SS置き場トップに戻る
 
 
 
祐巳さんと可南子ちゃん
「大脱出」
 
 
 やっぱり、ここが一番落ち着く。
 いつものように、祐巳は可南子の膝の上に座っていた。
 可南子を妹にして以来、この位置は祐巳が安らぐ指定席なのだ。とっても居心地がいい。
 それに、可南子も祐巳を膝の上に乗せることは大歓迎。満更ではない顔、というより緩みきった笑顔で祐巳を受け入れている。
 視線に気付いてふと顔を上げると由乃さんがじっとこっちを見ていた。
「祐巳さん。本当に甘えんぼね。こうして見ていると、どっちがお姉さまなのかわからなくなるわ」
「あはは。面目ない。でも、こうしてると落ち着くし」
 山百合会の活動はきちんとしているし、こうやって可南子とベタベタしているのは薔薇の館の中でだけ。メリハリは付けているのだ。
 勿論、由乃さんもそれはわかっている。別に、祐巳が怠けていると言いたいわけではないようだった。
「おっきな妹の利点よね」
 確かに、瞳子ちゃんではこうはいかないだろう。由乃さんと瞳子ちゃんでは体格は余り変わらない。
「由乃さま。もしかして、羨ましいとか」
 可南子の質問に慌てて首を振る由乃さん。
「そう言う訳じゃないのよ」
 困ったように窓の外を見ている。
「別に、膝に乗るくらい、家に帰れば令ちゃんはいつでもしてくれるから……」
 そう。考えてみれば、由乃さんは家に帰ったあとでもいつでも好きなときにお姉さまに会うことが出来るのだ。祐巳から見れば、よっぽどそちらの方が羨ましいというのに。
 そこまで考えたところで、祐巳は気付いた。そう言えば、最近令さまの姿を見ていない。
 理由はわかっている。受験準備だ。
 ということは、もしかして。
「由乃さん、最近抱っこしてもらってないんだ」
「ええっ!?」
 由乃さんがビクッとこちらを見ている。どうやら大当たりのよう。
「令さまが受験準備に忙しくて、甘える時間がないんだ?」
「……強くなったわね、祐巳さん」
「うっふっふ。由乃さんには相当鍛えられたもの」
 ふう、と大きく息をついて、由乃さんは頷いた。
「ええ、大きい声では言えないけど正解よ。お姉さまが忙しいのは、頭では理解しているんだけど」
 その後、由乃さんの愚痴は、瞳子ちゃんがやってくるまで続けられたのだった。
 
