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ある日の由乃
 
 
 
 由乃は薔薇の館の前にいた。
 久し振り。とは言っても春休み前に来てから一週間も経っていないのだけれど。
 学校のある間はほとんど毎日来ていた身からすると、それだけでも結構離れていたような気分になるものだった。
 人の気配のない薔薇の館に入っていく。鍵はきちんと持っている。
 今や黄薔薇さまなのだ。薔薇の館自体の鍵は三薔薇の誰かが必ず持つという決まりになっている。だから、自分でなければ祐巳さんか志摩子さんが持っているはず。
 今日はそのどちらもいない。乃梨子ちゃんも瞳子ちゃんもいない。ましてや、祥子さまや令ちゃんがいるわけもない。
 本当に、館には由乃一人だけだった。
「こんなに静かだったっけ?」
 独り言も虚しく響いて、由乃は肩をすくめるとビスケット扉を開けた。
 中に入り、お茶の準備を始める。お茶は自分で飲むためのものだ。今日は本当に由乃一人しかいない。誰かが来る予定もない。
 手に持っていた紙包みをテーブルの上に置く。中身はここまで来る途中に買ったサンドイッチ。そして、数枚のクッキー。
 椅子を引いて、座る前にふと思いついて窓際へ。
 見える範囲には誰もいない。校舎には誰かがいるのかも知れないけれど、ここからでは全く中は見えない。
 いつの間にか、目で誰かを捜している自分に気付く。誰もいないというのに。
 もしかすると、瞳子ちゃんが演劇の活動で出てきているかも知れない。だからといって、薔薇の館には入ってこないだろうけれど。
 他には……正確には薔薇の館の住人ではないけれど、可南子ちゃん。祐巳さんや瞳子ちゃんのと関係を見ていると、いつゲストとして現れても不思議はないだろう。今日だって部活動をしているか知れない。でも、少なくとも今日は薔薇の館に姿を見せることはないだろうけど。
 お湯が沸いたのを確認して、自分のためのお茶を煎れる。椅子に座ってサンドイッチの包みを開く。
 ゆっくりと食べ始めると、咀嚼の音が随分と大きいように錯覚して驚いてしまった。
 
 朝起きる。顔を洗う。歯を磨く。服を着替える。朝御飯を食べる。登校する。
 当たり前の由乃の日常。当たり前だけど、何か肝心なことが抜けていた。
 令ちゃんがいない。どこを探しても、令ちゃんがいない。
 令ちゃんは一人で大学へ行ってしまった。仕方のないことだとわかってはいるのだけれど。
 置いて行かれたわけではないのだ。こうならなければならないこともきちんとわかっている。いつまでも令ちゃんがいなければならない、それじゃあダメなんだと言うこともちゃんとわかっている。
「…でも、ダメだよ」
 口に出して呟いてみると、本当に駄目なような気もしてくる。
 由乃は、自分が思っているほど強くなかった。令ちゃんが思っているほど強くなかった。とっても弱かったのだ。
「令ちゃんがいないとダメだったみたい」
 だから、誰もいない館に来ればもしかしたら何かが見つかるかもと思ったのだ。祐巳さんや志摩子さんのようになるための何かが。
 二人のように、お姉さまがいなくても自分らしく薔薇さまらしくいられるような何かが。
 でも、ダメだった。
 いや、そもそもそんなものが本当にあるとは思っていなかったのだ。ただ、自分を見直したかっただけかも知れない。
 最初はつぼみの妹としてこの館に姿を見せて、その後は身体の事情で滅多に姿を見せなかった一年生の頃。
 一年の時に祐巳さんと出会って手術の決心をして、それから少しずつ自分は変わった。これまでの分を取り戻さんばかりに活発になったのだ。
 だけど、自分は結局自分のままだった。令ちゃんがいないとダメなんだ、と由乃は痛切に感じていた。
 食べ終わってもう一度窓の外を見る。 
 誰かがこちらを見ているような気がした。
 目をやると、誰もいない。気のせいだったのだろう。
 溜息が出た。
 こんなに情けない黄薔薇さま、本当にいいのかなと自問してみる。
 高い椅子の背もたれに身体を預けながら目を閉じて考えていると、少しずつ睡魔が襲ってくる。
 別に、少しくらい眠ってしまってもいいか。
 睡魔に身を任せよう。
 目を閉じたと思ったらすぐに……とはいっても後から時計を確認したら結構な時間が過ぎていた。眠ってしまっていたのだろう……膝に重みを感じて目を覚ます。
「目が覚めましたか? 由乃さま」
 そこには見覚えのある姿。少し違うのは、中等部の制服が高等部のものに替わったくらい。
「……菜々?」
「ごきげんよう由乃さま」
「どうして?」
 菜々は、由乃の膝の上に座り込んで動こうとしない。
「新年時からの教科書を受け取りに来たんですけれど、ふと薔薇の館を見たら窓が開いていたので、由乃さまがいるような気がして」
 確信があったわけではない、と菜々は言う。そっと覗いて、由乃以外の人がいたなら黙って逃げるつもりだったと。
「由乃さまは何をなさっていたんですか?」
 何をしていたわけでもない。強いて言うなら、お昼ご飯を食べに来ただけ、になってしまう。
「一人でいると、なんだか寂しそうに見えました」
 ああ、と由乃は心の中で頷いた。
 見られてしまったのか。それとも理解されてしまったのか。
「寂しいんですか?」
 無遠慮に尋ねられても、不思議と腹は立たなかった。
 でも、どう答えればいいのかわからない。
 寂しいと言っても、寂しくないと言っても間違いな気がする。
 菜々は、由乃の膝の上でくつろぐように伸びをした。
「そんなの困りますよ?」
「え?」
「由乃さまに寂しいなんて言われたら、私の立場がありません」
 菜々は由乃にもたれかかった。
「私がなんでここにいるか、わからなくなってしまうじゃありませんか」
 そう。菜々がいる。令ちゃんがいなくても、菜々がいた。
 由乃は答を見つけた。
 菜々に対する返事は一つしかない。
 由乃は、膝の上の菜々を捕まえる。
「捕まえたからね?」
「捕まってしまいました」
 当然でしょう? という顔で、それでも笑いながら菜々は由乃を見た。
「そのまま一年ほど、捕まえていてくださいますか?」
 返事のかわりに、由乃は菜々を捕まえた手に力を込めていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
あとがき
 
 
 
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