まだ人間じゃない
公園の常夜灯が二人の影を長く伸ばしていた。
まだ深夜というには早い時間だが、今のところ周囲に人影はない。
「この辺りでいいね」
「こんなところかい?」
辺りを見回すアルフの表情は、わかりやすい嫌悪に満ちている。
「アルフは嫌?」
「いいや。アタシは、別にどこだって構わないよ。フェイトの方こそこんなところでいいのかい?」
「雨露はしのげるし、ここで充分」
「一度、戻った方がいいんじゃないかい?」
「駄目よ。一度戻れば、それだけジュエルシードを手に入れるのが遅くなる」
「だけど、こんなの無茶苦茶じゃないか。この世界で通用する貨幣の準備さえしてくれないなんて」
「お母さんは、忙しかったから…」
「働いているのはフェイトばかりじゃないか!」
「それなりの準備はしてくれているわ」
それは準備と言えるのだろうか。プレシアはただ、換金できる宝石類……他の世界では価値の低いが、この世界ではそれなりの価値のもの……を無造作に手渡しているだけだ。
だが、それを換金するにもかなりの苦労を必要としたのだ。結果として、明らかに足元を見られた低いレートでしか換金はできなかった。二束三文で買いたたかれたのだ。
買い叩かれた理屈はわかる。
換金相手の一人がいみじくも言ったように、
「出所の知れない貴金属は危なっかしくてね、真っ当な取引がしたいなら真っ当な持ち主が真っ当な店に行けばいい。真っ当な持ち主なら、証明書でも何でもあるだろうからな」
ということなのだ。
勿論、そんなことができるはずもない。証明書を偽造すれば話は別だが、それはフェイトに止められている。
結局は雀の涙ほどに換金されて、手元にはいくらも残らない。それでなんとかやってきている。
だが、手持ちの現金があったとしてもフェイトをそのまま泊めてくれるような施設はほとんどないだろう。実際の力は別としても、年端もいかない少女なのだ。だから、アルフが人化して宿を取ることになる。
アルフなら、見た目を成人に見せかけることができる。フェイトはその妹だ。
だが、極力宿泊施設は避ける。それ以外にも、この世界では現金が必要なことは多いのだから、使わないに越したことはないのだ。そして、フェイトは代価を出すことを絶対に否定しない。ジュエルシード集め自体が不法であるのだが、それ以外には不法行為はできるだけしたくない。そうフェイトに言われれば、アルフに返す言葉はないのだ。
宿泊施設を避けたときは、空き家を見つけて潜り込むことができれば運がいいほうだった。
そしてその空き家にも先住者がいる場合がある。
中には、何も言わず寝場所を提供してくれる者もいた。そしてその厚意を与えてくれるのが、僥倖と言っていいほどの極々少数の者だということもすぐわかった。
代償を現金として求めるのなら、特に問題はない。払い、一夜の宿を得る。現金以外のものが要求されたときは、アルフは容赦なく牙を剥いた。
その夜も、そうだった。 二人は宿を見つけることができずにいた。
結局公園から少し離れたところに二人は空き家を見つけ、入り込んだ。そこには先住者がいたのだが、フェイトがいくらかの現金を出すと、先住者は黙って部屋を一つ明け渡したのだ。
夜が更けると、アルフは男が部屋に入ってくるのに気付いた。全裸になっている男は、眠っているフェイトに手を伸ばす。その瞬間、アルフは狼の姿を披露した。
悲鳴を上げ、男は腰を抜かす。アルフはそのまま男に襲いかからんと身構えた。
「関係ない人を傷つけては駄目」
フェイトが起き出していた。
「でもフェイト…」
「駄目、アルフ。追い出すだけにして」
「わかったよ…」
「貴方も、もうここに来ないで。次は…」
バルディッシュから微かな光が、男の身体に放たれた。小さく細い光は男の頬を撫でる。
吹き出す鮮血。
「次は、かすり傷では済ませない」
ようやく立ち上がった男は、振り向くこともなく駆けだしていた。
その深夜、集団に包囲されて二人は逃げ出した。
