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笙子のライバル?
 
 
 内藤克美は我が目を疑った。
 目の前には、妹の笙子がいる。
 ここは我が家。そして今日は休日。だから、妹が目の前にいるのは別におかしいことではない。
 だから、それに関しては驚かない。
 問題は、笙子の頭が自分と同じ高さにあることだった。
 妹の背は自分より低い。だから、普通に立っていれば同じ高さに頭があるわけがない。
「何馬鹿なことやってるの? 笙子」
 思わず、克美はきつい言葉を投げかけていた。
「馬鹿じゃないもん」
「じゃあ、何やってるのよ」
「これは……」
 克美でなくても疑問の一つは言いたくなる。笙子は、居間の鴨居にぶら下がっていたのだ。
「ちょうどいいわ、お姉ちゃん。抱きついてもらえる?」
「はあ?」
「抱きついて欲しいの」
 抱きついてといわれても。
 うん、我が妹ながら可愛らしさでもリリアンでも一二を争っているはずの美少女にそう言われるのは嬉しいのだけれど。だけど、いきなり抱きついてと言われて「はいそれじゃあ」と抱きつくはなんだか違う。
 物事には順序というものがあって、この場合だと……そう、「お姉ちゃんっ!」等といいながら笙子が駆け寄ってきて……。
 いや、そうじゃなくて。
「よく、わからないんだけど」
「いいから」
 おずおずと、克美は笙子を抱きしめた。
 とっても柔らかい。
「あの、お姉ちゃん、そうじゃなくて」
「え?」
「もっと下。下。抱きついて、ぶら下がるみたいに」
「は?」
「下から、ぶら下がって引っ張って」
 つまり、鴨居にぶら下がっている笙子を下から引っ張れと。
「笙子、何がしたいの?」
「伸ばしたいの」
「背筋?」
 そう言えば昔、ぶら下がり健康機というのがあったとお父さんに聞いたことがある。なんでも、高いところからぶら下がるだけで背筋が伸びて健康になるという謳い文句の健康器具で、異常なまでに流行ったらしいのだけれど。
 もしかして、その健康法がリバイバルしているのだろうか。
「違う。身長よ」
 つまり、文字通り身体を伸ばしたいと言うことか。
「何でまたそんなことを」
 そう言っている内に、疲れたのか笙子は一旦床に降りる。
「背を伸ばさなきゃならないの」
「どうして」
「蔦子さまを可南子さんに取られたくないの!」
「は?」
「だから、背を伸ばさなくちゃならないの」
 ぽつりぽつりと、笙子は学校での出来事を語り始めた。
 
