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主二人
1「はやてちゃんの誕生日ですよね?」
 
 
 授業中、なのはは黒板に貼られている板を凝視していた。
 貼られているのは、マグネット板で作られた正方形。
 その正方形は、四つの図形……二つの直角三角形と二つの台形……で作られている。
 その正方形を組み替えると、長方形になる。
 確かに、なっている。先生が組み替えるのを見ていると確かに長方形になっている。
 ところが、長方形になると何故か最初の正方形より面積が増えるのだ。ありえない。
 当然空間を歪めているわけではない。ここは地球だ。ミッドチルダではないのだ。しかも、なのはの通う小学校だ。魔道師などいない。
 なのははもう一度。二つの図形を見比べる。
「うーん……」
「高町さん、ギブアップしてもええよ?」
「まだです、先生!」
「んー。そやけど持ち時間が無くなるからなぁ。ほら、次はバニングスさんやで」
 先生の仕草に振り向くと、アリサが「私の出番はまだ!?」と叫びかねない様子で虎視眈々となのはの失脚を狙っているのがわかる。
「なのは。早くギブアップしなさい。時間切れよ?」
「にゃあ〜。まだだよ、まだ三分あるの」
「アリサちゃん、落ち着いて。まだ考えているんだから」
 すずかのフォローもヒートアップしつつあるアリサの耳には入らない。
「さ、さ、さ、なのは!」
「こらこら、バニングスさん。あかんで。まだ高町さんの番やからな。君の出番は次や」
「はーい」
 渋々と答えるアリサ。先生の言うことが正当なのでアリサには反論の余地は全くない。
「ま、バニングスさんも落ち着き。真打ちは後から出るもんやからな」
「むぅ」
 なのはがじっと先生を見る。
 先生の言い方だと、まるで自分は露払いではないか。
「ひどい。私まだ、諦めてないの」
「ん? だったら、頑張って解いてみよか?」
 だからといってすぐに解けるわけもなく、頭を抱えるなのは。
「んー。やっぱりわかんない……」
「じゃあ、バニングスさんにバトンタッチかな」
「よしっ」
 鼻息荒く、教室の前に出てチョークを握りしめるアリサ。
「この長方形は……」
 その瞬間、チャイムが鳴った。
「ありゃ?」
 先生が腕時計と壁の時計を見比べた。
「あ、そや。こっちの時間割勘違いしてた。小学校は四十五分間授業やったな……。あかん、大学の九十分講義の癖ついてしもてる」
「えー」
 意気揚々と答えを発表しようとしていたアリサが唇をとがらせる。
「ごめんごめん。次の時間はバニングスさんからな」
「先生、次の特別授業はいつなんですか?」
 なのはの問いに首を傾げ、
「確か……来週の金曜日やったと思う。また、これの続きと別のものも持ってくるわ」
 私立聖祥大講師兼付属小学校特別講師八神光(やがみ・ひかる)は、持ってきた道具箱を抱えると頭を下げた。
 大学講義陣による小学校での特別授業は、私立聖祥大学付属小学校が売りにしている特色の一つである。だが、普通の大学教授にとってはかなり難しい。
 そこで、教授に比べれば教える技術に特化している講師、光に任せられているのだ。
「じゃあ、次回まで元気でな」
「あ、八神先生」
 教室を出た光を追いかけてくる三人。なのは、アリサ、すずかである。
「何か質問やろか?」
「あの、はやてちゃんはお元気ですか?」
 首だけで振り向いていた光は、なのはの質問が自分の娘のことだと知ると身体全体で振り向いた。
「ああ、元気やで。まだ学校はお休みやけどな」
「あの……また、遊びに行ってもいいですか?」
「勿論。はやても喜ぶし、僕も待ってるよ」
「必ず行きますって、はやてちゃんにも伝えてください」
「ありがとな。ちゃんと伝えるから」
 光はその場でかがむと、なのはの頭を撫でた。
「ホンマ、なのはちゃんみたいな子がおって、よかった。海鳴に来た意味があったわ」
 高町さん、と呼ぶ時は学校の講師として。
 なのはちゃん、と呼ぶ時ははやての父親として。それが光なりのケジメだった。
「勿論、アリサちゃんとすずかちゃんもな」
 なのはの後ろ、なのはだけが褒められるのを見てむぅっとしていたアリサが笑顔に変わる。
 そうそう。わかればいいのよ、わかれば。と笑顔が主張していた。 
 そして、そんなアリサを見ていたすずかも微笑んだ。
 じゃあ、と言って光は立ち上がり、再び職員室へと歩き始めた。
「はやても……」
 独り言が漏れる。
「……早く学校に来られるようになるとええな」
 光はそのまま職員室のロッカーに荷物を片づけると、そこには留まらず周りに挨拶をして出ていってしまう。
 邪魔者扱いとか、悪い意味でのお客様扱いということはない。和気藹々とした職員室の雰囲気自体は光も気に入っている。それでも、小学校で授業のある日は大学に戻る必要がないので、できるだけ早く帰るようにしている。
 要は早く家に帰りたいのだ。
 
 
  
