主二人
3「今後ともよろしくな」
翌朝、光が目を覚ますと、はやてはまだ寝ている。
考え事をしている内に寝込んでしまったようで熟睡できず、身体の疲れがまだ残っている。
壁の時計を見ると普段の起床時間にはやや早いのだが、二度寝するには無茶な時間だ。光は天井を見つめて考え事を始めた。
シャマルたち四人のこと。
彼女らを、自分があっさり受け入れていることが不思議に思える。
昨夜の話を他人から聞いていれば、まず間違いなく眉に唾を付けている。そして、訳のわからない戯言だと切り捨てていただろう。
「御尊父の魂が受け入れているのです。紛れもない、主の御尊父なのですから」
昨夜の別れ際のシグナムの言葉に頷くしかないのだろうか。魔法とはそういうものだと言われてしまえばそれまでだ。いわゆる、反証不可能というやつである。
自分でこれなら、主本人だと言われているはやてはどうなるのだろうか。はやては、四人の言葉を信じ、容易く受け入れてしまうのだろうか。
光は、眠るはやての横顔に目を向ける。
いや。
違う。はやては違う。そんな問題ではないのだ。
魔法などは関係ない。はやての父親として、断言できることが一つある。
はやては四人を受け入れるだろう。だが、それはシャマルたちの思っている主としての責とはニュアンスが違う。
はやてはきっと、主としての役目を全うしようとするだろう。与えられたものを受け入れようとするだろう。
はやては、全てを受け入れる。自分の可能である限りはどんな現実も受け入れようとする子だ。時には子供らしくないとも見えてしまう、それがはやての性格なのだ。
だから光は、はやての望みを最大限に叶えたい。全てを甘んじて受け入れる子だからこそ、せめてもの望みは最大限に叶えたいと思う。
「…………そやけどな……」
つい、口に出してしまう。
はやての望みを叶えたいというのが親としての心なら、現実との妥協点を見つけるのは大人としての視点だ。
光は、はやてを起こさないようにそっと部屋を出る。
自分の部屋に戻ると、ザフィーラの姿はなかった。部屋はきちんと片づけられ、大人一人が一晩寝た後だとは思えない。それどころか、昨夜よりも綺麗になっているような気もする。
そのまま光はシャマルたちに提供した部屋に向かう。案の定誰もいない。
リビングへ行くと、音を立てないように苦心しながら掃除をしている四人の姿があった。
「……おはよう」
「おはようございます」
居住まいを正す四人に、光はソファへ座るように促し、自分も座る。
「気ぃ使い過ぎや。そない堅くならんといてくれ」
四人の格好を再確認。昨夜はそれほど気にならなかったが、日が昇ってから改めてみると、どう見ても奇妙な格好だ。
「……とりあえず、ヴィータちゃんははやてのお古でサイズ合うやろ。ザフィーラ君はちょっとサイズが小さいかもしれんけど僕のお古。シャマルさんとシグナムさんは……」
「衣服でしたら我々はこれで充分に……」
「アホ言いな。そんな格好で外に出たらポリさん来るで」
そこで光は昨夜の内に考えていた質問の中から、最初の一つを切り出す。
「なあ、君らは現代社会の常識、どの程度までわかるんや?」
「はい。転生の際に、基本的な世間知は闇の書より伝えられます。ですが、あくまでも知識であり、実際に活用するまでには幾ばくかの時間が必要かと」
「慣れの問題か……。まあ、それは知識としてあるんやったらなんとかなるんか……」
「そうでなければ、言葉を交わすこともままなりません」
「あ」
言われてみればその通りだ。
シグナム、シャマル、ザフィーラ、ヴィータ。どう見ても日本人には見えない。しかし、四人とも普通に日本語を話しているではないか。
ということは、知識の伝達というのはかなりのレベルのものと考えられる。それならば常識というものも、時間さえ経てば四人には浸透していくのだろう。
ひとまず、光の懸念の一つは消えた。世間に慣らすという行為は最低限のレベルで良いのだろう。外国人の客、その程度のレベルだ。
とりあえず、ヴィータとザフィーラに着替えを渡す。
「服はお古やけど、下着は新品や。さすがに下着のお古なんて残してへんからな」
そして、シグナムとシャマルを手招きする。
「すまん。悪いけど、君らの分の下着はない。うちにおる女言うたら、はやてだけやからな。君らの年頃の女性用の下着はさすがにない」
「下着だけが、ですか?」
シャマルの問いに、光は頷いた。
そう。下着はないが、服自体はあるのだ。
はやての母、光の妻である希美の着ていた服が。
捨てるに捨てられず、置いてあるものが。
すでに、個人を思い出す縁としての役割は終えている。もう、光もはやても悲しみは乗り越えているつもりだった。
「適当に見繕って着てくれてええよ。シャマルさんには多分ちょうどええやろけど、シグナムさんとはサイズがあわへんかもな」
その場で着替えようとする二人を制して、ヴィータと一緒に部屋へ行かせると、入れ違いになるようにはやてが起き出してくる。
「お父さん、おは……」
言いかけて絶句した視線は光の隣、ザフィーラに向けられている。
「……あ」
「あのな、はやて、彼は……」
説明しかけた光の言葉を無視して、はやては嬉しそうに呟いていた。
「ほんまにいるんやね。やっぱり、夢と違うたんや」
「え?」
はやてはザフィーラに向けて車椅子を転がすと、手をさしのべる。
「自分が、ザフィーラやろ?」
「はい、主」
「ヴィータは? シャマルは? シグナムは?」
さしのべられた手を取り、跪くザフィーラ。
