古ぼけた道具箱
こんな物が出てきたのですけれど。
そう言ってトミが差し出したのは、古ぼけた道具箱。道具箱とはいっても木でできた本格的なものではなく、幼稚園児や小学校の低学年生が教室に名前入りで置いておくような、ダンボール製の小さな箱だ。
柏木は少し考えた。
自分にわざわざ持ってくるのだから、これは自分のものなのだろう。
そういえば、幼稚園の時にこんな箱を持っていたような気もする。うっすらと記憶があるような気がする。
この手のものは今まで見つけ次第、両親の方に渡していたのだけれど、柏木ももう成人式を迎えた大人なので、今回からは本人に渡すことにした。
成人式を迎えたという自覚は持っていたつもりでも、トミに言われると何となくくすぐったい。それこそオムツをしていたときから面倒を見てもらっているお手伝いさんというのは、両親や親族とはまた違った感慨があるのだ。
ぼくにいもうとができました
とてもかわいいです
だいじにします
とてもかわいいいもうとです
なまえはとうこです
画用紙一杯にクレヨンで書かれているのは日記だろうか。
横には赤で先生の返事らしき物が書かれている。
良かったね、優くん。
お兄ちゃんになったんだね。
瞳子ちゃんを大事にしてあげてね。
なぜか先生は柏木が平仮名で書いている「とうこ」の、「瞳子」という漢字を知っていたらしい。
それとも、事情を知っていたのだろうか。
当時の自分は、妹ができると知って激しく興奮していたはずだった。細かいことは覚えていないが、ものすごく喜んでいた事は何となく覚えている。それに、両親や松平の夫妻もそう言っている。
そして、自分が瞳子を可愛がってきたのも事実だ。血の繋がりがどうであろうと、瞳子は自分にとっての特別な人であることには違いない。
ということは、自分は先生の言いつけを後生大事にずっと守っていたと言うことか。
そう考えると少しおかしくて。柏木は苦笑気味に笑った。
それにしても……
母親に妊娠の兆候もないのに「妹ができた」と喜ぶ男の子。
考えてみれば、先生が両親に事情を尋ねるのも当然だろう。
両親が事情を全て話したとは思わないが、「とうこ」というのが妹ではなく従妹だと言うことぐらいは話していただろう。そうすると、先生が瞳子のことを知っていてもおかしくはない。
納得して、画用紙を脇に除ける。
一冊の本。
柏木は首を傾げた。
どうして、こんな物がこんな所に?
『赤ちゃんの育て方』
勿論、瞳子を育てたのは柏木ではない。まさか、当時の自分は其処までの覚悟をしていたのだろうか。
まさか。いくらなんでも。
少し考えて、柏木は本を取り上げた。
すると、大きなしおりが挟まれていることに気付く。
開いてみると、しおりが挟まれていたのは『オムツの替え方』というページだった。
なるほど。
せめてオムツなりとも替えてあげよう。当時の自分はそう考えていたらしい。
いや、それとも替えてあげたのだろうか?
それくらいはしていたような気がする。いや、していた。
していたはずだ。
そうだ。何かの機会でそんな話題が出たときに、瞳子に真剣な顔で、
「お願いですから、忘れて下さいまし」と頼まれたことがあったのだ。
瞳子もきっと照れくさいんだろうな。と、柏木は少しずれた感想を抱いていた。
本も除けると、綺麗なリボンが入っている。
これは………
思い出した。
妹ができたと喜んで、母親にねだってリボンを買ってもらったのだ。
ところが、生まれたての赤ん坊にリボンなんて付けられない事には気付かなかった。
仕方なく仕舞っておいて、そのまま忘れていたのだろう。
リボンを持ち上げて、部屋の灯に透かしてみる。
保存が良かったのか素材が良かったのか、古ぼけたようには見えない。
柏木は、リボンを器用に折り畳むと胸ポケットに入れた。
そして道具箱を小脇に抱えて、自分の部屋へ戻っていく。
ごきげんよう、と挨拶をしたお姉さまはニッコリと笑った。
「瞳子、髪のリボンまた替えたんだね。そのリボンは初めて見るよ」
やっぱり気付いてくれた。
嬉しさを必死で隠しても、それでも瞳子はリボンに手を伸ばしてしまう。
「優お兄さまにいただきましたの。なんでも、『渡すのがずいぶん遅くなってしまってゴメン』ですって。なんだかよくわかりませんわ」
「でも、似合ってるよ」
「優お兄さまのお見立てですもの。似合って当然ですわ」