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祐巳さんと可南子ちゃん
「パートナー」
 
 
 真美が薔薇の館に立ち寄ったのは、かわら版の見本刷りを届けるためだった。卒業間近の薔薇さま二人へのインタビュー。そのゲラ刷りのチェックを頼むために。
 別に日出実にお使いをさせても良かったのだけれど、ついでに何か面白い話が聞けないだろうかという真美の記者魂が、編集長自らを薔薇の館へ向かわせたのだ。
 だからというわけではないけれど、つい足を忍ばせて館へ侵入してしまう。
 今日ここへ来ることは先方には伝えていない。つまり、誰かがここにいるとはまったく知らないはずなのだ。
 これは、盗み聞きではない。もしこれで何か話が聞けたとしても、それは不幸な事故なのだ。そう、故意ではない、不幸な事故なのだ。
 そうやって自分に言い聞かせながら、真美は忍び足で階段を上がっていく。
 見ると、二階の扉は微かに開いている。きちんと閉めていなかったものが、風で開いてしまったのだろうか。
 そして話し声。
 真美は床を軋ませないようにゆっくりと歩を進める。
 そして、扉に頭を近づけて…
「しっかりと握ってください…」
 声が聞こえる。でも、この声は…。
「うん。わかってるよ」
 これは令さまの声だ。そして、その相手の声は…
 真美はそっと隙間を覗き込んだ。
 そこにいたのは、令さまと可南子ちゃん。しかも、抱き合っている。
「!?」
 慌てた真美は、つい一歩下がって床を軋ませてしまう。
「誰かいるの?」
 真美は無言で走った。こうなったらもう足音は気にしてられない。
 階段を一段飛ばしで駆け下りる。
 背後から聞こえる二人の声。当然、真美は止まるわけにはいかない。
 とんでもないものを見てしまった。
 まさか、令さまと可南子ちゃんなんて。
 
 
「誰だったんだろう」
「あの…令さま…」
「ああ、可南子ちゃんは気にしなくていいよ。もし何かあったら、由乃と祐巳ちゃんには私から説明するから」
「でも……」
「いいからいいから、可南子ちゃんは心配しなくていいよ。悪いのは私なんだから」
 
 
 それはない、と祐巳さんは断言した。
 せっかくの真美さんの情報なのだけれど、それは絶対にない。
 真美さんが嘘をついいるとは思わないけれど、何かを見間違えたに違いないと言う。もしくは、単なる勘違いか。
「でも、確かに見たのよ…。祐巳さんには悪いけど」
「うーん。真美さんを信じない訳じゃないけれど、正直、信じられない」
「そりゃあね、私だって信じられないけれど……よりによってあの二人だし」
「令さまが由乃さんを裏切るなんて絶対にあり得ないよ。勿論、可南子だって、もし私のことが嫌いになってしまったとしても、令さまに由乃さまを裏切らせるようなことは絶対にしないよ」
「うん……それはそうなんだけど」
 真美は首を傾げる。
「それじゃあ、私が見たのはなんだったんだろう」
「聞いてみよう」
 祐巳さんは席から立ち上がった。
「え?」
「可南子に直接聞いてみるの」
 慌てる真美。確かに、それが一番確実なのだろうけれど。だけど、そんな急に行かなくても。
「ちょ、ちょっと待ってよ、祐巳さん。そんな急に」
「一年椿組に行ってくるよ。真美さんも一緒に来る?」
 正直、興味はある。自分の見たのが勘違いであろうと、あるいはとんだ修羅場になろうと、どちらにしても興味はある。
「……ええ。行くわ」
 