「化け物」という声を浴びながら。
「……仕方ないね。アタシは変身できるんだから。化け物って言われても仕方ないよね」
アルフはそう言って笑う。
「ほら、ほら」
狼の姿に。そして人間に。
「アタシはこっちの言葉で言う化け物だから」
そうだろ、と言いかけてアルフは言葉を飲み込む。
フェイトの小さな肩が震えていた。
「違うよ。フェイトの事じゃない。フェイトの事じゃないよ。フェイトは化け物なんかじゃない」
集団から逃げるため、空を飛んだ。
追跡を断念させるため、空き家を破壊した。
金髪の化け物、と一人が呟くのをフェイトは聞き逃さなかった。
「化け物は、アタシだから。アタシが化け物だから!」
アルフはフェイトを抱き締めていた。
「フェイトは化け物なんかじゃない。フェイトはプレシアの娘だよ。立派な娘だよっ! ただ、この世界の人間が持っていない力を持っているだけじゃないか!」
化け物。
いつの頃からだろう。
フェイトはそう考えていた。
いつの頃から自分はこの言葉が嫌いになったんだろう。
呼ばれるたびに、心がどこかに落ち込んでいく。暗い、とても暗い孔の中へ。誰も這い上がれない真っ暗な中へ。
…化け物
…人間じゃない
…怪物
…人間のようなもの
…作り物
…アリシアのようなモノ
嫌。嫌、嫌、嫌!
「フェイト! フェイト!」
気が付くと、目の前にはアルフの泣き顔。
フェイトは、アルフの膝枕で元の公園のベンチに寝ていた。
「ここは?」
「さっきの公園だよ。どうしたんだい、フェイト。突然倒れたりするからビックリしたよ」
「もう、大丈夫だよ」
「本当に?」
「うん。本当だよ。だけど、今夜はもう野宿はしたくないね。アルフ、また変身してくれる?」
「任せといてよ、フェイト」
通りすがりの人に道を聞くと、男は快く道を教えてくれた。それどころか、ビジネスホテルという施設の前まで案内してくれる。
「その年で終電が無くなるまでの夜遊びなんて、あまり感心しないな。ほら、妹さんが眠そうだ」
男は快活に笑うとそれだけ言って手を振り、去っていく。
珍しい。心からそう思うほど、二人には親切がありがたかった。
「この世界には、いい人もいるんだね」
部屋に落ち着くと、フェイトがそう言った。
「普通の大人なら、困っている子供を見たら助けるんだ。普通の大人なら、子供に無理なことはさせないんだ。普通の親なら…」
「アルフ!」
鋭い叱責の口調に、アルフは口を閉じた。
「ゴメンよ、フェイト。アタシは、別にプレシアのことを言いたかった訳じゃないよ」
嘘だ。
「……うん。わかってる」
これも嘘だった。
嘘を答えて嘘で返す。そして二人ともそれが嘘だとわかっている。
違う。そうアルフは叫びたかった。
違うんだ。こんなのは違うんだ。
フェイトに嘘は付きたくない。フェイトだって、アタシに嘘を付いて喜んだりはしないんだ。
でも、でも……
何かがおかしい。
何かが決定的に間違っている。
でもそれがなんなのか。
わかっている。わかってはいる。でもそれを言うわけにはいかない。
フェイトは絶対に認めないだろうから。
フェイトは絶対に、その間違いを認めないから。
それでも、自分はフェイトに付いていく。
使い魔だから。
否。
フェイトの使い魔だから。
否。
自分はフェイトに付いていく。
自分がフェイトに付いていきたいから。
たとえ、フェイトが自分を見捨てたとしても。自分はフェイトを見捨てない。
プレシアであろうと誰であろうと、フェイトを傷つける者は絶対に許さない。
いつの間にか、フェイトは眠っていた。
アルフは狼化すると、フェイトの足元で丸くなる。
…フェイトはアタシが護る
そしてフェイトは夢を見る。
優しい母親と笑いあう夢を。
例えそれが、目覚めと共に醒める夢でも。
目が覚めたとき、思い出すのは悪夢だけ。
…化け物
…人間じゃない
…怪物
…人間のようなもの
…作り物
…アリシアのようなモノ
…お前は人間じゃない
フェイトはまだ人間じゃない。
白い少女に出会うまでは。