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椿組三人娘「膝の上の同級生」
 
 
 寒い。
 その言葉を噛みしめながら、乃梨子は薔薇の館へ向かっていた。
 この季節に暖房が無いというのは恐ろしい。恐ろしいけれど、それが今の薔薇の館の現状なのだ。
 薔薇の館の建物は古い。だから作りつけの暖房器具などはない。あるのは旧式の石油ストーブ一個。それも、できる限りは使わないというのが方針だ。
 因みにファンヒーター導入は毎年誰かの猛烈な反対にあって見送られているという。
 少し前なら聖さま。今は由乃さまの猛反対らしい。
「ファンヒーターではお餅が焼けない」というのがその理由。
 かつては江利子さま、そして今では祐巳さまがその案に大いに興味を示して、ファンヒーター導入はお流れになったという。
 因みに祥子さま令さまはそれぞれ、
「寒さなんて気にするから寒いのよ」
「これくらいは寒稽古に比べればどうってことないし」
 ストーブ以前に暖房がいらないらしい。
 確かに我慢できない寒さではないのだろうけれど、そもそも建物の中で寒さを我慢するのは嫌だ。そんなのは真冬のお寺の仏像鑑賞だけで充分。薔薇の館に秘蔵の仏像でもあるというのなら、寒さなんていくらでも我慢できるのに。
 しかし、今日の自分は一味違う。と乃梨子は心の中でほくそ笑む。
 今日は秘密兵器があるのだ。
 もっとも、一人でしか使えないので、使えるかどうかは周りの様子次第なのだけれど。
 三年生は、この時期にはほとんど薔薇の館へ来ない。二年生はそれぞれにクラスの行事をこなしているために遅れる。というわけで、薔薇の館には最初の内は一年生だけ。これなら使いやすい。
 だから終礼が終わり次第すぐに行くつもりが、本を返しに立ち寄っただけつもりの図書室で、つい笙子さんと話し込んでしまった。つまり、今のところ瞳子は薔薇の館で独りぼっち。
 もしかすると、年度末や新学期の行事で応援を頼んでいる可南子さんも来ているかも知れない。それでも二人ぼっちだ。
 そんなことを考えながら、乃梨子はビスケット扉に手を掛けた。
 戸を開けた瞬間、固まる。
「あんまり遅いから、サボるつもりかと思ったわ」
 非難がましい口調ではなく、冗談口調の瞳子。
「白薔薇さまがいらっしゃらないから、モチベーションがあがらないのよ、きっと」
 同じく声に笑いを含ませた可南子さん。
 瞳子ちゃんは可南子さんの言葉で笑っている。可南子さんの膝の上に座って。
「えっと………」
 乃梨子は我が目を疑った。可南子さんは、膝の上に座っている瞳子をしっかりと抱き締めている。
「これは私のものです、絶対誰にも渡しません」とでも言うように。まるで子猫を護る母猫。
 別に、瞳子と可南子さんがそうやっているのは構わない。というより個人の自由だと乃梨子は思う。無理矢理に可南子さんが瞳子を捕まえているのならゆゆしき問題だろうけれど、二人の様子を見ている限りそういったことではないようだ。だったら、問題はない。多分ない。うん、嫉妬なんてしてない。別に可南子さんが羨ましいなんて思ってない。うん、それはない。絶対に違う。違うったら違う。
 でも、瞳子って柔らかいだろうな、と乃梨子は思った。
 それに、神聖な薔薇の館で何をしているのかという問題がある。
 うん。これは問題だ。ヤッパリ問題だ。そうだ。嫉妬なんかじゃない。これは山百合会の問題なのだ。
 それに、この状況を祐巳さまが見てしまったらどんな反応をするか、ということ。
 瞳子は今や祐巳さまの妹、立派な紅薔薇のつぼみなのだ。
「あの、可南子さん。どうして?」
 可南子さんは首を傾げると、すぐに頷いた。
 良かった、言外の意味をわかってくれた。と乃梨子が思ったのもつかの間、
「私は、臨時のお手伝いよ? 瞳子さんに頼まれたのだけど、乃梨子さんは知らなかったの?」
 そうじゃない。言いたいことはそうじゃない。
 乃梨子が言いたいのは、「誰の許可を得て瞳子を膝に乗せとるんじゃあ、ごるぁ!」…………それも違う。
 乃梨子が言いたいのは、「私の瞳子に何をするのっ!」………断じて違う。 
「いや。それは知っているけれど…」
「どうかしましたか?」
 可南子さんは本気でわからないようだった。
 もしかすると、おかしいのは自分なのだろうか、と乃梨子は本気で悩んだ。
 少なくとも、二人の間ではこれが普通なのかも知れない。そういえば、可南子さんと瞳子は急速に仲良くなっているのだった。遊園地にだって二人で来ていたのだ。
「……志摩子さんはまだ来ていないのかな」
 結局、乃梨子は逃げの質問に切り替えた。
「そうね、祐巳さまも由乃さまもまだだから、二年生が皆遅れるのではないかしら」
「あ、そうなんだ」
 乃梨子は、テーブルの席に着いた。
