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あの子がいるから
 
 
 
 いつの間にやら黄薔薇のつぼみとその妹の間では定例となっている、週に一度の手作り弁当。
 江利子は令のお手製お弁当を嬉しそうに取り出した。
「いつもの事ながら嬉しそうね」
 その背後に近づきながら、黄薔薇さまが言う。
「はい。令の料理の腕はプロ級ですから」
「ふーん。ところで江利子?」
「駄目です」
 間髪入れず江利子は即答する。
「まだ何も言ってないわよ」
「いくらお姉さまといえども、譲れるものと譲れないものがありますから」
「だから、まだ何も言ってないのよ?」
「聞かなくてもわかります」
「…じゃあ何よ、言ってみなさい」
 黄薔薇さまの剣幕をニヤニヤと楽しそうに眺めているのは紅薔薇さまと白薔薇さま。
「あらあら。また、始まっちゃったわよ?」
「いいんじゃない? よっぽど悔しいのよ。江利子ちゃんを令ちゃんに取られたのが」
「…まあね、気持ちはわからないでもないんだけど」
「蓉子ちゃんも、祥子ちゃんにかかりっきりだもんね」
「いいのよ。あの子、ものすごく世話焼きだから。祥子ちゃんみたいに癖の強いのが妹でちょうどいいのよ」
「紅も黄も大変ね。孫が出来ると」
「聖ちゃんはどうなの? …久保栞…だったかしら?」
「彼女は、妹とかそういうのじゃないわ。聖にもそのつもりはないでしょうね」
「色々と噂は聞くけれど…」
 紅薔薇さまは、そこで言葉を句切った。
「でも、貴方の選んだ妹がやっているんだからね。その一点だけでも信じる価値はあるわ。だから、ちゃんと面倒見てあげなさいよ?」
「ありがとう…でも…」
 白薔薇さまが少し言い淀んだ。
「…もしかすると」
「ストップ」
 白薔薇さまの口に手を当てる紅薔薇さま。
「言ったでしょ? 貴方の妹なんだから、信じるの。白薔薇のつぼみだから信じているってわけ訳じゃないのよ? 山百合会の重みとかリリアンの伝統とか、そんな小さなこと考えなくていいから。貴方が聖ちゃんに一番いいと思うようにしてあげればいいじゃない。山百合会の歴史とかへったくれとかなんて、聖ちゃん一人、人間一人の幸せに較べれば取るに足らない些末事なんだからね」
 この調子だと、いろいろと情報を仕入れているんだろうなと思いつつ、それでも白薔薇さまは紅薔薇さまに感謝していた。
「ありがとう」
「ノープロブレム。それより、今は黄薔薇一族に注目よ。そろそろ令ちゃんの来る頃じゃないかしら?」
「そういえば、遅いわね」
 支倉令は、毎日のお昼休みに薔薇の館に来るわけではない。剣道部の一年生としての雑用をこなす日もある。それは、たとえ一年で一番強い剣士でも例外ではなかった。
 しかし、今日は週に一度、手作りのお弁当を鳥居江利子に届ける日。お弁当そのものは朝の内に届けたとしても、一緒に食べるために薔薇の館へ来るのは必然だろう。
「ごきげんよう。遅くなりました、お姉さま」
 二人の言葉を聞いていたかのように現れる令。
「ごきげんよう、紅薔薇さま、白薔薇さま、黄薔薇さま」
「ごきげんよう、令ちゃん。さっきから江利子が待ってるわよ」
 黄薔薇さまの言葉に、令は慌てて小走りになる。
「遅くなってすいません。四時間目の授業が少し長引いてしまって」
「いいのよ。貴方を待つ時間だって楽しいわ」
 江利子の言葉に黄薔薇さまが目を丸くしていた。
「…私が一分待たせただけで文句を言うのは誰だったかしら?」
「それはそれ、これはこれです。お姉さまが二年の時に言っていたじゃありませんか。姉と妹、それぞれのつき合い方は別々だって」
「なんでこんな子、妹にしたんだろう?」
「退屈しないから。と言われたような気がします」
「ああ、それは確かにその通りだけどね。ここまで厄介な妹だとは思わなかったわ」
「蓉子の妹には及びませんよ」
「……それもその通りね」
 小笠原祥子は今のところかなりの難物だ、というのが一同の共通見解のようだった。
「あの、祥子さんは祥子さんなりに頑張っていると思います」
 令の言葉に二人が同時に頷いた。
「友達思いね、令。だけど、時には正直になることも必要よ」
「そうそう、悪いところは悪いと正しなさい」
「いえ、そんな…」
 黄薔薇姉妹の争いが収束し始めたのを見て、紅薔薇さまと白薔薇さまは会話を再開した。
「ところで、今日は蓉子ちゃんは?」
「祥子ちゃんの所じゃないかしら? 本格的に寒くなる前にやっておきたいことがあるって言っていたから。それとも、聖ちゃんの所かしら?」
「五分五分、ってところかな」
 
