祐巳さんと可南子ちゃん
「瞳子さんとデート」
いつものように薔薇の館へ向かう途中、可南子は見慣れた背中を見つけた。
小さな背中。特徴的なドリル、もとい、縦ロール。
縦ロールの持ち主はご立腹の様子。なにやら歩き方まで物々しく、縦ロールが憤然と大きく揺れている。
そして実のところ、可南子にはそのご立腹の原因に心当たりがないわけでもない。というより、このところちょくちょく見られる彼女のご立腹は、ほとんどが同じ原因なのだ。
同じ原因、というより、同一犯と言うべきか。
松平瞳子が立腹しているのは、少なくともこの数日に限った話だと、有馬菜々が原因なのだ。そしてほんの少しだけ、島津由乃も。
松平瞳子は、有馬菜々に手を焼いているのである。
そもそもは菜々と由乃の出会い。
今では瞳子の妹、黄薔薇のつぼみの妹として認知されている菜々は、瞳子の妹になりたがっていたわけではない。菜々は元々、島津由乃の妹になりたがっていたのだ。
ところが、いざ高校へやってくると、由乃の妹は瞳子だった。
「じゃあ私は瞳子さまの妹で」
無茶苦茶だ。と可南子をはじめ、全員が思った。
ところが、それを通したのが菜々の怖いところ、瞳子の不思議なところなのだ。
薔薇さまたちに言わせると、
「瞳子ちゃんは瞳子ちゃんなりに菜々ちゃんが好きだから」ということらしい。
正直可南子にとっては首を傾げてしまうようなことなのだけれども、薔薇さまが――他ならぬお姉さまが言うのだから間違いはないのだろうと思っている。
なのに、二人は角をつき合わせている。これはこれで二人のコミュニケーションなのかも知れないけれど、つきあわされる方からしてみればたまったものではない。
「ごきげんよう」
だけど、そんなカリカリしている瞳子を見るのは結構可南子の楽しみになっていたりする。
……意地が悪い、と自分でも思ってはいるのだけれど。
「可南子さん?」
「ええ。誰だと思った?」
「……ごきげんよう。別に可南子さんだとは思わなかった。それだけです」
「そうね。私としても一年生と間違えられるのはイヤだわ」
「どうして菜々と間違えるんですか」
「あら。私、菜々ちゃんなんて言ってませんけど」
振り向いていた瞳子が首を元に戻す。そして返事をせずに足を速めた。
「なるほど。瞳子さんは可愛い妹のことを考えていたと」
「どこが可愛いんですか!」
「可愛くないの?」
「アレは、猫を被っていると言うんです。それも、一匹や二匹じゃありません。猫一年分くらい被ってますわ」
「猫一年分って何匹?」
「知りません!」
かなり怒っているな、と可南子は判断する。
そう、つまり、かなり怒っているということは、より面白いということなのだ。怒りの方向がわかっているので余波を受けることもない。
「姉妹喧嘩はみっともないですよ」
「だから、菜々のことじゃありませんって」
「あら。由乃さまだと思ってました」
「いいかげん、怒るわよ?」
「だったら、どうして怒っているか話してください。それが気になっているだけなんですから」
「どうして私がそんなことを可南子さんに……」
「だったら」
可南子は真面目な顔になる。
「怒っていることを周囲に知らしめるのはやめてください」
「別にそんなことしてないわよ」
「だったら、普通に接してください。今の瞳子さんは、怒っているのが見え見えですから」
基本的に「怒る」というのは褒められた感情ではない。どちらかと言えば秘められるべき感情だ。あまり堂々と表に出すの憚られる感情だ。
当人が必死で隠そうとしているのなら尚更である。
あからさまな怒りより、押し殺した怒りの方が陰に籠もって暗い。不愉快になる。
可南子はそう言って瞳子を促した。
怒っていないと言うのなら、本当に怒っていない状態になりなさい。それができないのなら、素直に怒っていることを認めてその原因を言いなさい。
