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風邪
 
 
 クシュン、と受話器の向こうから聞こえる。
「どうした? 静留」
「ううん、なんでもあらへんよ。大丈夫やさかい、気にせんといて」
「本当に?」
「なつきに嘘言うてもしょうがありませんやろ? それに、ウチはなつきの声聞くと元気が出るんどす」
「…だったらいいんだが…」
「それで、さっきの人がどないしたんですか?」
「あ、ああ。それが、今夜の電話が遅れた理由だが、おかしな奴がいて。夕食の時なんだが……」
 
 
 …一匹狼やとまで言われてたなつきやのに。
 静留はやや複雑な気持ちでなつきの言葉を聞いていた。
 なつきが免許合宿に行ってから数日。自分が寂しいのは我慢しようと思っていた。なつきは放っておけば無免許でも乗ると言い出しかねない。
 それに、
「バイクと違って、車なら二人で一緒に乗りやすいだろ?」と真顔で言われてしまっては、静留が断れるわけもない。
 …せやけど、なつきの腰にしがみついてタンデムするのも、それはそれで結構な感触やったんどすえ?
 惜しい気持ちは脇に置いて、一緒に乗れるというなつきの言葉に静留はノックアウトされてしまったのだ。
 だから寂しいのは我慢して、免許合宿に送り出したのだ。
 ところが。ところがである。
 最初にしびれを切らして連絡してきたのはなつきの方だったのだ。
「どないしたん? なつき? もしかして、ウチのことが恋しゅうなったん? ホームシック、言うやつやろか?」
「ば、馬鹿。そんなわけないだろう、私は、静留が寂しくないかと思ってだなぁ…」
「ウチやったら、平気どすえ? 鴇羽はんとか、結城はんとかもいはるし」
「舞衣!? それに奈緒!? ちょ、ちょっと待て、なんで奈緒まで! 静留、お前、まさか……」
「うふっ。冗談どす。ウチは浮気なんかしませんよって、安心しておくれやす。ちゃーんと、なつきの帰りを待ってます」
「い、いや、別に私はそんなこと……その……私は…静留を信じてるから……」
「嬉しいこと言うてくれるね、なつき」
「別に静留を喜ばせるために言った訳じゃないぞ、私は、本当に…」
「はいはい。わかってます。なつきの気持ちは、ウチにはようわかってます」
 最初は驚いたけれど、それでもやっぱりなつきと声を交わすのは嬉しかった。静留も寂しくはあったのだ。
 夜の電話は数日続いた。その間は、決まった時間にいつも静留は電話をかけてきたのだ。
 ところがある日、決まった時間にかかってこない。
 不思議に思った静留だったが、考えてみれば別に毎日電話するという約束はしていない。
 こういう日もあるだろう、と静留は自分に納得させてお風呂に入る。
 ところが湯船に使って落ち着いた、と思ったら電話がかかってきたのだ。
 静留は慌てて身体を拭くと、バスタオルだけを巻いて電話に出る。
 当たり前のようになつきからの電話だった。静留は、自分がバスタオル一枚だとは言わない。余計なことを言ってなつきに心配させるのも嫌だったし、家の中なのだからこんな姿でも大きな問題はないと思ったのだ。
 クシュン
 くしゃみが出たときには、もしかして、と思った。
 けれど、なつきの話を中断させるわけにはいかない。何よりも、自分がなつきの声を聞いていたいのだ。
 
