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雪之が遥にあげた「もの」
 
 
 たゆんたゆん
 擬音を付けるとそんな感じ。
 ばいんばいんとか、そんな乱暴な音ではない、それは断じて違う。
 たゆたうような、それでいて暖かみと豊かさを思わせる弾んだ音。そうでなければならない。
 菊川雪之はそう確信していた。
「……雪之?」
 擬音を頭に浮かべながら、雪之はそれを凝視している。
「雪之?」
 それの動きが止まった。
「雪之!」
「え? な、なに、遥ちゃん」
 その持ち主。珠洲城遥が燦然と仁王立ちしている。
「さっきから、なんで人の胸を凝視してるのよ。親しき仲にも礼儀知らずでしょ?」
「礼儀あり、だよ。遥ちゃん…」
「そうとも言うわね」
 あっさりと流して、遥は再び歩き出す。因みにここは珠洲城邸内、遥の部屋。今日は雪之がお呼ばれしている日だ。
「ああ、そうだ。前から雪之に聞きたいことがあったんだけど…」
「なにかな? 遥ちゃん?」
「最近、玖我さんや鴇羽さんと仲がいいみたいね」
 確かに。蝕の祭以来、HiMEであったメンバーとはかなり親しくなったような気がする。考えてみれば、文字通り生死を共にした仲間なのだから、当然と言えば当然のことなのだろうけれど。
「う、うん。みんなHiMEだった人たちだし…」
 もしかすると、皆と仲良くしすぎて遥ちゃんをないがしろにしてしまっていたのかも知れない。雪之は少し反省した。
「違うのよ、雪之。仲良くしていることに問題はないのよ」
 雪之の様子に気付いたのか、遥が慌ててフォローする。
「雪之のお友達が増えることは大歓迎よ。玖我さんや鴇羽さんは、悪い人じゃない……わよね? 雪之と同じHiMEだったんだから、悪い人のはずがないのよ。そうよ、結城さんだって、ぶぶ漬けだって」
 頷く雪之。皆、状況に流されてやむなくそうなっただけで、根からの悪人などいないのだ。
 奈緒ちゃんだってそうだ。……藤乃さんだって……藤乃さんは……えーっと……。とりあえず雪之は考えるのをやめた。
「ただ、ちょっと噂に聞いたんだけど」
 なんだろう?
「雪之、貴方、何か私の持っているもので欲しいものがあるの?」
 え?
「雪之が何か私のものを欲しがっているって聞いたのだけど」
 ああ。そういうことを口走ってしまいそうな人は一人しか思い浮かばない。
 悪気無く、耳から入ったことをつい言ってしまう子。
 命しかいない、と雪之は確信する。
 いつも舞衣の傍にいるのだから、自分たちの会話を耳に留めているのも当たり前のことだろう。
 そして、雪之にはその心当たりがある。
 舞衣やなつきとの会話でつい口走ってしまったのだ。
 …あれは、鴇羽さんが悪い!
 
 
「舞衣〜!」
 お昼休みのお弁当タイム。いつものように舞衣に懐く命。
「しかし……命のやっていることはほとんどセクハラだな。いや、痴漢だ。痴漢」
「確かに、命ちゃん、危険だねぇ」
 なつきが呆れたように、千絵が揶揄気味に言うと、命が驚いて舞衣に尋ねる。
「痴漢……。そうなのか? 舞衣」
「なつきは大袈裟なのよ。まあ……命が男の子だったら大問題だけどね……でも、中には女の人でも大問題になりそうな人も…ねえ? ……あはは」
「舞衣? それは誰のことかな?」
 なつきがややまなじりを上げて尋ねると、舞衣は笑って誤魔化す。
「あははは、さあ、誰でしょう?」
「結局、私はこうしていていいのか?」
 命の問いに笑うなつき。
「そういうことだ。命なら何の問題もない。それにしても、そんなに気持ちがいいのか? その……舞衣の、胸は」
「ああ、フカフカで柔らかくて、いい匂いがして。なつきもやってみるか?」
「い、いや、私はいい、間に合っている」
 返事の内容に吹き出す舞衣。
「あー。ヤッパリ間に合ってるんだぁ」
「あおいまで! さっきから何を言っているんだ!」
「会長…じゃなかった、元会長さんも結構あったものねぇ」
「舞衣には負ける」
 あっさり答えるなつき。
「あ、素直になった」
「うるさい、どうせ静留のことなんだろう! そうだ、私と静留はそういう関係だ、それがどうしたっ!」
「あ、開き直った」
「うるさい」
「でも、静留は舞衣より小さいもの」
「命! お前まさか!」
「ん? うん。抱きついたことあるよ?」
「いつの間に!」
 食ってかかりかねないなつきに、舞衣は静かに応じる。
「なつき、本気で怒らないでよ。命は抱きつき魔だけど、そういう趣味はないはずだから」
「ない。でも、静留より舞衣の方が大きいのはわかるぞ?」
「でも、一番大きいのは遥ちゃんだから」
 黙っていた雪之がとうとう口を開いた。
 全員が無言で頷く。
「確かに…」
 舞衣の言葉だけが聞こえた。
「舞衣が認めると、真実味があるな…」
「珠洲城さんは大きすぎる」
「はあ? 舞衣? お前がそれを言うか?」
「だって、私でも結構色々と困るレベルなんだよ?」
「うわーーーー。それ、嫌味? ねえ、嫌味?」
「千絵ちゃん、うわ、ごめん、ごめん」
「でも、あれだけ大きいなら少しわけて欲しいんじゃない?」
 あおいの言葉に一同が苦笑すると、それには続きが。
「なつきちゃんとか」
「どういう意味だーーー!!」
「そうだね。少しわけて欲しいかも」
 その雪之の返事はなつきの声にかき消されて誰にも聞こえていなかった。
 と思ったのだけれど。
 どうも命には聞こえていたらしい。
 
