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たった一つの言葉
 
 
 なのはが墜ちた。
 ただその一言で、フェイトの目に見えていた世界は暗転する。
 音は意味をなさない不快刺激に変わる。
 色彩の無秩序な洪水が網膜を灼く。
 あらゆる物が瞬時に意味を失った。
 なのはが墜ちた。ただ、その一言で。
 
 フェイトの反応を正確に予測できたのはアルフただ独りだった。だから、アルフはすぐに言ったのだ。
「なのはは生きている。生きていれば回復するんだ。なのははただ、疲れて休んでいるだけなんだよ、フェイト」
 もちろん、アルフが正確になのはの状態を知っていたわけではない。はっきり言ってしまえば、これは嘘だ。
 なのはの生死すら、アルフにはわかっていないのだ。
 しかし、わかっていることは一つだけ、確実にわかっていることが一つだけあった。
 自分の存在意義として、フェイトをいかなる意味においても守らなければならない。だから、今は嘘でもいいから安心させること。
 もしこれが結果的に嘘になってしまったのなら、甘んじて罰を受けよう。たとえ、使い魔の分際で主に虚偽を訴えた罪で消失させられたとしても。
 自分の消失の可能性とフェイトの現在の平穏。天秤のどちらに重きを置くのかは一目瞭然だ。
 アルフの言葉で自失から覚めたフェイトは、すぐに自分の部屋を出た。居間からリンディが顔を見せる。
「こっちにも連絡はあったわ、行ってあげて、フェイト」
「うん、母さん」
 とるものもとりあえず、フェイトは病院へと急いだ。少し遅れて、アルフがリンディに渡された荷物を持って駆けていく。
 
 
 待合室では、ヴィータが人目もはばからずに泣いていた。その小さな姿をはやてが抱きしめてあやしている。
「……フェイトちゃん」
「なのはは?」
「無事や」
 端的に結論を言うはやてに、追いついていたアルフは心の中で感謝した。さすがに、はやてはフェイトへの対応を心得ている。
 まずはなのはの無事を伝えなければ、フェイトは落ち着かなかっただろう。
 