「ただいま」
「お帰りなさい」
 いつもなら玄関まで迎えに出てくる娘の姿がない。
 光はいそいそと台所へ。
「ごめんなさい。今、手が離せへんかったから」
 案の定、はやては鍋で何かを煮ている。
 光は、車椅子に座っているはやての頭の上から、鍋を覗き込んだ。
「お、今日はカレイの煮付けか」
「魚が安かったんよ」
 目を下ろすと、こちらを見上げるはやての笑い顔が見える。光も、思わず笑みを返した。
「なあはやて」
「なに? お父さん」
「明々後日は、外で食事しよか」
「……うーん……」
「はやての誕生日やからな。なんでも好きなもん言うてええで」
「それより……なのはちゃんたち呼んで、うちでパーティしたい」
「パーティなあ。それもええかな」
 なのはたちとはやてが初めて会ったのは、三月の終わり頃である。そのときは、ただの偶然だった。
 まず最初に、父親の仕事先であり、自分が通っているはずの学校を訪れたはやてが、たまたまその場にいたなのはたちと顔を合わせた。
 そして先週の特別授業に現れた光になのはたちがはやての動向を尋ねたのがきっかけで、八神家に三人が遊びに来た。
 それから、三人ははやてと親しくなった。
「もっと早くお友達になっていれば良かったね」
 初めて遊びに来た日、すずかがそう言うと、なのはが困ったように頭をかいて言ったのだ。
「ごめんね。私が四月からずっと忙しかったから」
「別に、なのはちゃんのせいじゃないよ」
「そうそう。そうやってすぐ自分のせいにするのが、なのはの悪い癖よ」
「ごめん、アリサちゃん」
「ほら、また謝った」
「あ」
 その会話を聞いていた光はただ単に「最近の小学生は忙しいんだな」と思っただけである。
 まさか、なのはが魔砲少女として、ジュエルシードを巡ってフェイトと争っていた、なとどはわかるわけもない。
「よし。急やけど、誘ってみるか?」
「うん」
「電話してみ? カレイはお父さんが見とくから」
 トントン拍子に三人の参加が決まる。
「そしたら、誕生日は大盤振る舞いやな。ケーキは大きいのがええな」
 どちらにしても、誕生日ケーキは買うつもりだったのだ。
 大学での教え子に聞いた、海鳴にあるという知る人ぞ知る名店に光は思い当たる。
 名前は、
「確か……翠屋、やったかな?」
 電話番号は手帳にメモってあるはずだ。
 光は電話を終えて再びカレイとにらめっこしているはやてを台所に置いて、部屋に戻り携帯電話を取った。
 バレバレだとしても、やっぱりバースディケーキはサプライズの要素が欲しい。どんなケーキになるかは本人には内緒なのだ。
 電話口で希望のケーキを告げたところで、何かに気付く。
 電話の向こうはどこかで聞いた声である。
 名前と住所を告げた瞬間、店の人間の口調が変わった。
「八神先生ですか?」
「あれ? ……もしかして、高町さん? え? 翠屋って、高町さんの家?」
「はやてちゃんの誕生日ですよね?」
 ついさっきはやて本人からお誘いの電話をかけたのだ。わからないわけがない。
「ビックリさせよと思たんやけど、こっちがビックリしてもうた……」
「大丈夫。アリサちゃんとすずかちゃんがビックリしますから」
「そやな。それでいこか。そしたら、ケーキお願いするな」
「はい。毎度ありがとうございます」
 
 
 
 目覚める。と感じていた。
 何もない瞬間から、突然発生する意識。
 また、この感覚。
 実際に覚えているわけではない。
 それでも、おそらくはいつも同じ事を思ってしまうのだろうなと予想できる。
 身体中の皮膚が裏返されるような、それでいて肉体的な不快感は全くない感覚。
 ただ、例えようもない不安だけが心の中を駆けめぐっている。きっとこれも、新たな主に誓った瞬間に盲目的な忠誠心に上書きされてしまうのだろう。
 忠誠心。便利で、卑怯な言葉だ。この一言で全ての良心の呵責を一旦脇に追いやることができる。いっそ、本当に忘れ去ることができればどれほど楽なのだろうか。
 自らの記憶にすら残っていない悪行の予感に責め苛まれる千の夜、万の悪夢。
 いっそ、悪鬼羅刹となれるのなら。良心すらかけらも残さぬ異形の存在に変化できるのなら。
 
