タイムカプセル
そう言えばそんなものもあったわね。とお姉さまが言ったとき、祐巳は乃梨子ちゃんと一緒にお茶を煎れていた。
今日は三薔薇姉妹全員が揃っているのでお茶を出す数が多い。それに、祐巳はお姉さまの分だけは自分で入れたかったのだし。
勿論、乃梨子ちゃんが一番心を込めて入れているのは志摩子さんのお茶だけれど、二人とも、それ以外の人のお茶に関して手を抜いているというわけではない。
「言われてみれば、確かにそんなことを小学校の頃にやったような気がするわ。それにしても令ったら、よく覚えているわね」
お姉さまが呆れたように言うと、令さまが苦笑で応える。
「私だって、由乃に言われるまでは忘れていたわよ」
二人がお茶を運ぶと、椅子に座ったままの由乃さんが自分と令さまの分を持って行ってしまう。
別に由乃さんが怠けているわけではなくて、薔薇の館の流しでは、二人並ぶのが精一杯なのだ。
「祐巳さんは覚えてる?」
「へ? 何を?」
「聞いてなかったの?」
「途中からしか聞こえなかったよ」
「えーと、祐巳さんもリリアンの小学校だよね?」
「そうだけど」
「だったら、どこかにタイムカプセルを埋めなかった?」
言われてみれば、小学校の時何かを埋めたような気がする。
何を埋めたかまでは忘れてしまったけれど、そうするとあれはリリアンの小学校では毎年行われている恒例行事のようなものだったのか。
「あー、何かやったような気が……」
埋めたこと自体は思い出しても、中身がなんだったかまでは覚えていない。
「ほら、祐巳だってよく覚えていないわ。やっぱりそんなことを覚えている令や由乃ちゃんの方がおかしいのよ」
勝ち誇ったように言うお姉さま。
自分と同一視してくれるのは嬉しいのだけれど、この場合はやっぱり記憶力のいい方の勝ちではないんでしょうか、お姉さま。と祐巳は思う。
志摩子さんはニコニコとしながら乃梨子ちゃんをお茶を飲んでいる。志摩子さんは中学校、乃梨子ちゃんは高校からのリリアン生だから、小学校の頃の話をされても通じないのだ。
「乃梨子ちゃんや志摩子さんは? 別にリリアンだけの専売特許っていうわけでもないんだし」
「やりましたよ。といっても私は中学校に入ってからでしたから、内容もきちんと覚えていてつまらないですけれど」
乃梨子ちゃんはこともなげに言う。確かに中学生の頃ならハッキリ覚えているだろう。
「私も、地元の小学校に通っていた頃にやったような気がするけれど、中身まではさすがに覚えていないわ」
志摩子さんはそう言いながら、考え込む仕草。
令さまがカップを口に運びながら、からかうように言う。
「それで、祥子もやっぱり思い出せないの?」
ややムッとしたような口調でお姉さまが言い返す。
「令だって覚えていないのではなかったかしら?」
「ん? 私は思い出したからいいの」
「嘘」
「本当よ。由乃の顔見てたら思い出したのだもの」
「あ、また由乃ちゃん絡みのことなのね」
「ふふ、そういうこと」
「卑怯だわ、令は」
「ちょっと祥子、何が卑怯なのよ」
「だって、私は高校に入ってから祐巳と出会ったのよ。なのに令は、小さいときからずっと由乃ちゃんと知り合いだなんて」
「それは私に言われても困るなぁ」
幼馴染みなのだから、小さいときから知り合いであることを責められても令さまも困ってしまうだろう。でも、よく考えると、お姉さまは今、「もっと昔から祐巳と知り合いになっていたかった」と言っているのだ。そう考えると、祐巳は照れ照れになってしまう。
「なんだったかしら……」
お姉さまは、本気で記憶を探っているようだった。時々明るい顔になるのは、思い出したと早合点したとき。そしてすぐに元の難しい表情に戻るのは、早合点だと気付いたとき。
「あ……」
由乃さんが突然言った。
「そういえば、リリアンのタイムカプセルって、将来の自分宛の手紙みたいなことを書くんじゃなかったかしら」
あー、とポンと手を叩く祐巳。
「そうだよ、由乃さん。思い出した。確か、私、『大きくなっている私に』ってお手紙を書いたのよ」
