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コーヒーをブラックで
 
 
 はやてが大きな欠伸を一つ。
「はやてちゃん、洗い物は今日は私の番ですから」
「あ、そやったかな?」
 夕食の後の洗い物は、シャマルとはやてが順番にやっている。八神家内では基本狼姿のザフィーラは論外として、シグナムとヴィータもその手のことには不器用なのだ。
「ほな、そろそろ私は寝るな」
 ザフィーラに乗っかっていたヴィータが、慌ててはやての車椅子の後に付く。
「はやて、あたしも一緒に」
「うん。そしたら一緒にいこか、ヴィータ」
 ザフィーラが顔を持ち上げると言った。
「甘え過ぎじゃないのか? ヴィータ」
「あ、甘えてる訳じゃないぞ! アタシは、夜の間もはやてを守護しているんだ」
「なるほど…そういう考え方もあるか」
「当たり前だ! あ……もしかして、羨ましいの?」
「馬鹿な」
「うらやましいんだろ、ザフィーラも」
 うりうり、と今にもグラーフアイゼンでつつき出しそうなヴィータ。
 はやては苦笑しながら、
「うーん、ほな、ザフィーラも一緒に寝る?」
「あ、主、それは……」
「勿論、狼の姿のままやけどな」
「……あ、ああ、それは勿論だ。あ、いや、一緒に寝るつもりなどない」
「なに慌ててるのさ」
「慌ててなどいない」
 ヴィータの言葉にザフィーラはぷいと部屋を出て行く。
「あ、おやすみな、ザフィーラ」
 笑いながら、それでも挨拶を忘れないはやて。ザフィーラも丁寧にお休みの挨拶を返す。
 そして二人が再びお休みと言って出て行くと、リビングにはシグナム、台所にはシャマルだけが残された。
「随分明るくなったものだな」
「ヴィータちゃんははやてちゃんと出会ってからずっとああだったものね」
「確かにヴィータもそうだが…。私が言っているのはザフィーラのことだ」
「二人だけじゃないわ。シグナムだって、それに、私だって同じよ」
「それもそうか…」
 シャマルは洗い物を終えるとコーヒーカップを二つ取り出した。
「寝る前にコーヒーを飲むと寝付きが悪いと言うけれど…」
「私たちには関係ないな」
 シグナムの前には砂糖少なめのブラックを。そしてその隣には砂糖とミルクを入れたコーヒー。
 そうしておいてから、シャマルはソファに座る。
「平穏」
 そう呟くと、シグナムが怪訝な顔になる。
「どうかしたのか?」
「忘れていた。そんな言葉の意味」
 シャマルは、自分の手をじっと見つめている。
「自分では、貴方達を癒していると思っていたの」
「その通りだろう。戦闘で傷ついた身の治療はいつもお前に任せている。私も、ヴィータも、ザフィーラも」
「それはただの治療よ。癒しとは呼べないわ」
「どう違うと言うんだ」
「違うのよ。でも、今の主…はやてちゃんに会うまでは、私も貴方と同じ。違いがわからなかった」
 シグナムはカップを置いた。そしてはやてとヴィータの出て行った方向、はやての寝室のほうを見る。
「そうだな。主はやては今までの主とは違う」
「はやてちゃんが私たちを癒しているのよ」
 口を開きかけて思い直したシグナムは、再びカップを手に取った。そして、その温もりを確かめるように両手でカップを包む。
「平穏……か」
 シャマルと同じ言葉を、シグナムは呟いていた。
 衣食住などは些細なことだ。そんなものは、自分たちがその気になれば容易く手に入る。もっとも、それですら気安く与えた主がかつていたかどうか、シグナムには思い出せなかった。
 しかし主はやては、それ以上のものを自分たちに与えてくれた。
「これが、平穏なのか…」
 悪くはない。剣を振るうことのない自分など、かつては想像できなかった。
 主のために剣を振るう、それが騎士の務め。そこには善悪などない、ましてや平穏など。
