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ケーキは一つ カップは二つ
 
 
 
 失敗した。と瞳子は思った。
 さすがにこれは予想できなかったのだ。
 まさか、こんな所で可南子さんに出会うとは。
 こんな所って……という可南子さんの呆れる声が聞こえるような気もするけれど。なぜならここは薔薇の館。リリアン生徒全員に開かれた場所なのだから。
 可南子さんどころか、日出実さんでも笙子さんでも、誰が来てもおかしくもなんともない。それどころか、ゴロンタだって来るかも知れない場所だ。ちなみに、ゴロンタが現れたらきっと山百合会幹部一同は総出で歓迎するだろう。珍しく、かつ可愛らしい素敵なお客さんなのだから。
 もっと言えば、優お兄さまが現れても不思議はない。あの人の神出鬼没ぶりは、小さな時から見慣れた瞳子からしても不可思議以外の何者でもない。花寺と言えば、アリスだって違和感はないだろう。リリアンの制服さえ着ていれば、ここで紅茶を飲んでいても誰も気付かないに違いない。
 だけど、祐麒は駄目だ。小林も論外。高田に至っては問題外以前に、門から入った瞬間に守衛に捕まるだろう。世の中は……少なくともリリアンは……そういう風にできている。
 それにしても、何という間の悪さなのだろうか。あと十数分早ければ何の問題もなかったのだ。いやいや、それに関して可南子さんを咎めるのはあまりに酷というものだろう、と瞳子は考え直す。
 悪いのは由乃さま。と瞳子は考える。
 ちゃんと人数分+αのケーキがあったのだ。前白薔薇さまこと佐藤聖さまの差し入れは「ちょっと早いけどメリークリスマス」との声と一緒にやってきたのだ。あと、「ちなみに私の誕生日は……」と言いかけていたような気がするけれど記憶から抹消。
 そう、人数分より余分にあったのである。さすがは聖さまの心配りである。最愛のお姉さまに粉をかける憎き先輩であることを瞳子は一瞬だけ忘れてあげることにした。そもそも、ケーキに罪はないのだ。
 ところが、である。
 お姉さま。黄薔薇さま。白薔薇さま。乃梨子。瞳子。菜々ちゃん。六人に対してケーキは八個。聖さまは自分は食べずに帰っていった。
 そこへやってきたのは真美さま日出実さん、そして蔦子さまと笙子さん。ケーキは足りない。
「ああ、私たちは急いでいるから」
 と新聞部姉妹。言葉の通り、白薔薇さまにいくつか質問すると、そそくさと去っていく。
「私たちも急いでるのよ。とりあえず、一枚ね」
 年内に撮りきりたいものがあると言うことで、写真部の師弟コンビ――この二人は姉妹ではないのだ――もそそくさと撤収する。
「うん。ケーキが二つ余るのね」
 黄薔薇さまの言葉は不穏。言外に「私が食べるので誰も手を付けないように」との意思が見え隠れしている。
 しかし、他のことならいざ知らず、こと甘味に関しては他者の追随を許さないのが瞳子のお姉さま、紅薔薇さまこと福沢祐巳なのだ。
「じゃあ二人分だね」
 にっこりと、その言葉の裏には「二人分あるんだから独り占めは良くない」と。
「そうですね、二個ですからね」
 乃梨子の言葉の裏には「お前ら二人で決めてるんじゃない。志摩子さんを忘れてんじゃねえよぉおおおっ!!」
「お客様が来るかも知れないわ」
 一人、冷静かつ常識的な志摩子さん。
 だけど瞳子は首を傾げる。
 いつもの四人(真美・蔦子・日出実・笙子)はすでに帰った。
 来るとすれば後一人。
 と、考えている瞳子の視界の隅で動くもの。
 お姉さまと黄薔薇さまが右手を掲げている。右手の先に燦然と輝く二本の指。そして、うなだれる乃梨子の手は開かれている。
 チョキとパー。乃梨子は負けたらしい。
 いつの間にか始まり、いつの間にか終わったじゃんけん勝負。
「じゃ、そういうことで」
「ごめんね、乃梨子ちゃん」
 嬉しそうに二つのケーキにそれぞれ手を伸ばす二人。
 何やってんですか、お姉さま。
 そう言いたいのを我慢して、瞳子は心持ち乃梨子に頭を下げる。
 肩を竦めてそれに応える乃梨子。
 そして呆れている内に、皆はケーキを食べ終えてしまう。瞳子はまだ一口も食べていないと言うのに、二人は二つも食べている。
 食べようか、と思ったところで黄薔薇さまが「忘れてた」と声を上げた。そして、三年生皆で揃って職員室へ行ってしまう。
「ごめん、後よろしく」
 戸締まりの類を任されるのは構わない。
「あの、瞳子さま、乃梨子さま、私、今日は早く帰らなければならないとお姉さまには言っていたのですけれど」
 その数分後に菜々ちゃんがおずおずと切り出したとき、瞳子は何も考えずに頷いていた。
「別に良いですわ。今日残っている仕事なんて、戸締まりくらいですから」
「申し訳ありません」
 テキパキと荷物をまとめ、出て行く菜々ちゃん。これで残っているのは乃梨子と瞳子だけ。とは言っても、本当にやることはない。
「じゃあ、私、先に帰るね」
 今日は待たなくても良いと、白薔薇さまが乃梨子に伝えたことは瞳子も知っている。
「ええ、戸締まりはしておきますわ」
「うん。それじゃあお先に」
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
 そして乃梨子が姿を消して、瞳子がようやく自分のケーキにゆっくりと手を付けようとしたとき、
「ごきげんよう。あら、瞳子さんお一人?」
 可南子がやってきたのである。
 