 するとすぐに、瞳子が可南子さんを見上げる
「可南子さん?」
「どうしたの?」
 瞳子が可南子さの手を外そうとしていた。
「三人揃ったことだし、お茶を煎れません?」
「あ、そうね」
 瞳子を膝の上から降ろした可南子さんは、膝の上に敷いていたショールを椅子の上に置くと、テキパキとお茶の準備を始める。勿論、瞳子も一緒だ。
 乃梨子も椅子に座る前に手伝うことにした。
 自分たち三人分のお茶と、やがて来るだろう薔薇さま達の準備。
 お茶を用意すると、可南子さんは再び元の席に戻った。そしてショールを膝に掛ける。
 そして、当たり前のようにその膝の上に乗る瞳子。
 あまりにも自然な動作なので、乃梨子も一瞬普通の光景として認識してしまった。
 いや、おかしい。確実におかしいのだ。
 やっぱり、これが普通とは思えない。そもそも、これが普通ならばとっくに噂が耳に入ってるに違いないのだ。
「瞳子? 可南子さん?」
 乃梨子は勇気を出した。
「なに? 乃梨子」
「どうして、瞳子が可南子さんの膝の上に座っているの?」
 顔を見合わせる二人。
 やがて、ああ、と可南子さんが頷く。
「確かにそんな風に見えるわね」
 ということは、違うということなのだろうか。
「でも、体勢を逆にするわけにはいかないから」
「逆?」
 瞳子さんをひょいと持ち上げて、対面で膝に座らせる可南子さん。
 瞳子は突然のことにビックリして固まっている。
 非常にいかがわしい、というか妙に淫靡な姿。
 真っ赤になった瞳子が固まってしまったのが、なんだか可愛い。
「こうすると、おかしくない?」
「うん。さっきの方がマシ」
 それはそうなのだけれど、ハッキリ言って答になっていない。
 膝の上に乗る理由を聞いているのである。
「それはこれよ」
 ショールを示す可南子さん。
「これ、薄手の電気毛布なの」 
 電気毛布、と言われて乃梨子はようやく気付いた。入ってきた瞬間のショッキング映像で忘れていたけれど、薔薇の館はとても寒い。
 横にあるストーブをみると、ついていない。そもそも、灯油が入っていない。
「買い置きのが切れてしまったそうなの」
 こんな旧式のストーブを使っているのは、校内でも薔薇の館を含めて数カ所だけだ。そして薔薇の館以外は先生達の領域である。薔薇の館への灯油供給が後回しにされるのも仕方ないかも知れない。なにしろ先生方の中にはお歳を召したシスターも含まれているのだから、本気で命に関わる問題なのだ。
「それで自宅から持ってきたわけだけど、これ一つしか無くて」
「それを二人で挟んで暖を取っているのよ」
 瞳子が最後に言葉を引き取って、ようやく乃梨子は納得した。
 つまり、瞳子は可南子さんの膝に座っているというよりも、可南子さんの膝にかけられた電気毛布の上に座っているということなのだ。
「それにしても、知らないでいるとおかしな恰好ね」
 やっぱり、と呟く瞳子。
「やっぱりこれって……おかしいのよ」
「さっきまで文句一つ言わずに座っていたじゃないの。お喋りしたりして」
「それは、二人きりだと思っていたし、それに、だんだん慣れてきて…」
 二人きりなら構わない、という感覚が既におかしくないのかな、と乃梨子は思った。
 というか、二人きりをいいことに瞳子を誑かしたのね、可南子さん。と、乃梨子は心の中でウフフと笑う。
「じゃあ、それはいいとして」
 乃梨子はカバンの中から電気毛布を取りだした。
「私も持っているんだけど」
 可南子さんが瞳子をギュッと抱き締める。
「そんな物で瞳子さんを釣ろうなんて、なんて人なの、乃梨子さん」
「可南子さんに言われたくない」
「志摩子さまという人がいながら、なんということを」
「友達と仲良くしようとして何が悪いのよ。寒いから電気毛布で暖まる、自然じゃないの」
「瞳子さんは既にこちらで暖まっています。身も心も」
「心!?」
「ですから、乃梨子さんは一人で充分暖まって下さい、さあ、そちらへ」
「……可南子さん?」
 不退転。そんなリリアンらしからぬ文字が、乃梨子の脳裏には浮かんでいた。
 
 
 
 
 由乃が先頭で扉を開ける。
 そして動きが止まる。
「今日は、帰ろうか」
 は? 祐巳と志摩子が同時に言う。
「祐巳さんも志摩子さんも、見ない方がいいと思うよ?」
 祐巳と志摩子は首を傾げて覗き込んだ。
「!?」
 そこには、乃梨子と可南子に挟まれて真っ赤になっている瞳子の姿が。
「瞳子、暖かいよね?」
「瞳子さん、こちらの方が暖かいですよね」
 由乃は扉から離れた。
 祐巳と志摩子は扉にしがみつくようにして覗き込んでいる。
 ……帰った方がいいな。
 由乃は振り返ることなく、薔薇の館を後にしたという。
 
 
 
 
 
 
 
あとがき
 
 
 
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