 
「少しわけて欲しいって、何をかしら?」
 命のことだから、聞いたままをそのまま言ったのだろう。
「え、何をって」
「今さら水くさいこと言わないの。私のものは雪之のものじゃない。昔から言っているでしょ? 私の部屋にあるものなら何でも自由に使っていいんだって」
「ありがとう。それは嬉しいんだけど…」
「だから、欲しいものがあったら遠慮無く言いなさい?」
 胸。などと言えるわけもなく。
 それにしても、と雪之は考えた。
 小さいときから一緒にいて、遥の成長はずっと見てきている。同じように一緒にいたのに、どうしてこんなに差が付いたのだろう。やっぱり生まれつきのものなのだろうか。
「なにか、言えないもの?」
「その……なんというか、部屋にあるものじゃなくて」
 剣幕に押されてつい正直に答えてしまいそうになるけれど、流石に直接に言うことはできない。
「部屋にあるものじゃなくて…? でも、私のものなのでしょう? 珠洲城家のもの、じゃなくて」
「う、うん…」
 首を傾げる遥。
「私のもので私の部屋にないもの」
「欲しいというか、羨ましいもので…」
「うらやましい? あ、もしかして」
 遥が今度は一人合点に頷いた。
「髪の毛? 雪之はずっとショートだもんね」
 ううん、と首を振る雪之。
「じゃあ、なにかしら?」
「……」
「なに?」
「…ね」
「聞こえないわよ? 雪之」
「胸」
「は?」
「遥ちゃんの、胸」
「ああ、胸ね。そうね、外すわけにもいかないし……って、胸ぇ!?」
「そうだよ、胸だよ」
 もう、言ってしまったのだからしょうがない。言い続けるしかない。認めるしかない。説明するしかないのだ。
「遥ちゃんの胸が羨ましくて」
「ん、ううん…。そう言われても…こればかりは分けるって訳にもいかないし……」
 困ったように首をグルグルと回す遥の動きがピタリと止まった。
「あれ?」
「どうしたの? 遥ちゃん」
「なんか……こんなの、昔あったような…」
「ええ?」
「そうよ。小さな時、こんな話を雪之としていたような…」
「小さな時?」
 小さな時と言われても、そんなときから遥の胸が大きいわけではない。どうして胸の話なんか……
「あ」
 雪之の顔が音を立ててもおかしくないぐらいの勢いで真っ赤になる。
 思い出した。そうだ、あれは、あまりにも恥ずかしいので記憶の奥に閉じこめておいた想い出だ……。
 
 
 
