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トマトと蒟蒻
 
 
 薔薇の館でのお昼ご飯。
 祐巳は、由乃さんのおかしな様子に気付いた。
 由乃さんは熱心に、乃梨子ちゃんのお弁当箱を覗き込んでいる。
「あの…由乃さま?」
 何事かと箸を止める乃梨子ちゃん。それはそうだろう。楽しいお昼ご飯の時間に突然お弁当箱を覗き込まれたら、驚かない方が珍しい。
「私のお弁当が何か?」
「うん……」
 由乃さんの観察が終わらない。それどころか、何となく表情が厳しくなっていくような気がする。
「乃梨子ちゃん、それ…」
「焼きトマトがどうかしましたか?」
「焼きトマトって健康にイイしダイエットにもなるんだよね?」
「そうなんですか? 実家で母がよく作っていたので、私は結構好物なんです。だからたまにお弁当に入れるんですよね」
「へえ、そうなんだ」
 何故か由乃さんの表情は軟らかくなる。
「それならいいんだけど、昨日のテレビでも見たのかと思ったわ」
 昨日のテレビ? ああ、そういえば焼きトマトの話題が出ていたような気がする。
「由乃さん、テレビって、アレ?」
「そうよ、アレよ」
 アレとは、毎週火曜日の夜八時から藤テレビで放送されている情報バラエティ番組「知ったかぶり」のことだ。番組自体は良くある構成のものなのだけれど、司会者がお茶の間で大人気のキャスターで、祐巳や由乃さんの家でもお母さんがよく見ているのだ。
 因みに週に一度のこの時間だけは、祐巳の家でもお父さんはナイターを見せてもらえない。
「一昨日はトマト特集だったじゃない」
 番組の中の1コーナーで、いろんな食材の特徴や美味しい食べ方をレクチャーしてくれるというのがあるのだけど、このコーナーで特集された食材は次の日になると市場でバカ売れしているのだ。つまり、それだけ影響力がある番組ということになる。
 昨日のお弁当には間に合わないとしても、昨日の晩ご飯や今日のお弁当にはトマトを入れている家は多いだろう。
「なんですの? アレって?」
 訳がわからない顔の瞳子。
「ああ、二人が言っているのはアレのことね?」
 逆に志摩子さんが気付いたようで頷いている。
「あのね、瞳子ちゃん。一昨日のテレビで…」
 志摩子さんの説明で瞳子は納得したようだった。すると、乃梨子ちゃんが困ったような顔で祐巳に尋ねてくる。
「あ、それじゃあ、もしかして、しばらくの間はトマトが品薄になるんでしょうか?」
「そうだね。なりかねないと思うよ。来週の放送で別のものが出るまでは」
「そんなの困ります……帰りにスーパーに寄らないと…」
 乃梨子ちゃんは、かなりトマトが好きみたい。
 それにしても、由乃さんはどうしてそんなにトマトを…と言うよりあの番組を気にしているんだろう。
「気にしているというより……なんか、嫌じゃない?」
「何が?」
「その……ちゃんとした研究結果とかならまだしも、テレビの番組で興味本位でやってるような内容に飛びつくなんて」
 由乃さんの言いたいことが何となく判った。
「この前だって、別の番組で捏造が発覚していたじゃない。身体にいいとか言って、そのデータが全部嘘っぱちだったって」
「そういえばあったね。だけど、それで他の番組も全部嘘だとは限らないんじゃないかな」
「どっちにしても、信用なんてできないって事じゃない」
「由乃さんはちょっと厳しすぎるよ」
「祐巳さんが優しすぎるのよ。ああいう番組を見ただけで一足飛びに流行りの食材に手を出すなんて私は嫌。人から聞いた事じゃなくて、ちゃんと自分で調べないと」
「由乃さまの言うことにも一理ありますね」
 乃梨子ちゃんが頷くと、我が意を得たりとばかりに勢いずく由乃さん。
「そう、そうなのよ、乃梨子ちゃん」
 お箸も置いて、力説。
「自分で考えたりせずにテレビで見たままにするなんて、そんなのつまらないわよね。そりゃあ、たまにはテレビで見たものを食べたいと思うかも知れないわよ。たまにならいいわよ、たまになら。だけど、それがいつもいつもってどういうこと? 少しは自分で考えて行動しなさいよっ、て思うの」
 乃梨子ちゃんは「しまった、迂闊に賛成してしまった」という顔で苦笑している。
「とにかく、人の言うことを鵜呑みにしないで、自分で考えなきゃ駄目なのよ」
 そう締めくくった自分の演説に満足したのか、由乃さんは再び座るとお弁当の続きに取り組み始めた。
 乃梨子ちゃんと志摩子さんは、顔を見合わせるとやっぱりお弁当の続きに取りかかり始めた。
 祐巳と瞳子も、三人に続いて箸をとる。
 あれ?
 今、何か。
 由乃さんがカバンの中からタッパーを取りだしている。
「何それ?」
「デザート」
 タッパーの中から出てきたのは蒟蒻ゼリー。
「おいしいの?」
「ううん、特に。祐巳さんも食べる?」
 一つ貰って食べてみる。
「結構美味しいよ?」
「うん。私も別に不味いとは思わないの。口に合わないだけみたい」
「それじゃあ、どうしてデザートにしてるの?」
 わざわざ美味しいと思わないものをデザートにしなくても。いくらでも代わりのものはあるだろうに。
「身体にいいらしいのよ」
「身体にいい……?」
「…らしい?」
 乃梨子ちゃんが眉をひそめた。
「あの、由乃さま。それはどなたかにお聞きになったんですか?」
「え? 何が?」
「ですから、蒟蒻ゼリーが身体にいいというお話です」
「令ちゃんだけど? 身体にいいからって、沢山買ってきて分けてくれたの」
「令さまに…」
「そうだけど?」
 何か言いたそうな顔の乃梨子ちゃんを、志摩子さんが目線で止めた。さすが志摩子さん、判ってる。
 由乃さんにとっては、テレビの言うことを鵜呑みにすることと令さまの言うことを鵜呑みにすることは別物なのだ。
「……もし、令さまがトマトを勧めてきたら、どうなさいますの?」
 瞳子がいきなり核心をついた。
 志摩子さんと乃梨子ちゃんが慌てて、祐巳も瞳子を制止しようと手を伸ばす。
「勿論食べるわよ?」
 あっさりと由乃さんは答えた。
「だけど、テレビで言ったことを無闇に信用するのは嫌だとおっしゃいませんでした?」
「テレビで言ったことは無闇に信用しないけれど、令ちゃんの言ったことなら無条件で信用するわよ?」
 そうだった。由乃さんはそういう人だった。令さまはいつだって別格。例え卒業してしまった後でもそれは変わらない。
 なんとなく、「流石だな」と思いながら、祐巳はお弁当を食べ終えたのだった。
 
 
 数日後の薔薇の館。
「由乃さん、今日は蒟蒻ゼリーは?」
「ダメダメ。いくら身体に良くっても毎日毎日同じものばかりなんて食べられるわけないじゃない。それなのにあんなに沢山買ってきて……。ホントに令ちゃんったら、肝心なところで抜けてるんだから…」
 由乃さんは心底呆れた様子で話している。
 そうだった。由乃さんはそういう人だった。
 祐巳は心から、そう思った。
 
 
 
あとがき
 
 
 
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