 
 くしゃみをしたお姉さまに、祥子は心配そうに尋ねる。
「お姉さま? やはり、薔薇の館に行った方がよろしいのでは?」
「大丈夫よ。今のはちょっと、むせただけだから」
 むせたのならくしゃみではなくて咳ではないだろうかと祥子は思ったけれど、とりあえず流すことにする。
 それよりも、手早く食べ終える方が懸命だろう。
 しかし……。
 どうも、これは慣れない。というか、理解できない。
 確かに、ここにいるのは祥子とお姉さまだけではない。他にも見渡せば沢山の生徒達がいる。天候によっては肌寒い日も増えてくる季節だというのに、今日の所は晴天のせいか生徒の数も多いようだ。
 お姉さまが半ば無理矢理に祥子を連れ出したのも、この天候のせいだろう。
 皆、それぞれのグループでお弁当を食べている。数人のグループもあれば二人きりの者も。年齢が離れているのは姉妹だろう。中には一人きりでお弁当を食べるでもなく佇んでいる者もいるけれど、祥子は彼女を無視することにした。
「温かい物でも飲む?」
「あ、私は自分で」
 祥子は反射的に財布を取り出そうとして、水筒を傾けているお姉さまと目が合う。
「……家から煎れてきたほうじ茶だけど? 缶コーヒーとかの方が良かった?」
「いいえ。ほうじ茶をいただきます」
 またやってしまった。と祥子は心の中で俯いた。
 温かいものと言われて、温かい飲み物を買いに行くと勘違いしてしまった。ここが薔薇の館なら、温かい物を買いに行くとは絶対思わなかったはずなのに。
 すぐにお金で解決しようとする人間。そんなふうには、絶対にお姉さまには誤解されたくない。
 ほうじ茶を受け取りながら、祥子は膝の上のお弁当を眺めた。
 やっぱり、嫌悪感がある。
 そもそも、野外で食事をするというのはどういう事なのか。
 食事とは、屋内でするものである。
 お弁当とは、教室や薔薇の館で食べる物ではないだろうか。
 祥子がそう言ったとき、お姉さまと黄薔薇さまは呆れた。
 令と紅薔薇さまは「そういう考え方もあるのかな」と頷いた。
 白薔薇さまはクスリと笑った。
 江利子さまは爆笑した。
 聖さまはいつも通りに何の興味も示さなかった。
 お姉さまは特に江利子さまの爆笑にカチンと来たようで、早速特訓をすると言い出したのだ。
 それがこの始末。二人して中庭でお弁当を食べている。
 お姉さまはいつも通り黙々と食べている。一方、祥子の箸の進みは鈍い。
 どうしても、抵抗がある。
 二人の近くを人が歩いて埃が立つ度に、お弁当の中に埃が積もっていくような気がするのだ。
 お弁当の味かどんどん無くなっていくような気もしてくる。
 どうしようとか思っている内に、助け船が来た。
 さっきから無視している、この場にそぐわない一人が、そそくさと近づいてきたのだ。
「小笠原祥子さん? お隣は紅薔薇のつぼみの水野蓉子さまですよね?」
 いつもなら困った相手が今日はありがたい。
 それでも祥子は精一杯の仏頂面で答えた。
「何か御用ですの? 築山三奈子さん」
「あら、祥子の知り合い?」
 祥子はお弁当の蓋を閉める。
「知り合いと言うより、同じ一年生と言うだけですけれど…。お姉さま、こちらは新聞部の築山三奈子さんです」
「新聞部…?」
 お姉さまの目が、何かを思い出すように細められる。
「……今年の新聞部の新入部員に、とんでもない暴走特急がいるって聞いたけれど…?」
「まあ、紅薔薇のつぼみである水野蓉子さまに気にかけていただいているなんて、光栄です。私、新聞部員の築山三奈子と申します。今後ともよろしくお願いいたします」
 祥子は思わず三奈子さんの顔をまじまじと見てしまった。
 晴れ晴れとした一点の曇りもない笑顔を見るからに、どうも嫌味や意地ではなく、本心でそう思っているらしい。
 お姉さまも、呆気にとられている。
「あ、ああ、そう。よろしくね」
「それで、何の御用ですの?」
 祥子は慌ててその場を取り仕切った。実は相手の用事というのも大体予想がついているのだけれど。
「はい。新聞部員として、お二人に取材を申し込みたいのですけれど、お時間はよろしいですか?」
 取材の許可ではなくいきなり時間の有無。
「よろしくないわよ」
「それでは、蓉子さまは?」
 三奈子さんはめげない。
「取材の内容によるけれど」
「それじゃあ…」
 言いかけた三奈子さんが一瞬口ごもる。
 それは、祥子が思わずお姉さまの顔を確認したくなるような表情だったのだけれど、祥子が見たときにはごく普通のお姉さまの顔だった。それでも、何を見たのか三奈子さんは少し俯き加減になっている。
「先に言っておきますけれど、私や祥子、お姉さまに関する事なら、取材はお受けするわ。他の姉妹の事なら、私たちに聞くのは筋違いよ?」