 可南子は考えた。
 確かに由乃さまは可哀想といえるだろう。
 なにしろ、自分には祐巳さまがいるのだ。
 愛らしくてぷにぷにでぽむぽむでねるねるでぱやぱやな祐巳さまが、薔薇の館の中では自分の膝を定位置としているのだ。
 たしかに横で見ているだけの由乃さまが羨ましがるのも無理はない。いや、羨ましがるなと言うほうが非人道的だろう。
 令さまがもう少し相手してあげてもいい。
 瞳子さんでもいいのだろうけれど、体格的に無理がある様な気がする。
 可南子の中ではすっかり「甘える=膝に乗る」という固定観念が生まれていた。
 それに、由乃さまを可愛がるのは令さまにだって気分転換になるはず。そもそも、聞いた限り令さまの学力では、余程油断をしない限りは受験に失敗することはないように思える。
 そこで、可南子は直接令さまに連絡を取ってみることにした。
 一応は薔薇の館の住人であるし、一年生として連絡役を承る場合もある。だから、可南子は全員の電話番号を把握していた。
 電話で用件を告げると、令さまは少し考えて返事した。
「そうか。由乃が寂しがってるんだ……ありがとう、可南子ちゃん。それじゃあ、明日は薔薇の館に行ってみるよ。うん、お土産をもってね」
 お土産ですか、と可南子が聞き返すと、
「そう、江利子さまに戴いたものなんだけれど、明日の楽しみにしていてね」
 江利子さまと言えば前黄薔薇さま。エキセントリックな方だと聞いている。由乃さまが目の敵にしている人だ。
 だけど、令さまは普通に可愛がられていたはず。でも、一体何を戴いたのだろうか。
 翌日、その答が出た。
 大きなビンが二つ。
「お姉さまが、合格したら飲みなさいって、くれたのよ。産地直送の天然ジュースだって」
 トラブル好きだと噂されている江利子さまのことだ、額面通りに受け取るわけにはいかない、と可南子は思った。でも、もしも可南子の予想通り、これがジュースでないのなら、それはそれで可南子の願い通りなのだけれど。
 ビンの説明をしながら、令さまは椅子に座った。
「ここで会うのも久しぶりじゃない? 由乃」
「令ちゃん、来るなら来るって言ってくれればいいのに」
「うふふ。由乃を驚かせようと思って、ね」
 そしてチラリと可南子とお姉さまのほうを見る。当然、お姉さまはいつものように可南子の膝の上にちょこんと座っていた。
「由乃も、やってみる?」
 ニッコリと笑う令さま。その手が由乃さまを招くように広げられている。
「おいで、由乃」
「令ちゃん!」
 由乃さまは真っ赤になって可南子達の方を気にしている。
「いいじゃない、由乃さん。令さまと由乃さんがイチャイチャしても、今さら誰も気にしないわよ」
 お姉さまの言葉に可南子は頷いた。
「ああ、確かにお姉さまの言うとおりかも知れませんね。何を今さら、と言う感じです」
「……祐巳さんと可南子ちゃんが私たちをどういう目で見ているのかがよくわかったわ」
 そう言いながらも、由乃さまは明らかにホッとした様子で令さまに近づいていく。
「あ、そうだ、その前に」
 令さまの言葉を待たずに、お姉さまが可南子の膝から降りる。
「令さま、ジュースのコップなら私たちが用意します。どうぞ座っていて下さい。ね、可南子」
「はい、お姉さま」
 二人は四人分のコップを取り出してテーブルに並べる。
「ありがとう、祐巳ちゃん、可南子ちゃん」
 お礼を言う令さまの膝の上には、照れ隠しで憮然としている由乃さま。
「な、なによ。じろじろ見ないでよ」
 令さまが、由乃さまを膝に載せたまま優雅にジュースを注ぐ。
「本当は受験合格まで置いておくつもりだったんだけれども、特別な場合だからいいわよね。はい、可南子ちゃんも祐巳ちゃんも召し上がれ」
 令さま特製のマーブルケーキも並べられている。
「いただきまーす」
 好きな相手をお膝に乗せて。
 ジュースをコクコクと飲んで。
 ケーキをあーんと食べさせて。
 とっても楽しい時間。
「このジュース美味しいですね」
「本当。私ももらってから初めて飲むんだけど、こんなに美味しいとは思わなかったわ」
 可南子は一口飲んで気付いた。
 これは……。いや、もしかして令さまはわかっていてやっているのかも知れない。だとすればここで指摘するのは野暮以外の何者でもない。
 可南子は、どう考えてもアルコールが入っているとしか思えない――おそらく正体はワイン――ジュースについてのコメントを差し控えていた。
 少しして、由乃さまが突然立ち上がろうとして動きを止める。
「令ちゃん?」
「ん? どうしたの、由乃」
「ちょっと離して欲しいの」
「ヤダ」
 上気した顔で、令さまは由乃さまを抱いた腕をしっかりと巻き付けている。
「あの、令ちゃん、冗談じゃなくて」
「ヤダ。由乃をもう離さないんだから」
「あ、あの、令ちゃん、私……」
 首を伸ばしてそっと囁きかける。
 ニッコリと笑う令さま。
「ヤダ」
「令ちゃん!!」
「トイレなんて言っても駄目。離さないんだから」
 どうやら黄薔薇さまは酔ってしまった模様。そして、由乃さまはお手洗い希望。だけど令さまは由乃さまを手放そうとしない。
 まさか、令さまは……。
「令ちゃん! 本当だから、ね、ね」
「聞こえない」
 これは相当キテいる、というか酔っている。
 可南子はビンを見た。もうほとんど残っていない。
 そういえば、自分も相当飲んだような気がするなぁと思う。
 だけど、自分は酔っていない。令さまとは違う。ちゃんと、アルコールかも知れないと予想していたんだから、酔うほど飲んでいるわけがないのだ。
 