 …何か工夫して、上着でも羽織れば良かったんかも知れませんなぁ……
 翌日、湯冷めで風邪を引いたと感じた静留は薬局へ向かっていた。
 家を出て歩いていくと、だんだん悪化していくのが自覚できる。熱の苦しさよりも熱で浮いた感覚の方が強い。風邪だと理性で判断していなければ、楽しいと感じてしまうほどの浮遊感。
 他の人がこんな状態だと言われれば、即座に寝ていろと厳命するだろう。
 …あきませんなぁ。早う買い物済ませて、帰ったほうがええみたいやわ……
 足元もふらついて、足取りがおぼつかない。買い物どころではない状況のような気もしてくる。というより、今の静留は客観的に見てかなり拙い状態だった。本人だけが、熱のためか冷静な判断ができていない。
 …あかん……ほんまにアカン……
 静留はふらつくのを止めることができなかった。
「おいおい」
 だからこそ、いつもなら静留の冷たい眼力一つで何も言えなくなってしまうような三下のチンピラが、目を付けたのだろう。
「何フラフラしてんだよ。調子悪いんなら、いいとこ連れてってやろうか?」
 「注意:危険人物」と書かれた、高さ三メートル横一メートルの巨大な名刺を首からぶら下げていそうな男だった。
「なあ、お姉ちゃ………」
 ん、と顔を上げた静留の前で、男の視線は静留の背後に向けられていた。
「……えーと……あんたの知り合い?」
「だったら、どうなわけ?」
 声に聞き覚えはある。よく知っている声だ。
 静留が嫌いではない声。この声は……
「なに? また、吊されたいわけ? それとも例の写真、ばらまかれたいわけ?」
 一言もなく走り去っていく男の姿に既に興味を失ったかのような一瞥をくれると、奈緒は静留に向き直った。
「何やってんのよ、藤乃。あんたがこんな危なっかしいなんて…」
 ゆっくりと振り向いた静留。
「なに? 何よその顔、わっ、凄い熱。ちょっと、藤乃、藤乃!」
 奈緒の声を聞きながら、静留は自分の身体が倒れていくのを感じていた。
「堪忍な、結城はん…」
 
