主二人
2「だから、ココアなんて知らね」
はやてに異常がないことを確認してから、光はシャマルたちをリビングに案内する。
いつまでも娘の部屋に五人でにらみ合っているわけにもいかない。
「ほな、話聞こか」
自分の分のコーヒーを煎れようとして、思いついてさらに三人分を余計に作る。そして一人分にはココア。
「はい、これ」
ココアを一人だけ小さい女の子の前に置くと、怪訝な顔をされた。
「……なんだよ、これ」
「ココアっーちゅうもんや。なんや、コーヒーの方が良かったんか?」
「いや、ココアとかコーヒーとか言われても、あたしにゃわかんね。この手の嗜好品は、知識が後から来るんだ」
光は首を傾げるが、コーヒーやココアを知らないという意味なのだろうと解釈する。
「そしたら、牛乳にするか?」
「牛乳は知ってる。だけど、施しはいらねえ」
「施し違うわ。今から君らの話聞くんやろ? 長なったらアレやから、コーヒーぐらい煎れたろ思たんや。で、君は小さいからココアや」
「だから、ココアなんて知らね」
「ヴィータ」
「んだよ」
「言葉遣いを改めろ。主の御尊父だぞ」
「……ココアなんて知らないです」
「暖こうて、甘うて、美味しいもんや。はやてもお気に入りや」
「主が?」
「そや。初めて飲むんでも、とりあえず味見してみ。飲みもせんと文句言うんはマナー違反じゃ」
戸惑う残りの三人にも、光は半ば強制するようにコーヒーカップを持たせ、恐縮する姿に一喝してとりあえず楽にしろと言う。
そして、話を聞く体勢の準備ができた。
――数十分後。
「……大まかなことは把握した、と思う」
四人に話を聞き終えた光は、軽い頭痛を覚えながら言う。
「確認するから、間違えてるようやったら言うてくれ」
少し間を空けて考え、そして光は口を開く。
「あの、はやての部屋にある本の中から、自分らは出てきたんやな。で、その正体は大昔に異世界でプログラムされた騎士。本に選ばれた主を護るのが役目。主がいなくなるたびに本の中に戻って、次の主が決まるまでは眠ってる。それで、うちのはやてがたまたま今回の主になってしもうた、と」
自分で言いながらでも、信じられない話だとしか言いようがない。しかし、光はすでに動かしがたい現実を見せつけられている。
四人は簡単な例を見せると言って、光に信じられないものを見せたのだ。
それはザフィーラの変身である。人間の姿から狼の姿へ、あるいはその逆。それを実際に見せられては何も言えない。
「正直言うと、未だに信じられへんけどな」
何か言いかけたシグナムを手で制する光。
「いや、君らが嘘つきやとは思ってない。さっきの……ザフィーラ君やったか? 変身見せられたら魔法の存在そのものは信用するしかないわ。魔法はある。それはもう信用する。なんや、僕のこれまでの価値観ぼろぼろやけどな」
それでも、疑問は残っている。光にとって、どうしても見過ごすことのできない疑問が。
「それで」
一息空けて、四人を見回す。
「なんで、はやてなんや?」
魔法が実在するというのならそれでもいい。魔法によって生み出される生命体がいてもいい。
だが、何故はやてが主に選ばなければならないのか。
この世界は、魔法が普遍化され遍在している世界ではないのだ。魔法の存在そのものが「あり得ない」とされてしまう世界なのだ。なぜ、そんな世界で主が選ばれるのか。
「なんではやてやねん。魔法とか、君らの世界とかとはなんも関係あらへんやないか」
わからない、とシグナムは答える。
主の変遷は、ヴォルケンリッターの知るところではないのだ。シグナムたちに主を選ぶ権利はない。そして、「闇の書」が選ぶ基準も同じくわからない。
確実なのは、主はリンカーコアを持っているということだけ。
つまり、はやてもいずれはリンカーコアに目覚めるはずなのだ。
勿論、だからといって選ばれるとは限らない。彼らは知らないが、この世界にもリンカーコア持ちはいるのだ。高町なのはが、そうである。
結局は、偶然と呼ぶしかないのだと、シグナムは言う。
次元世界は広大である。どの次元世界の誰が主になるのか。可能性はまさに無限なのだ。
しかし、シグナムたちすら知らない事実があった。いや、誰も気付いていない事実が。
「闇の書」の転生先候補には、ある基準が存在している。それも、ごく単純な。
転生先の候補とは、「闇の書」が蒐集したリンカーコアの持ち主が訪れた次元に限られる。リンカーコアに刻まれた記憶の中から、「闇の書」は次の転生先を検索するのだ。