「雪之? 大丈夫?」
「うん。でも、遥ちゃん…」
「私は大丈夫! あんな奴ら、いくら来ても私が雪之を護ってあげるんだから!」
「でも、遥ちゃん、怪我してるよ…」
「これは、転んだだけよ。大丈夫だからね」
 雪之をいじめっ子から護っている遥。自分が正しいと思えば相手が男の子でも平気で向かっていく遥の存在は大きかった。最近では正面切って雪之を苛めようという男の子はほとんどいない。
 それでも、遥が雪之を護っていることに変わりはなかった。今日も、懲りずに雪之にちょっかいを出してきた男の子と一戦交えて帰るところだ。
「ごめんね、遥ちゃん」
「何言ってんのよ。雪之は悪くない。悪いのは雪之を苛めるあいつらなんだから」
「でも、遥ちゃん…」
「……早く大きくなりたいね」
「え?」
「大きくなったら、もっと雪之を護れるよ」
 雪之はそれに答えようとして、道の反対側にあるものに気付いた。
「大きくなって、雪之を苛める悪い奴らを全部倒しちゃ……雪之?」
 遥が見ると、雪之は全く別の方向に目を奪われているようだった。
「…赤ちゃんだよ」
 雪之の視線の方向を確認する遥。そこでは。まだ若いお母さんが赤ん坊をあやしていた。
「可愛いね」
 にっこり笑って同意を求める雪之に、遥は少し赤くなってぎこちなく頷く。
 これがどこかの京都弁の人の幼少時代なら、「そやけど、雪之かてかいらしよ」と言うのかも知れないけれど、遥にそこまでの技量はない。心で思ったとしても、そんなことを臆面と言える世様な性格ではないのだ。
「赤ちゃんだ…」
 お母さんはニコニコとしながら子供を見せてくれる。
「小さいね…」
「うん。ちっちゃいね」
「これから大きくなるのよ。ねえ、奈緒ちゃん」
「奈緒って言うの?」
「そうよ。宜しくね、えーと…」
「私、雪之」
「私、遥」
「そう。雪之ちゃんと遥ちゃんね」
 そこで、遥は何かピンと来たらしい。
「赤ちゃんはどうやって大きくなるの?」
 女の人は少し考えると、赤ん坊をあやしながら答える。
「お母さんのおっぱいを飲んで大きくなるの」
 ほお、と感嘆する遥。
「遥ちゃんと雪之ちゃんも、きっとそうやって大きくなったのよ?」
 おおお、とさらに目を見開く遥。何かを悟ったように激しく頷いている。
「そっか。わかった。ありがとう」
 頭を下げるけれど、女の人には何のことだかわからない。そして雪之にもわからない。わかっているのは遥本人ただ一人。
 遥はそのまま雪之を連れて家へと急ぐ。
「おっぱいを飲むと大きくなれるのよ」
「遥ちゃん?」
「大丈夫、任せておいて、雪之!」
 何か不味いことが起こりそうな気がしたけれど、雪之は静観することにした。こうなったときの遥は生半可なことでは止められないことを、雪之は既に把握していたのだ。
 そしてその翌日、雪之は自分の日和見を少し後悔した。
 雪之の前に現れたのは見事なまでに意気消沈した遥だったのだ。
「お母さまに、怒られたわ…」
 おっぱいが欲しいというと呆れられたらしい。
「いくつだと思っているの? って笑われたわ…」
 意気消沈こそしているものの、遥は哀しんでいると言うよりも怒っていると言ったほうがいいような状態だった。
「早く大きくなりたいのに」
 それが自分のためなんだ、と思うと雪之は突然申し訳なさに襲われたような気になった。そして同時にもう一つの何かが心の中に芽生える。
 それはもっと早くにあったものかもしれないし、もっと遅く目覚めるべきものだったのかも知れない。だけど、それはその時、その瞬間に雪之の中に見つかったのだ。
「遥ちゃん。私のために大きくなってくれるの?」
「うん」
 素直な遥の答え。そこには打算などというものはない。ただ掛け値なしの正直さがあるだけだ。
「だったら、私でもいいんだよね!」
 勢いづけるような早口。
「え? なにが?」
「……おっぱいだよ」
 歩いていた遥が立ち止まる。
「雪之?」
「私のおっぱいでもいいのかな?」
 着ているシャツの裾を握りしめて、雪之は尋ねた。
「遥ちゃんが大きくなれるんなら、私だって、お手伝いしたいもん」
 雪之は周りを気にしながら、遥を手招く。
「遥ちゃんに、大きくなって欲しいから」
 
 
 
