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祐巳さんと可南子ちゃん
「あけましておめでとう計画」
 
 
 新年の抱負。
 可南子は急ぎ足。
 新年の抱負を目指して。
 急ぎ足でずんずんと進んでいく。
 ――新年の抱負?
 ちょっと違う。抱負というよりも、目標の方が正しい。
 急ぎ足の可南子は、初詣帰りの人たちを次々と追い越していく。
「あけましておめでとうございます」
 今年最初にそう言いたい相手はお姉さま。だから、悪いけれどお母さんにもまだ新年の挨拶をしていない。
 年末にそれを告げると、お母さんは呆れたように笑ってこう言ったものだった。
「そういうことなら別にいいけど。可南子にそんな人がいるなんてね…」
「お姉さまだもの」
「リリアンの伝統ね。まあ、別にいいわ。それじゃあ私はゆっくり寝かせてもらおうかな」
「え? 朝は別に起きてても……」
「お母さんが寝ているうちに出て行っちゃいなさい。その方が気が楽でしょう? 可南子はなんだかんだ言って気を使いすぎるときがあるからね」
「う…うん」
「気にしなくていいわよ。福沢さんによろしくね」
 そして正月一日の朝から、可南子は急いでいるのだ。
 お姉さまにはもう去年のうちから約束してある。新年最初の挨拶がしたいと。
 薔薇の館で去年最後の集まりがあったときに、確認しておいたのだ。
 
 その日はこんな風に――
 
「可南子ちゃん、面白いこと思いつくのね」
 由乃がそう言って、天井を仰ぐ。
「由乃さまは、令さまと毎年一緒じゃありませんか」
「そうなのよ。だから、そういう新鮮な歓びがないのよね」
 瞳子が何か言いたそうに様子を伺っている。
「私も可南子の真似しようかな」
 乃梨子が言うと、志摩子が申し訳なさそうに微笑んだ。
「嬉しいけれど、新年は家の手伝いで忙しいと思うの」
「あ……」
「ううん、大丈夫よ。乃梨子に会う時間ぐらい、どうにでもなるわ。このお正月は、兄も一旦戻って来るみたいだし」
「志摩子さん、無理はしないでよ、私なんかのために」
「乃梨子。そんな言い方は良くないわ。“なんか”じゃなくて、乃梨子は大切な私の妹なのだから」
「志摩子さん……ごめんなさい」
「もうそんな言い方はしないでね」
 いつものように二人の世界に入っていく白薔薇姉妹。いつものことなので皆は日常茶飯事としてスルーしている。
 何事も無かったかのように会話を再開する由乃。
「そういう楽しみのある可南子ちゃんが羨ましいし、そんな風にしてもらえる祐巳さんが羨ましいわ」
 ちらり、と視線を瞳子に向ける由乃。
 瞳子はその視線に気付くと、慌てて首を振る。
「お正月はお客様がとても多くて、その応対に大忙しなんです。それに、お母さまやお父さまに挨拶をしないなんて、そんなことはさすがに……」
「うん。それはわかってる」
 血が繋がっていないとかそんなこととは関係なく、瞳子が母親を大切にしていることは由乃にもよくわかっている。だから、正直期待していないと言えば嘘になるけれど、無理をさせることは出来ない。これが令相手ならいくらでも暴走して引きずり回すのだろうけれど。
 瞳子は何も言わず考え込んでいる。
「あの、お姉さま?」
「どうしたの? 瞳子」
「一日にお伺いしてもよろしいですか?」
「お家のことはいいの? 瞳子の気持ちは嬉しいけれど、無理をしちゃ駄目よ?」
「はい。途中で抜け出すぐらいは大丈夫ですわ。可南子さんみたいに、年の最初の挨拶の一番をお姉さまにすることは出来ませんけれど……」
 由乃が瞳子の手を取った。
「馬鹿ね。そんなことでしょげないの。可南子ちゃんは可南子ちゃん。瞳子は瞳子でしょう?」
 瞳子はじっと考え込んでいる。
「それにね、私は、私と同じイケイケの瞳子が好きなの」
 ポンッと音を立てたように、瞳子の頬が赤く染まる。
「だから、くよくよ考える瞳子は見たくない」
「は、はい。お姉さま」
「うん。良くできました」
 瞳子の縦ロールの先っぽを摘んでふるふると振るわせ、由乃は笑った。
「それでこそ、私の妹よ」
 