 
 まさか、あの藤乃がチンピラに絡まれているなんて。
 奈緒は我が目を疑った。
 チンピラを脅えさせている、というのならわかる。HiMEの力の有無に関係なく、藤乃静留には妙な迫力があるのだ。
 だけど、奈緒が見たときは間違いなく絡まれていた。
 様子を見ていると、静留の状態が普通でないのがわかった。どうやら熱でもあって浮かされているように見える。
 奈緒はチンピラの顔を確認した。見覚えがあると思ったら確かにその通り。前にジュリアで痛めつけたことのある相手だった。男だから、と言う以前に人間としても最低な奴だったことを奈緒は覚えている。つまり、あの頃とは多少生き方の変わった奈緒でも、何のためらいもなく苛めてやることができる相手ということだ。
 奈緒が以前に関わっていて、後々危険なことになりそうだと思った連中には、ジュリアでたっぷりと恐怖を味あわせてある。加えて、ばらまかれたら本人が一生涯笑い者にされてしまうような写真まで撮ってあるのだ。つまり、奈緒にとってはHiMEの力の有無に関係なく、この街にいるチンピラは怖い相手ではないということだ。
「はーい」
 男は奈緒に気付くとギョッとした顔をしてみせる。
 実際、奈緒には静留を助ける義理などない。逆に見捨てる理由ならたくさんある。
 だけど、ここで見捨てては後々面倒なような気もする。と奈緒は自分に言い聞かせた。
 助けたい訳じゃないんだ、と自分に言い訳ながら。
 男を追い払うと、奈緒は藤乃に向き直った。案の定、藤乃の顔は熱で上気している。
 …あー。コイツがこんな状態でフラフラで出歩いているって言うのは、十中八九間違いなく玖我絡みなんだ。さもなきゃ、こんな馬鹿なことはしない。というより、熱を出したりしないに違いないのだ、この藤乃静留という女は。
 そんな風に考える奈緒に、安心したように笑いかける静留。
 …ちょっと、藤乃。どうしてアタシを見て安心するのよ。アタシはあんたの面倒なんか見ないからね。そういうことはあのお人好しの鴇羽や命に頼みなさいよ。
 そう言ってやろうかと奈緒が考えていると、静留の身体がぐらりと揺れた。
「え? 倒れないでよ。ちょっと、人の名前を呼びながら倒れるなって!」
 奈緒は慌てて静留の身体を支える。
 体格の差がそんなにある訳ではないから、全身で抱きとめるしかない。
 う……なにこれ。なんだかいい匂い。
 ………じゃなくて。
 奈緒は一瞬生まれた想いを振り払うように首を振る。
 そのまま引きずるようにして、奈緒は静留をすぐ近くのオープンカフェのベンチに座らせた。
「ごめんなさい。お友達が気分を悪くしてしまって……あの、すぐに行きますから。少しだけ……お願いします」
 バイトらしいウェイターは、真っ赤になって「ひゃ、ひゃいっ」なんてうわずった返事。奈緒にかかれば、普通の男などこの程度のものだ。
 奈緒は椅子にもたれるようにしている静留に目をやり、目をつぶっているだけなのを確認してから携帯を取り出す。
「玖我はどうしたのよ。アイツ、嫁さんほっといてどこほっつき歩いてるのよ。しょうがないわね」
 嫁さんではないのだが、その辺りは静留も指摘しない。
「あ…なつきには連絡せんといておくれやす」
「はぁ? まさかアンタ達、喧嘩でもしたって言わないわよね?」
「なつきに余計な心配かけたらあきません? ウチなら平気どす」
 とてもそうは見えない。
 念のため確認すると、玖我は免許合宿に行っているとのこと。なるほど、藤乃はその邪魔をしたくないのか、と奈緒は理解した。
 しかし、どちらにしても静留の世話ができる人間を捜さなければならない。因みに奈緒は、嫌だ。
 そうすると、やっぱりここはお人好しの鴇羽舞衣だろうか。と考えてみる。
 …さて…………あれ? 鴇羽って携帯持ってたっけ? 課金が勿体ないとか言って、持ってなかったような気がする。
 …えーと、それじゃあ命……は持ってるわけがない。
 …ま、いいか。あおいに頼んで替わってもらえばいいか。
「あ、もしもし、あおい? 今どこ? 寮? ちょうど良かった。鴇羽に変わって欲しいんだけど。隣の部屋でしょう? え? 朝からいない? 命と一緒に?」
 想定外だった。奈緒には、他に藤乃の面倒を見てくれそうな知り合いなど思いつかない。いや、面倒だけなら希望する人間はいくらでも現れるだろう。だが、奈緒の知っている範囲では舞衣ぐらいしかいないのだ。
 奈緒は考えた。こうなったら、少なくとも家までは連れて帰らなければならないだろう。静留はなつきと同棲しているはずだった。そしてなつきのマンションならどこにあるかわかっている。何しろ、奈緒は襲撃したことがあるのだから。
「ほら、藤乃、ちゃんと歩いて。せめて、タクシー拾うまではしゃんとしててよ?」
「あ、結城はん…」
「いいから、こんな時くらいは黙って人の言うことを聞きなさい」
「そうやなくて…」
「黙りなさい。その状態で一人でいられるわけ?」
「それは…」
「だったら、逆らわない。わかった?」
「おおきにな…結城はん。ウチとしたことが、みっともないところ見せてもうて…」
「玖我には絶対見せたくない姿なんでしょう?」
 自分でも解らない何かに突き動かされて、奈緒はそう口にした。馬鹿なことを言ってしまった、と自分自身でも思う。しかし、口から出た言葉はもう消すことができない。
「ふふ…そうどすなぁ。こないな姿見せられるんは、結城はんぐらいどすなぁ」
「な、なんで、アタシだけなのよ」
 奈緒は腹を立てていた。こんなことを白々しく言う静留に。だけどさらに腹が立つのは、言われて満更でない気分に一瞬でもなってしまった自分だった。
「結城はんにはウチも色々見られてるさかい、今さら繕うことなんてありませんやろ?」
「だったら、珠洲城や菊川だって同じでしょう?」
「どうせ同じやったら、結城はんの方がウチは好きやもの」
 奈緒はそれ以上相手をしないことにして、タクシーを探す。
 決して、辞するの言葉に引き込まれそうになったからではない。違う、と自分に奈緒は必死で言い聞かせていた。
 幸いタクシーの中では静留はおとなしく黙っていた。さすがに見ず知らずのタクシーの運転手にまで馬鹿なことを聞かせるつもりはないらしい。
 なつきのマンションにたどり着くと、静留の差し出した鍵で中に入る。
 そして、ベッドに横にならせる。
「ほら、後は自分で何とかしなさい」
「ほんまに、すみませんでしたな。えらい迷惑かけてもうて、堪忍な」
「それが解っているなら、さっさと寝なさい。アタシはここまでだからね。ちゃんと温かくて栄養のある物でも食べて、薬飲んで寝てなさい」
 そう言ってそっと視線を外す静留。奈緒は首を傾げる。
「……まさかアンタ……」
「さっきは、買い物に出たところでしたんや…」
「……買い物を済ます前にアタシに会ったわけ?」
「……そういうことになるんやね…」
「……アタシが、買い物を済ます前に家まで連れて帰っちゃったわけだ」
「……そういうことになるんやね…」
 確かに、無理矢理連れ帰ったのは奈緒だ。
「薬はまだしも……食べ物もない?」
「なつきがおらへんと……一人やと、なんや億劫で……買い物も無精で……」
「……鍋焼きうどん」
「え?」
「鍋焼きうどんでいいわね? それから、薬は、アレルギーは大丈夫? それとも医者に行く?」
「ええのん? 結城はん?」
「……病人置き去りには流石にできないでしょ。だけど、この借りは大きいわよ」
「ふふ、身体で返しましょか?」
「却下! 大却下よ!」
 