 
「可南子さん? 祐巳さまが来ているみたいですけれど?」
「あ、本当だ。真美さまも一緒みたい」
 廊下に背中を向けていた自分の前で、廊下に向いていた瞳子さんと乃梨子さんが言う。
 やっぱり、来た…
 予期していたとはいえ、やっぱり落ち着かない。
 だけど、自分はお姉さまのこのストレートなところが大好きなのだ。
 自分にはこんな真似は、一生涯出来そうにない。
 前にそう言ったら、お姉さまは
「うん、私も自分のことを去年までそう思ってた」
と言ったのだけれど、可南子には信じられない話だ。
「やっぱり、ここに用事みたいよ」
「可南子さん、行きましょう」
 皆が騒ぐ前に移動しようと言う瞳子さん。
 白薔薇のつぼみ、紅薔薇のつぼみの妹、黄薔薇のつぼみの妹、と三薔薇の系譜が三人も揃っている一年椿組は、他のクラスからは羨望の的なのだ。
 だから、椿組の生徒は薔薇さまやつぼみが来たからといって、あたふたと慌てたりはしない。
「私たちは慣れているのだから」というプライドがあるのだ。
 だからといって、今のように慌てた様子でやってきている祐巳さまでは話は別になる。しかも、一緒にいるのは、ある意味三薔薇以上に有名な新聞部部長山口真美。
 導火線に火のついたダイナマイトが歩いてきたようなもので、何があったのかと大騒ぎになることは間違いない。
 可南子は、立ち上がるとさっさと廊下に出た。
「お姉さま、私にお話ですか?」
「そうだよ」
「真美さまも?」
「え、ええ、一応」
「それじゃあ、向こうに行きましょう。ここは、ギャラリーが多すぎます」
 歩いていく三人。少し離れて瞳子さんと乃梨子さん。この二人は、野次馬を牽制する役目をするつもりらしい。
 可南子は歩きながら考えていた。
 昨日自分と令さまを目撃したのは真美さま? それとも他の人?
 真美さま以外の目撃者がいて、話を新聞部に持ち込んだのだろうか。だとしたら、真美さまは噂を確かめに同行していることになる。
 そんなことをお姉さまが許すだろうか? 多分、許さないだろう。
 ということは、真美さま自身が目撃者。それなら同行しているのもわかる。
 あるいは、可南子の考えすぎで二人の用事は昨日の出来事とはまったく関係ないものかもしれない。それならそれでいいのだけれど。
 校舎の端の階段裏。特別教室に続く廊下なので、用事のない者は通りかからない、校舎内でも人通りの少ない場所だ。
「ここでなら、野次馬も少ないと思いますから」
「そう。それじゃあ単刀直入に聞くわよ、可南子」
「はい」
「昨日、薔薇の館には誰もいなかったはずだけど……」
 瞳子さん、由乃さまは部活。志摩子さまと乃梨子さんは環境整備のお手伝い。お姉さまは家の用事。ということで、薔薇の館に集まる必要はないと言われていたのだ。それは可南子もちゃんと覚えている。
「ところが、それを知らずに館に行った真美さんが、令さまと可南子を見たって言うの」
「ええ、いましたよ」
 素直に可南子が答えると、真美さまは驚いた顔になった。
「令さまと二人きりでいました」
「……真美さんが言うには……」
「祐巳さん、別にそこまで言わなくても!」
 真美さまが止めに入ろうとしたところで、お姉さまが早口になる。
「令さまと抱き合っているように見えたって」
 ああ、確実に見られている。
 可南子は理解した。あやふやな噂でもなんでもない。確実に真美さまは見たのだ。やはり、昨日そこにいたのは真美さまだったのだ。
「抱き合っていたわけではありませんけれど…。そう見えたのは仕方ないかもしれません」
「何をしていたの?」
 抱き合ったという言葉が聞こえたのか、瞳子さんと乃梨子さんが興味津々な様子で聞き耳を立てている。野次馬防止だと思っていたら、自分たちが野次馬になってしまったらしい。まさしく、「ミイラ取りがミイラに」だ。
「社交ダンスです」
「へ?」
「ですから、社交ダンスを」
「なんで、可南子がそんなことを?」
「いえ、令さまが是非にと」
「どうして令さまに可南子さんがつきあわなければならないんですの?」
 瞳子さんが間に入る。黄薔薇のつぼみの妹としては面白くないのだろう。
「令さまより背の高い人が、他にいないからですよ」
 ああ、と全員が一瞬で納得した。
 こんな納得をされてしまうと、なんとなく可南子は寂しい。
「可南子さん、心得があったんですのね?」
「ええ、中学の時に少し。この身長ですから、男役ばかりやらされてましたけれど」
 瞳子さんがしきりに頷いている。
「そうですわね、令さまはミスターリリアンなどと呼ばれていますけれど、心の中は誰よりも女の子らしい方ですもの。そういうものに憧れる気持ち、よくわかります」
 真美さまも頷いた。
「確かに、リリアンでは皆が黄薔薇さまに求めているイメージは凛々しさですものね。ダンスの女役ではないわ」
「それにしても……」
 乃梨子さんが腕を組んで自分をしげしげ見ているのに可南子は気づいた。上から下まで、値踏みするように眺めている。
「な、なんですか、乃梨子さん」
「あ、いや、可南子って、結構男役というか、ミスターリリアンが似合うかもなって」
「嫌です、男なんて」
「でも、相手役が祐巳さまだったら満更でもないんじゃない?」
「それは……そうですけれど…」
 乃梨子さんの言葉に、瞳子さんもふんふん頷きながらじろじろと可南子を見ている。
「そうね、乃梨子に言われてみれば…磨けば光るかも。なんなら、演劇部で衣装合わせてみる? 宝塚風でも女形風でも、揃っていますわよ?」
「遠慮しておきます」
 妙に盛り上がる乃梨子さんと瞳子さんの向こうで
「ふーん」
 呟きながら別のことを考えている様子のお姉さま。
「お姉さま?」
「…あ、ん? なに? 可南子」
「これでお話は終わりですか?」
「そうね、うん。確かめたかっただけだから。納得した? 真美さん」
「ええ。納得したわ。そもそも、黄薔薇さまが由乃さんを、可南子ちゃんが祐巳さんを裏切るなんてあり得ないだろうしね」
「それじゃあ、次の授業も始まってしまいそうだから、この辺で」
 時間を確認すると、一同は急いで教室へと戻っていく。
 