「そやけど、今はまだ会えへんよ。。お医者さまが頑張ってくれてるから、私らにできるんは待つことだけ」
「あたしが……あたしがしっかりしてれば」
 ヴィータはフェイトにも気付かずに、しゃくり上げながら呟いてる。
「何があったの?」
 フェイトの手がヴィータの肩に伸びる。その手を掴むのははやて。
「あかん。落ち着いて、フェイトちゃん」
「……ヴィータのせいなの?」
 不思議に静かな声だった。
 その言葉でようやくフェイトの存在に気付いたかのように、ヴィータは顔を上げた。フェイトをゆっくりと見上げるその目が、怯えを含んでいるようにも感じられる。
「違う。ヴィータのせいのわけないやん」
「ごめん、テスタロッサ……」
 震える声をフェイトは確かに聞いた。
「違う、この子のせいと違うよ」
 捕まれた手をそのままに、フェイトは捻った。どうされたのか、はやての手が離れる。
「はやてには聞いてないよ。ヴィータに聞いているんだよ?」
 はやては再びフェイトの手首を握った。
「そんなんわかってる。ヴィータに話聞きたいんもわかる。別にそれを止める気はあらへん。そやけど、その前にちょっと落ち着かなあかんよ、フェイトちゃん」
「私は落ち着いてるよ」
「落ち着いてへん」
「はやてこそ、ヴィータを庇う気持ちはわかるけれど、それとこれとは話が別だよ」
「あかんっ!」
 再びはやての手を振り払ったフェイトの手が待機中のバルディッシュを掴むのを見て、はやては思わず叫んでいた。
「そこまでだよ、フェイト」
 バルディッシュを握りしめたフェイトの手の上から別の手。アルフが、フェイトの手を握りしめていた。
「ごめんよ、はやて、ヴィータ」
「離して、アルフ」
「フェイトがもし、誰かを殴って憂さを晴らしたいんなら、あたしがいるじゃないか」
 何か言いかけたヴィータをはやては目線で黙らせると、ヴィータを抱いたまま一歩下がる。
「わかってる。フェイトはなのはが墜ちたのを誰かのせいにしたいんだ。不安を誤魔化したいんだ」
 フェイトはアルフの手を振り払おうとするが、はやてと違ってアルフの手は離れない。フェイトの体術はアルフ経由のザフィーラ譲りなのだ。だから、フェイトの小手先の技術ではアルフの手から離れることはできない。
「だけどさ、なのはが墜ちたのはヴィータのせいじゃないよ。もちろんはやてのせいでもない。ましてやこの中の誰のせいでもない。もしもこれが誰かのせいだってんなら、今頃とっくに二人がそいつをとっ捕まえてるよ。違うかい? フェイト」
 バルディッシュがフェイトの手から離れた。
「それでも収まらないって言うんなら、それでも振り上げた手をどこかに叩きつけたいって言うんなら、いつだってあたしがいるんだよ」
 フェイトは俯いていた。アルフの言葉を聞いていないのではない。自分の中で折り合いをつけようとしている。
 それがわかるから、はやてはは何も言わない。そしてヴィータも。ただ、フェイトの決断を待っていた。
 アルフは、フェイトの力が抜けて行くのを感じ、その手を離した。
「ごめん、はやて。ごめん、ヴィータ」
「ううん、ええんよ。フェイトちゃんはなのはちゃんの事がそれだけ心配やったんやし」
 ヴィータはそれでも、深々と頭を下げる。
「本当にごめん、あたしがついてたのに……」
「ううん、わかるよ。ヴィータがなのはを危険な目に遭わせるわけないもの」
 ようやく緊張が解け、フェイトは落ち着いてヴィータに何が起こったかを尋ねる。
「正直言うと、何が起こったのかはまだわかんねえんだ……」
 それでも、知っている限りのことをヴィータは話した。そして、医者から聞いた話をはやてが伝える。
 命に別状はないが重傷に替わりはなく、魔力どころか最悪の場合は一緒を半身不随で過ごすかもしれない、と。
 フェイトは、病室へ向かおうとする。
「フェイトちゃん、面会謝絶やで」
 ここは魔道士も利用する病院である。ここで面会謝絶ということは同時に念話も禁止されていると言うことだ。なのはのところへ行ったとしても、会話すらできないのだ。そもそも、なのはの意識がまだ回復していない。
「うん。わかってる。だけど、少しでも側に近づきたくて」
 なのはの部屋はすぐに見つかった。病室というよりも、ここは集中治療室だ。ガラス張りの向こうになのはの姿は見えない。そこには、包帯やチューブで身体中を覆われた少女が一人、目を閉じて横たわっている。
「なのは……」
 フェイトは、かけるべき言葉を必死で考えていた。
 ……すぐに良くなるよ
 ……大丈夫?
 ……また一緒に飛ぼうね
 ……仕返しはするよ
 ……絶対、大丈夫だよ
 駄目だ。
 どんな言葉も違う。
 どんな言葉も、今なのはにかけるべき言葉とは違うような気がする。
 同情でも叱咤でもない言葉。フェイトは自分のボキャブラリーの少なさを恨んだ。
 いや、一つだけあった。
 どんなときでも絶対に変わらない言葉。
 たとえ、なのはが魔力を失ったとしても。
 たとえ、一生消えない障害をその身体に負ってしまったとしても。
 たとえ、なのはが自分を見捨てるときが来たとしても。
 絶対に変わらないことがただ一つ。
 フェイトは、その言葉を呟いていた。
 
 
 
