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主二人
8「一度だけ、貴方との誓いを破ります」
 
 
 
 はやては足の検査のために定期的に通院する必要がある。その定期検診に付き添うのは光だったのだが、今ではシャマルの役目になっている。
 おかげで光の仕事に検診の予約を合わせる必要が無くなり、余裕のあるスケジュールを組むことができるようになったのだ。
「あ、そういや明後日だよな。はやての定期検診結果」
 夕食後、食器洗い当番のはやての元へ食器を運びながら、ヴィータがカレンダーを確認していた。
「光さんはどうされます? 講義の入っていない日みたいですけれど」
 シャマルの問いに、光は少し考えた。
 講義が入っていなければ、病院に付き添わない理由はない。ただ、大人数でついていくのは迷惑なので、行くメンバーは厳選したい。
 それなら、光とはやてだけで行けばいい。
「そやな。最近行ってないしな」
 考えてみれば、久しぶりの二人きりかも知れない。ヴォルケン達が邪魔だと思う性格ではないが、親娘二人きりというのは話が別だ。
 考える光の様子を見ながら、シャマルは食後のコーヒーを準備していた。
 今では全員が順番に家事を担当している。光とはやてが家事をする必要はない、そういう仕事は自分たちが引き受けるとシャマルが言うと、二人は怒るのだ。だから、ヴォルケンリッター四人も混ざった形で当番を決めている。
 もっとも、食事の支度だけはシャマル、光、はやての三人の輪番だ。ザフィーラにもヴィータにも料理のスキルなどない。勿論二人だって自分の食料くらいは調達出来るだろうが、それはあくまでも「食料」であって、「食事」ではない。
 因みに、シグナムには限定状況下での料理スキルがあることがこの夏に出かけた先でわかった。
 野外炊飯はそこそこに上手いのだ。シグナム本人に言わせれば、野営は戦士に必須のスキルらしい。つまり、野趣溢れるキャンプ料理だ。
 本人相手には黙っているが、光に言わせると「典型的な男料理やな」らしい。
 シャマルの煎れた珈琲が光の前に運ばれると、光は受け取ろうと手を伸ばす。
「病院で直接、先生の話も聞きたいしな。それに、先生美人やし……うぉっ」
「ああっ、ごめんなさい」
 光の前にコーヒーカップを置こうとしたシャマルが、何故かバランスを崩してこぼしてしまった。
「気を付けろ、シャマル!」
 シグナムがやや強い口調で注意する。
 シャマルはがっくりと肩を落としている。
 そして、光が見かねたように口を挟む。
「まあまあ、シグナムさんもそない責めんと。ただのうっかりやんか」
「しかし、もしかかっていたらと思うと……」
「ん? その時は、シャマルさんが治療してくれるんやろ? 魔法で」
 シャマルの顔が上がった。
「勿論です!」
「そやったら、ええやん。問題あらへんよ」
 シグナムが溜息混じりで肩をすくめた時、電話のベルが鳴った。
 電話に一番近い位置にいるザフィーラに全員の視線が集まる。
 皆の視線を受け、瞬時に人型になるとザフィーラは受話器を取った。
「はい、八神です。ああ、こんばんわ。いえ、こちらこそいつもお世話になっています。少々お待ちください」
 保留ボタンを押して受話器を置くと、ザフィーラは光に向く。
「御尊父。石田医師(せんせい)からお電話です」
「先生から? なんやろ。明後日のことかな」
 光が受話器を受け取る。
 話を終え、受話器を戻すと光は言った。
「明後日、僕がはやてと行ってくるわ」
 シャマルはカレンダーに付けられていた印の下に新たな印を付けると、「光、はやて、定期検診結果」と書き込んだ。
「留守番よろしゅうな」
「はい」
 
 
 
