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どんぐり
 
 
 
――神様はどうしようもなく意地悪で残酷だ
 
 
 
 男の子は、捲り上げたシャツに沢山のどんぐりを抱えていた。
 それは、きっと男の子の宝物なのだろう。
 満面の笑みで、私たちのほうに駆けてくる。正確には、私の隣に立っている志摩子さんの所へ。
「これ、お姉ちゃんにあげる」
 いい子だな、と私は思った。こんな小さな子にだって、志摩子さんの魅力は判っているんだ。
「ありがとうね」
 クスクスと笑いながら、志摩子さんは男の子の頭を撫でている。
「どんぐり、沢山取ったのね」
「うん。まだまだ沢山落ちてる! お姉ちゃん、もっと欲しい?」
「ううん。今はこれで充分よ。だから、また今度ね」
「お姉ちゃんが欲しかったら、もっともっと、一杯取ってくるっ!」
「ありがとう」
 男の子は、小寓寺から見ると駅の反対側に住んでいる。山のそちら側には小学校があって、そこに通っている子供達にとっては、小寓寺のある山が遊び場の一つなのだと、志摩子さんが教えてくれた。
 山には私有地の部分、というより小寓寺の敷地の部分もあるのだけれど、子供達が入り込んで遊んでいる分には大目に見ているらしい。大きな山ではないので、崖などのような危険な場所もない。子供達の遊び場としては至極適当なのだと、志摩子さんは言う。
「兄も、小さな頃はこの辺りを駆け回っていたらしいわ」
 学校が休みの日、志摩子さんは時々山に入る。それほど高い山ではないから大きな負担ではないし、その割りには景色は悪くない。
 勿論志摩子さんはかけずり回ったりはしないけれど、かけずり回っている子供達とは顔見知りになった。
 子供達にとって志摩子さんは、なんだかよくわからないけれど、大きなお家の面白いおじさんと一緒にいる綺麗なお姉さん。
 言い得て妙だと、私は思う。
 だから、子供たちの中には私よりもっと前から志摩子さんと知り合いになっている子もいる。それは仕方ない。いくらなんでも、時間の流れを戻したりはできないのだから。
 だけど、どんぐりを持ってきた男の子はやり過ぎだった。
 私だって、褒められるようなことはしていないのだけれど。
 でも、仕方ない。あんな事になったら、私の言うことは一つしかないのだから。
「お姉ちゃんのために、僕、どんぐりいっぱい取る!」
 そうか。志摩子さんのためなんだ。
 ……?
 私はちょっとビックリした。子供じゃない。自分にだ。
 なんで私は子供に対してムッとしているんだろう。
 志摩子さんのためだなんて、いい子じゃないか。
 私はそんなに心が狭くなってしまったんだろうか。そりゃあ、他ならぬ志摩子さんのことだけれど…
 と、思っていたら。
「私のためにドングリを取ってくれるの?」
「僕。お姉ちゃん、大好き」
 微笑ましいんだ。うん、微笑ましいんだ。
「大きくなったら、僕、お姉ちゃんと結婚する」
「駄目」
 あ。
 志摩子さんが驚いている。当然だと思う。私だって、驚いたのだから。 
「駄目、志摩子さんと結婚するなんて、私が許さない」
 私の口は止まらない。
「絶対に駄目だから、ね」
「乃梨子?」
 志摩子さんの言葉で、私はようやく口を閉じた。
 男の子は、目を丸くして私を見ている。そして、泣き出した。
 ああ。どうしよう……
 