 気がつくと、自分の部屋にいた。
 一瞬当惑し、そしてベッド脇にアルフが子犬フォームで眠っていることに気付く。
 そうだ。
 自分は、あのまま病院に詰めていたのだ。
 ヴィータ以外のヴォルケンリッターや、クロノにユーノ、母さんとエイミィが連れてきた高町家の一同。
 そしていつの間にか、張りつめていた気力が尽きて、眠ってしまったのだろう。
 あのまま病院にいても、何もできないことは自分が一番よくわかっていた。
 もし、なのはが入院しているせいでフェイトの日常に支障が出たとすれば、それを一番気に病むのはなのはだろう。だから、フェイトは気丈に振る舞うべきなのだ。
 今は、しっかりと眠って、何が起こってもすぐに対応できるように体力を温存しておくこと。それが執務官の心得でもあるとクロノに教えてもらっている。
 フェイトは目を閉じた。
 なのはは必ず身体を治す。と信じながら。
 信じることがいつの間にか念じること、呟くことに変わっていたとは気付いたのは、夜が明け始めた頃だった。
 時計を見ると、今から寝ていられるような時間ではない。
 仕方ない。と深呼吸一つ。そしてアルフを起こさないようにそっとベッドから抜け出す。
 階下には、誰もいない。クロノも、お母さんも。
 いや、エイミィがいた。
「あ、おはよう。フェイトちゃん。今日は早いね」
「おはよう、エイミィ」
 エイミィは厳密には家族ではないが、家族と言っても差し支えない間柄である。冷静に考えるとクロノよりもこの家にいる時間が長いかもしれない。それどころか、リンディと並んでいると実の母娘にしか見えなかったりする。
「もうすぐ、お弁当できるからね」
「え? お弁当?」
「うん。フェイトちゃん、学校行くんでしょう?」
「あ、はい」
「じゃあ、お弁当、いるよね」
 フェイトがどう答えようか考えていると、エイミィはお弁当の余りを皿に並べて朝食を作り始めた。
「学校はちゃんと行かなきゃ駄目よ。なのはちゃんだって、フェイトちゃんに学校を休んで欲しいとは思わないはずだよ」
「うん。私もそう思う」
「やっぱり?」
「ゆっくり考えて、そう思ったの」
「はい、良くできました。それだけわかっていれば大丈夫だね。リンディさん、なのはちゃんのことよりもフェイトちゃんの方を心配していたみたいだから」
「母さんが?」
「たしかになのはちゃんの身体のことは心配だけれど、命を取り留めた限りは心の心配はしなくてもいいって。だけど、フェイトちゃんの場合は身体より気持ちの方が心配だって」
「もう、大丈夫だよ。私は、なのはが戻ってくることを考えなきゃいけないから。だから、きちんとしていないといけないから」
「うん。お姉さんも安心した」
 朝食がテーブルに並ぶ。
「それでね、ついさっきシャマルさんから連絡があったんだけど」
「何かあったの?」
「なのはちゃんがとりあえず意識を取り戻したって……あ、ストップ! 今は鎮静剤で眠っているから行っても無駄だよ!」
 走り出しかけていたフェイトが、真っ赤になってもう一度座る。
「それでね、意識を取り戻したときに何か言っていたらしいんだけど、意味がわかるかって」
「意味?」
「うん。なのはちゃんがこう言ってたって」
 
『私もだよ、フェイトちゃん』
 
 その瞬間、エイミィはフェイトの顔が茹で蛸のように真っ赤になるのを目撃した。
 ……人間の顔って、ここまで真っ赤になるものなんだ……
 そして、幸せそうに登校していくフェイトを見送る。
「なんかフェイトちゃん、突然幸せそうになったけど……」
 独りになって、なのはの言葉の意味を考えてみる。
 うん。まったく、なにがなんだかわからない。
 
 
 バス停へと歩きながらフェイトは、病院で呟いた言葉をもう一度舌の上にのせていた。
「なのは、大好きだよ」
 
 
 
 
 
 
あとがき
 
 
 
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