ティアナがヴィータを抱っこした
「シャマル、いるかぁ?」
ヴィータは医務室をのぞき込む。
シャマルどころか、人の気配がない。
「シャマルぅ、いないのか?」
返事はない。気配を隠しているわけでもなさそうだ。
「あいつ、どこ行ったんだ?」
誰かが怪我でもして、駆けつけているのか。それとも急病か。あるいは密かにおやつでも調達しに行ったか。
大きな事件ならば、スターズ副隊長の自分に連絡が来ないわけがない。たいしたことのない事故か、それとも個人的な怪我か。どちらにしろ、大きな事件ではないということだろう。
もちろん、おやつだったら分けてもらう。
「勝手に入るぞぉ」
特に緊急な用事というわけではない。副隊長の義務として準備しておかなければならない応急治療キットに不足を見つけたので、補充しに来ただけだ。ついでに、キットの構成に不備があるような気もするので、その点はシャマルに相談しようと思っている。
戻ってくるまで待とうと、ベッドに腰掛ける。
患者も誰もいないし、たまたまだろうけれど外に誰かが通る気配もない。珍しく、今日のこの区画は静かだ。
いつの間にかヴィータはベットに寝転がっていた。
「あ、制服が皺になったらはやてに怒られる」
起きればいいのに、上着を脱いでしまった。それほど、ベッドがふかふかで気持ちいいのだ。ちなみに、今日のお昼にアイナとヴィヴィオ、そしてザフィーラ、シャマルの四人で医務室のお布団を干していたらしい。
干したばかりの布団が気持ちいいのは、古今東西あまねくすべての次元において共通の概念である。
干したばかりの布団の列、抗う術は我が手にはない。
「遅いなぁ、シャマル……」
語尾がかなりまずい状態で弱くなっているのに、ヴィータは気づいていなかった。
ただ、
…この布団、なかなか気持ちいいな……
瞼がとろんと下がっていく。
「どう? スバル!」
ティアナの新技に、スバルは惜しみない拍手を送っていた。
「うん、凄いよ、ティア!」
「えっと、褒めてくれるのは嬉しいんだけど」
「うんうん。だから、凄いよ、ティア」
「あのね、スバル。なんというか、褒め言葉よりも、批評というか、感想というか」
「……だから……凄いと思うよ? ティア」
スバルは困ったように同じ言葉を繰り返す。
「んーとね……はっきり言って、粗探しをして欲しいんだけど」
褒められるのは嬉しいが、欠点を指摘したもらいたいのが本音だ。攻撃魔法の類ならば自分で判断できるが、幻術は本人よりも第三者に見てもらわないことには話にならない。
「んーーーーー」
首を傾げて、首を傾げて、直角を超えてしまうくらい曲げて、それでもスバルは言う。
「ごめん。粗なんてわかんないよ」
ここで「自分の幻術は完璧だ」と思ったりしないのが、努力の人ティアナ・ランスターである。
「あんたに聞いた私が間違ってたわ」
「えー、そんなことないよ、本当に凄いってば」
「ありがと。でも、こういうのはやっぱり意地の悪い人に見てもらわないとね」
「意地の悪い人って…………そんな人、六課にいないよ?」
「ああ、違うわよ。性格が悪いっていう意味じゃなくて、厳しいっていう意味よ」
「ああ、それなら」
スバルは少し考える。
「やっぱり、なのはさんかな」
「ヴィータ副隊長やシグナム副隊長でもいいと思うけれど、やっぱり自分たちの隊長が筋よね」
フェイトの名前が出ないのは、実戦なら知らず、それ以外の部分でのエリキャロ可愛がりぶりを見てしまっているからだろう。
「でも、できれば隊長たちには見せたくないのよね」
「あ、ティアってば、隊長たちとの模擬戦に使う気?」
「隠し技の一つくらい、ね」
「うーん。隊長たちには内緒にできて、隊長たちと同じくらい目利きのできる人……八神部隊長かなぁ」
「話が大きくなるわね」
「シャマル先生は? 確か、元々はシグナム副隊長やヴィータ副隊長、八神部隊長とチームだって聞いたことあるし」
「そっか。シャマル先生なら、秘密守ってくれそうだし。副隊長たちとチーム組んでいたんだったら目も確かなはずよね」
言うが早いか、ティアナは座っていた椅子から立ち上がると部屋を出ようとする。
「遅くなっても迷惑だし、思い立ったが吉日ね。シャマル先生のところに行ってくるわ」
「あたしは、デバイスの整備があるから」
「うん。それじゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」
幻術魔法による幻像には実体がない。