「三人は、御尊父がご厚意でくださった衣服に着替えているところです」
「はやて、お前……」
光がはやての車椅子の取っ手に触れ、自分の方を向かせる。
「夜のこと、ちゃんと覚えとったんか?」
「ううん」
首を振ると、はやては何かを思い出したように微笑む。
「夢の中で、誰かが教えてくれたんよ」
光はザフィーラを見る。ザフィーラははっきりと頷いた。
「私にも詳しいことはわかりません。我らが闇の書から転生世界の知識を得るように、主も闇の書から我らヴォルケンリッターの知識を得るのではないでしょうか?」
「ありえるんか?」
「私の記憶する限り、あらかじめ我らに関する情報を持った主も存在していました」
「そか。そやったら、ありえん話でもないか……」
納得半分の顔の光は、喜びを満面に表したはやてを見る。視線に気付いたはやては、父親に向き直るとVサインで答える。
「ご飯まだやんな? 朝ご飯、六人分作るわ」
動きかけたザフィーラを止め、光は大袈裟にわざとらしく頷く。
「そうか。そしたら、メシがまずいから帰る、ってザフィーラ君たちに言われへんようにな」
「そんなん言わせへんよ、腕によりをかけるんやから」
そのまま厨房へ向かうはやてを見送りながら、光は小さな声でザフィーラに言う。
「今日の朝飯を作るんは、はやての当番や。手伝う必要はない」
「しかし……」
ザフィーラの言外の言葉に、光は頷いてみせる。
「あいつは、何でも一人でやることを覚えなあかんねや。僕はあの子の親や、常識で考えればあの子より先に死んでまうやろ。その時、一人で何もできへん、足すらまともに動かせへん子を、たった一人で残していけるんか?」
「今日この時より、我らヴォルケンリッターはいかなる時も主のお側に控えております」
「例えそうやとしても、それとこれとは話は別や。例えはやてが君らの主でも、君らに任せて本人が何もせえへんなんて、僕が許さんよ、あの子の親として」
そう言った後、光は驚いた。
はやてと離れて再び立ち上がっていたザフィーラが、今度は自分に対して跪いているのだ。
「我らの勇み足です。いらぬ気遣いでした。出すぎた言葉をお許しください、御尊父」
「いちいち大仰にしすぎやで、君ら」
戻ってきたシャマルたちと、似たようなやりとりを三回やったところで光は決意した。
ヴォルケンリッターを普通の言葉遣いにさせること。
八神家のルールを早く覚えさせること。
そして。
動きやすい服装ということで身体に密着したシャツを選んだシグナムの、胸の突起を発見して……
とっとと皆の衣類を揃えること。
朝食の席での紹介は必要なかった。はやてはすでに四人を知っていて、四人もそれを当然のこととして受け入れている。
「主としては、ホンマやったら衣食住の面倒を見なあかんのやろけど……」
語尾を濁すはやての言いたいことは光にも予想できた。もしはやてが気付かなければ、光が指摘しなければならないことなのだ。
単純に、四人の居候が増えれば出費が増える。今の八神家ではそれはかなりきつい、不可能と言っても良いかも知れない。
少なくとも、生活レベルは落とさざるを得ない。そしてそれは、ヴォルケンリッターの望むところではない。自分たちの存在により主にデメリットをもたらすなど、あってはならないのだ。
シグナムに聞いたところ、かつての主の中には自分自身が食うや食わずだった者もいるという。ただしその全てがすぐに権力者となった。言うまでもなく、ヴォルケンリッターの力である。
かつての世界では、ヴォルケンリッターの戦力はまさに一国を左右するものだったのだ。その気にさえなればすぐに一国を切り取り奪い、王となる事もできただろう。
勿論、その理屈は現代日本では通用しない。
かといって、シグナムたちの働き先など探せるかどうかが疑問である。能力は充分以上に高いが、常識面が不安なのだ。
「不法な次元旅行者の間では、辺境の次元世界に貴金属や宝石の類を持ち込み、それを換金して路銀とするという方法があるようですが」
その貴金属や宝石は余所から奪ってくるという。当然却下だ。
異世界で傭兵や賞金稼ぎをするというシグナムの意見も却下である。
すると、シャマルが妥協案を出してきた。
多次元には、すでに壊滅した文明も少なくない。その世界の発掘物ならば、正当な持ち主はいないということになる。
厳密に言えば、そのような不均衡なやりとりが続けば地球の経済に影響が出てくるのだろうが、四人が普通に暮らすだけの金額ならば、それこそ誤差範囲内だ。
そんな次元が簡単に見つかるのならそれが一番良い、と光は条件付きで賛成する。無論、誰にも迷惑をかけないという条件だ。
そして、はやてを中心に四人の身の振り方が決まっていく。
ザフィーラは基本的に狼化。犬を飼いたかったはやてにとって、これは嬉しいサプライズだった。
ヴィータ、シャマル、シグナムは近所には母方の親戚ということにしておく。
「そこまで細かいことを火急に決めておく必要があるのですか?」
シグナムの問いに、はやてと光は重々しく頷いた。
「今日、なのはちゃんたちが来るんよ」
「はやての誕生日だから。誕生日祝いに来たってことにしとこう」
光が全員を見渡す。
「細かいことは後にして、どうやらウチのはやては君らが気に入ったらしい。で、僕も、君らを見ていると悪人には見えへん。聞かせてもらった過去の話も、嘘としか信じられへんくらいや」
今後ともよろしくな。
そう言って頭を下げる光に、ヴォルケン一同は慌てて椅子から降り、跪くのだった。