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ワタシノ傷痕
(3)
 
 
 
 やはり、おかしい。
 もやもやとした物が残ったままでは、どうにも落ち着かない。
 本人に直談判するのが一番だろう、となつきは思った。それが、一晩考えた結論。
 それほど、菊川雪之の視線の意味が気になっているのだ。
 たしかに舞衣の言うとおり、自分は静留に一番近しい友達だろう。そして、静留は珠洲城に目の敵にされている。珠洲城は、菊川の一番近しい友達だ。
 でも、だからといってそれだけで菊川の視線の説明は付くとはなつきは思っていなかった。それが原因にしては、あの視線は恐すぎたのだ。まるで、直接何らかの恨みを持っているかのように。
 なつきには身に覚えがない。誤解ならさっさと解きたい。誤解でなく自分に非があると言われるようなら、きちんと聞いておきたい。
 どちらにしろ、本人と話すのが一番だ。そう考えて、なつきは雪之のクラスに顔を出した。
「雪之さんなら休みだよ」
 奈緒のルームメイト…たしか、瀬能あおい…がなつきに告げる。
「そういえば、舞衣もいない。また、命ちゃんと一緒かなぁ?」
 話し続けようとするあおいを遮り礼を言って、なつきは教室を後にする。
 今日はまだ舞衣や命の顔は見ていないが、だからといって特に用事はない。今日の所は菊川に会いに来ただけなのだ。
 家まで押しかけるほどの用事でも無し、今日の所はおとなしく授業でも受けようか、と考えたところで時間割を思い出す。
 記憶が間違ってなければあまり面白くない時間だったはず。
 …最近は真面目に出ているし…たまにはいいだろう
 なつきはそのまま教室に戻らない。
 なんとなく、自由になった気分で歩いていく。
 …久し振りのエスケープだ
 …また、舞衣や静留には怒られてしまうかもな
 友人の怒る顔を思い浮かべ、つい苦笑する。その時、脳裏に浮かんだ顔が木立の向こうに見えたような気がして、なつきは足を止める。
「舞衣?」
 今は授業中のはずだ。自分や奈緒ならいざ知らず、舞衣がこんな所にいるとは思えない。けれど、自分の目もなつきは信じている。
 なつきは、思わず身を隠しながら舞衣の見えた方向へと走る。
 いた。人影が二つ。
 …舞衣と…命?
 何かあったのか、となつきは周囲を見回したが、異変らしき気配はない。それに、二人が緊張している様子もない。ただ、手を繋いで微笑みあっているだけだ。
 意外ではあるが、舞衣も時々授業を抜け出しているということなのだろうか。弟の心配もなくなって、気が抜けているのか。
「舞衣、命。何してるんだ、こんなところで」
 緊急事態ではない、と判断したなつきは姿を二人に晒しながら木立を抜けた。
「舞衣、命…」
 二人の名前を呼んで、絶句する。
 二人の身体が重なっていた。命の身体が、舞衣に預けられていた。そして、唇を合わせる二人。
「ん……あ、なつき」
 命が目敏くなつきに気付いた。
 これでなつきはその場を去ることができない。
「命……舞衣、お前達、そういう関係だったのか」
「あー、なつきにもバレちゃったね、命」
「私は、なつきにならバレても平気だ」
 驚きというよりも、衝撃という方がいいような気分に、なつきは襲われていた。と、何かを思い出す。
「…お、おい、舞衣。楯はどうなるんだ?」
「祐一には、詩帆ちゃんがいるじゃない。私には、命がいるから」
「うん。舞衣には、私がついているからな」
「ありがとう、命」
 言い合うと、二人は再び唇を重ねる。
 目のやり場に困るなつき。
「お前ら、少しは弁えたらどうだ?」
「いいじゃない。好きな者同士なんだから」
「それは…そうかも知れないが」
「なつきだって、会長さんがいるじゃない」
 舞衣の口調に、なつきは目を開いた。
「舞衣?」
「私も、命と一緒にいて判った。楯くんはいい人だったけど、所詮、男だもの」
「お前、何を…」
「なつきだって、男なんかより、藤乃さんの方がいいんでしょう?」
 あまりのことになつきが言葉を失うと、舞衣は「シラけちゃった」と呟いて、命を引き寄せた。
「行こ、命。なつきは、自分と藤乃さん以外が女同士で付き合うのは嫌みたい」
 命はなつきを睨みつける。
「我が侭なんだな、なつきは」
「そう、我が侭なのよ、なつきは」
「待て、舞衣」
 なつきの言葉を嘲笑うように、二人はその場から去っていく。
「おい、舞衣! 命! 待て!」
 二人を追うなつき。しかし、すぐに見失ってしまう。木立が多いとはいえ、追いかけて見失うような場所ではない。それも、野生児の命一人ならまだしも舞衣まで一緒なのだ。消え失せるわけがない。
「くそっ、どこだ…」
 辺りを伺っていると、舞衣でも命でもない声が呼びかけてくる。
「玖我、ここにいたのか。探したよ」
 別人の声。なつきは声の主に驚いた。
「奈緒? こんなところで何してる」
「あんたを捜していたんだよ。クラスにはいなかったから、どこをうろついているのかと思って」
「私に何の用だ?」
「言いたいことがあってね」
「何だか知らないが、言いたいことがあるなら言ってくれ。私はまだるっこしいのは嫌いなんだ」
「まだ、お礼を言ってなかったよね」
「礼だって? 私はお前に礼を言われるようなことなど…」
「あの時、藤乃から庇ってくれたこと」
 あの時、なつきを捕らえた奈緒に静留の怒りは頂点に達した。自身のチャイルドであるジュリアをあっさりと葬られHiMEの力を失った奈緒に、正面から清姫をけしかけようとしたのだ。その時、なつきは奈緒を庇っている。
「…あれか。礼を言われるような事じゃない」
「それでも、アタシの気が済まないんだよ」
「勝手にしろ」
 正直に、どうでもいい話だとなつきは思っていた。奈緒の感謝も勝手にしてくれればいいと思っている。
「言われなくても勝手にするよ」
 立ち去ろうとしたなつきは、背後からの衝撃に身を固くする。
「奈緒、お前ッ!」
 咄嗟に身構えようとしたなつきだが、奈緒の様子が予想外のものであることにすぐに気付く。
「本当に玖我には感謝してる。そして気付いたんだ、アタシと玖我が似たもの同士だって」
 衝撃の正体は攻撃ではなかった。奈緒が身を投げ出すようにして、背中からなつきに抱きついているのだ。
「その時から、玖我のことが気になってた…。そして、藤乃とアンタのことを見ていて悟ったの」
 好きだ、と奈緒は言う。
 玖我のことを愛してしまった、と奈緒は告げる。
「でも、アタシはいいの。藤乃と別れろなんて言わないから。アタシがアンタを好きなのは、アタシの勝手だもの」
 奈緒の体温がなつきの背中を温めていた。
「や、やめろ、奈緒」
「どうして?」
「どうしてって…お前……」
「…藤乃は良くても、アタシは駄目なんだ?」
 奈緒が身を離すと、なつきは振り向いた。そして、思わずたじろぐ。
 奈緒が泣いていた。
 なつきから一歩離れた位置で、声を出さずに泣いていた。
「藤乃がそんなに好きなんだ…」
「奈緒…」
「藤乃にキスされたの? 藤乃に抱かれたの? それは、藤乃でないと駄目なの? アタシじゃ、駄目なの?」
「やめろ、奈緒!」
 涙を流しながらなつきを睨みつけようとして、奈緒の表情が変わる。
 悔しさや怒りから、諦めと恐怖に。なつきを通り越してその背後を見つめる視線は、完全に脅えていた。
「あ……」
「こういうの、泥棒猫言うんやろか? なぁ、結城はん?」
 奈緒の視線を追って振り向いたなつきの前には、静留がいた。そして、その手に握られているのは、紛れもないエレメント!
「静留、お前、HiMEの力が…」
 なつきを無視して、静留は歩を進めた。
「ま、まって藤乃…アタシ…」
「言い訳は、聞く耳持ちません。ウチとなつきの邪魔をするモンは、どんな手を使うても……潰しますえ?」
「静留、何を…」
 エレメントが一閃した。鋭い風圧がなつきの真横をかすめる。
 奈緒の短い絶叫。
 振り向こうとして、なつきは振り向けなかった。
 背後から聞こえた音は二つ。
 人が倒れた音。
 そしてもう一つ、人が倒れた音。
 奈緒一人しかいないはずなのに。まるで、奈緒の身体が二つに分かれたかのように、音は二つ。
 振り向いた、そこにあるモノをなつきは予測していた。それは決して見たいモノではない。
「…結城はん、キレイに真っ二つやね」
「静留……」
 なつきは、初めて見るモノのように静留を見ていた。
「安心し、なつき。ウチはなつきの味方やさかい。何があっても、ウチがなつきを護ります」
「違う」
 首を傾げる静留。
「お前は静留じゃないっ! 静留は、こんなことをしない! こんなことをすれば私がどう思うか、静留なら判るはずだ! だから静留は絶対にこんなことをしないっ!」
「……そう思てるのは、なつきだけかも知れませんえ?」
 かき消すように消える静留。
 なつきは、ゆっくりと振り向いた。
 やはりない。そこにあるはずの奈緒の姿もなくなっていた。
 