 そして今、瞳子はバスに乗っている。
 車を使っても良かったのだけれど、運転手は今日はお休みだ。家の者も今日は車を使う予定などない。だから、久し振りにバスに乗った。
 年末に遠回しに尋ねてみると、お父さまは少し渋い顔をしたのだけれどお母さまはすぐに賛成してくれた。
「ステキね。ロマンティックね。瞳子ちゃんらしいと思うわ」
 お母さまがそう言うと、お父さまも強く反対することは出来ずに、結局瞳子は正月の朝から外出することが出来るようになったのだ。
 だから、瞳子は張り切っていた。
 今日訪れることは既に予告してある。時間はいつでもいいと言っていたので、問題はない。
 ――今年最初のご挨拶はお姉さまに。
 駅前で、バスを降りて乗り換える。ここからはリリアン行きのバスに乗って、リリアンを通り過ごせばいい。
 乗り換えようとして、バスの窓に映った自分の姿がふと気になる。
 何かが髪に付いているように見えるのだ。通りすがりに付いたゴミかも知れない。
 瞳子は駅のトイレに入って鏡で確かめる。
 何も付いていない。気のせいだったか、それともすぐに取れてしまったか。
 少し鏡で確認していると、見覚えのある顔が鏡に一瞬写る。
 先生だ。こちらには気付いていない。
 瞳子は気付かれないようにさっとトイレを出ることにした。ここで顔を合わせて、知らんぷりは出来ない。新年の挨拶をしないわけには行かない。
 そこまでする必要はないのかも知れないけれど、瞳子は思わず足音を忍ばせていた。
「あ」
「あ」
 可南子がいた。
 可南子も驚いている。よりによって、駅前で会うなんて。
「……ごきげんよう」
「ごきげんよう」
 挨拶はそれだけ。互いに相手が何のためにここにいるかがわかっているから、それ以上の挨拶はしない。
 そのままトイレに入っていこうとする可南子を瞳子は止める。
「可南子さん、中に先生がいらっしゃるの」
 可南子もすぐに理解した。
 二人はそっとその場を離れる。
「バス待ちですの?」
「ええ。瞳子さんも?」
「ええ。バスがこんなに来ないなんて」
「休日ダイヤなのね。リリアン方面行きは休日と平日で全然違うわよ」
「可南子さんは、祐巳さまの所へ行くのでしょう?」
「勿論。だけど、こっちも休日は便数が少ないわ」
「不便ですわね、バスって」
「仕方ないわ。休日は利用者も少ないんですもの」
「お母さまかお父さまがいらっしゃればタクシーでもつかまえますのに」
「財布でも忘れたの?」
「自分で働いているわけでもない高校生が一人でタクシーに乗るなんて、贅沢過ぎですわ」
「……ごめん」
「どうかしましたの?」
「少し、瞳子さんのこと見くびっていたみたい。ごめんなさい」
 タクシーのことだと、瞳子は納得した。
「そうね。お金があるんだから好きなように乗ってもいい。そういう風には育てられなかったから。…うん、そういう風に育てられた子も知っているけれど。少なくとも私や優お兄さま、祥子お姉さまは違う」
「……祥子さまのことは、わかるような気がするわ。私にとっては、瞳子さんや瞳子さんのお兄さまよりも近いもの」
「あら、祥子お姉さまより私の方が可南子さんとのつき合いは長いと思っていたのですけれど?」
「長さじゃないわ。祥子さまは、私のお姉さまのお姉さまよ? 外様の私が言うのもおかしいけれど、リリアンの姉妹制度って深い繋がりなのね」
「確かに。ちっちゃな時から懐いていた親戚の妹よりも、ロザリオ渡した妹ですもの」
「あら、今さらヤキモチ?」
