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蜂蜜檸檬
 
 
 
 一度やってみたかったことがある。
 そう言って瞳子がカバンから取りだしたのは手頃な大きさのタッパーだった。
 乃梨子がその中身を尋ねると、瞳子は得意そうに蓋を開ける。
「檸檬の蜂蜜漬けです」
「それを、作ってみたかったわけ?」
「いえ。よくあるじゃありませんか、ドラマや漫画なんかで」
 漫画。
 ドラマはまだしも漫画、と瞳子から言われると何となく違和感があるのだけれど。瞳子だって現代の女子高生。漫画の一つくらい読んでいたっておかしくはない。
「レモンのハチミツ漬け、ねえ……」
 気持ちは嬉しいけれど、お茶請けにはどうかと思う。
 だけどとりあえず、と一つ摘もうとした乃梨子を、瞳子は制止する。
「つまみ食いはお断りですよ、乃梨子さん」
「一つくらいいいでしょ。どうせ食べるんだし」
「どうして乃梨子さんが食べるんですか?」
「え? だって」
 ここは薔薇の館。そして二人はそれぞれ白薔薇のつぼみと紅薔薇のつぼみ。館にいる資格、お茶を飲む資格は充分にある。
 それに関しては瞳子に疑問を抱かれる筋合いはない。
「ここで食べるつもりで持ってきたんじゃないの?」
 ああ、と瞳子は頷いた。
「ごめんなさい。乃梨子に勘違いさせたみたいね」
 これは薔薇の館への差し入れとして持ってきたわけではない、と瞳子は言う。
「これは、可南子さんのところへ持っていくものですから」
「可南子さん?」
 どうしてそこで可南子さんの名前が出て来るのか、乃梨子にはわからない。
「なんで可南子さんなの?」
「それが……」
 瞳子は難しい顔になる。
「他にいないんです」
「はぁ?」
「他に運動部の方がいないんです」
「黄薔薇さまがいるじゃない」
 由乃さまは紛れもなく剣道部なのだ。
「黄薔薇さまには菜々ちゃんがいますから」
 黄薔薇のつぼみである有馬菜々ちゃん。彼女を差し置いて差し入れなどはできないと言うことか。
「いや、でも、わからないんだけど」
「なにがですか?」
「どうして、可南子に差し入れを?」
「可南子さんに差し入れをしたいと言うよりも、檸檬の蜂蜜漬けを作ってみたかったんです」
 順序が逆である。
 つまり、作ったはいいが持っていくところがない。瞳子にとってこれはスポーツの後に食べるものであって、普段の食べ物にはカテゴライズされていない。
 今の瞳子が差し入れできる相手と言えば、薔薇の館関係者以外には可南子さんしかいない、ということも乃梨子にはわかっていた。
 黄薔薇さまは前述のように論外だ。
「可南子さんは知ってるの?」
「いえ、思いついたのが昨夜でしたから」
 急に持ってこられて迷惑というわけではないだろうけども。
 可南子さんなら喜んで受け取りそうだけど。
 乃梨子は何となく釈然としない。
「良いじゃない。味見くらい」
「駄目です。これは身体を動かした後に食べるもの、そう決まっているんです」
「じゃあ、ちょっと走ってくるから」
「なに言ってるんですか。乃梨子さんは部活やってないでしょう?」
 瞳子にも譲れないラインがあるらしい。
「それはそうだけど、瞳子、その辺はこだわってるの?」
「乃梨子こそ、そんなに食べたいんですか?」
「うん」
「駄目です」
「あ。素直に答えたのに」
「素直に答えたらあげる、なんて約束してません」
 では、失礼して。
 などと言いながら館を出て行く瞳子。現状、館にいるのは瞳子と乃梨子、そして菜々だけなので止められる者はいない。
「あ、ちょっと、瞳子。待ちなさい」
 追いかけながら、乃梨子は一瞬振り向く。
 菜々は、仕方ないなぁという顔の半笑い。
「行ってらっしゃいませ、乃梨子さま」
「あと、お願い」
「はい」
 外へ出ると、瞳子が待っている。
「ついてきても、差し上げませんよ?」
「別に、そういうわけじゃないから、安心して」
 ではどういうことですか? と聞かれれば、実際乃梨子に答える言葉はない。
 乃梨子は思わず身構えだが、瞳子は何も言わず歩いていく。体育館の方へ。
 