 ……無意味な夢だな
 それは奴隷たる自らへの嘲笑か、それとも蒼き狼の言葉か。
 
 ……そんなことは忘れよう
 それは永劫の輪廻からの逃避か、それとも紅の鉄騎の言葉か。
 
 ……お前は一人ではない
 それは孤独の彷徨に対する憐憫か、それとも烈火の将の言葉か。
 
 ……祝いの風が今生にあらんことを
 祝福され現出する感覚に、風の癒し手は瞳を開いた。
 一人の少女が座っている。これが、新たな主なのだろうか。
 いや、それは愚かな疑問だろう。
 ヴォルケンリッターともあろう者が、己の主を見違うことなどあり得ないではないか。
 見渡すと、小さな部屋だ。主が座っているのは寝具だろう。いや、主は寝ているのか?
 違う、これは気絶だ。失神しているのだ。
「はやて!」
 ドアが開き、別の男が現れた。
 咄嗟に構えるシグナムとヴィータ。ザフィーラはいつでも主を守れる体勢になっている。
「……なんっや、おのれらっ! どっから入ってきよったんや!」
「我らは……」
「やかましわっ!」
 男がはやてに近づこうとして、ザフィーラに捕らえられる。
「どかんかいっ!」
「落ち着いてください」
 四人は慌てていた。主となるべき相手が失神しているせいもあるが、入ってきた男もまた、主とよく似た気配を持っているためだ。
 我らは「闇の書」の新たな主に呼び出されたのではないのか?
「ザフィーラはそのまま抑えていてくれ。シャマルは主の様子を。ヴィータは念のため外の気配を」
 シグナムに従い、シャマルは主の様子を見る。
 どうやら、最初の印象は正しかったようだ。
「気絶しているだけ。異常はないわ」
「他人様の娘に何しとんじゃ! 離さんかいっ!」
「娘?」
 シグナムが慌てた様子で跪く。
「失礼いたしました。主の御尊父とは知らず。ザフィーラ、お離ししろ」
「いいのか?」
「当たり前だ。主の御尊父をいつまで押さえておくつもりだ」
「わかった」
 男……光は自由になった瞬間、ベッドに上がった。そして、はやての身体を隠すように背を向けると、四人の方に向き直る。
「何者や、あんたら」
 娘を護る父親としては、悪夢のような状況と言っていい。
 夜更けの娘の部屋に、見ず知らずの人間が集まっているのだ。それも、父親がどう足掻いても勝てないような力の持ち主が。
 光は、ザフィーラに押さえつけられている間はもがくのが精一杯だったのだ。
「主は勿論、御尊父にも危害を加える気など毛頭ありません。ご安心ください」
「せやから、何者やねんっ! あんたら」
「あの……」
 シャマルが光の手に自分の手を重ねる。
「落ち着いてください」
「……」
「落ち着いてください。ね?」
「は、はあ……」
 敵意のないゆっくりとした言葉に落ち着いたのか、光は呆然とシャマルの顔を見ていた。心なしか頬が赤い。
「貴方達に危害を加えるつもりはないんです。これは、不幸な誤解なんです」
 ちなみに、シャマルがやっているのは、ある意味での「騙し」だった。
 相手を騙してつけ込む話術、策士としての交渉手腕を発揮しているのである。
 勿論、現状で相手を騙すつもりはない。そして騙す意義もない。
「私たちの話を聞いてください」
 自分を落ち着かせようとする、言い換えれば害意の感じられない口調に光は徐々にクールダウンしていた。
 よく見れば、はやてがなんらかの被害を受けた形跡はない。見える限りにおいては外傷もないし、着衣の乱れもない。そもそも、突然部屋の中が輝いたことに気付いたために、光はこの部屋に駆け込んだのだ。悲鳴や物音が聞こえたわけではない。
「主、いえ、娘さんが気絶しているのは私たちの本意ではありません」
「ちゃんと説明してくれるんやろな……」
 光の意外に鋭い視線に、シグナムは静かに頷いた。
 
 
 
 ――同時刻。とある屋敷にて。
「目覚めたのか」
「間違いありません」
 娘の言葉に、男は頷いた。
「そうか。監視は続けるように。ただし、これまで以上に注意してな」
「わかりました。私はこれから現地へ赴き、監視を交代します」
 立ち去ろうとした娘が、その場で立ち止まる。
「どうかしたかね?」
「……お父様、本当によろしいのですか?」
「意見があるなら、聞こう」
「今からでも遅くはありません。管理局の手を借りることができれば、お父様一人が犠牲になる必要なんて……」
「それはできない。罪を被るのは私一人でいい。これは、管理局のあずかり知らぬ事だ」
「でも、お父様!」
「多数の利益は少数の利益に優先する。わかりやすく、かつ単純な論理だ。そう教えたはずだね?」
 そしてその言葉を真に正しく発することができるのは、常に少数の側の人間なのだ。
 利益を得る者だけが、最大多数の利益という言葉を使う。利益を得られない者は、決してそんな言葉は使わない。
 男はその事実を知っていた。
 その言葉が、集団の利益のために使われるのだとしても、誰かの犠牲は必ず存在するのだということも。
 汚名を被るのは自分一人でいい。
 一人の無垢な少女の命を奪ってまで為さねばならぬ事なのか。それを考えることなど、男はとうにやめていた。
 汚名も悪名も罪状も、全ては自分が被ろう。
 地獄へ堕ちるというのなら、自分一人が堕ちよう。
 復讐と正義のために。
 裁かれるのは、闇の書と自分だけでいい。
 犠牲になるのは、少女と自分だけでいい。
 闇の書は、滅びなければならない。
 八神はやてという生贄を得ることによって。
 ギル・グレアムの手によって。
 
 ギル・グレアムのために。
 クライド・ハラオウンのために。
 中島燕のために。
 全ての、犠牲者のために。
 
 
 
 
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