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Watchers
 
 
 
 誰かに見られている。
 そんな気がするのは初めてではない。と言うか、結構いつものことだったりする。
 こう見えても、リリアン学園高等部新聞部にこの人ありと言われた築山三奈子さまなのだ。良くも悪くも注目はされている。
 だから三奈子はあまり気にしない。気にしても始まらないのだ。
「少しは、気にした方が良いと思いますけれど」
 引退したとはいえ、新聞部の重鎮である三奈子は、たびたび部室に出入りしている。今日も同じく、部員達もそんな三奈子を当たり前のように受け入れていた。
「そう?」
 真美の言葉に、三奈子は涼しい顔で答える。
「気にしたって、どうにかなるわけでなし。何かあればそれはその時のことでしょう?」
「何かあってからでは遅いと思うから言っているんです」
「何かあるって、いったい何があるって言うのよ」
 真美の大きなため息。
「お姉さま、引退したとはいえ新聞部なんですから、新聞くらいは読んでください。昨今、物騒な事件が相次いでいるじゃありませんか」
「物騒な事件って言うと、ストーカー殺人とかかしら?」
「…やっぱり、わかってて言ってますよね?」
「引退したとはいえ新聞部たる者、新聞ぐらい読まなくてどうしますか」
「だったら、私が心配していることもわかってください」
「ありがとう。真美は優しいわね」
「茶化さないでくださいよ」
 言いながらも頬を赤くしている真美を見て、三奈子はクスクスと笑う。
「優しいから優しいって言ったのよ。私のことをそんな風に心配してくれるなんて、真美だけだもの」
「そんなことないです。部のみんなだって心配してますよ」
「そう? そう言われると、そうね。さっき、美音ちゃんや川瀬ちゃんもそんなこと言っていたわ。心配だから、一緒に帰らせてください、三奈子さまって」
「な!」
 立ち上がる真美。三奈子は慌てて言う。
「あ、嘘だから。落ち着いて座りなさい、真美。二人の所に行って問いつめたりなんかしちゃ駄目よ」
「お姉さま!」
「怒ったら可愛い顔が台無しよ、真美」
「だったら、怒らせないでください」
「あら、可愛いのは認めてるんだ」
「お姉さま!!!!!!」
「あははははは。ゴメンゴメン。怒らないで真美」
「怒りたくもなりますよ」
「じゃあ、これでご機嫌直してくれる?」
 ガサゴソと、カバンの中から一枚の紙。
「なんてすか?」
 三奈子はニッコリと笑って真美の前にメモ用紙をかざした。
「取材メモ」
「え?」
「受験生って結構暇なのよ。その癖、元かわら版編集長ともなればいろんな噂が聞こえてくるのよね。だから、合間を見つけて簡単なメモを取ってみたんだけど」
 しかめっ面でメモを眺める真美。その表情が少しずつ変化していく。訝しげなものから興味へと、そして驚愕、賞賛へ。
 そして三奈子は真美の表情に応じて、背中を反らしてうふふふと喜んでいる。
「お姉さま、これって…」
「んふふ。引退してても捨てたもんじゃないでしょう?」
「捨てたものどころの騒ぎじゃありませんよ。これ、どんな現役部員より凄いネタじゃありませんか!」
 反っくり返って転びそうになり、三奈子は慌てて戻る。
「もっと褒めなさい、賞賛しなさい。そう言われるのが一番嬉しいんだから」
 特に真美からなら、とはさすがに三奈子も言わない。他の部員もいるのだから。
 ところが真美は其処でパタリと口を閉じてしまう。
「真美?」
 返事はない。
「真美?」
 やっぱり返事はない。
 見ると、なにやら難しい顔で考え込んでいる。
 ああ、と三奈子はあきらめ顔で納得した。これは真美が記事の持っていき方を考えている顔だ。こうなってしまうと、真美はテコでも動かない。なにがしかの方針が出るまでいくらでも考え続けるのだ。
 ……テコでも動かないおデコちゃん……
 俯いて笑いを堪える三奈子。
「…? お姉さま、どうかしましたか?」
「あ、いや、別に。真美、何か考えていたんじゃないの?」
「なにか、突然嫌な予感がしたんですけれど。誰かに馬鹿にされたような」
 鋭い勘だな、と三奈子は思う。それは新聞記者には必要な物なのだろうけど。
 とりあえず、話題を変える。
「それで、真美はどうするつもり?」
「何がですか?」
「その取材メモよ」
 取材メモに記されているネタは一種類ではない。いくつかのネタが並列に記されていて、とても一人で全てを追えるような物ではないのだ。
「どれにするの?」
「そうですね、このミルクホールの件は日出実に任せて、こっちの卒業生感謝祭は美音さん、それに…」
「貴方以外はどうでもいいんだけど」
「え?」