 剣を捨てたいわけではない。管理局の依頼で任務を果たすときはさほど剣の腕は必要ないが、テスタロッサとの戦いは、思い出しただけでも血が沸く思いがするほどのものだった。今とて、ベルカの騎士として、一剣士として、破壊や殺戮のためではなく純粋に技を振るいたいという気持ちはある。
 しかし今はただ、主はやてと共に生きる。それがシグナムの、いや、ヴォルケンリッター全員の一番の望みだった。
「私では、貴方達に与えることができなかったもの」
「そう思っているのか?」
 シグナムは空のカップを置いた。
「少なくとも、私はお前に一時の平穏を与えられたことを覚えている」
 俯き加減だったシャマルの顔が上がった。
「シグナム…」
 しかし、シグナムの言葉は終わってはいなかった。
「ヴィータもザフィーラも同じだ」
 当惑が広がるシャマルの表情。
「ヴィータはああいう性格だし、ザフィーラは感謝を言葉にするタイプではない。だからわかりにくいのかも知れないが、二人ともお前には感謝しているはずだ」
「え、ええ」
 違う。とシャマルは言いたかった。
 いや、違わない。シグナムの言うことは間違いではない。ただ、シグナムの指摘したことはとうにシャマルも気付いているというだけ。
 だけど、違う。シャマルの言いたかったこと、聞きたかったことはそんなことではない。
 シグナムに一時とはいえ平穏を与えていたこと。それが、こんなに嬉しいこと。シャマルが欲しいのは、ヴォルケンリッターの将としての言葉ではない。シグナムの言葉なのだ。
「そうね。仲間にそう言われると、私も嬉しい」
 しかしその言葉は、湖の騎士としての言葉だった。
「そろそろ、私たちも寝るか。……シャマル?」
 立ち上がろうとして、シグナムはシャツの裾を掴む手に気付いた。
 シャマルがシグナムを見上げている。
「シグナム」
「どうしたんだ、シャマル。お前、さっきからおかしいぞ?」
「……シグナム」
「どうしたと言うんだ? シャマル」
「ごめんなさい。なんでもないわ」
 自分も立ち上がると、シャマルは二人分のカップをそそくさと台所へと運ぶ。
「おやすみなさい、シグナム。私はカップを洗うから」
 背を向けたまま言うと、カップに水を流し始める。
「ああ、シャマル、お休み」
 不審な顔をしつつも、それでもシグナムは寝室へと戻っていく。
 リビングを出て、そのまま進む。突き当たりの右がシグナムの部屋に当てられている。元々ハヤテ一人で住むには大きすぎる家なのだ。おかげて四人とも一応の個室を与えられている。
 もっとも、ヴィータとザフィーラは自分の寝室を使うことがあまりない。ヴィータはほとんどはやてと一緒に寝ているし、ザフィーラは狼の姿のままで眠ることが多いためだ。
 ドアノブを掴もうとして、シグナムは足を止めた。
 人の気配。ただし、知っている者。
「何をしている、ザフィーラ」
 中で待っていたのはザフィーラだった。
「同志とはいえ、女の部屋に夜半忍び入るとは何事だ」
「どうしても、言っておきたいことがあってな。騒がせるつもりはない。勝手に部屋に入ったことは謝る」
 シグナムはザフィーラを睨みつけながら部屋に入り、ドアを閉めた。
「それで、何用だ」
「シャマルの気持ちを汲んでやれ」
「なに?」
 あまりこういう言い方はしたくないと、ザフィーラは前置く。
「男にこういう事を言わせるな」
「なにを言っているのかわからんぞ」
「シャマルが惚れている」
「……お前か?」
 他に男はいない。シグナムの言葉ももっともだと言えた。
「お前だ」
「な……に?」
「同じ事を言わせるな。言いたいことはこれだけだ。後は自分で考えろ」
 言いたいことだけ言って、ザフィーラは狼の姿に戻ると部屋を出て行ってしまった。後には、あまりのことに固まってしまったシグナムが残される。
「シャマルが……私を?」
 ザフィーラなら、わかる。
 ザフィーラは男だ。シャマルは女だ。
 シグナムは女だ。シャマルも女だ。
 