「ごめんね、可南子ちゃん。ウチのお姉さまがなんだか迷惑かけたみたいで」
 放課後の薔薇の館。一部始終を聞いた由乃さまが可南子に頭を下げていた。
 それを見た瞳子さんが慌てて、
「お姉さまが可南子さんに謝ることはありませんわ。悪いのは令さまなんですから」
「うん。だけど、令ちゃん…お姉さまがここで凛々しくしなきゃならないのは、私のせいでもあったわけだし」
 由乃さまは笑いながら言う。
「私がもっと早く強くなっていれば、お姉さまはもっと女の子らしくできたんじゃないかなって思うのよ」
「黄薔薇さまは、充分女らしい方ですよ」
「そう言ってくれると、嬉しいけれど」
 由乃さまは黄薔薇さまの話をするとき、とても優しい顔になる。
 自分だって、お姉さまのこんな顔を見るためならいくらでも凛々しくなってみせる、と可南子には思えるのだ。
「嬉しいついでに、可南子ちゃんにお願い」
「なんですか?」
「令ちゃんがまた同じ事を頼んできたら、快く受けてくれる? もし、可南子ちゃんが嫌でなければなんだけど…」
「構いませんよ。その気持ち、私にだってわかりますから」
「ありがとうね。もっとも令ちゃんのことだから、こんな風になったと知ったらもう頼まないかも知れないけれど」
 確かに、迷惑を少しでもかけたと知ったら、もう黄薔薇さまはあんな事を言ってこないだろう。それは可南子もそう思う。
 逆の立場だったら、可南子でもそうしただろうから。
 案の定、少し遅れて姿を見せた黄薔薇さまは、可南子に声をかけるとこう言った。
「ごめんね、可南子ちゃん。私の我が侭につきあわせて。もうあんな事は頼んだりしないから」
「そうなんですか?」
「うん。そもそもリリアンの制服を着た子相手に女性パートをやってみたかっただけだから。とりあえずその夢は叶ったんだもの」
「そうですか。それは良かったですね。では…」
 可南子は一礼すると、その場から離れてカップを洗い始めた。
 別に今すぐ洗う必要はないのだけど、とにかくその場を離れたかったのだ。
 そうでなければ、つい言ってしまいそうになったから。
「黄薔薇さまの夢は叶っても、私の夢は叶いません」
 自分より背の高い子はリリアンにはいない。このままだと、多分来年も、再来年も。
 いたとしても、令さまと自分のようにパートナーを頼めるほど近づけるかどうか。
 令さまほど、女の子らしい女の子に憧れているわけではない。そもそも、男性とダンスを踊るなんて考えたこともない。だから、自分が男性パートで構わない。
 別に、構わない。
 カップを洗い終えて、お姉さまの仕事を補佐する。
 その日の分を終えると、後は帰るだけ。
「可南子、一緒に帰ろう」
 言われなくても一緒に帰るのに、今日に限ってお姉さまは確かめる。
「ええ、勿論です」
「ちょっと、寄り道してね」
「寄り道ですか?」
「ええ、ついてきて」
 お姉さまは、何故か正門へ向かわない。小等部の方へ向かっている。
「どこに行くんですか?」
「ここよ、ここ」
 小等部の運動場。小等部の生徒は皆帰ってしまって誰もいない。
 お姉さまは、畝のように一段高くなった位置で、可南子を手招いている。
 畝のように盛り上がったものが円を描いているそれは、遊具のようだった。子供達が昇ったり降りたり、あるいは畝に乗ったまま一周したりするのだろう。
 お姉さまは、可南子を横に並べる。
 お姉さまの頭が可南子より高いところにある。見上げて見えるお姉さまの頭が妙に新鮮だった。
「じゃあ、踊ろうか」
「え?」
「可南子も、女性パートがしたかったんでしょう?」
「……お姉さま」
「あれ? 違った?」
「どうして、わかったんです?」
「わかるよ」
 お姉さまは笑っていた。
「だって、私は、可南子のお姉さまだよ?」
 
 可南子の女性パートはぎこちなくて。
 それはきっと、男性パートがお姉さまだから。
 恥ずかしくて、ぎこちなくて。
 でも、とても愉しくて。
 
 
 
あとがき
 
 
 
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