 
 蔦子さまからロザリオをいただけない。それが今のところなのか、それともこれからもずっとその状態が続くのか。
 それはわからないけれども、笙子にとってはどちらでも良かった。ロザリオの有無で蔦子さまに対する気持ちが変わるわけもないし、蔦子さんのロザリオを渡したい相手が自分以外にいるというわけでもないとわかっているから。
 ところが……
 ある日、笙子が部室へ行くと誰もいなかった。もともと、部室にこもって何かを行うという部活内容ではないのだけれど、全くの無人というのは珍しい。
 一人で被写体を探すのもいいけれど、蔦子さまを待ってみようかな、などと考えながら見るともなく部室の中を見渡していると、何となく気になることがある。
 汚い。
 とはいっても、例えば花寺の写真部などと較べればそれこそ上流階級別荘地とスラム街のゴミ捨て場ぐらいの差があるのだけれど。それでも笙子の目には部室が汚れているように見えた。
 そこで、軽く掃除をしてみようと思い立つ。どうせ、部室の掃除は一年生の役割なのだ。
 片隅からそそくさと掃除を済ませていくと、自然と暗室の中へと入っていくことになる。
 ごそごそと暗室の中へ入っていくと、ちょうど背後から人の声。笙子が暗室へ入るのと入れ違いに誰かが入ってきた。
 一人は紛れもない蔦子さまの声。
 もう一人は、これも知っている。祐巳さまの声だ。
 この二人なら、と悪戯心を出した笙子は暗室の中で息を潜める。機を見て出て行けば、蔦子さまがどんな顔をするか。幼稚っぽいとは思うけれど、それを想像しただけで笙子は溜まらなく楽しくなってくる。
 が、しかし…
「蔦子さん、結局、妹持たないままに三年生になっちゃいそうね」
「そうね。別に欲しいと思ったこともないし、私は祐巳さんと違って、妹を持たなければならないっていうプレッシャーもないしね」
 最初にハッキリと聞こえたこのやりとりで、笙子は固まってしまう。
 蔦子さまの妹について。あまり考えないようにしてきたけれど、とても興味のある内容。
「それに、祐巳さんみたいに下級生に大人気でもないしね」
「そんなことないよ…。蔦子さんだって、その気になれば人気は出るのに」
「嫌われるのは確かに嫌だけど、必要以上の人気も困ったものよ」
「どうして? 蔦子さんに写真を撮ってもらえる、ていうのが一年生では一つのステータスになってるって乃梨子ちゃん達も言っていたよ?」
「記念写真ならそれでもいいし、そういう写真を撮るのもやぶさかではないけれど」
 蔦子さまは大きくため息をつく。
「私は自然な表情の写真を主に撮りたいのよ。写真を撮られるためにいい顔してますっ、ていう顔じゃなくて」
 笙子は、初めて蔦子さまと会ったときの会話を思い出した。
「だから、嫌われても好かれても駄目。普通でいて欲しいのよ」
「贅沢。妹探して右往左往している人が怒るよ」
「それって自分のこと? それとも由乃さん?」
「うー」
 やりこめられた祐巳さまの悔しそうな声。
「じゃ、じゃあさ、蔦子さんは妹にするとしたらどんな子がいい?」
 ムキになっているのが口調だけででわかった。
 こう言っては失礼だけど、祐巳さまというのは可愛い人だな、と笙子は思った。蔦子さま達が大切にするのもわかるような気がする。
「妹を持つ気はないわよ」
「じゃあ、助手。助手なら?」
「助手ねぇ……」
「カメラの腕のある子は?」
「いらない。私が充分に持ってるし」
「えっとそれじゃあ……役に立つ子」
「あのね、祐巳さん。それじゃあ抽象的すぎてわからないってば。第一、何の役に立つのよ?」
「フラッシュ代わりになる」
「光るの!? いやよ、そんな妹。そもそもそれ人間?」
「……いや、江利子さまならあるいは……」
「ああ、あの立派なおでこ……って、何言い出すの祐巳さん。駄目じゃない」
「あはは、そうだよね。江利子さまはとっくに卒業したものね」
「そっちかよっ!」
 なるほど。蔦子さまはああやって突っ込むのか。と笙子はぼんやり聞いている。
「じゃあ……三脚の代わりになる」
「そもそも三脚なんて滅多に使わないわよ、記念写真専門じゃないんだから」
「どんな子がいいの?」
「本末転倒ね……そうね、祐巳さんの言う方向なら……背の高い子かしら」
「背の高い子?」
「ええ。角度をつけて写真を撮ったり、レフ板持たせたり。結構重宝しそうね」
「うーん。背の高い子」
 祐巳さまは考え込んでいる。笙子は気が気ではない。背の高さといわれても、笙子には全くない要素なのだ。
「背の高い子……」
 祐巳さまは長考。そういえば文化祭の時、やたら背の高い一年生が山百合会主催の劇に出ていたような気がする。
「どうしてそこで祐巳さんは可南子ちゃんの名前を出さないかな」
「ああ、蔦子さん、やっぱり覚えてた」
「そりゃ覚えているわよ」
 と、ここで蔦子さんが問題発言。
「私が写真を撮った中で、二番目に多い一年生被写体だもの」
 がん、と頭を殴られたような衝撃。
 蔦子さまが覚えている一年生。それも、写真を沢山撮っている一年生。そして、背が高くて役に立つ一年生。
 笙子は自分の今の地位、蔦子さまの隣で安穏としていられる地位が実はとても脆いものではないかと思い始めた。
 だからといって、この座を安泰にする方法など……。
 一つあった。
 
