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SWEET&BITTER
〜粒チョコの波紋〜
前編
 
 
 乃梨子が平謝りに謝っている。
「ごめん、本当にごめん。瞳子」
 これほど謝り倒している乃梨子を見るのは、さすがの瞳子も初めてだった。
「謝っても仕方ないのかもしれないけれど、本当にごめん」
 何度目かの「本当にごめん」を繰り返したところで、瞳子は乃梨子を止めた。
「もうやめてください、乃梨子」
 なにしろ、乃梨子が謝っている場所は校舎の入り口前、そして時間は放課後とは言っても終礼直後。目立つことこの上ない。現に何人かの生徒がひそひそ言いながら通り過ぎていく。
 こんなふうにして目立つのは、さすがの瞳子でも怖気をふるう。
「とにかく、相手が他ならぬ白薔薇さまなのですから、仕方ないとあきらめますわ。相手が白薔薇さまでさえなければ、乃梨子は私との約束を優先してくれていたはずだと思うし」
 乃梨子が謝っているのは瞳子との約束を一方的に破棄してしまうからだった。
 その約束とは、お菓子作りのレクチャーである。
 瞳子にお菓子作りを教えるという約束を、乃梨子は交わした。ところが、うっかりしていたことにその日にはすでに先約があったのだ。その先約の相手が志摩子さんなのだから、乃梨子がどちらを選ぶかは瞳子でなくともわかる。
 乃梨子にしては珍しいポカなのだけれど、瞳子との約束は「明後日の土曜日」と曜日指定。志摩子さんとの約束は「○月○日」と日付指定。それでうっかりしてしまったのだ。
「うん。それでね、瞳子さえよければ、お菓子作りは他の人に教えてもらうって事で…」
「仕方ないですわね。他の当てを探しますわ」
 他の当てなんてあるわけがないのだけれども、ここでそう言っては乃梨子が困ってしまうだろう。瞳子は仕方なくそう言う。
 こうなったら、由乃さまの伝手を頼って令さまに教えを請うか。
 令さまのお菓子作りの腕は現山百合会でも伝説とされている。たまに由乃さまや菜々ちゃんが託されて持ってくるお菓子は、本当に美味しい。直接令さまの姿を見たことのない乃梨子の妹などは、令さまとはプロのパティシエに違いないとまで信じているのだ。
 一応、直接の面識はあるし、頼めば快く教えてくれるとは思うのだけれども、何となく気後れがしてしまう。令さまはすでに大学生の身。それもリリアン大ではなく他大学だ。言ってしまえば瞳子との細い縁などとっくに切れているのだから。
 かと言って、自分の妹もお菓子作りの腕は期待できない。調理実習でケーキを作ったからと、得体の知れない真っ黒くろすけを食べさせられたことは一生忘れないだろう。なにしろ、あのお姉様が一口食べると言ったのだ。
「私はいいから、瞳子が全部お食べなさい」
「お姉さま、それはいけません、せっかく作ってくれたものを」
「だって、これは瞳子のために作ったケーキだよ?」
 見ると、妹はうんうんとうなずいている。目をうるうるさせながら。
「はい。祐巳さま。私、お姉さまのために一生懸命作りました」
「それは食べなきゃかわいそうだね、瞳子」
「きちんと食べるべきです、瞳子さま」
 きっぱりと断言した乃梨子と菜々の目が笑っていたことも、瞳子は絶対に忘れない。
 だから、瞳子はヴァレンタイン前に予防線を張っていた。有名どころの市販品の名前を挙げてリクエストしたのだ。
「ロイズのクランチチョコが欲しいの」
 妹はわかったと言ったのでこれは安心できる。次の問題は自分自身の腕だった。
 瞳子自身も、お菓子作りの腕はそれほど高くない。というより低い。だからこそ今年は乃梨子にレクチャーを受けて、お姉様に手作りのチョコをと密かに決意していたのだ。
 ちなみに、乃梨子の腕も入学当初は人並みだったのだけれど、今では志摩子さまのおかげでかなり上がっている。
 しかし、乃梨子に教えてもらう目算はこれで狂ってしまった。
「あ、ピンチヒッターはもうお願いしたの」
「え?」
 誰だろう。
 乃梨子からなら、令さまに頼むこともそれほど難しくない。令さまの卒業間際に祐巳の妹になった瞳子と違って、乃梨子は入学してすぐに山百合会で活動していたのだから、直接の面識もたっぷりとある。
「ちょっと、乃梨子! 教える相手って瞳子なの?」
 この声は…。
 頭上から聞こえてくる声に、瞳子は振り向きながら見上げる。
「…可南子…だったの」
「貴方も知らなかったの?」
「乃梨子に断られるのだって今知ったんですから」
 大仰にため息をつきながら、可南子は乃梨子をにらみつける。
「相変わらず人が悪いわね、乃梨子」
「あなた達二人にだけは言われたくないけど」
 乃梨子は二人を見比べると、腕を組む。
「それで、どうなの、可南子? 相手が瞳子だと嫌?」
「別に、構わないわ。ただ、驚いただけよ」
「瞳子はどうなの?」
「構いませんわ。急に言われたので慌てただけですから」
「じゃ、決まりね。後は若い二人でよろしく」
 同じ年だろ、と突っ込まれながら退場していく乃梨子。
「仕方ないですわね。可南子、せいぜいよろしくお願いしますわ」
「ええ。勿論」
 先ほどまでとは違う意味で注目を集め始める二人。
 実はこの二人には、リリアンでも珍しい称号がつけられていた。
 毎回何らかの物議を醸し出す新聞部のアンケートで、とあるとんでもない企画が持ち出された(噂では、発案者は編集長の高知日出美だという)。
 その投票結果としてこの二人は…
 二年生部門での、「お姉さまになってほしい同級生第一位・細川可南子」と「妹にしたい同級生第一位・松平瞳子」となったのだ。ちなみに「敵に回したくない同級生第一位・二条乃梨子」というのもある。(余談ではあるが、三年生部門ではそれぞれ「藤堂志摩子」「福沢祐巳」「島津由乃と武嶋蔦子の同率一位」となっている)
 つまり、「お姉さま第一位」と「妹第一位」のそろい踏みなのである。注目を集めない方がおかしいだろう。
「それじゃあ、土曜日に私の家でいいかしら?」
「可南子の家で?」
「何か不満? そりゃあ、松平家の台所に較べれば設備は劣っているかも知れないけれど…」
「いえ、そうじゃなくて…私のほうが教えを請うのに、台所まで借りては申し訳ないと思って」
「土日と母がいないから、二人きりになれるのよ」
「え…」
 ここまで視線を合わさずに会話していた二人が、瞳子の声をきっかけに顔を見合わせる。
「二人っきり?」
 覗き込むような瞳子の視線に、可南子は傍目からもわかるほど慌てている。
「な、なによ。誤解しないでよ。別に二人きりになりたいって言う訳じゃないんだから」
 あたふたとしながら言葉を続けた。
「台所を独占しても誰の迷惑にもならないってことよ。瞳子の家だと、いくら設備が整っていても独占というわけにはいかないでしょう」
 流しを一つくらい独占しても食事の支度には何の支障もないどころか、実は台所が複数あるのだけれど、瞳子は黙っておくことにした。
 二人きり。可南子と二人きりの是非は置いても、他の人がいないと言うのは気に入った。正直、自分の家で習うとすれば家の者や使用人の目が気になるのだ。
「そうですね。ではお言葉に甘えて、土曜日にお伺いいたしますわ。時間はいつ頃がよろしいです?」
「そうね、お昼前に来てもらおうかしら。お昼御飯を食べてから、始めましょう」
「それじゃあ、土曜日に」
「ええ」
 