 奈緒が買い物から戻ると、静留は静かに眠っていた。
 食事の支度が終わるまでは眠らせておいた方がいい、と奈緒は思った。食事の支度とは言っても、買ってきた鍋焼きうどんの封を切って火に掛けるだけだ。
 実は最近、少しずつ料理の勉強を始めているのだけど、流石に病人で試すのは躊躇われる。
「藤乃? 起きられそう?」
うっすらと目を開けた静留に手を貸そうとして、奈緒は気付いた。
 外出したときの姿のままだった。
 買い物に行っている隙に勝手に着替えると思っていたのに、当てが外れた。それとも、それほど疲労しているのか。
「藤乃、アンタ、着替えないと」
「あ……」
 答え方を見ると、単純にそこまで気が回らなかったのだろう。
 これはかなりの重症だ。
「それに、結構、熱あるね。汗もかいてるし。拭かなきゃ…。タオルはお風呂場ね? パジャマか寝間着もそこにあるの?」
 マンションなのだから、風呂場は大体見当が付く。静留の返事を待たずに奈緒は脱衣場に入った。
「う……」
 予想外の広さに何となくむかつく。
 さらに、姿見が何故か二つあるのも気になるところだった。
 …こいつら、二人で入っているのか…
 そして、パジャマ。同じ柄の色違いが二つ。
 …お揃いのパジャマ!!! こ、こいつらっ!!
 何故か面白くない気分になって、バスタオルとパジャマを持って戻る。
「さあ、身体拭いて…着替えて」
「へえ…」
 素直に服を脱ぎ始める静留。
 奈緒が台所に戻ろうとすると、
「どこ行きはるの?」
「ん? 鍋焼きうどんだけど」
「……結城はん?」
「なによ」
「身体、拭いてくれへんの?」
「自分で拭けっ!」
 真っ赤になっているのが自分でも解る。奈緒はそそくさと台所に戻った。
「下らないこという元気があるんなら、アタシは帰るからねっ!」
 クスクスという笑いの合間に、堪忍なと言う言葉が聞こえる。
 …ったく。と呟きながら、それでもテキパキと鍋焼きうどん。火に掛けるだけだけど。
「ほら、熱いから気を付けて」
「あーん」
「……頭からぶっかけるわよ」
「いけずやわ、結城はん」
 自分はなんて我慢強くなったんだろう、と奈緒は心の底から思った。
 きっとシスター稼業のせいだろう。なにしろ、一日中顔を合わせている深優は、何があろうと理屈とアリッサのことしか口に出さないのだから。
 食べ終わるまで待つと、結構な時間が過ぎていることに気付く。
「はい、薬。冷蔵庫にはスポーツドリンクとか、果物の缶詰めとか入れておいたから」
「ほんまに、おおきにな」
「後で倍返しを期待してるからね」
「へえ、覚悟しときます…」
 帰ろうと立ち上がると、
「結城はん? 帰りはるの?」
「ん? あ、うん。インスタントだけど、少し食べる物も買い込んであるから。レンジでチンするレトルトおかゆとか。だから大丈夫よ。後でもう一度鴇羽に連絡してみるわ」
「……少し、いてもろうてもええやろか?」
「なに? 着替えさせろとか身体拭けとかは無しよ」
「いくらウチでも、二回も同じ事は言いません」
 力無く笑う静留。奈緒はその笑いに思わず近づいた。
 これほど力無い静留の笑いを見るのは初めてだ。余程消耗しているのだろう。
「なんや、こんな時に一人やと思うと、心細うて……ウチとしたことが、恥ずかしい話やけど…結城はん、もう少しいてもらえへんやろか?」
 心細い。まさに普段の静留からは考えられない言葉。
 それほどまでに、なつきとの生活が静留を変えてしまったのか。今の静留はあまりにも弱々しい。
「…わかったよ。だけど、それほど遅くまではいられないよ。それから、アタシもご飯食べていくから」
「おおきに」
 自分の食事を作るために奈緒は再び台所に戻った。時計を確認すると、夕食にはやや遅い時間になっている。
 電話のベルが鳴った。
「あ、ええよ。ウチが出るさかい」
 さっきまでの様子が嘘であるかのように、静留は手早く動いていた。しかし顔色を見れば、それがかなりの無理だということは簡単に解る。
「はい、もしもし……なつき?」
 今の状態で電話は……。と言いかけて奈緒はやめた。
 なつき相手の電話なら、静留には何よりの薬なのだ。
 ところが台所で食事を終えた後も、電話はまだ続いている。
「何やってんのよ! 藤乃! いくら何でも長すぎるよ」
 手先で黙るように合図すると、静留は話を終わらせた。そして受話器を置く。
「何やってるんだよ」
 最初に口を開いたのは奈緒だった。
「昼間より顔色が悪くなってるじゃない。いくら玖我相手だからって、無理しすぎ」
「つい、嬉しゅうて」
 弱々しいけれど本当に嬉しそうな笑みに、奈緒はそれ以上何も言えない。
「で、なつきは何時頃帰ってくるの?」
「えーと、合宿の終わるのが…」
「ちょっと待って。アンタ、まさか今の自分の状態話してないわけ?」
 当たり前ですやろ? と言いたげな顔で、静留は小首を傾げる。
「なつきにいらん心配かけることもありませんやろ?」
 それに、と続ける。
「免許とって車に乗るん、えらい楽しみにしてるからね…」
「ああ、そう」
 半分呆れた返事の奈緒に、静留が微笑んだまま言う。
「結城はん? 余計なこと、せんといてな?」
 余計なことしたら、お仕置きやで? と笑った顔のまま言う静留に、奈緒はぎこちなく頷いた。
 なつきに連絡するなと釘を刺されたことになる。
 …あの馬鹿、こんなに静留と深く付き合ってるんだから、電話の口調で体調不良にくらい気付きなさいよ!
 割と理不尽な怒りを抑えると、奈緒は静留に向き直る。
「念のため言っとくけど、お泊まりはしないわよ? もう少ししたら帰るからね?」
「へえ。ウチもそこまでは甘えられません」
「ん。それなら……」
 ベッドサイドに椅子を引き寄せる。
「ここにいるわよ。どうせ、アタシが玖我の奴に連絡しないかどうか、気になるんでしょ?」
「さすが結城はん、ウチの性格、ようわかってますな」
「玖我よりも?」
「……なつきにわかって欲しいんは、ウチの恋心だけどす」
「……そういうことを真顔で言えるアンタが嫌い」
「……ウチは、そういう憎まれ口の結城はんが嫌いやありませんえ?」
 何か言いかけて、奈緒は椅子に座り直す。そのまま、本棚から適当に持ってきた本を読み始めた。
 