 つまり、「白薔薇のつぼみこと佐藤聖についての質問には絶対に答えない」ということ。
「筋違い、ですか?」
「ええ、筋違い」
「筋違い?」
「くどいわよ?」
 このまま三奈子さんは撤退する。祥子はそう思ったし、お姉さまもそう思ったに違いない。それほど、お姉さまの言葉や態度には取り付くしまもなかった。
 だけど、三奈子さんは違った。
「失礼ですけれど…一言よろしいですか?」
「一言、ならね」
「無用の憶測を呼ぶよりは、真実を明かす方が誰のためにもなる。私はそう思っています」
「そうとばかりは言えないわよ? 三奈子ちゃん」
 お姉さま相手でも一歩も引かなかった三奈子さんが、その一言で背中を叩かれたように飛び上がる。
「部長!?」
「正確には、元部長でしょ? 今の部長は貴方のお姉さま兼私の妹。でしょ?」
「どうして…」
「どうしてって、そりゃわかるわよ。今の校内でちらほら聞こえる噂を考えれば。貴方がどこに突撃しそうかくらい、すぐにわかるわよ」
 そして、お姉さまにゴメンね、と頭を下げる。
「支倉令も鳥居江利子も薔薇の館にいるって言うから、残るは貴方達しかいなかったというわけ。さすがのこの子も、三薔薇さまの揃った薔薇の館にはまだ突撃できそうにないからね」
 そして、今のところは、と付け加えて楽しそうにウフフと笑う。
「でも、部長」
「だから元部長だって。真実を明かす事が皆のためになるときもあればならないときもある。それがわからないでスクープなんて追ってたら、貴方が卒業する頃には、誰も悲しむどころか喜んでお祝い始めるわよ」
「でも…」
「貴方にはね、そうなって欲しくないの」
 その一言で決まりだった。
 後から聞くところによると、新聞部の元部長(三奈子さまのお姉さまのお姉さま)は、無茶な取材活動のせいで結構な数の敵を作ってしまったらしい。
「だけどその取材をけしかけたのも、後になってそっぽを向いたのも、同じ読者なのよね」
 引くに引けなくなった、と言う事なのかも知れないわ。と薔薇の館へ向かいながら、お姉さまは言う。
 三奈子さんがこの後どんな新聞を作っていくのかはわからないけれど、取りあえず今日のところは強引な取材と感謝でプラスマイナスゼロにしておこう。と祥子は思った。
 なにしろ、埃まみれのお弁当を食べずに済んだのだから。
 薔薇の館には、令と江利子さま、そして三薔薇さまたちがいた。これで聖さま以外は皆揃った事になる。
「ごきげんよう」
 令以外とは今日始めて会う事になる祥子は、それぞれに挨拶する。
「白薔薇さま。聖は、今日も来てないんですか?」
「ええ。見ての通りよ?」
「あまり言いたくはありませんけれど、白薔薇さまは聖を甘やかしすぎです」
「蓉子ちゃんの面倒見がいいから、私の出る幕がないのよ」
 お姉さまの言葉に、祥子は少し不愉快な気持ちになる。
 お姉さまは、聖さまを気にしすぎている。そして聖さまは、自分のお姉さまである白薔薇さまよりも祥子のお姉さまに甘え過ぎている。それが祥子の最近の感想だった。
 そう考えているだけで、何となくもやもやした怒りが祥子の中に溜まっていく。
「祥子ちゃん、こっちに座って」
 紅薔薇さまが祥子を手招いている。
 え? 祥子が戸惑っている間に、お姉さまと話していたはずの白薔薇さまが祥子を引き寄せると、紅薔薇さまの隣に座らせた。そして自分は、祥子を挟むようにして反対側に座る。
 それに気付いたお姉さまが、白薔薇さまを追うようにして慌てて駆け寄ってきた。
「白薔薇さま! お姉さま!」
「だって、蓉子が聖ちゃんの事ばかりに気にしているから」
「私も、聖の事は蓉子ちゃんに任せようかなって」
「お二人とも、祥子で遊ばないで下さい」
「いいのよ。祥子ちゃんの事は私たちに任せて」
「そうそう。聖とはまた違った綺麗さなのよね、祥子ちゃんは」
 お姉さまに手を掴まれて、引っ張られるようにして祥子は立たされる。
「祥子。貴方も為すがままにならないで、ちゃんと抵抗しなさい」
 なんで自分が怒られているのか。
「は、はい。お姉さま」
 だけど、それはそれで心地いい。お姉さまが、自分を盗られて嫉妬しているなんて。
 聖さまの事を心配しているお姉さまを見ているよりも、ずっとずっと心地いい。
 これはこれで、祥子は満足しているのだ。
 そのやりとりをじっと見ていた黄薔薇さま。
「令ちゃん、ここに座って」
「え? は、はい」
 江利子さまは何も言わない。
「……江利子。何か言う事はない?」
「いえ、別に」
「令ちゃんが私の隣に座っているんだけど?」
「そういうことなら…」
 江利子さまはすっと立ち上がると、スタスタと黄薔薇さまの隣、令と二人で黄薔薇さまを挟むようにして座る。
「両手に花ですよ、お姉さま」
 黄薔薇さまはとても満足したようだった。
 