 その夜更けに、シグナムは居間を訪れる。
「癖になったか?」
 光がグラスを掲げて笑う。
「お誘いいただけるなら、喜んで戴きますが……」
 今は別の話があるはずだ、とシグナムは言う。
 光は微かに嫌な顔になる。それでも、意表を突かれた表情ではない。「やっぱり」とでも言いたげな顔である。
「申し訳ありません。しかし、主に関する話であれば、是が非にも聞いておきたいのです」
「なんで、そう思った?」
「先ほどの石田医師からのお電話です」
 光は無言でグラスを傾ける。
 シグナムと同じ事を、光は石田医師からの電話がかかってきたと言われた瞬間に思っていた。
 シャマルやシグナムは家族同然だと、石田医師には話してある。それでも光の付き添いが必要だと、石田は言ったのだ。つまり、家族同然ではなく本当の家族が必要だと判断されたのだろう。
 良い知らせというものは、普通は秘密にしない。
「悪化……しかないんやろな、このタイミングやと。僕にだけ話すんやし……」
「御尊父……」
「なあ、魔法で治せへんのか?」
「それは……」
 基本的には、魔法による治療は外科処置だ。内科的な処置には魔法世界といえども医学が必要になる。そもそも、魔法治療とはあくまでも副次的なものに過ぎない。根本的な治癒は見込めないのだ。
 シグナムは頭を垂れた。
「我らの無力、お許しください」
「顔上げてくれ。シグナムさん。僕が無茶言うてることはわかってるつもりや」
 シグナムに向かって、中身の入ったグラスが突き出される。
「一生、足が治らへん。その覚悟はしてたつもりやったけどな……人間なんて、弱いもんやな」
「御尊父が弱いのなら、この世に強い人間などいません」
「ありがと、そやけど僕は弱いで。喧嘩に勝った事なんてないからな」
「腕力だけが強さではありません。その意味で御尊父と主はやては強い。私は誰憚ることなく言い切ります」
「やめやめ。シグナムさんの話聞いとったら、勘違いしてまいそうや」
「これは心外。ベルカの騎士は嘘などつきません」
 シグナムはグラスを受け取り、そして、一気に煽った。
「八神光。貴方は強い人です。きっと、我らの誰よりも」
 
 
 
 翌日、病院へ向かうはやてと光を玄関先まで見送る四人。
「帰りに何か、買うてくるもんあるか?」
「大丈夫です。お昼には買い物に出かけますから」
「ん。帰りは夜になるから、昼は適当にしといてな。帰りに久しぶりに翠屋にでもよって、ケーキでも買うてくるわ」
「マジ!? ギガウマなやつ頼む。今から楽しみにしてるから!」
 はしゃぐヴィータは、はやてを途中まで送ると言って靴を履く。
 狼姿のザフィーラも、もののついでといった風に身体を起こすと、とてとてと玄関から降りていく。
 