ただし、実体にあるものに上から幻像を被せたらどうなるか。
さらに、多少の齟齬は誤魔化せる程度に、触覚を騙すことができたら。
自分の体表に魔法効果を及ぼすことによって、別人に成りすますことができるのだ。
幻術と言うよりは変装に近いかもしれない。しかし、任意の別人に成りすますことができるというのは大きいだろう。さらに、声を変えられるなら完璧だ。
こうなると、幻術と言うよりもナンバーズ二女ドゥーエのISライアーズ・マスクに近くなってくる。
しかし、ティアナは何とかそれをものにしようとしているのだ。
医務室の前で、ティアナは深呼吸した。
どうせなら、最初から騙すつもりの気合いで入っていこう。
シャマル先生を騙すのに格好の人物。
よし。
ティアナは八神部隊長の姿を脳裏に思い浮かべていた。そして術式を構築。身体の回りに幻像を張り巡らせていく。
「シャマル先生?」
ティアナは医務室に入った。
返事はない。
さらに呼びかけようとして、ベッドの人影に気づいて口を閉ざす。
誰かが寝ているのなら、大きな声は出せない。
「……ヴィータ副隊長?」
そこには、上着を脱ぎ捨てたヴィータが眠っていた。
どう見てもただ眠っているだけで、調子が悪そうには見えない。そもそも昼間はいつも通りに教導をしていたのだから。
単に寝ているだけ?
確かに、シャマル先生と副隊長は古いつきあいらしいから、それくらいの融通は利くのだろう。だけど、肝心なシャマル先生がいない。ということは、勝手に寝ているということなのだろうか。
ティアナはふと、ヴィータの寝顔を観察している自分に気づいた。
…可愛い。
訓練中には間違ってもそんなことは思ったことがない。というよりそんなことを思う暇などない。
しかし、こうやって無防備に眠っている姿を見ていると、とても可愛らしいのだ。
白い肌。小柄の身体。赤い髪。
自分から見ると小さく子供のような身体。だからといって相手を侮ることはない。魔法世界では相手を外見で判断するほど危険なことはないのだ。
現に、自分と副隊長が本気で戦えば、一矢報いる前に二桁回は殺されてしまうだろう。それぐらいの力の差がある。
しかし、今の寝姿を見ているとその事実すら信じられなくなってくる。
「えっと……」
起こしていいものだろうか、とティアナは悩んだ。
気持ちよく寝ているところを起こされて気分のいい者はいない。それに、この姿をもう少し見ていたいという気持ちもある。
「ん……」
ヴィータの身じろぎ。ティアナはいつの間にか、微笑みながらヴィータを見下ろしていた。
…なのはさんがヴィヴィオを引き取った理由、今ならわかるような気がする。
無意識に、手が伸びた。
「ん……」
反応が面白くて、ヴィータの頬を指先でくすぐる。
「あれ?」
まずい。冷や汗が流れるのをティアナは感じた。唐突に、ヴィータが目を開いたのだ。
驚いたように自分を見上げる副隊長と目が合う。
「どうしたの? はやて」
言われるまで、自分が幻像をかぶっていることを忘れていた。
「あ、ここ、医務室じゃん。そだ、シャマルがいねえんだ。はやては、あたしを起こしに来たのか?」
ティアナは一瞬で覚悟を決めた。どのみち、部隊長に変装していることは動かぬ事実なのだ。このまま誤魔化し通すしかない。
「はやて?」
「え? あ、そ、そやよ。ふ……ヴィータを起こそ思てな」
「うふふ。うん、ごめん。あたし、寝てたみたいだ」
目をこすりながら、ベッドの上にぺたりと座り込んで、ティアナを見上げて笑う。
…な、なに、この可愛らしいお子様は!?
ティアナはヴィータの無防備加減に唖然としていた。これが、あの、鬼の副隊長?
ヴィータは辺りを見回すと、静かに聞いた。
「はやてだけ?」
「う、うん。あたしとヴィータだけやで」
「じゃあ……」
ヴィータがニッコリと笑って手を伸ばす。
「この前の仕返しだよ」
手を引かれ、ティアナはベッドに引きずり込まれた。
「はやて、抱っこして?」
ぎゅっと抱きしめられて、ティアナの顔が真っ赤になる。
「副……ヴィータ?」
「はやてがいっつもあたしのこと捕まえてばっかりだから、今日は仕返しだよ」
…えっと……副隊長と部隊長ってそういう関係だったの!?
驚いているうちに、温かくて柔らかくていい匂いのものがティアナの頭を包んだ。ヴィータが、ベッドに倒れ込んだティアナの頭を抱きかかえているのだ。
…副隊長、温かくて柔らかくて……スバルより……じゃなくて!!