「貴方…真美自身は何をするつもりなの?」
「私はここのメモとは別の事件を追うつもりですから」
「別の事件!?」
 三奈子は思わず真美の持っていたメモを取り上げる。
「ちょっと待ちなさい。真美、まさかこれ以上のネタを持っているって言うの?」
 これは三奈子が卒業前に渾身の思いで集めた内容なのだ。そう簡単に出し抜かれてはたまったものではない。
「私にとってはどんなネタよりも大切な物ですから」
「なんなのよ、それ」
「新聞部元部長ストーカー事件です」
「や、そんなのは…」
「私にとってはどんなネタよりも価値がある事件ですよ」
 嬉しいけれど。
 真美がそんな風に言ってくれるのは嬉しいけれど。だけど。
 このネタに食いついてくれなければ困る。ストーカー事件など追われては困る。困るのだ。
 仕方ない。
 最後の手段にするつもりだったのだけれど、これしかない。
「……真美のために集めたネタなのに」
「え?」
 厳しくなっていた真美の顔が一瞬綻んだのを三奈子は見逃さない。
「真美の大スクープを卒業前にもう一度見たかったのよ。そのために集めたネタなのに。だから、真美に選んで欲しいのに」
「そ、そんなこと、急に言われても…」
「真美に選んで欲しいのよ。私は、真美のスクープ記事が見たいの」
「で、でも」
 もう一押し。
 三奈子は身を寄せ、真美の手を掴んだ。
「お願い。私の掴んだネタで真美がスクープを取る。こんな機会なんて、これで最期なのよ。お願い、卒業前に想い出を頂戴」
 そのまま真美を引き寄せて、至近距離でじっと見つめる。
「…真美」
「…お姉さま」
 ああ、しまった。と三奈子は焦った。
 これではまるで、ラブシーンではないか。
「想い出を頂戴」「真美」「お姉さま」
 うん。まるっきり口説いてるシーンだ。
 真美の瞳が濡れたように光っている。
 ああ、まずい。この真美の目は……
 これは、大好きな真美の目。はじめて会ったとき、好奇心にキラキラ輝いていた目。今でもそれは変わらない。変わったネタに出くわすと、真美の目はこんな風に輝くのだ。
 違う違う。そうじゃない。
 真美とのラブシーンも悪くない。悪くないどころか、状況が状況なら望むところなシチュエーションなのに。
 だけど、今は駄目、今は違う。今はそんなことをしている場合じゃない。ここは心を鬼にして。
「真美、このメモの中から記事にするネタを選びなさい」
「……ごめんなさい、お姉さま」
 一瞬の逡巡は見えたけれど、それでも真美はキッパリと断った。
 そうだった。
 忘れていたわけではないけれど…いや、忘れていたのだろう。
 こんな真美だから、妹に選んだというのに。用意された物を由とせず、自分で納得した物だけを選択する真美だから。
「私は、私のが追求したいネタを記事にします。例えそれが、お姉さまの下さった物でも」
「……あー。結局こうなるような気はしてたけどね」
「お姉さまは普段通りに行動していてください、私がなんとかして犯人を捕まえますから」
「捕まえない方が良いんじゃないかなぁと思うけど」
「何を言って…」
 真美の言葉がピタリと止まる。
 少し首を傾げて、
「まさか、お姉さま? 犯人の心当たりがあるとか?」
 リリアンに警察部とか推理部とか探偵部とか、とにかくそういう類の物がないのは大きな損失だと三奈子は思った。
「いや、そうじゃないけれど」
「あるんですね?」
「そんなに、確定的なはなしじゃなくて」
「あるんですね?」
「えーと」
「お・ね・え・さ・ま?」
 一音一音をハッキリと言いながらじとじとと近づいてくる真美の顔に、ふとキスでもしてやろうかと思う三奈子。もっとも、そんなことをすれば真美は喜ぶ、もとい、大変な剣幕になるだろうなとはさすがにわかる。
「……悪気はないと、思うのよ」
「はぁ?」
「だからね、悪気はないと思うの」
 真美の視線が痛い。
「ほ、ほら、ストーカーだって、私が言い出した訳じゃないし」
「お姉さまが、誰かに追いかけられているような気がするって、最初に言ったんですよ」
 確かに、三日ほど前に話したような気がする。
「あれは気のせいだったのよ」
 まずい、と三奈子は反省した。ストーカーの気配はなくなったと言っておけば良かったのだ。下手に「気にしない」等と言ってしまったのがまずかったのだ。
「話が矛盾だらけですけれど」
「さすが真美、鋭いわね」
「お姉さまが鈍いんです。自分の発言をもう少しよく考えてください」
 君の追及は厳しい、このままだとつい白状してしまいそうになるのは目に見えている。当然、それは問題外だ。
「…あ、ちょっと用を思い出したから」
 お姉さま、と叫ぶ真美を置いてそそくさと三奈子は部室から逃げ出した。
 