 自分は途轍もなく真っ赤な顔になっているんだろうな、と思いながら遥を見る雪之。すると、遥も顔を真っ赤にしている。やっぱり同じ事を思い出しているのだろう。
 結局、あれから遥は別に大きくならなかった。普通の女の子と同じように成長しただけだ。もっとも、胸は大きいのだけれど。
 当然その頃には、遥を大きくする儀式はやめていた。どちらかが何かがおかしいと気付いたのだった、と記憶している。
 だけど、考えてみれば確かに遥は大きくなったのだ。
 雪之の分まで大きくなったのだ。胸だけは。
「……そうね。私、雪之の分を吸っちゃったのかもね」
 真っ赤な顔で自分の胸を押さえながら、遥が言う。
「ごめんね?」
「遥ちゃん。謝られても困るよ…」
 別に確証はないのだ。
「別に、遥ちゃんのせいって言う訳じゃないし」
「そうかもしれないけれど…」
 遥の目が大きく開いた。
「あ、それじゃあ雪之?」
 珍しく、何かを言い淀んでいる遥。
「どうしたの? 遥ちゃん?」
 聞き返したけれど、雪之は遥の言おうとしていることがわかったような気がした。そして、その言葉を待つ。
 それでも言いづらそうにしている遥。一つ言葉を出そうとする度に辺りを見回しては考えている。
「その…もし、私が雪之の分を……雪之の胸を……盗っちゃったのなら」
 そこで俯く遥。今までどころではない頬の赤らめ具合に、雪之は自分の推測が正しい事を確信した。
「うん。返して貰おうかな。遥ちゃんに」
 だから、雪之はそう言った。遥が言おうとしていることを先に言ってしまったのだ。
 遥の決意を後押しするために。
 遥にそう言って欲しいから。
 遥にそうしたいから。
「そ、そうなの? 雪之は返して欲しいの?」
 いつの間にか遥はベッドに腰掛けている。
「うん!」
 元気よく答えてから、雪之はそんな自分に少しだけビックリした。でも、その気持ちは嘘じゃない。だから、別に構わないはず。
 雪之はそそくさと遥の隣に座る。
 そこで流石に言葉に詰まった。
「返して欲しい」と言えばいいのだけれども。つまりそれは、あのときと同じ事を今この場でやるということで。
 そしてその行為を具体的に考えた瞬間、雪之の脳内でブレーキがかかってしまった。
 二人とも黙ったまま、挙動不審に辺りをキョロキョロしている。
「私、飲み物取ってくる」
 立ち上がった遥の手を握る雪之。
「遥ちゃん! やっぱり、返して欲しいよ!」
 そのまま手を引くと遥は元通りにベッドに腰掛け、勢い余ってうつぶせに。
 
 数十分後。
 二人でよく話し合った結果、雪之が遥の胸を吸って盗られたものを取り返すのも有効だけど、遥が吸い取ったものを直接雪之の胸に口づけて返すのも有効ではないかと、ということになった。
 というわけで、二人は役割を交替した。この辺りでなんとなく頭の中に靄が掛かっていたような気がしていたのだけど。
 
 数時間後。
 何がなんだかよくわからなくなった。
 役割もどうでもよくなって、さらによくわからなくなった。
 
 
 数ヶ月後――
 いつもの昼休み。
 なんだか雪之が成長していないかと、誰かが言い出した。
 そんなことないよ、と笑いながら余裕たっぷりに返答する雪之。
「遥に分けて貰ったのか?」
 命が無邪気に尋ねると、
「そうだね。そうかもしれないね」とやっぱり笑う。
 少し首を捻っていたなつきが、
「菊川……まさか……珠洲城と…」
 そこまで言って何を思ったか口をつぐみ、
「いや、でも、それだったら私だって少し成長するはずだし……でも…静留が…いや、でも……いや…珠洲城の場合は……いや…」
 ブツブツと言いながら考え込み始める。
「あー。菊川さん、珠洲城先輩と……。で、藤乃先輩となつきは…やっぱりというかなんというか…」
 苦笑混じりに笑う舞衣。
「うーん」
 命も考えている。
「私も分けてもらえるのだろうか」
 真面目に言う命に、雪之は耳打ちする。
「命ちゃん。鴇羽さんに頼んでみたら?」
「そうか。舞衣?」
「はいーっ!? ちょ、ちょっと、私はそんな趣味ないからね!」
「よし、いけー! 命ちゃん」
「頑張れー」
 千絵とあおいはすっかり「私たちには関係ない」の顔で応援している。
「二人とも無責任に応援しないのっ!!!」
「舞衣〜」
「こらっ! 命、やめなさいってば!」
 
 
 
 
あとがき
 
 
 
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