自分を叱咤しながら、ティアナは頭をフル回転させていた。
「ヴィータ、ちょお放して?」
「んー? どしたの? はやて」
渋々放したヴィータから離れたティアナの動きが止まる。
「仕事の話か?」
寂しそうな目が自分を見ている。
何かが、ティアナの中で弾けた。
「ん、なんでもあらへんよ、ヴィータ。ほら、おいで」
ベッドサイドに座り、ヴィータを膝の上に招く。
「えへへっ」
素直に膝に座って、のけぞるような体勢でティアナにほほえみかけるヴィータ。
…可愛い。副……ううん、ヴィータちゃん、可愛い!
ティアナはヴィータの髪を撫でると、頬や額、鼻をくすぐるように触りまくる。
「やぁん、くすぐったいよぉ、はやて」
ゾクゾクッとティアナの背筋に走る電流。
…ごめん、スバル。あたし、浮気するかも……
「あんなぁ、ヴィータ」
「なに? はやて」
「ヴィータ……ちゃん?」
突然の第三者の声に、ティアナは顔を上げた。
そこにはシャマルが。
「あ」と気まずそうなヴィータ。
「あ、あのな、シャマル、これは」
「ヴィータ、何してるの?」
シャマルの背後から現れたのは、本物の八神はやて。
「はやてっ!?」
一瞬の躊躇。しかし、ヴィータはすぐに理解した。
違う!
このはやては違う!
確かに見事に騙されていたかもしれない。しかし、本物と見比べるとわかる。明らかにどこかが違う。最初からいたはやては偽物だ!
ヴィータは振り向きざま、ティアナから飛び離れると、即座にグラーフアイゼンを構える。
「誰だ、てめぇ!」
「え? あ、あの……」
「上手く騙したつもりかもしんねえけど、もう騙されねえからなっ!」
はやてがとことこと、二人の間に入る。
「はやてっ、危ないっ!」
「あー。大丈夫。これ、ティアナや」
「な゛」
ティアナは肩を落として幻術を解いた。
「バレバレ、ですか……」
「うーん。なんとなくやけどな。そやけど、あたしの姿でヴィータを騙すいうんは、たいしたもんやと思うよ。これがフェイトちゃんやなのはちゃんの姿やったら、あたしもわからんかったかもしれへん」
ひゅん、とティアナの前に突きつけられる騎士杖。
「で、ティアナはあたしに化けて、ヴィータに何をしようとしとったんかな?」
「えっと、そういう目的ではなくて……」
ティアナの背後には、目の据わったヴィータがギガントフォルムのグラーフアイゼンを構えている。
「あたしも聞きたい。何のつもりだったんだ、おめえ」
ヴィータの顔には「こいつの頭殴って記憶消す」と書かれている。が、ギガントで殴られると記憶と同時に命もなくなるような気がするティアナだった。
「ヴィータが可愛すぎるんが罪やったんやな」
すべての経緯を聞いたはやてが笑うと、ヴィータがまたティアナをにらみつけた。
「絶対、このことは人に言うなよ。あたしとガチでやりあいたいんなら話は別だけどな」
「は、はい。わかってます。ヴィータ副隊長。絶対に言いません」
「それから」
「はいっ」
「戦ってる最中に敵に化けるってのは、相手を混乱させるためには悪くねえ。だけど、それができるのは相手に突っ込んだ後の話だ。ガンナーのお前が真っ先に突っ込むって言うのは、どういう状況だ?」
「え、えーっと…………あ……」
ティアナはヴィータの言わんとすることに気づいた。
「そだよ。突っ込む前に墜とされちまうぞ。そういうのは、元々先陣切って突っ込んでるあたしやスバルが使えれば一番効果的なんだ」
「すいません。私が浅はかでした」
「まあ、直接戦闘以外の機会では使うことも多いかもしんねーけどな。そういうのは執務官やってるフェイトのほうが詳しいだろ」
「はい」
「わかったらさっさと帰って休め。今日のことはくれぐれも誰にも言うんじゃねえぞ。スバルにもなのはにもだぞ!」
「はいっ」
解放されたティアナが部屋に戻ると、スバルは先に寝ていた。
静かにベッドに潜り込み、小さく「おやすみ」と呟く。
翌日の夜。
「ティアナはこういうのが好きだってシャマル先生が言ってた」
そう言ってスバルがヴィータのバリアジャケットそっくりのドレスを着ていたときは、かなり本気でティアナは逃げ出すことを考えたという。