「じゃ、二人ともここまでええよ」
 病院が見えた辺りで、ヴィータはザフィーラの首輪に繋げた紐を光から受け取った。
 勿論、ザフィーラには首輪も紐も必要ない。しかし、付けておかなければ散歩もできないのだ。放し飼いと思われて通報されたら厄介である。
「うん。じゃあな、はやて。しっかり診てもらって来いよ」
「ヴィータもええ子にして待っといてや」
「うんっ、待ってるから」
 ヴィータに手を振るはやて。光ははやての乗った車椅子を押し、病院の正面入り口を潜る。
 予約はあるので受付は手早く。二人は石田医師の診察室へ向かう。
「おはよう、はやてちゃん」
「おはようございます、先生」
「ちょっと試してみたいリハビリ方法があるの。やってみるかな?」
「はい」
 あまりに素直な返事に、石田の表情はやや曇る。
 どんなリハビリなのか、実績はあるのか、本当に効果はあるのか。本来なら出てくるはずの質問は、はやての口からは一切出ない。
 治したいから挑戦する、という意志がはやてからは感じられないのだ。
 ただ、自分のために他の人が頑張ってくれているから自分も頑張っているという雰囲気。それはまるで、自分自身の治療を諦めているようにも見える。
 いや、そんなことはない。と石田は自分に言い聞かせる。どんな病であろうとも、患者に治療の意志がなければ完治はしないのだから。
 だが、その想いも必要なくなる時が来るのかも知れない。
 看護婦に連れられリハビリ室へ向かうはやてを見送ると石田は光を招き、事実を簡潔に伝えた。
 光は、その医師の言葉を疑った。
 無理からぬことだと、石田は理解した。
 それでも、光には理解できなかった。
 いや、理解する必要を感じなかった。なぜなら、それはあからさまな嘘なのだから。
 あり得ざる出来事なのだから。決して認めてはならないこと、起こってはならない未来なのだから。
 それでも……
「原因不明の神経性麻痺」
「麻痺が少しずつ進んでいる」
「この数ヶ月は特に顕著」
「このままでは内臓機能までが麻痺」
「命の危険」
 石田医師の言葉に嘘はない、
 身体を這い登り、心臓をつかみ取る死神の腕が連想され、光は拳を握りしめる。
「なんでや……」
「少しでも麻痺の進行を遅らせる手段を模索中です。私たちには諦めません。八神さんもそのつもりでいてください」
「なんで……はやてが……」
「八神さん。お気持ちがわかるとは言いません。だけど、ここで貴方が折れては、はやてちゃんを誰が護るんですか」
「先生、僕の足はいらん。腰から下、全部いらん。全部、はやてにやってくれ! 僕の身体、好きなだけ切り取ってかまへん、はやてに全部やってくれ。全部、はやてに譲るから!」
 無駄な足掻きだ。と光の心のどこか、覚めた部分が囁く。
 想いに嘘はない。
 今なら、構わない。後のことはシャマルたちに託せるのだから。命を譲っても構わない、今ならば。
 今なら出来る。命は捨てられる。はやてのためなら。
「八神さん。落ち着いてください」
 医療に携わる者独特の冷静な答えに、光は口を閉じるしかなかった。
「すんません。……せやけど、なんとかしてください。僕にできることやったらなんでもします」
「私たちも、できるだけのことはします」
 あとは、事務的とも言える話し合いが続く。
 今後の対策と、はやての容態について気を付けるべきこと。
 といっても、両者ともにないに等しいのだ。原因すらわからない病を前に、何を注意してどう対策をするというのか。
 乱暴にまとめてしまえば、単なる気休めに過ぎないのだ。
「……今後とも、よろしくお願いします」
 光はふらふらとロビーに辿り着き、ソファに座り込む。
 時計を見ると、はやてが戻ってくるまでにはまだ時間がある。
 狂おしい、手の届く範囲のものを全て叩きつぶしても止まないような凶暴な怒りが身の内にわき上がる。それに身を任せたところで、何の解決にもならないと言うのに。
 ただ、ロビーをいらいらと歩く。
 その脳裏に、一つの形が徐々に浮かび始めていた。
 