 静留の寝息。
 奈緒はチラリと静留を見た。
 誤算だ。静留と二人きりであることが、ここまで重圧だとは考えていなかった。
 いや、最初はそうでもなかったのだ。
 ふと思い出したのがいけなかった。
 あのとき、なつきを匿って事実上監禁していた静留の行為を。ついうっかり、今の自分たちに重ねてしまったのがいけなかった。もっとも、そのきっかけを与えたのはなつきを襲撃した自分なのだけれど。
 あそこに雪之と遥が現れなければ二人はどうなっていたのだろうか。静留は、静かに想いを告げていたのだろうか。それとも……
 奈緒は本に没頭しようとした。難しい。
 自分にも興味が持てる、古い映画を題材にしたエッセイ集を見つけてきたというのに。
 時計を見ると、日付が変わろうとするところ。
 そろそろ帰るべきか。
 それとも、もう少しいた方がいいのか。
 当たり前だが、ここに雪之と遥が来るわけはない。来るとすれば……
 足音。それもけたたましい足音。誰が聞いても慌てて走っているとすぐ解る音。
 こんな時間に……、と驚く間もなくドアが開いた。
「静留っ!」
 文字通り飛び込んできたのはなつきだった。
「すまないっ静留! 私は何も気付かなくて……」
「玖我。藤乃は寝てるんだけど…」
「あ……あ、そうか…」
 そこでようやく、なつきは奈緒に気付いたように振り向いた。
「ああ、奈緒。すまなかったな」
「別に。知らせなきゃアンタに恨まれるだろうしね」
「……そうかもな。しかし、とりあえず知らせてくれたことには感謝する」
「気付いてやりなよ」小さな呟きは、しかしなつきには聞こえない。
「何か言ったか? 奈緒」
「別に。なんでもない。それじゃあアタシは帰るから」
「本当にありがとうな」
「いいよ、何度も……って玖我?」
 去ろうとした奈緒が、ギョッとして立ち竦む。
「玖我、アンタ…」
「え? あ…」
 なつきは、顔の違和感にようやく気付いたようだった。
「……うん。ここまで心配してたんだ。それに、自分が情けなかった。毎晩電話していて気付かないなんて。私の電話のせいでこんなことになったかも知れないと言うのに…」
 なつきは泣いていた。
「それなのに私は、静留が倒れていても気付かないなんて。奈緒のメールがなければ、私は気付かないまま合宿を続けていたんだろうな…」
 静留の横で、奈緒は本を読む振りをしながらメールを打っていた。顔は静留から見える位置、目は本に向けられていたので静留は気付かなかったのだ。奈緒は携帯にも慣れたもので、画面にもキーにも一切目を向けずにメールが打てる。それを静留は知らなかったのだ。
「本当に、自分が情けない……」
「玖我は戻ってきたじゃない」
 自分でも意識しないまま、奈緒はそう言っていた。
「合宿の途中なのに、バイク飛ばして戻ってきたじゃない。情けないなんて、アタシだって思わないわよ」
「そうなのか……?」
「胸を張って看病してやりなよ。藤乃だってその方が喜ぶよ」
「……私が、お前に励まされるとはな…」
「アタシだって、藤乃を看病してアンタを励ますなんて、自分でもビックリよ」
「ふふ……らしくない…か」
「まあね。アンタがそうやってしょげてるのも、アタシが面倒見たのも、藤乃が倒れたのも、みんな、らしくないの。だから、この辺りでアタシはリタイアするから。後は、よろしく」
「ああ。この礼は、あとでゆっくりとな」
「……アンタに言われると、お礼参りされそうな気がする」
「奈緒、お前」
「冗談よ。期待しないで待ってるから。そうね、三倍返しぐらいで」
「風邪を引いたら看病してやるよ」
 なつきの言葉に手をひらりと振って、出て行く奈緒。
 なつきは小さく笑うと、静留に向き直った。すると静留は、目をしっかりと開けている。
「あ……起きてたのか」
「あんだけ騒がれたら、おちおち寝てもいられませんわ」
「すまない。起こすつもりはなかったんだが」
「……結城はんが、連絡したんやね?」
「ああ。静留、私に伝えたからって奈緒を苛めるなよ?」
「約束したんよ? なつきには伝えへんって」
「それも聞いた。だけど、私は奈緒に感謝しているから」
「なつきがそう言うんやったら…」
「ほら。今夜はゆっくり寝たほうがいい。明日は、朝から一緒にいられるんだから」
「そやね…」
 