 
 舞衣、命、そして奈緒。
 静留は一人一人に引導を渡していた。
「こないな結城はん、ウチの好みと違います。結城はんは、言うこと聞きはれへんところが、かいらしのに…」
 砕けるように消える奈緒の姿。
 やれやれ、と言ったように首を振る静留のもとへ、なつきが駆けつける。
「ここにいたのか。静留、大丈夫か?」
「なつき? どないしたん?」
「変な贋者が出て来なかったか? 舞衣や命や、奈緒の」
「なつきのとこにも?」
「ああ。それじゃあやっぱり、静留の所にもか」
「何があったんやろか?」
「さあな。実はちょっとした心当たりがあるんだ、一緒に来てくれ」
「さすがはなつきどすなぁ」
 嬉々として、静留はなつきに従った。
 数秒ほど。
 なつきの背後から、静留はその首筋を掴む。
「あんたも、贋者どすなぁ」
「しず……」
「そないな顔しても、無駄どす。さっきから、ようけ匂うてきてますえ? チャイルドの匂いが」
 なつきの姿が消え、どこかで鏡の割れる音がした。
「…おイタも度が過ぎましたなぁ、ダイアナ。それとも、菊川はんと言うたほうがええやろか?」
 静留は微笑んでいる。
「ダイアナの作った鏡の幻像くらい、見抜けんウチと違います」
 
 
 
   −続−
 
 
 
 
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