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夏の暑さの一時に
 
 
 蝉が鳴いている。
 じっとしているだけでも汗ばんでくる暑さ。これでもせめて湿度が低いのなら、日陰に入っていればそれなりに快適なのだけれど。哀しいことに日本の夏の蒸し暑さは先進国でもトップクラス。
 湿度は、どこにいてもあまり変わらない。
 こんな時はクーラーでキンキンに冷やした部屋で涼んでいるに限る。
 だけど、薔薇の館にクーラーはない。
「暑いわね」
 可南子は無意識に窓際に近づいた。だけど、無風状態ではただ単に直射日光に近づくだけのこと。熱源に近づいただけのような気がして、すぐに窓から離れてしまう。
「あまりうろうろしないで下さい。暑苦しいですから」
「…瞳子さんの髪型には負けるわ。この暑いのに良くやるわね、その縦ロール」
 瞳子にとって自慢の縦ロールを貶されるのは、こんな状況でもカチンと来るものらしい。
「可南子さんだって、人のことは言えません。長い黒髪なんて、暑そうなうえに重そうです」
 可南子にとっても、お母さん譲りのこの黒髪は自慢だ。
「失礼ね」
「先に言ったのは可南子さんです」
「私は髪型のことを言ったの。瞳子さんは私の生まれつきの髪の色を言ったじゃありませんか。瞳子さんの方が失礼です」
「いい加減にしなよ」
 この場では一番こざっぱりとした髪型。おかっぱの乃梨子が二人を睨みつけている。
「最近仲が良くなったと思ってたら、よりによってこんな暑い日に喧嘩? やめてよね」
「仲が良いってどういう事?」
「そうですわ」
 乃梨子がニヤリと笑う。
「ふーん。まだ気づいてないと思ってたんだ。あのね、真美さまに頼んで熱愛スクープを差し止めたのは祐巳さまだって気づいている?」
「なっ!」
「そ、そんな…」
「…っていうジョークを真に受けると言うことは噂は本当だったワケね。はいはい、この暑い最中にお熱い事ね」
 固まる二人。乃梨子のニヤニヤが止まらない。
「判ったら、喧嘩…痴話喧嘩かな? とにかく喧嘩なんて暑苦しいことしないで、出て行ってくれる? というか、自動販売機でも行って、冷たい物飲んでクールダウンしてきなさい」
 二人はおとなしく外に出た。
 志摩子さまが来ないことでフラストレーションの溜まっている乃梨子も恐いのだけれど、クールダウンしろという乃梨子の言葉が至極真っ当に思えたのだ。
 いや、それよりも、今の乃梨子の手腕が恐かった。
「そうね。そうするわ」
「悪いけど乃梨子、休憩させてもらいますわ」
「ええ。行ってきて。どうせこの暑さじゃ仕事なんてはかどらないし」
 
 薔薇の館からミルクホールへ。
 そして、ミルクホールから薔薇の館へ。
 帰り道、可南子はブツブツと呟いている。
「……可南子さん、しつこい」
 可南子の呟きは止まらない。
「いい加減にしてください」
 やっぱり止まらない。
「財布を薔薇の館に忘れたのは、可南子さんも一緒じゃないの」
「…瞳子が忘れるとは思わなかったわ」
 二人きりだと名前は呼び捨てになる。
「だから、お互い様です!」
「叫ばないで、余計暑いわ」
「それでは、ブツブツと文句を言い続けるのも止めて下さい」
「わかったわよ」
 可南子の方もそれ以上の言い争いを続ける気力を失っていた。
「あ」
 瞳子の指さした先をノロノロと目で追う可南子。
「あ」
 そこには大きな木。つまり木陰。
 木陰には座り心地の良さそうなベンチが置かれている。
「あそこで座っていきましょう」
「そうね」
 薔薇の館へ戻っても、クーラーも扇風機もない場所では暑さがどうにかなるわけではない。
 かといって財布を持ってもう一度戻っていくというのも、考えただけでゾッとする。
 木陰で休む。イメージとしては最良だ。
 二人はフラフラと引き寄せられるように木陰にはいる。
「あれ?」
「ふーん」
 想像以上に木陰は快適だった。心なしか湿気も和らいだように思えてくる。
 逆に、ベンチは目で見えていたよりも小さいような気がする。遠目には三人がゆっくり座れそうに見えた。実際は二人でゆったり座ることはできるけれど、三人は無理だろう。
 瞳子が背もたれに持たれると、そのままズルズルと滑って可南子にぶつかってしまう。
「瞳子、重い」
「失礼ね。そんなに重くありません」
「じゃあ、暑いわ」
「我慢して下さい」
「瞳子だって暑いでしょう?」
「暑くても、可南子さんですもの」
「…!」
「なんだか、体温が上がったような気がしますけれど、可南子さん、照れてますの?」
「馬鹿」
「馬鹿ですわ」
「そうよ」
「ええ、馬鹿も馬鹿。貴方みたいな人とつきあってるなんて、本当に瞳子はお馬鹿さん」
「…夕子さんも馬鹿だったし、祐巳さまだって馬鹿だったわ…」
「人のお姉さまを馬鹿呼ばわりしないでください」
「私はいつも、馬鹿な人が好きみたい」
「…」
「瞳子? 体温が上がった? 照れてるの?」
「知りません!」
 プイッと横を向いて、それでも可南子にもたれた背中はそのままに。
 クスクス笑いながら、可南子は瞳子の身体が楽になるように体勢を入れ替える。
 ぷいと横を向いたまま、それでも瞳子は可南子の動きに合わせて姿勢を変えていた。
 木陰を通り過ぎる風。可南子の髪が微かに揺れる。
「ようやく、風が出てきたのね」
 ちょうど自分のお腹のあたりにはらりと流れている縦ロールを見下ろして、可南子は呟いた。
 聞こえるのは風の音。
 瞳子の寝息。
 可南子はゆっくりと瞳子の頭を抱きしめ、膝枕の体勢にする。
 そしてハンカチを取り出すと、瞳子の額に浮いた汗を優しく拭く。
「じっとしていても汗はかくのね」
 鼻の頭に浮いた汗をふき取ろうとして、可南子は手を止める。
 膝の上には瞳子の寝顔。
 とても無防備。
「油断大敵よ、瞳子」
 
 
 瞳子の鼻の頭はしょっぱい。と可南子は思った。
 
 
 
あとがき
 
 
 
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