子は無意識に声を張り上げていた。
「馬鹿みたいに意地を張っていたのは私なんです。由乃さまじゃありません」
 恥ずかしい、と乃梨子は心から思った。
 由乃さまを見損なっていた自分が恥ずかしい。この人は、志摩子さんの親友だ。志摩子さんが親友に選んだ人なんだ。それがどういう意味なのか、自分は忘れていたんだ。
「由乃さんのせいじゃないわ。私がもっと早く伝えておけば良かったのよ」
「ううん、志摩子さんは風邪で休んでいたんだから不可抗力よ。その場にいた上級生は私なんだから」
「いいえ、私が由乃さまにきちんと確認すれば良かったんです」
 志摩子さんがまた、自分のミスだと言う。それに被せて由乃さまも自分が悪いという。さらにそれを否定する乃梨子。
 堂々巡りを続けている内、三人は顔を見合わせて笑い出してしまった。
「どうして、私たち罪を被りあってるのかしら」
「普通は、罪をなすりつけ合うものよ。どう考えてもおかしいわ」
 志摩子さんと由乃さまの言葉に、乃梨子は心から賛同していた。
 でも、きっとこれが、山百合会。いや、志摩子さんであり、由乃さまなのだろうと乃梨子は思う。
「じゃあこうしましょう」
 ひとしきり笑うと、由乃さまが提案した。
「三方一両損よ。三人で片づけましょう」
 例えが時代劇なのが由乃さまらしいな、と乃梨子は笑ってしまった。
 そして作業を始めながら、乃梨子は由乃さまに一昨日の不作法を謝罪する。すると由乃さまも同じように上級生らしくない態度を謝罪した。
 二人は、昨日間に入った祐巳さまには迷惑をかけてしまったと言うことで意見を一致させる。すると志摩子さんは、親友と妹のしたことだから自分も一緒に謝ると言い出した。
 
 階段を上がってくる独特の足音。
 そして元気よく開くビスケット扉。
「ごきげんよ………」
「祐巳さま」
「祐巳さん」
「祐巳さん」
 待っていたかのように挨拶を遮る三つの呼びかけに、祐巳さまは目を白黒させている。
「ごめんなさい」×3
「へ?」
 いきなりの謝罪にきょとんとする祐巳さまの姿を見ながら、三人は微笑んで作業を続けるのだった。
 
 
 
 
あとがき
 
 
 
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