 祐巳は唖然と二人のやりとりを見ていた。
「あの、令さま?」
「祐巳さん、助けてーーー」
「ちょ、ちょっと待ってね、由乃さん」
 よいしょ、と可南子の膝から降りようとして、身体が止まる。
「……可南子?」
「グーグー」
「離して欲しいんだけど」
「グーグー」
「もしかして、寝ちっゃたの?」
「はい」
「返事したっ!!」
「グーグーグー!!」
「力一杯いびきかいてるっ!!?」
 もがく祐巳。しかし、可南子とは力の差があり過ぎる。一年上とは言え片や万年帰宅部、片やバスケット部次期エースである。
「よ、由乃さん助けてー」
「む、無理よ。助けて欲しいのはこっちなんだから」
 由乃さんの方も事情は同じ。しかも向こうは剣道部、握力はものすごい。
「うふふふふ」
 令さま、ついにスリスリを始めてしまった。
「グーグー」
 背中の感触に気付くと、可南子ちゃんまで。
「あ、あの、可南子?」
 祐巳も、実は先ほどから徐々に感触があったのだ。
「あのね、私もお手洗いに行きたいんだけど」
 何故か手の力が強まった。
「可南子!?」
「うふふふ」
「あ、あのね。冗談はやめて。本気で行きたいの」
「……」
 可南子がポツリと呟いた。様な気がした。
「え?」
 まさか。
「……」
 また、呟いた。同じ言葉を。
「えーと、可南子?」
「……」
 三度。もう間違いない。
「か、か、か、可南子、そ、それじゃあ変態さんだよっ!」
 お漏らしが見てみたい、なんて。そんな。
「別に構いません」
 と可南子はハッキリと言って即座に、
「グーグー」
「いや、もう寝たふりはいいからっ!!」
 由乃さんもテーブルの向こう側でもがいている。
 祐巳ももがく。
 でも二人の力ではどうやっても抜けられない。せめて、せめてもう一人いれば、背後からくすぐるなりして力を抜かせることが出来るのに。
「ごきげんよう」
 そこへ救世主が。
「乃梨子ちゃん!」
「乃梨子さん、申し訳ありませんがそこでじっとしていて下さい」
「乃梨子ちゃん、悪いけど、今日の所は帰ってくれないかなぁ」
「なんで突然ハッキリと喋り始めるのよっ!!」
「乃梨子ちゃん助けてぇ!!」
 いきなりのことに戸惑っている様子の乃梨子ちゃんに祐巳はさらに助けを求めた。
「間違えてお酒を飲んだみたいで、可南子と令さまがおかしいの」
「お手洗いに行きたいのに離してくれないのよっ」
 お手洗い、と聞いて乃梨子ちゃんは鞄を置いた。
「それはちょっと、ひどいですね」
 まずは可南子に向かって歩き始めようとしたとき、
「乃梨子さん! 逆の立場なら貴方はどうしますっ!」
 ん? と言う顔になって足を止める乃梨子ちゃん。
「乃梨子さんの腕の中には志摩子さま。志摩子さまはお手洗いに行きたいのを我慢してむずむずしているところです。もし、このまま手を離さなければ………」
「か、可南子、何言い出すのよ」
「いいから想像してみなさい!!」
「あのね、可南子」
「想像しなさいっ!」
「かな……」
「想像ッ!!! お漏らししてしまって羞恥に染まった顔で目に涙を浮かべ、床にペタリと座り込んで『ひどいよ……』と上目遣いに呟く姿を!!!!!」
 完全に動きを止めてしまう乃梨子ちゃんに、祐巳は慌てて声をかける。
「乃梨子ちゃん? 乃梨子ちゃん?」
 由乃さんは我慢の限界に近づいたようで、あうあう言っている。
「乃梨子ちゃんってばっ!!」
「……るわ」
「乃梨子ちゃん?」
「わかるわっ、可南子」
「乃梨子ちゃんまでっ!!」
「わかったわ。可南子、令さま、お二人の邪魔はしません。存分に愛でて下さい」
「愛でるのっ!?」
 由乃さんのあうあうの声がとぎれとぎれになっていく。どうやら限界らしい。
 いや、祐巳自身もかなり限界が近い。
 このままでは……。
 祐巳は顔を上げた。こうなれば、最後の手段しかない。
「乃梨子ちゃんっ、助けて、その代わり…………」
 
 
 
「……」
 いつの間にか、志摩子は由乃さんと祐巳さんに両腕を握られていた。
 二人に勧められたジュースが美味しくてついおかわりをたくさんしてしまったけれど、そういえば二人はどうしてこんなことをしているんだろう。
「由乃さん? 祐巳さん?」
「グーグーグー」×2
 なんだろう、このわざとらしい狸寝入りは。
「あの、私、お手洗いに行きたいのですけれど」
「グーグーグー!!」×2
 異常に力強いいびき。
「あの……」
 二人は手をしっかりと握っている。
「由乃さん? 祐巳さん?」
 手を離そうとする気配はない。
「私、お手洗いに……」
「グーグーグー!!!!!!」×2
 志摩子は知らない。
 背後の物陰に乃梨子がドキドキワクワクしながら待機していることなど。
 
 
あとがき
 
 
 
SS置き場トップに戻る
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送