 
 二年生になってもクラスメートのままなのだから、瞳子とは毎日顔を合わせている。だからこそ却って気付かないのかもしれないけれど、一年の終わりがけからの瞳子は本当に表情が明るくなった。
 それまでも決して暗いというわけではなかったのだけれど、今の瞳子を見ていると、それまでの明るさは無理に作られていたものではないかと思えるのだ。そんな風に見えてしまうほど、祐巳さまの妹になってからの瞳子は変わった。
 乃梨子や可南子による有形無形のサポートの成果もあって、クラスメートとの軋轢は徐々に無くなっていった。でも、一番力を発揮したのはやっぱり瞳子自身の変化だったのだ。
 今の瞳子は、時々ドキリとするほど可愛らしく見える。
 二人っきり? と上目遣いに尋ねられたとき、可南子は危うい想いを一瞬浮かべてしまった。
 すぐに打ち消してすぐにいつもの態度を取り戻したのだけれど、しばらくは動機が収まらず、普段以上につっけんどんな態度を取ってしまった。
 祐巳さまや夕子さんとは違う。当たり前なのだけれど、二人と瞳子は違う。そんな当たり前のことが、何故か可南子には深いことのように思える。
 瞳子が可愛らしい。それは別に強いて否定するようなことではない。客観的に可愛いのだし、それは二年生の大多数が認めているのだから。
 それでも可南子は、その事実を懸命に頭から追い出そうとしていた。
 それは、とても不自然なことなのに。
 
 そして、瞳子もその頃――
 
 二年生になってもクラスメートのままなのだから、可南子とは毎日顔を合わせている。だからこそ却って気付かないのかもしれないけれど、一年の文化祭を終えてからの可南子は本当に表情が明るくなった。
 可南子がそうなれば、持ち前の長身とルックス、そして運動神経ですぐに人気を集めてしまうのは当然といえただろう。今の二年生の山百合会以外では、内藤笙子と人気を二分している状態なのだ。
 可南子の人気は、ある意味では二年上級のミスターリリアンこと令さまの人気にも似ていた。
 ただ、令さまと違うのは可南子はあくまでも“少女”であって、ある種の中性っぽさを持っているわけではない。あくまで女性らしさの延長として凛々しいのだ。
 同級生からも「お姉さまになって欲しい」と言われてしまうのが、可南子の人気の質を物語っている。
 その可南子に真正面から「二人きり」と言われた瞬間、瞳子は頬が染まるかと思った。
 始めて会う相手ではない。毎日顔を合わせているクラスメートだというのに、淡々と事実を告げる冷静な口調は普段とは違う魅力があって。まるで、このまま手を伸ばされたら受け入れてしまいそうな危うさを瞳子は感じて、一瞬後にそれを慌てて頭の隅に追いやった。
 この調子では、家まで行ってしまうとどうなることやら。そんな風に考える自分に瞳子はちょっと驚いた。逆に考えると、そうやって思えること自体は健全なのかも知れない。本気で身を案じるのなら、そもそも家に行かないという選択肢もあるのだから。
 
 二人がそんな風に思っていても、勝手に時間は過ぎていく。
 そして、土曜日――
 
 
   −続−
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