「せめてこれくらいは妬かせて頂きますわ。今となっては私だって、祥子さまよりもお姉さまの方が大事ですけれど」
「なによ。結局は惚気じゃない」
「お互い様ですわ」
「どこが……」
 言いかけた可南子の言葉が止まり。瞳子は首を傾げる。
「どうし……」
 可南子の視線を追った瞳子も同じく絶句。
「あれ、たしか……細川さん?」
 聞き覚えのある声に、
「あ、瞳子ちゃんもいる」
 こっちは語尾にハートマークが付きそうな浮いた声。
「あ、どうも、細川さんに松平さん!」
「正月から眼福眼福」
 ざわざわと突然聞こえる男達の声。
 少し固まりかけた可南子を落ち着かせるように、瞳子は可南子の手を握る。
「可南子さん、落ち着いてください」
 可南子の男嫌いは完治したわけではない。故のない男性憎悪は確かに無くなったけれど、もともと父親以外の男嫌いの気はあったのだ。
「お、お、落ち着いているけれど」
 明らかに動揺している口調で答える可南子を、瞳子は後ろ手に庇う体勢になった。間に自分が入れば少しは落ち着くだろうという考えだった。
 その二人に向かって近づいてくるのは、花寺生徒会の面々。
 可南子にとってはお姉さまの実弟である福沢祐麒や、見た目は女の子らしい(そして今日も何故か振袖姿)有栖川金太郎はまだしも、小林正念や高田鉄までがいる。
 そういえば優お兄さまが花寺の面々と初詣に行くかどうか迷っていた、と瞳子は突然思い出す。
 そして、こうなっては逃げられない。この場で踵を返して逃げ出すのはどう考えても怪しすぎる。さらにはどう考えても失礼だ。
 そして、そして、この状況で新年の挨拶をされないわけがない。そうなれば、挨拶を返さないなんて無理だ。
 瞳子の絶望的な表情は、可南子の同じような表情と向き合う。
 新年最初の挨拶が、よりによって花寺相手。
 可南子に至っては絶望どころか死人の顔色だ。
 こんなことなら、素直に家族相手に済ませておけば良かった。そうやって後悔していると突然、可南子が瞳子の肩に手を置いた。
「瞳子さん!」
「え?」
「あけましておめでとうございます」
「え?」
「今年もよろしくお願いします」
「え、え?」
 なんでこんな時にいきなり……と、考えて瞳子は気付いた。
「あけましておめでとうございます」
 瞳子も挨拶を返す。
 そうだ。瞳子の一番最初の挨拶が可南子。可南子の一番最初の挨拶が可南子。
 親でもお姉さまでもないけれど、花寺が一番になるよりは全然マシだろう。
 二人がそれぞれに挨拶を済ませたところで、花寺の面々がゆっくりと近づいてきた。
「あけましておめでとうございます」
 生徒会長の祐麒が代表して挨拶。可南子と瞳子は、落ち着いて礼を返す。
 
 そしてバスの中で、可南子はむう、と頬を膨らせていた。
 悔しさと情けなさで。
 新年最初の挨拶がお姉さま相手でなかったことが本当に悔しい。こんなことなら、無理をしてでもタクシーでも何でも使えば良かった。
 だけど、今さらどうしようもない。新年最初の挨拶は終わってしまったのだから。
 でも――。
 
 ――せめて、可南子さんで良かったですわ。
 瞳子はバスに揺られながら、心の中で呟いていた。
 うん。悪くない。新年最初の挨拶が可南子でも、悪い気分じゃない。
 誰に言われても、そんなことは絶対に認めないのだろうけれど。
 
 
 
 
あとがき
 
 
 
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