「と言うことがあったのだが」
「それが相談事?」
「ああ。下らないことと笑われるかもしれんが」
「笑ったりはしません」
 フェイトは即座に答えた。
「そうか。ありがたい」
 ここは海岸沿いの道。密かにフェイトを呼び出したシグナムは一部始終を話していた。
 模擬戦でもするのかと思って勇んで駆けつけたフェイトは、明らかに消沈している。
「そもそも、女同士というのはどうかと思うのだが…」
「そんなことありませんっ!」
 フェイトの突然の劇的反応に、思わず身を反らすシグナム。
「テスタロッサ?」
「あ…ごめんなさい」
 非礼を詫びるフェイト。
「でも、どうして女同士は駄目なんです?」
「どうしてと言われても、それが自然の摂理だろう」
「そんなもの、知りません。そもそも自然の摂理を言い始めたら、私たちはこの世にいない」
 確かにフェイトもシグナムも、母親の胎内から生まれてきたわけではない。
「そ、それはそうだが……」
 そこでシグナムは気付いた。
 まさか、テスタロッサもシャマルと同じく!?
「テスタロッサ、まさか、お前にも好きな人が…」
 そこには、シグナムが初めて見るフェイトの女の子な姿があった。
「……シグナムも知っている人…」
「私が知っている?」
「とっても強くて、他人のためのがんばり屋で、私が知っているどこの誰よりも真っ直ぐな人」
 ああ、とシグナムは頷いた。
 テスタロッサがそこまで言う人物など、一人しかいないではないか。
「高町…か」
「私もなのはも、女の子ですよ?」
 フェイトは少し間を空け、シグナムの言葉がないのを確かめると続けた。
「私はなのはのためなら命を賭けられます。なのはもきっとそう、ううん、現に私のために命を賭けてくれました。シグナムはどうなの? シャマルのためなら命を賭けられるのではないの?」
「その通りだ。だがそれは、ヴォルケンリッターとしての絆。恋愛沙汰など関係ない」
「私もなのはも、はやてのために命がけで戦った。はやてのことは私も好きだけど、それは友達として。なのはとは違う」
「何が言いたいんだ」
「シャマルとザフィーラは貴方の中では同じなのですか? シャマルとヴィータはどうなのですか?」
 同じだ。とシグナムは言いかけて、自分の中の何かがそれを止めていると感じた。
 ザフィーラやヴィータを軽視するのではない。それは違う。
「……つまらんことを言って済まなかったな、テスタロッサ」
「安心しました」
 何に安心したのか、とシグナムが尋ねると、フェイトはニッコリと笑う。
「貴方がそういう人で良かった、と思います」
 何故か気恥ずかしくなり、シグナムは足早にその場を去った。
 
「ただいま戻りました」
「お帰りー」
「お帰りなさい」
 はやてとシャマルが同時にシグナムを出迎える。
「もう、ご飯の時間やで」
 時計を確認して、シグナムは自分が思っていた以上に時間が過ぎていることに気付く。
「もうしわけありません、主はやて。テスタロッサとつい話し込んでしまい」
「フェイトちゃんと? ふーん、シグナムはフェイトちゃんと仲がええんやね」
「戦士として、通じ合うモノがありますから」
「まあ、仲がええんはええことやけど」
 いつものように食事を終え、はやてとヴィータは一緒にお風呂に入っている。
「シャマル…」
「なに? シグナム」
「済まないが、コーヒーを煎れてくれないか?」
「いいけど…」
「お前の煎れたコーヒーが飲みたい」
 一瞬、シャマルが驚いたようにシグナムを見る。
「シグナム……?」
 シグナムは何も言わず、ただ頷いた。
「……ブラックコーヒーね」
「ああ、砂糖は少なめで」
 シャマルが台所に立つと、入れ替わるように、テーブルの下からザフィーラが姿を見せた。
「……テスタロッサに後押しされて、ようやく第一歩と言うところか」
 シグナムは無言で、邪魔っけな狼を蹴飛ばした。
 
 
 
 
あとがき
 
 
 
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