 
 
「うん。なんか鞘に収まったって感じね」
 少なくとも祥子と蓉子に関しては原因以外の何者でもない紅薔薇さまが、黄薔薇姉妹と妹と孫を見ながら満足そうに言った。
 これで、館にいるほとんど皆が満足している事になったということらしい。
「それは良かったわね」
「次は白薔薇さん家だけど?」
「やっぱり、そこに来るのね」
「それはそうよ。ほら」
 紅薔薇さまが示した先では、妹と孫を従えて相好を崩している黄薔薇さま。
 白薔薇さまが首を傾げていると、黄薔薇さまはつとこっちを向いて、指を立てている。
 (ダメよ。そんなことじゃあ)
 つき合いが長いとそれだけのジェスチャーで何となく意思は通じるものだった。
 黄薔薇さまも、妹と孫にかしづかれて満足しきっているわけではないようだった。
「そりゃね、聖ちゃんの事も心配よ」
「聖は、貴方達が思っているほど弱くはないわ」
「そうかも知れないわね。だけど、貴方はもう半年もしない内に卒業よ。貴方のいないリリアンで、彼女はやっていけるの?」
「時間の流れは止められないもの」
「だからよ。今の間に、もっとやってあげられることはないの? 私たちにも」
「それじゃあ、一つお願いしようかな」
 紅薔薇さまは頷いた。願いの内容なんかは問題じゃない。親友が自分を頼っている、それだけで充分だった。
「祥子ちゃんをせいぜい可愛がってあげてよ」
「どうしてそこで祥子ちゃんが…」
 紅薔薇さまも気付いていないわけではなかった。だから、言葉は途中で止められる。
「そうね。せいぜい可愛がることにするわ」
「ごめんなさい。巻き込むみたいで」
「……蓉子の勝手よ。もし、私が聖ちゃんのことに口出しするななんて言ったら、ロザリオを投げ返されそうな気がする」
「それでも、ありがとう。勝手な言い分だけど、私はあの子がいるからこそ、安心して卒業できそうなの」
「それは直接蓉子に言ってあげて。と言いたいところけれど、あの子の性格だと駄目ね」
「ええ。私が一言言えば、蓉子ちゃんにとってそれは義務になってしまうから」
 二人は顔を見合わせて笑った。
「あ、噂をすれば」
「間違いないわね」
 古い階段を上がってくる足音に二人はもう一度笑う。
「…ごきげんよう」
 その日、薔薇の館には久し振りに住人が勢揃いした。
 
 
 
あとがき
 
 
 
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