 練習も一段落した休憩中。
「あの、可南子さま」
 練習を見学していたと思しき一年生が、タッパーを両手で恭しく差し出すように持ってくる。
「よろしかったら、いかがですか?」
「え?」
 タッパーの中には、よく冷えたグレープフルーツのハチミツがけ。
 自分で剥いて、そしてハチミツをかけて、冷やして持ってきたのだろうか。
「いいの?」
「はい。あの、可南子さまの練習、見てて……あの……」
 ああ。と内心で可南子は苦笑する。
 最近多いのだ。
 本人こそ気付いていないが、下級生の可南子ファンが増加中なのである。
 背の高さ、運動神経、必要なときには凛々しい物腰。
 支倉令が卒業した後のミスターリリアン候補でもあるのだ。もっとも、部活以外で目立つ行動をとることがないので、今のところは知る人ぞ知る存在なのだが。
「ありがとう。いただくわね」
 タッパーの中のフルーツを、添えられていた小さなフォークで口に運ぶ。
「うん、美味しい」
 最初は当惑していたが、最近この手の行為に慣れてきている自分に、可南子は気付いている。そして恐ろしいことに、それほど嫌でもないのだ。
「本当ですか?」
 下級生の顔が文字通り輝いている。
「可南子さん」
 聞き覚えのある、冷たい声が聞こえた。
 可南子が顔を上げると、そこには瞳子。そしてその後ろで困ったように愛想笑いしている乃梨子。
「あら、瞳子さん。どうしたの?」
「ちょっとした用事がありまして」
「私に?」
「ええ、可南子さんにです」
 一年生にちょっといい? と声をかけると、相手が白薔薇のつぼみと紅薔薇のつぼみであると知った子が慌てて脇へ退く。
 その目はさらに可南子に心酔したように、(つぼみとお友達だなんて、さすが可南子さま……)と雄弁に物語っている。
「ごめんなさい、後からお邪魔して」
 瞳子がとっておきの余所行きの笑顔で言うと、一年生は真っ赤になって口の中でもごもご呟きながら退散していく。
 あー、ごめんね。とその背中に向かって声をかける乃梨子。
 体育館を出たところに座る可南子。その隣に座る瞳子。二人からちょっと間を空けて、入り口のところに立ちつくす乃梨子。
「それで、用事って何かしら?」
「大したことじゃないわ」
 瞳子がタッパーを差し出す。
「え?」
「差し入れです」
「差し入れって」
 思わず可南子は一年生が去っていった方向に目をやる。
 視線の前に乃梨子が手をさしのべ、可南子の注意を引く。
 気付いた可南子に、瞳子に気付かれないようにしながら乃梨子は人差し指を唇に当てて、「言わないで」とジェスチャーする。
 微かに頷く可南子。
「差し入れは差し入れよ。余り物で申し訳ありませんけれど、あ、これ自体は余り物ではありませんわよ。材料が余ったから別に作ったと言う意味ですから」
「そう」
 答える可南子からは、呆れ顔の乃梨子が見えている。
 いったい、何の余り物でレモンとハチミツが出てくるというのか。明らかに、運動部差し入れの定番品ではないか。
 ここに持ってこようとしていたのは明白である。
「それじゃあ、折角ですからいただきます」
 一つ摘んで、口の中へ。
「……どうですか?」
 おそるおそる尋ねる瞳子。
「うん。まぎれもないレモンのハチミツ漬けね。甘くて酸っぱくて、美味しいわ」
「そうですか」
 あからさまにホッとした表情になる瞳子に、可南子はふと意地悪をしたくなる。
「でも……あ、別にいいか」
「な、なんですの」
「ん。なんでもない。差し入れありがとうね」
 立ち上がり、そそくさと体育館に戻ろうとする。
「それじゃあ、練習の続きがあるから」
「ちょっと待って、可南子さん」
 早歩きになりながら、可南子は振り向く。
「なにか、言おうとしてませんでした?」
「大したことじゃないわよ、差し入れがちょっと……ううん、やっぱりなんでもない」
「可南子さん?」
「じゃあ、後でね」
 可南子が体育館にはいると同時に、休憩終了の合図が聞こえる。
 活動が始まってしまえば、いくら瞳子でもその邪魔はできない。
 