「聞くことくらいしかできないだろうけど、それでもすっきりはするでしょう?」
瞳子の明かした真相は単純だった。
菜々が由乃と一緒にいる。
剣道部で一緒にいる。こと部活に関しては瞳子は干渉できない。部活の中では黄薔薇さまと、つぼみの妹しかいない。つぼみたる瞳子はそこにはいないのだ。
それが腹立たしい。
「つまらない嫉妬でしょう」
自分で肩をすくめ、瞳子は説明を締めくくる。
「これでおわかり?」
「ええ」
可南子は頷いた。
「本当につまらないわ」
だけど、
「気持ちはよくわかるような気がする」
瞳子は立ち止まった。
薔薇の館へ行く途中。というより、もう目の前である。
「そう」
「ええ。大変ね。令さまがいなくなったと思ったら今度は菜々ちゃん」
「気の休まる暇もないわよ」
「休めたらきっと退屈よ」
「退屈になりたいわ」
可南子は笑った。
「仕返しに、浮気してみる?」
瞳子も笑った。
「紅薔薇さまと?」
「それは絶対許しません」
館へ入り、階段を上がってビスケット扉。
「やっぱり浮気は駄目ですよ」
可南子は扉を開け、咄嗟に振り向いて唇に指を当てる。
ジェスチャーの意味を即座に悟って、瞳子は静かに室内に目を向ける。
祐巳さまがいた。
机に一人。こてんと頭を倒して居眠り中。
二人は悪戯っぽく目を見合わせると、静かに祐巳を囲むようにしてテーブルに着く。
祐巳の身じろぎに、二人はぴたりと動きを止める。
しかし、起きる気配はない。
可南子は瞳子に向かって頷いてみせると、そっと祐巳の耳元に近づいた。
「お姉さま」
そう言おうとした瞬間、
「……お姉さま……」と祐巳が呟く。
ぴたり、というより、かちんこちんに凍ったかのように、可南子は硬直した。
祐巳はなにやら嬉しそうに夢の中で笑っている。
「……駄目ですよ、お姉さまったら……」
瞳子が微妙な半笑い顔で可南子をじっと見つめていた。
可南子は無言で瞳子を見返し、視線でその場を去るように促した。その表情に何を見たのか、瞳子は慌てて笑いを引っ込めて一歩下がる。
すると、可南子は一枚の紙を取り出してなにやら記す。どうやら、手紙らしい。
書き終えるとそれを祐巳の手元に置き、そそくさと瞳子を館から連れ出す。
「あの、可南子さん?」
連れ出されたところでようやく尋ねる瞳子。
「怒っているのはわかりますけれど、これからどうするんですか?」
「別に怒ってませんよ」
「……どう見ても怒ってます」
「私はただ、瞳子さんのお怒りにおつき合いしようかと」
「なんで私?」
「瞳子さんが怒っていたのでしょう? 菜々ちゃんに」
「……今は可南子さんが」
「なにかっ?」
可南子の鋭い視線に瞳子は咄嗟に俯いた。
「いいえ、なんでもありません」
「私は、瞳子さんの鬱憤晴らしにつきあうんです」
「は、はい」
「じゃあ行きましょうか」
「えっと……何処に?」
「何処でも良いじゃありませんか。デートですよデート。お姉さまのことなんて知りません」
「私はそれ関係な……」
「なにかっ?」
「なんでもないです。関係あります」
「それじゃあ、行きましょうか、瞳子さん」
「はい」
お姉さまの夢を見た。
あまりにもリアルな夢だったので、目が覚めた祐巳は、一瞬自分のいるところがわからなくなってしまう。
「あ……」
ここは薔薇の館だ。
「居眠りしちゃった?」
確か可南子を待っていたはず。
可南子はまだ来ないだろうか。寝ている間に来ていたのなら起こしてくれるはずだ。
そこで、祐巳は手元に置かれたメモに気付く。
それは、可南子からの手紙だった。
「お姉さまへ
瞳子さんとデートしてきます
お姉さまは、祥子さまと夢の中でデートしていてください」
お。と思わず祐巳は呟く。
どうして、夢の中身が可南子にわかってしまったんだろう。
大きな謎、だった。