 ……はやてのためやったら……悪魔とでも取引したる……
 
 一時間後、光ははやてと共に帰宅する。
 勿論、翠屋でケーキを買うことは忘れない。
 いつものように六人の食事を終え、ケーキを食べて、談笑する。
 いつものようにお風呂に入り、それぞれの部屋で眠る。
 しかし、今夜はその続きがある。
 はやてが寝付いた頃に集まるよう、光はあらかじめ四人に声をかけていたのだ。
 そして光は、四人に石田医師の話を伝える。
 声にならない呪詛を呟き、シグナムは唇を噛みしめた。
 ここが八神家の庭でなければ、今が夜でなければ、部屋で主はやてが眠っていなければ、大声で自分を罵り叫びたいほどの気分だった。
「……何故、気付かなかったっ!」
「ごめんなさい、でも……」
 すすり泣くシャマルに、シグナムは言い切った。
「違う。私は自分に言ってる」
 闇の書の呪い。いや、正確には呪いではない。しかし、呪いということはでしか表現できないものがある。
 闇の書に秘められた強大な魔力。その魔力は肉体的にも魔力的にも未成熟なはやてのリンカーコア、ひいては肉体を蝕んでいるのだ。
 強大すぎる魔力ははやての肉体に害すら与え、その余波がはやての足の現状を生んでいる。
 そして、そのデメリットは現段階の中途覚醒によって加速、石田医師が言うように麻痺の広範囲化という形で肉体にダメージを与えているのだ。
「私たちの存在も無関係とは言えないでしょう、私たちを実体化させるための魔力は主はやてから供給されているのですから」
 このままでは、はやての身体は魔力に耐えられず自己崩壊しかねない。
「闇の書の魔力を弱くする方法はないんか」
「ありません。それに、私たちの知る限りの力では破壊することも不可能です」
 シグナムの答えに、光は地面を殴る。
「ないんか。なんか、方法はないんか!」
「はやてを助けるんだ」
 俯いていたヴィータが顔を上げる。その目に溜まった涙が、言葉に合わせるように頬を伝い流れ始めていた。
「あたしたちがはやてを助けるんだ! 闇の書を完成させれば、はやては完全に主として覚醒する。そうすりゃ、闇の書を自在に操れるんだ。魔力のオーバーフローなんて起こさない!」
「それしか……あるまい」
「そうね」
 ザフィーラとシャマルがヴィータに並ぶように移動する。
「蒐集はしない、と約束した」
 シグナムは言いながら、三人に向き直る。そして、レヴァンティンを地面に突き立てる。
「主はやて。一度だけ、貴方との誓いを破ります」
 四人が、光へと視線を向ける。
「我らヴォルケンリッター、主はやての心の覚醒のため、リンカーコアの蒐集を行います」
「はやての未来を血で汚したくない。だから、殺しはしない」
 シグナムとヴィータが言い、シャマルとザフィーラがその横に並んだ。
 そして、シグナムが光に向き直るようにして跪く。
「主はやての御尊父よ。我ら、守護騎士ヴォルケンリッターへ御命令を」
 光は一歩、右手を差し出しながら近づいた。
「君らの命はかけがえのないもの。決して無駄にするな。命を懸けた奉公なんぞ、僕もはやても絶対に許さへんからな」
 ……僕はこれ以上、誰も失う気はない。希美さんが……僕の最後のさよならやったんや……
 光は右手をそのまま、シグナムへと差し出す。
「はやてを助ける。その意味において僕らは御尊父でも騎士でもない。はやてを助けるための仲間や」
 驚いた顔のシグナムへと、光はさらに手をさしのべる。
「仲間の握手やろ?」
 光の手を横から掴むヴィータ。
「ああ、はやては絶対助ける!」
 その上からシャマルの手が、光の手を優しく包む。
「光さん……」
 咳払いと共に、ザフィーラが左手を取り、握手する。
「失礼します。そちらの手は一杯のようですから」
 最後に、シグナムがレヴァンティンの鞘を光の胸元にかざす。
「御尊父……いや、八神光。貴方は戦士ではない。しかし、共に立つには相応しい人だ」
 
 
 
 
 
 シャマルはクラールヴィントを待機状態に戻す。
 そして、光が現れるのを待った。
 昨夜の決意が一晩で変わったとは思わない。光の決意がその場限りのものだとは思っていない。
 だからこそ、自分もこんな早朝に活動を開始したのだ。
 まずは、この世界での魔道師の再調査。
 管理局関係者が辺境の地にいないとは限らないのだ。もし、下手に行動して見つかっては元も子もない。
 今までは自分たちも魔法を使うことはほとんどなく、あったとしても探知されないレベルの微弱なものだけだ。
 しかし、これからはそうも言ってられない。リンカーコア蒐集に向かうための次元跳躍の痕跡だけでも充分に調査の対象となる。
 だから、見つけられる前に見つけるのが肝心なのだ。
 少なくとも、この世界には表立っての魔道師がいないことはわかっている。ならば隠れているか否か。
 隠れているとして、戦闘を主にする魔道師ならば何らかの形で訓練を行っているはずだろう。
 もし訓練を行っているとすれば夜ではなく朝。それも人の少ない早朝になるはずだった。
 夜の暗闇では、リンカーコア発動に伴う魔法陣の輝きは目立ちすぎるのだ。
 シャマルの勘は当たっていた。早速の反応がクラールヴィントから伝わってくる。
 その内容を、光に伝えるべきか否か、シャマルは悩んでいた。
 ある公園で見つけた大きな魔力反応、その反応の持ち主は、自宅らしき場所へ帰っていったのだ。
 その住所にシャマルは見覚えがあった。はやてが夏休みの間に暑中見舞いを出した相手である。
 
 相手の名は、高町なのは。
 
 
 
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