 
「だから、背が高くなりたいの!」
 話を聞き終わった瞬間、克美の脳裏に浮かんだ言葉。
『恋は盲目』
 まさか、実の妹がここまでお間抜けさんになってしまうとは……。やっぱり勉強しなきゃ駄目なんだ、と克美はしみじみ思った。
 自分が勝手に黄薔薇さまに対抗意識燃やして勉強していたことはこの際忘れた。というか、あれは恋ではない。断じて違う。
 たとえ――
 バレンタインにうっかりチョコレートを準備してしまっていたとしても!
 妹の暴走のせいで渡し損ねたことをこっそりちょっぴり恨んでいたとしても!
 卒業直前に男ができていたことを後から知って愕然としたとしても!
 それが呆れるほどむさ苦しい熊男だったと知って枕を濡らしたとしても!
 せめて同期の紅薔薇さまか白薔薇さま、あるいは支倉さんだったら諦めがついたものを! と思っていても!
「それで、鴨居にぶら下がってたわけね」
「それだけじゃないわ」
 笙子は背を伸ばす努力を朗々と語り始めた。
 曰く――
 カルシウムを取るために小魚を沢山食べる。
 御飯はしらす御飯。おかずは魚。
 朝昼晩と牛乳は欠かさない。
 さらには、牛乳で顔を洗って歯を磨いて、可能なら牛乳風呂に。
「ちょっと待ちなさい。あんた、乳臭くなってどうするのよ」
「ち、乳臭い!?」
「そうよ。乳臭い笙子なんて………」
 克美は言葉を飲み込んだ。
 そして想像する。
 乳臭い妹。
「………っ!!」
 しまった! ちょっと萌えた!
「と、とにかく、馬鹿なことは止めなさい。少なくとも歯磨きと洗顔、入浴に牛乳使っても無意味よ」
「じゃあ……せめて石鹸は牛乳石鹸」
「いや、意味ないし、それ」
「……わかった」
 意気消沈する笙子に、克美は言を続ける。
「本気で身長を伸ばしたいとしても、カルシウムを取るだけでは駄目よ。そもそも食生活で身長を伸ばすなんて、成果が出るのはいつのこと?」
「だから、他の方法も試しているんじゃないの」
「他って、まさか鴨居以外にも?」
「これから試すつもりだけど」
「何を」
「調べてみたんだけど、骨はそう簡単には伸びないみたいなの」
 そりゃそうだろう、と克美も納得する。
「手っ取り早く身長を伸ばすには、関節を広げるしかないのよ」
「……聞いたことある様な気がするけれど、それって外科手術によって身長を伸ばす方法じゃなかったかしら」
 そしてくわえて、激痛を伴うと。
「笙子? 危ない真似は止めなさいよ」
「本で読んだの。関節を外せば身長が伸びるって」
「痛いわよ? 死ぬほど」
「関節を外した痛みは波紋で和らげる!」
「そんなものいつ学んだーーーー!!!! っていうか、あんた何の本読んだのよ!!!!」
「そうでもしないと可南子さんに勝てない……」
「その子は何? 吸血鬼かその眷属? 石仮面でもかぶったの?」
「……違うと思う」
 かなりテンパっている。我が妹ながら、愉快なほどテンパっている。これが他人ならしばらく眺めていて大笑いするところなのだけれど。
 実の妹だ。さすがに何とかしなくてはならない。
「やっぱり無理矢理伸ばすしかないのかなぁ…」
 その結論がおかしい。
 なんとかして、説得しよう。と思った矢先。
「もう一回ぶら下がるわ。お姉ちゃん、下から引っ張って」
 つまり腰に抱きつけと。
 了解。
 克美は制止しようとしたことを忘れた。
「仕方ないわねぇ、少し抱くよ…じゃなかった、少しだけよ?」
「うん………お姉ちゃん、なんか息が荒いよ?」
「気のせいよ」
「じゃあ、行くね」
 椅子を持ってきて、ヨイショとぶら下がる笙子。克美は笙子が落ち着いたのを見て、おもむろに抱きつく。
「…………」
「お姉ちゃん。引っ張って」
「………」
「お姉ちゃん?」
「……」
「…お姉ちゃん!」
「あ、ごめん。うん。わかった」
 克美は、膝立ちになって笙子にしっかりと抱きつく。
「ん……」
 ぶら下がった手に力を入れて、苦悶する笙子。
「くぅ……」
「大丈夫?」
「大…丈夫。続けて…」
 克美はさらに体重をかける。
 みしっ
「え?」
 べきっ
「嘘!」
 みししっ べきっ
「あっ」
「えええっ!?」
 凄まじい音共に鴨居が中央から折れて、笙子の身体が落ちる。
 克美は辛うじて笙子を受け止めるけれど、下敷きになってしまう。
 そこへ、折れた鴨居の破片が。
「きゃあああっ!!!」
 二人の頭上に細かい埃や木くず、欄間の破片が舞い落ちる。
 
 一時間後、帰ってきた母親に二人はこっぴどく怒られた。
 一応、鴨居にぶら下がった理由としては「美容体操の真似をして背筋を伸ばそうとした」ということにしておく二人。
 その後父親が帰ってきて、さすがに女の子二人の体重で壊れるのはおかしいのではないかという話になり、よく調べると手抜き建築だということがわかってひと騒動になったのだけれど、それはまた別の話。
 
 
 次の日、笙子はおでこに絆創膏を貼って登校していた。欄間の破片が額をかすったのだ。
「どうしたの、それ?」
 部活で早速蔦子さまに尋ねられる。クラスでも皆に聞かれたのだけれど、笙子は適当に誤魔化していた。
 だけど、蔦子さまに聞かれると笙子は隠すことが出来ずに全てを言ってしまう。
「ごめんなさい、蔦子さま。盗み聞きなんかして」
「いや、ワザとじゃないんだし…」
 そう言いながら蔦子さまはなにやら難しい顔で考え込んでいる。
 やっぱり、自分は悪いことをしたんだな、と笙子が意気消沈していると、
「多分、事情が事情だから可南子ちゃんも祐巳さんも許してくれると思うんだけれど…」
「なんですか?」
「あのね、可南子ちゃんが写っている写真っていうのは、ほとんど『祐巳さんの後ろの背後霊状態』、つまり祐巳さんのストーカーだった頃に偶然一緒に写っていたものなの。わかる?」
「え…」
「嘘だと思うなら、祐巳さんに聞いてみて。私に聞いたって言えば教えてくれるわ。ただし、可南子ちゃんに聞くのは止めといたほうがいいわよ。それに、他の人にも絶対内緒ね」
「し、信じます!」
「それじゃあついでにこれも信じなさい」
「はい?」
「私は妹を持つ気なんて今のところ無いけれど、どうしても妹を一人選べって言われたら、誰を選ぶかは決まっているの」
 蔦子さまが笙子の絆創膏をちょんとつつく。
「その子はすっごくお馬鹿さんな、でも可愛い子」
「…蔦子さま」
「絆創膏が剥がれそうよ?」
「蔦子さまに、貼り直して欲しいです」
「……ええ。いいわよ」
 
 
 
あとがき
 
 
 
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