「大きくなっている私って……誰だって大きくなると思うんですけれど」
呆れたような乃梨子ちゃんの言葉に、祐巳は頭を掻いて赤面する。
「あはは、あんまり自分の将来の姿なんて考えてなかったのかな」
そこで、ふと、
「ねえねえ、由乃さんはなんて書いたの」
「あ、私? 私は……」
「忘れちゃった?」
「あ、いや、覚えてるけれど……」
由乃さんは何故か令さまをちらちらと見ている。
「私、『令ちゃんと一緒にいる私に』って書いたような記憶があるの」
「大当たりじゃないですか」
乃梨子ちゃんの的確な指摘に、由乃さんは笑い出す。
「あはは、それはそうなんだけどね」
令さまが、ニッコリと笑って由乃さんに告げている。
「私はね、『看護婦になっている私に』っていうお手紙だよ」
ほお、と感嘆する乃梨子ちゃんと志摩子さん。
祐巳は思い出した。そう言えば令さまは、昔は由乃さんのお世話をするために看護婦になりたいと思っていた頃がある、と聞いたことがある。ということは、タイムカプセルを埋めた頃は、そう考えていた頃だったのだろう。
これで、リリアン小学校組の三人が思い出した。
祐巳が目をやると、お姉さまはまだ考え込んでいる。
「なんだったかしら……そうね、たしかに将来の自分宛の手紙だと言うことは思いだしたわ。だけど、その手紙の内容がまったく思い出せないのよ」
イライラと、ハンカチを引っ張っているお姉さま。その様子を見ていた祐巳はつい不安になってしまう。
またハンカチが一つ、お姉さまのストレス解消の標的になってしまうのではないだろうか、と。
「お姉さま、お茶を」
「まだお代わりはいいわ、それより祐巳、貴方も考えなさい」
「へ?」
「私が何を書いたかよ。タイムカプセルの中身よ」
そんな無茶な。いくらなんでも小学校の頃のお姉さまが何を考えていたかなんてわからない。
「こういう事って、わからないとイライラするのよ。こうなったら、無理矢理にでも掘り出してみようかしら」
お姉さまはやりかねない。突拍子のないことに見えても、自分で決めたことはきちんと最期までやり遂げようとする人だ。
掘り出し始めたらどうしよう。やっぱり手伝うべきなのかな。
祐巳がおろおろと考え初めて、あることに気付いた。
そして、途端に気が軽くなった。
帰り道、祐巳はお姉さまに尋ねてみた。
「タイムカプセルの中身、思いだしたんですね」
お姉さまはきょとんとした顔で祐巳を見て、そして小さな声で言った。
「どうしてそう思うの?」
「だってお姉さま、ハンカチを引きちぎりそうなフリをしているだけで、全然力を入れてませんでしたから」
お姉さまは無言で、だけど優しい目で祐巳を見ていた。
「あ、でも、中身なんて私興味ありません。お姉さまが言いたくないことを無理矢理に聞こうなんて思いませんよ? それに、何が書いてあっても気にしたりしません」
「……」
お姉さまの呟きが聞こえずに、祐巳は聞き返す。
「私は貴方を、また見損なっていたって言ったのよ」
お姉さまの手が祐巳の肩に触れる。
「本当に貴方はいつも、私の想像より先にいるんだから」
「お姉さま?」
「いいの。祐巳ももう知っていることだから」
「え?」
「小さいときはね、私は本当に優さんのことが好きだったのよ。いえ、今でも優さんのことは好きだけれど、少し意味が違っているわ」
「あ、それじゃあ……」
祐巳は理解した。確かにその内容なら、『今のお姉さま』は言いたくないし思い出したくないことなのかも知れない。
お姉さまは言う。
タイムカプセルの中には『優お兄さまのお嫁さんになった私』へのお手紙が入っているはずだと。
祐巳は自分の言葉をちょっと裏切りそうになっている自分を恥ずかしく思った。
やっぱり、気になってしまう。
お姉さまは、柏木さんのことが好きなんだ。
今でも、少しニュアンスは変わっているけれど好きなんだ。
だけど、小学生の頃のお姉さまが、柏木さんと結婚することを夢見ていた姿というのはとても微笑ましくて。
お姉さまには失礼かも知れないけれど。
ちっちゃな祥子ちゃんを想像して、祐巳はつい微笑んでしまうのだった。