今回の場合は蒐集された中にグレアムの部下がいた。彼は、上司の故郷を訪れたことがあったのだ。
「……もう、こんな時間か。あとは、明日にでも話しよか」
翌日、いや、今日ははやての誕生パーティの予定である。
仕事に関してはすでに休講を申請して受理されているので問題はない。問題は、パーティの準備。そして、はやてが目覚めた時の説明だ。
しかし、光はすでに決めていた。
いや、四人が現れる前から決めていたことがあるのだ。
光は、絶対にはやてに嘘はつかない。話せないことがある時は、話せないと正直に言う。隠し事をする時もある。しかし、嘘だけは絶対につかない。
それが、光の決めている事だった。
「もう、遅いから、後は明日や」
話をまともに受け取る限り、この四人に行く当てはないはずだ。それも明日考えなければならない。
「さてと……」
部屋は空いている。はやてと光の父娘二人で住むにはこの家は広すぎるくらいだ。
「布団は一応人数分あるから、とりあえず今夜はこの部屋使うてくれ」
「よろしいのですか?」
「なにが?」
「部屋を使わせていただいても」
「?」
光は首を傾げる。
「すまん。何が言いたいんかな?」
「つまり、御尊父は、我々に部屋を使わせていただけるのですか?」
「そない大層な話やのうて、寝るだけやろ?」
ふと、光は嫌な予感がして尋ねる。
「さっきは細かい話飛ばしてたけれど、今までの主のこと、少ししか覚えてないんやな?」
「永の年月を転生してきました。一つ一つの記憶は恥ずかしながら朧げです」
「それはええとして、今までの主のとこで、どんな部屋やったんや?」
「部屋など、与えられた記憶はありません」
「……寝床は?」
「馬小屋の片隅や地下室、あるいは野外か……」
「待った。待ったや」
「なにか?」
「それは忘れてええ。少なくとも、うちにおる間はちゃんと部屋ん中で寝かしたる!」
「御尊父? われらは主にお仕えする身です。例えどのような待遇であろうと不満などは申し上げることは決してありません」
「そういう問題と違う。僕は人間や。君らかてどう見ても人間や。そやから人間らしくするし、させる。僕は人間をやめる気もやめさせる気もないんや」
言い切って四人を睨みつけるように、光は腕を組んで仁王立ちになった。
文句があるなら言ってみろ、絶対に自分の気持ちは変えない。姿が雄弁にそう語っている。
「君ら三人はここで寝る。ええな」
「三人、ですか?」
シャマルとシグナムが互いの顔を見合う。
「もう一人は……」
「ああ、とりあえず、僕についてきて……」
そう言って光は、妙な気配に口を閉じる。
シャマルとシグナムの眼差しだ。
「御尊父、その一人というのは?」
シグナムが堅い口調で尋ねていた。
何を畏まることがあるのかと考えながら、光は素直に答える。
「ザフィーラ君やけど?」
女三人男一人の集団である。四人で雑魚寝というわけにも行かないだろう。
ザフィーラは自分の部屋で寝かせて、自分ははやての部屋で寝る。どちらにしろ、はやてを放っておくのもどうかと思えるので、ちょうどいいと光は考えている。
「ザフィーラ、ですか?」
何故かシャマルが驚いている。
光は、自分が何かまずいことを言ったのかと考えてみるが、思い当たる節などない。
「ああ、君らも、男女雑魚寝するわけにもいかんやろ。ザフィーラ君は僕の部屋で寝たらええよ。僕ははやての部屋に行くから」
「あ……。そういう意味でしたか」
「そういう意味て……他に何が……」
光は首を振りながら、ザフィーラを連れて自分の部屋へ向かう。
そして恐縮するザフィーラに半ば無理矢理自分の布団を使わせ、自分ははやての部屋に入る。
はやては、すやすやと眠っていた。
失神から自然睡眠に移行したのは、シャマルの処置のおかげらしい。これもやはり魔法なのだろう。
はやての寝顔を見ていると、光の心はようやく落ち着き始めた。
あの四人への対応を考えなければならない。
ただ、四人と話していてわかったのは、少なくとも急いで追い出さなければならない危険人物とは思えない、ということだ。
過去に何があったかは今のところは聞いていない。とりあえず、魔法によって転生を繰り返しているということだけは聞いた。その辺りの細かい話も明日以降になるのだろう。
「おやすみ、はやて」
寝ている娘に語りかけ、電気を消した。
二分後、気付いた。
シグナムとシャマルの妙な反応の意味に。
夜伽を命じる、と思われたのか。
つまり、
「…………僕、同性愛者と思われたんか……?」