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太陽
 
 
 
 太陽は眩しすぎる、と瞳子は思った。
 眩しすぎて、真正面から見る事なんてとても叶わない。
 だから背を向けて、地面を見る。そこには、太陽に照らされた自分の影がある。
 真っ黒な影が。
 太陽は見えないけれど、太陽に照らされた自分の影ならいくらでも見ていられる。
 それで構わない、と瞳子は思っていた。
 太陽なんて、直接見るものじゃない。そんなことをすれば、目が潰れてしまうもの。
 眩しいものから一歩離れて、光の届かないところから眺めればいい。それができないのなら、見なければいい。
 太陽は眩しすぎる。
 だというのに、どうして自分は太陽にこんなに近づいてしまったのだろう。
 
「瞳子?」
 祐巳さま―お姉さまの声が聞こえて、瞳子は閉じていた目を開いた。
「何してるの?」
「いえ、ちょっと考え事を」
 瞳子の座っていたベンチの隣に、お姉さまが並んで座る。
 思わず、瞳子は立ち上がった。
「あれ?」
 残念そうにお姉さまは首を傾げる。
「こんなところで油を売っている場合ではありませんわ、早く、薔薇の館へ参りましょう」
「待ってよ、瞳子」
 伸ばしてきた手が瞳子の手を掴もうとする。
 ――だって太陽は、眩しすぎるから
 瞳子は後ろにあった手を引っ込める。お姉さまの手が空を掴んだ。
「さあ、参りましょう、お姉さま」
 ――眩しすぎるから、直接見ることはできない
 ――だから顔を向けたりはしない
 
 
 中庭の古い温室で、祐巳さまがポツリと言った。
「私、瞳子に嫌われちゃったのかな…」
 それはない、と乃梨子と可南子は同時に思った。
「それはないです」
「ありえませんね」
 答えもほとんど同時。乃梨子と可南子はお互いの顔を見合わせる。
「可南子さん、凄い自信ね」
「乃梨子さんこそ、言い切ったわね」
「そりゃあね」
 乃梨子は大袈裟に肩をすくめる。
「あの瞳子が、祐巳さまのことを嫌いになる? そんなの、リリアンが男子校になるくらいあり得ないわよ」
「そんなキモ恐ろしい想像をさせないでください」
「ま、例えだから」
「あり得ないことなら、他にいくらでもあるでしょう。『乃梨子さんが志摩子さまと別れるぐらいあり得ない』とか、『由乃さまが有馬さんを諦めるくらいあり得ない』とか」
「後者はまだしも、前者は物の例えだとしても却下よ。それだったら、『可南子さんがボーイフレンドを作るぐらいあり得ない』のほうがいい」
「だから、キモ恐ろしい想像をさせないでください」
「あの…二人とも、盛り上がっているところ悪いんだけど…」
「なんですか、祐巳さま」
 可南子が真っ先に祐巳さまの相談相手に戻った。乃梨子は少し遅れてしまう。
「…とにかく、瞳子が祐巳さまを嫌いになるなんて考えられませんよ。気のせいです」
「だったらいいんだけど…最近微妙に避けられているような気がするの。乃梨子ちゃん、何か気付かない?」
 乃梨子は少し考える。実は、心当たりがないわけでもないのだ。
「まあ、確かに、最近瞳子と祐巳さまの様子がなんだかぎこちないなぁと思っていましたけれど…」
 古い温室は、いつの間にか薔薇の館専用の避難所のようになっていた。何か相談事があると、相談者は相談したい相手を連れてここにやってくるのが不文律だ。もっとも、そのほとんどは祐巳さまなのだけれど。
 祐巳さまは、最近の瞳子がだんだん自分に冷たくなっているのではないかと思えて仕方がないらしい。そこで、瞳子と親しい二人を呼んで相談しているのだ。
 乃梨子は最初、その手の相談に可南子を呼ぶのはさすがにどうだろうと思ったけれど、どうやら可南子自身はとっくに吹っ切れているらしい。
「だけど、冷たいとか嫌っているとか言うよりも、どちらかと言えば初々しいぎこちなさに見えるんですが…」
 ああ、と可南子がポンと手を叩く。
「確かにそんな感じね。決して嫌っているようには見えないわ。乃梨子さんの言うとおり」
 そして、
「そういえば、何か妙なことを言っていたわよ、瞳子さん」
 妙なこと? と聞き返す乃梨子。祐巳さまは二人のやりとりを真剣に眺めている。
「……何の話だったかしら……確か……ああ、笙子さんがカメラの被写体を探していたのよ。ちょうどそこにいた私と瞳子さんがモデルを頼まれたのだけど…、間違えてフラッシュを焚いてしまって…それで…そのまま話しているうちに…」
『…祐巳さまは、眩しすぎるの』
「眩しい?」
 首を傾げる祐巳さま。
「ええ、確かにそう言ったと覚えています」
「私が眩しいって…」
 おでこに手を当てる祐巳さまに、乃梨子は首を振る。
「いや、多分、物理的な意味じゃないと思います」
「祐巳さまが眩しいというのは、私もわかる気がします」
 可南子が言うと、さらに祐巳さまは首を傾げてしまう。
「花寺に行く前までの祐巳さまは、私にとっては輝いているように見えていましたもの」
「可南子ちゃん、それは…」
「ええ、わかっています。だけど、瞳子さんにとっては、あの頃の私にとっての祐巳さま以上に、今の祐巳さまが眩しいのかも知れません。なんといっても、祐巳さまは瞳子さんのお姉さまになったんですから」
 それに、と可南子は寂しそうに続ける。
「瞳子さんが眩しいと感じているのは、祐巳さまの本当の中身だと思います。私のような思いこみじゃなくて、本当にきちんと向かい合った人だけがわかる祐巳さまの中身ですよ」
 
 結局、瞳子が慣れるしかない。
 それが乃梨子と可南子の結論だった。
 瞳子が眩しいと感じているのは、過去の色々な行き違いを恥じたり後悔している証拠なのかも知れない。だったら、変に誤魔化したりしない方がいい。
 たっぷり恥ずかしがればいい。たっぷり後悔すればいい。
 そして、ゆっくり姉妹の関係を築いていけばいい。
 瞳子にはその資格ができたのだから。あとは、本人の覚悟だけ。
 もちろん、それをそのまま祐巳さまに告げるわけにもいかない。
 祐巳さまには、祐巳さまの「姉としての」やり方があるはずだから。それをどうこうすることなんて、蓉子さまや祥子さまですら許されないことだろうから。
 乃梨子と可南子は見守るだけ。
 眩しさに顔をしかめる瞳子を。
 いつの間にか、眩しさを暖かさと感じ始めるだろう瞳子を。
 
 
 
 
あとがき
 
 
 
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