うたた寝
頬の感触で目が覚めた。
頬に何かの触れた感触。少しまどろんで、ハッキリと思い出すと目が覚める。
とても柔らかい感触が、頬に触れていた。柔らかくて、温かくて、ほんの少し湿った感触。
なんだろう。何かが触れていたような気がする。
それはまるで、唇のようで。
頬に唇に触れていた。間違いない。この感触に嘘はない。
つい、うたた寝をしてしまった。そんなつもりはなかったのに、温かい陽気と涼しい風に誘われて、うとうととしてしまったのだ。そして気がつくと、机の上に伏せていた。
そして頬に当たる感触で目を覚ます。
感触を感じてから目を開けるまで、ほんの少しの間があった。
だから、頬に口づけたのが誰なのか、それはわからない。
お姉さま?
一瞬そう考えて苦笑した。
お姉さまはもういないのに。卒業されてしまって、今は自分が薔薇さまなのに。
もう、お姉さまはいない。
慣れたはずなのに。
もう、お姉さまのいない学園にも慣れたはずなのに。
卒業していったお姉さまのことを思い出すだけで、こんなに胸が苦しくなるなんて。こんなに切なくなるなんて。
だから、もう一度頬に触れてみた。
唇の感触を思い出す。
誰かが頬に口づけた感触を。
誰だろう。
他の二人の薔薇さまたち?
入学時からの腐れ縁だと、自他共に認めている二人。
これくらいの悪戯なら、平気で仕掛けてくるだろう。
でも、多分違う。
二人は自分にこんなことをしないとわかっている。
姉や妹を裏切りたくないから。それはとても甘美な想いだから。
とても甘くて、だけど苦い。口づければ受け入れて、受け入れれば抱きしめて。きっと止まらなくなってしまう。
裏切りたくないから。友達としての関係を。
だから、決して規は越えない。越えたいと思ったことすら否定して、決してそれだけは望まない。
いいお友達でいましょうね? 陳腐だけれど大切な、誰もが幸せでいるための条件。
それじゃあ、妹? それとも、妹の妹?
だとしたら、とても可愛らしい。捕まえて頬ずりしたくなるほどに。
うたた寝している上級生の頬に口づけるなんて――
なんて大胆。
なんて強引。
なんて肝。
なんて、素敵。
その相手が自分であることが、とっても誇らしい。胸を張って言うわけにはいかないけれど、選ばれた自分がとっても嬉しい。
きっとそれは只の偶然かも知れないのだけれど、いえ、それだからこそ、今のこの時にここでうたた寝していた偶然に感謝。
頬を軽く押さえて、周りを見回した。
いつものメンバーがいつものように集っている。うたた寝していた自分が放って置かれたのは、急ぎの仕事がないせいだ。
この中の誰が口づけたのだとしても、自分は微笑んで受け入れてしまうな、と思った。
皆、大好きだから。頬への口づけなんて、そんなものがもどかしく感じられるほどに大好きだから。
そうだ。
そこまで考えて一つの結論にたどり着いた。
いいや、最初から自分の中にあった結論に、ようやっと気付いたのだ。
だからもう一度、腕を広げて机に伏せる。
うたた寝のやり直し。また誰かが口づけるのなら、それはそれで構わない。
だけど、それがお姉さまだといいのに。
叶わない、と知りつつもそう願いながら、リリアンの黄薔薇さまこと、有馬菜々はゆっくりと目を閉じた。