 
 その翌日、三奈子は自分を追跡している相手を直接呼び出した。
 なんのことはない、犯人はとっくにわかっていたのだ。
「というわけで、日出実ちゃん。尾行は自粛しなさい」
「はい?」
「下手すると、真美に捕まるわよ? それでもいいの? 真美を無視して私を追いかけていたなんて、真美に知れたらどうするの?」
「あ、あの、三奈子さま?」
「今さらしらばっくれても駄目」
 三奈子は日出実の肩をポンポンと叩く。
「とっくに気付いているんだからね?」
 日出実にベンチに座るように身振りで示しながら、三奈子は自分も座る。
「まあ、気持ちはわかるわ。私も似たようなこと、ストーカーもどきを一年の時にしてたから」
「三奈子さまが? ストーカー?」
「うん、当時の三年生の取材の秘密を知りたくて、こっそりつけていたのよ」
「ああ、それで…」
「真美の代にはそんな子はいなかったみたいだけど、まさか一代空いて貴方が同じ事をするなんてね」
「あの…」
「ああ、いいのいいの、謝るようなことでもないし。私は気にしてないわよ。というより、そこまでして取材のやり方を盗もうとするなんて、ある意味感激ね」
「え?」
「盗むって言うと言葉が悪いけれど、要は自分の方法がそれだけ認められているって事じゃない。日出実ちゃんだって、私のそれが気になるから尾行してまで知ろうとしているんでしょう? 私の取材方法って結構特殊ですものね」
「それは……」
 日出実は言葉を濁しつつも頷いた。
「三奈子さまの取材方法は、お姉さまとは随分に違う方法だと、他の二年生や三年生の方からも聞いています」
「うんうん。私のは、あまり褒められた方法ではないしね。そういうどっちかっていうとグレーな方法は、真美が嫌うのよ」
 愕然となる日出実の顔を覗き込むようにして、三奈子は笑った。
「だから、私としては貴方にもっともっとグレーを極めて欲しいのだけど」
「でも、お姉さまがっ」
「ちょい待ち」
 ピンと立てた人差し指を、日出実のおでこに突きつける。
「真美が嫌いな取材方法を得意している私は、真美のお姉さまなのよ?」
 日出実は首を傾げている。
「言い換えると、嫌いな方法を駆使している上級生を、どうして真美はお姉さまにしたのか。真美は私のロザリオを断っても構わなかったのに」
「それ以上に、三奈子さまに魅力がお有りになったから?」
「嬉しいこと言ってくれるじゃない。もしかしたらそうかも知れないけれど」
 だけど、と三奈子は言いながら人差し指を立てる。
「事実は簡単な話。真美はよく知っているの、グレーな取材は私の得意分野だって」
「え? でも」
「各自が自分の得意分野で頑張って、何が悪いの? 私には真美にはできない取材ができる。真美には、私にできない取材ができる。互いに補完し合っているわけよ」
 日出実は三奈子の言葉に考え込んでいるようだった。
「貴方が私の方法を学ぶかどうか、無理強いはしないけれど」
 数分の間が空いた。三奈子は返事を急かすこともなく、楽しそうに日出実を眺めている。
「三奈子さま」
「はーい?」
「私は、私のやり方で進みたいと思ってます」
「日出実ちゃんのやり方?」
「だから、三奈子さまの方法や、お姉さまの方法を教えていただいて、そこから自分なりの方法を見つけたいと思ってます」
「そんなもの、簡単に見つかると思ってるの?」
 三奈子の声が低くなる。
「日出実ちゃん、貴方自分の言っていることがわかってる? 貴方は、私や真美の方法では物足りないから自分の方法を探すと言っているのよ?」
「違います」
「どう違うの?」
「三奈子さまには三奈子さまの方法。お姉さまにはお姉さまの方法があります。だから、私には、高知日出実の方法があるはずなんです」
「そんな物が、本当にあるのかしら」
「探します。見つけます。それでもなければ、作ります」
 今度は、三奈子が黙り込む番だった。
「さすがね」
「いえ」
「貴方じゃなくて、真美のこと。いい一年生を見つけたじゃない。さすが私の妹ね」
「え?」
「素直に私の言うことを聞いているようじゃ、海千山千の三年生達、特に薔薇の館相手じゃ何にもできないわけよ」
 立ち上がると、からからと笑い出す。
「合格。真美の妹選びに私が合格不合格なんて言えないけれど、次期編集長候補としては充分合格ね」
 日出実が何か言いかけて、その目が三奈子の背後に向けられる。
 何事かと振り向くと、真美が誰かを連れてこちらに向かってくる。
「お姉さま、捕まえましたよ」
「何が?」
「ストーカーですよ。前にお姉さまが工作部の部費の流れを記事にしたことを逆恨みしているんですよ。この子、元工作部部長の妹です」
「は?」
「これで事件も解決ですね」
「はあ…」
 意気揚々と引き上げていく真美の背中を見ながら、三奈子は気の抜けた声で日出実に尋ねる。
「日出実ちゃん? 貴方じゃなかったの?」
「…ですから、最初から違うと…」
「でも、素直に話聞いて…」
「途中から、なんだかいい話になったので、聞いておかなきゃ損だと思って…」
 日出実は見事なまでに新聞部員だな、と三奈子は心の底から思った。
 
 
 
 
 
あとがき
 
 
 
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