 
 それから一週間ほどして。
 登校途中で奈緒は立ち止まる。
「おはようさん。ええ朝ですな」
「……藤乃…。もう風邪はいいの?」
「へえ。おかげさまで。あれからなつきに手厚う看護して貰いましてなぁ。風邪もあっさり吹き飛びましたんよ?」
「そりゃあ、よかった。それじゃあ、アタシは学校に……」
「結城はん?」
「……はい?」
「忘れてないやろね? なつきに知らせたらお仕置きやて、約束しましたなぁ」
「約束……あれは脅迫って言ったほうが…」
「結城はん?」
「はいっ!」
「ウチは、約束は守ります」
 得意そうに静留が微笑んだ。
「藤乃、あれは約束破りと言うより厚意だと思わない? ねぇ、ねえってば」
「約束は、約束どす」
 逃げられるのに逃げられない。回復した静留の眼力というのは伊達ではない。奈緒は睨まれただけで逃げられないのだ。
「逃げられませんえ?」
 静留の手が奈緒の肩を掴み、一気に引き寄せる。
「ひっ!」
 静留の顔が奈緒の顔に近づき…
「お・し・お・き」
 額に口づける。
「……え? え? ええっ!?」
「ふふっ。おおきにな、結城はん。なつきにも、結城はんを許すように言われたんやけど。約束は約束やから、今のがお仕置きどす」
「藤乃、アンタねぇ……」
 クスクスと笑いながら逃げていく静留に、奈緒は追いかける気にもなれず、ただ見送るだけだった。
 
 
 ちなみに、そのまま授業もエスケープした。
 
 
 
 
あとがき
 
 
 
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