 テーブルの上にはケーキが一つ。
 可南子が現れたときにはすでにテーブルの上に置いてあったので、今更隠すことはできない。
 そして、互いの前にはカップ。つまり、お茶は二杯。
 ケーキは一つ。カップは二つ。
「別に、気にしなくても良いんですよ?」
 可南子は静かに言った。
「私が突然押しかけたのですから、そのケーキの権利は瞳子さんのものです」
「お言葉は嬉しいのですけれど」
 客の前で主人だけがケーキを食べるというのはいかがなものか。と瞳子は考える。
「客と言っても、私は半分関係者のようなものですし」
 確かに。一般生徒の中では最も薔薇さまに近い存在だろう。なにしろ瞳子とは一時期、紅薔薇のつぼみの妹の座を巡ったライバルと目されていたのだ。本人たちの意思がどうであったとしても。
 しかも、その後もちょくちょく手伝いに現れている。ある意味では日出実や笙子よりもよっぽど薔薇の館に近い存在だろう。
「だからといって、ないがしろにして良いというわけではありませんわ」
 瞳子の言うことももっともだった。
 では、どうするべきか。
「それはそうですけれど……」
 可南子はじっとケーキを見る。
 イチゴの乗った、何の変哲もないショートケーキ。しかし、これが外見からは信じられない希少価値を秘めたモノだと言うことを可南子は知らない。
 しかし瞳子は知っている。これが、一日限定十五個という代物だということを。
 それを一人で過半数の八個買い占めた聖さまは割と鬼畜である、と瞳子は思う。果たして何人の乙女がその所行の前に涙をこぼした事やら。
 ちなみに、そんな代物なら購入限定があるはずではないかという意見も出るだろう。話は簡単である。
 聖さまは元白薔薇さま。それも、歴代薔薇さまの中でもトップクラスの人気を誇る超白薔薇さま。そして、ケーキ屋の一人娘はリリアン生。さらに母親も元リリアン生。その上二人ともミーハーで、母に至っては当時から現在までの薔薇さま全員の顔写真をどこからか入手しているという、一般的にはストーカーと呼ばれかねない強者だ。
 聖が店先に顔を見せた瞬間、十五個全て買うと宣言してもそれは即座に受け入れられただろう。
 ちなみに瞳子の予想に反して、十五個限定という事実を聖さまは知らない。さすがにそれを知った上で過半数を買い占めるような非常識さはないのだ。
 ただ、ふらりと入った店先で美味しそうなモノを見つけたので買っただけである。ちなみに八という数は、彼女が白薔薇さまだった頃の薔薇の館に揃っていた人数である。
「いいです、可南子さん、召し上がれ」
 可南子には悪いけれど、珍しいとか高価とかいう類のケーキならば自分は簡単に入手できる立場だと瞳子は知っている。これは嫌みでも増長でもなく、互いの家の経済的な立場の違いという事実に過ぎないので仕方がない。
 その事実に同時に思い至ったのか、可南子は素直にフォークを取る。
 ところが、
「はい、瞳子さん」
「?」
「あーん」
「なっ」
 ニッコリ微笑んで、フォークの先に乗ったケーキの欠片をこちらに向けている可南子。
「最初の一口は瞳子さんに」
「え、あの……」
 慌てている内に、
「あーん」
 近づいてきたフォークに思わず口を開いてしまう。
 ぱくり
「な……な……」
「口の中にモノを入れたままお話をするのは行儀が悪いわよ?」
 そうして、
「あら、美味しい」
 二口目を自分の口に運ぶ可南子。勿論、フォークはそのままだ。
「か、可南子さん、フォーク、フォーク!」
「ん? 私は気にしないの」
「私が気にしますわ!」
「嫌なの?」
 不本意そうに、首を傾げて瞳子を見つめる可南子。
「同じフォークで食べるのは嫌?」
「そ、そんなの……」
「じゃあ、これで」
 可南子はケーキに乗ったイチゴを指で摘むと再び、
「あーん」
「可南子さん!」
 叫んだ口に放り込まれるイチゴ。そして可南子は指に付いたクリームをぺろりとなめる。
「うん、おいしい。さすが、翠屋のケーキね」
「知ってらしたんですか?」
「ええ。前に一度、夕子さんにどうしてもって頼まれて買いに行ったことがあるから」
「味は、本店には劣りますわ」
「本店に行ったことがあるの?」
「ええ。一度だけ、優お兄さまとのドライブで」
 ご希望ならば次回はお誘いしましょうか? と尋ねる瞳子に可南子は苦笑する。
「申し訳ないけれど、男の人が運転する車は遠慮したいの。瞳子さんが免許を取ったらご一緒するわ」
「運転は私ですの?」
「別に私でも良いけれど」
「免許取り立てで行くには、あそこは遠すぎますわ」
「じゃあ近場のドライブにしましょう」
「いつの間にドライブが決定しているんですか?」
「嫌なの?」
「そういう問題ではありませんわ」
 いつの間にか可南子の二人の間を往復し、二人は順番にケーキを食べていた。
 それに瞳子が気付いたのは、ケーキが無くなって、可南子が帰った後のことだった。
 
 
あとがき
 
 
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