 なんとか泣きやんだ男の子とその友達が帰り、私は志摩子さんと一緒に部屋に戻った。
 せっかく、連休を利用してお泊まりに来たのに、まさかこんなことになるなんて。
「びっくりしたわ。乃梨子があんな事を言うなんて」
 それでも、志摩子さんは笑っていた。
「ごめんね、志摩子さん」
「謝らなくてもいいわ。乃梨子の気持ちはわかるから」
「え?」
「逆の立場だったら、私も同じ事を言ってしまったと思うから」
「志摩子さん……」
「だから、そんなに気にしないで。あの子だって、明日になればすっかり忘れてしまっているわよ」
 そう言ってくれた志摩子さん。
 だけど、私は考えてしまった。
 違うんだ。確かに私は男に向かって言った。男の子に嫉妬していた。
 でも、それは少し違う。
 だって、小さな子の「結婚」なんて言葉、誰が本気にするというのだろう。
 令さまと由乃さまが同じような経験をしたと聞いたけれど、その時よりもまだまだ小さい子なのだ。言葉尻を捕らえる方がどうかしている。
 それでも、私はあの一瞬、本気で腹を立てていたのだ。
 だけど、その相手は男の子じゃない。
 私は、理不尽に腹を立てている。
 理不尽な怒りだった。理屈に合わないと自分では判っていても、どうにもならないことがある。これがそれだ。
 あの男の子は、志摩子さんと結婚できる。
 勿論、これは単なる理屈の話だ。
 あの男の子は、もしかしたら志摩子さんと結婚して家庭を作ることができるかもしれない。子供を作ることができるかもしれない。
 
 ……私にはできない。
 
 どれほど幸運が巡っても、どれほど努力しようと、私とあの男の子の間には絶対に埋まらない溝がある。絶対に越えられない壁がある。
 産まれた瞬間から決まっていた壁が。
 今さら、どうしようもない壁が。
 理不尽だ。
 私は志摩子さんを愛している。
 志摩子さんも私を愛してくれていると、私は信じている。
 だけど神様は仰る。
“産めよ増やせよ地に満ちよ”
 神様、それはあまりにも残酷な言葉です。
 産めなくても、増やせなくても、満たせなくても――
 幸せになってもいいじゃありませんか。
 私は神様に問いながら、いつの間にか眠っていた。
 
 少し寝過ごして庭先へ出た私は、目を丸くしていたのだろうと思う。
「ん!」
 昨日の男の子が、大きな袋を抱えていた。
 駅前のスーパーのロゴが入ったポリ袋。買い物をするともらえるものだろう。
「志摩子さんなら、まだ中にいるよ?」
「これ、お姉ちゃんにも」
「だから志摩子さんは…」
「お姉ちゃんの!」
 ああ、そうか。私もこの子から見れば「お姉ちゃん」な訳で。
 袋の中には、大量のどんぐりが入っている。
「これ、私にも?」
「…お母さんが…、お姉ちゃんはお友達がいなくなるのが寂しいって言うから…」
 少し考えて、私は納得した。
 私の言葉で泣いたこの子は、家に帰ってそのまま報告したのだろう。
 この子のお母さん(お父さんかも知れない)は、私の言葉をそういう意味だと解釈したのだ。
 それはそうだろう。昨日の私の言葉でいきなり、「そのお姉ちゃんはお寺のお姉ちゃんのことを愛しているからなのよ」と看破してしまうような親はちょっと怖い。
 でも、それでどうして私にどんぐり。
 どんぐりを貰うと寂しくなくなる、とこの子は思っているのだろうか?
 どんぐりに慰められるのはかなり嫌だ。
 だけど、男の子は私の予想外の答を返した。
「だから、お姉ちゃんも結婚する」
「は?」
「志摩子お姉ちゃんと、一緒に結婚する」
 そうか。どんぐりはプロポーズの証なのか。やっぱり、給料三ヶ月分のどんぐりなんだろうか。
「あー。それ、面白いかも」
 私は、そう答えていた。
 昨日よりも、心に余裕ができていた。自分でも現金だと思うけれど、志摩子さんの気持ちを確認できて気が楽になったのだろう。
 神様はどうしようもなく意地悪で残酷だ。
 それでも、時々こういう面白いものを見せてくれる。
 侮れない相手なのだ。
 だから私は、とことんまで逆らってやろうと思った。
 産まないし、増やさないし、満たさない。
 それでも、幸せになってやる。
 志摩子さんと、幸せになってやる。
「それじゃあ、そのどんぐり、貰うね」
「うん」
 どんぐりを受け取ると、男の子は嬉しそうに笑った。
「約束な!」
「よーし。判った。その代わり、私と志摩子さんをお嫁さんにするんだから、それに見合う男になりなさい」
「うん!」
 走って帰っていく後姿に、私は手を振っていた。
 
 
 
 
あとがき
 
 
 
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