「……いったい、なんなのかしら……」
 ああ。その様子を見ていた乃梨子は心の中で呟く。
 瞳子、完全に遊ばれてる。と。
 そんなに、運動部に差し入れというものに憧れていたのか、それともただの好奇心で面白がっているのか。
「……まさか、可南子さんに差し入れしたかったなんて言わないよね」
 まさか、と思う自分。
 どう見てもそうじゃないの、と思う自分。
 なんだろう、これ。
 もやもやと、なにか妙なものが身体の中にあるような気がする。
「どうしたの? 乃梨子?」
 薔薇の館に戻ってももやもやは晴れず、志摩子さんにまで言われてしまう始末。
「……あ、うん、なんでもないよ」
「何か心配事?」
 なんでもないよと首を振り、見ると、菜々が興味深げに乃梨子を見ているではないか。
「菜々ちゃん、なにか?」
「いえ。なんでもありません。乃梨子さまこそ、何かありました?」
 瞳子さまと一緒のときに、と言外の質問。
「別に」
「あの、乃梨子さま?」
 菜々は、申し訳なさそうにおずおずと、
「よろしければ、一緒に持ってきましょうか?」
「え?」
「お姉さまと自分のものを持ってくる時に。ついでで申し訳ないですけれど」
 志摩子が首を傾げている。
「菜々ちゃん、何の話?」
「レモンのハチミツ漬けとは限りませんけれど」
「菜々ちゃん、私は別に食べたい訳じゃ」
 言いかけた乃梨子。志摩子はさらにわけがわからない。
「乃梨子? 酸っぱいものが食べたいの?」
「違う違う、お姉さま誤解しないで。食べ物の問題じゃないの」
「え? 違うんですか」と菜々。
 本当にわかっていないのかわざとなのか、つきあいはそれほど長くないので乃梨子には菜々の本音はまだ掴めない。けれど黄薔薇の系譜と考えれば、確実に面白がっているに違いないと乃梨子は思う。
「菜々ちゃん、わざと言ってない?」
「いえ。私はまた、瞳子さまの出されたハチミツ漬けを欲しがっていたのかと思って」
「瞳子ちゃんのハチミツ漬け?」まだ悩んでいる志摩子。
 お姉さまの言い方だとまるで瞳子がハチミツに浸かっているようだと、乃梨子は想像してしまう。うん、ちょっとグロテスクかも知れない。
「瞳子が、可南子さんに差し入れるためにレモンのハチミツ漬けを持ってきていたんです」
「ああ」と頷く志摩子さん。
「乃梨子は羨ましかったのね」
「お姉さま、私はそんなに食いしん坊じゃ」
「ううん。そうじゃなくて」
 志摩子は微笑んだ。
「可南子ちゃんが羨ましかったんでしょう?」
 おお、と呟く菜々。
 呟きが耳に入り、乃梨子はつい菜々を睨んでしまう。だけど、その頬は赤くて。
 なるほど、とでも言いたげに頷く菜々をさらに睨んでも、時すでに遅し。
「よくわかりました。乃梨子さま」
「何がよ」
「いろいろと、です」
「わからなくて良いから」
「いえ、私も早く薔薇の館の一員として……」
「関係ないからね、薔薇の館とは」
「公事と私事は分けて考えるということですね」
「そこ、変な納得しない」
 いいながら、乃梨子は志摩子をチラと見る。
 志摩子は二人のやりとりを楽しそうに眺めている。それは、乃梨子には少し不満だったりする。
 可南子が羨ましいと言うことは、瞳子に世話をして欲しいという意味なのに。
 ……志摩子さん、別に良いのかな?
 無闇に嫉妬を煽って楽しむ性格ではないけれど、無造作に放っておかれるというのもそれはそれで嫌だ。
 贅沢だな、と乃梨子自身も思うのだけれど。だけど、もっと気にして欲しいと思うことは仕方なくて。
「どうかした? 乃梨子」
 乃梨子はそれでも笑顔で答える。
「ううん、なんでもないよ」
 瞳子は瞳子。志摩子さんは志摩子さん。乃梨子は自分に言い聞かせる。
 
 そして、次の日。
「ごきげんよう、乃梨子」
「ごきげんよう、お姉さま」
 いつものようにマリア像の前で待ち合わせ。
 いつものように二人で歩き始める。
「そうだ、乃梨子」
「はい」
「これ、作ってみたのだけれど」
 志摩子さんがカバンから取り出すのはタッパー。
「え?」
「瞳子ちゃんとは違うかも知れないけれど」
 タッパーの中身はレモンのハチミツ漬け。
「志摩子さん」
 でも、これが食べたかった訳じゃない。それはお姉さまもわかっていたはず。お姉さま自身が指摘していたはず。
「恥ずかしい話ね」
 照れたように笑う志摩子。
「なんだか、悔しくて。つい、作ってしまったの」
 乃梨子はレモンを一片、手に取った。
 その表情は、抑えようもなく笑ってる。だらしないくらいに笑っているに違いない。と乃梨子は思う。
 ……だって仕方ないじゃない。
 ……こんなに美味しいんだから。
 それは食べる前からわかってる。
 これはとても甘くて美味しい物だって。
 だって、お姉さまが作ったのだから。
 
 
 
 
 
 
あとがき
 
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