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手の届く場所
 
 
 温もりが腕の中にある。
 それは、幻ではない。
 
 腕の中にある確かな温もり。静留はそれを全身の肌で感じていた。
「お前となら……」
 なつきの困ったような、戸惑っているような言葉は静留の耳に心地よい。
 汚らわしい、と言われたこともある。
 信じられない、と貶されたこともある。
 それでも、静留の気持ちは変わらなかった。いや、変わるわけもなかった。
 元々、自分に振り向いてもらうために活動していたわけではない。
 なつきに振り向いてもらう必要など、まるでなかった。ただ、自分がなつきの背中を見つめていることができればそれでいい。そう、思い定めていたのだから。
 背中を見つめたまま、朽ちていけばいい。
 背中を守りながら、滅びていけばいい。
 狂おしいほどに熱い想いを封じたまま、身を焦がして燃え尽きてしまえばいい。
 それが自分には相応しいのだろう。それが、自分の性なのだろう。
 不用意に近づけばなつきすら燃やし尽くしてしまいかねない自分の情の強さは、誰よりも自分が一番よく知っている。だからこそ、なつきに近づかなくてもいい、そう思い定めることができる。
 手を伸ばせば届く位置。
 それでも過ちは二度と繰り返されない。
 二度目は、もう謝罪も通らないだろう。
 媛星の影響だ、などというふざけた言い訳はもう使えない。
 そして、なつきは永遠に去っていくのだろう。それだけは、避けなければならない。
 どんな手段を使っても。いかな汚辱を耐えても。どれほどの悪辣に身を委ねようとも。あらゆる嘲りに身を晒しても。
 たとえ、この身を焼き尽くす火炎の地獄に落とされようとも。
 自分の情の炎はきっと地獄の炎よりも熱く、森羅万象全てを灼きつくす。
 だから、いまさら地獄など……
 何を恐れることがあろうか。ましてや、人の心など。
 静留はくすりと笑う。
 身体に根付いた情欲を焦がして煤のようにこびりついた想いをこそぎ落とし、剥がれ落ちた焦げを集めては再び火を熾す。そんな、賽の河原の石積みにも似た苦行を己の身に課して、それでも途切れない想いを持て余す。
 浅ましい。それが身の欲と知っているからこそ、より浅ましく、おぞましい。
 心をなつきに傾けて、身は傾けず、手を伸ばさずに。ただ、見つめて想うだけ。その枷を守れるのなら、身を苛む乾きすら感じないのなら。
「お前となら、構わないと思ったんだ」
 幻想の中の囁きはあまりに脆く。
「お前となら、墜ちてもいい」
 あまりにも身勝手な妄想。
 ……墜としたい。身も心も。奈落へと。ともに、奈落へと。
 
 温もりが腕の中にある。
 それは、幻ではない。
 ただ、なつきの温もりではないだけ。
 拗ねたような顔でそっぽを向いている少女が、静留の腕の中で緊張を解いていた。表情とは逆に、抱きすくめられていることを身体は受け入れている。
「こっちを、見てくれませんの?」
「……あたしは別に……」
「そないな冷たい子には、こうどす」
 頭を向けたままだと、うなじが見えている。静留はそこに暖かい息をそっと吹きかけた。
「やっ! な、な、なにすんのよ!」
「悪戯どす。こうでもせな、結城さん、こっちを見てくれませんやろ?」
「藤乃が、背中から抱きついたんでしょう?」
「前から行ったら逃げますやろ?」
「……別に」
「何か、言いはりました?」
「言ってない」
「正面から抱きついても、逃げへんのどすか?」
「馬鹿」
 
 
 奈緒は、藤乃に顔を向けることができないままでいた。
 わかっているから。
 自分の立場はよくわかっているのだ。
 所詮、代用品に過ぎない自分のことなど。
 そしてそれは、互いにわかっていることなのだ。騙されている訳じゃない。
 口にはしないだけで、それは互いにわかっていることだから。
 口にすれば、何もかも終わってしまうこともわかっていた。
 卑怯だ、と奈緒は感じている。
 ……藤乃は卑怯だ
 ……あたしが拒否できないのを知っているくせに
 ……あたしが振り払えないとわかっているのに
 けれど、卑怯なのは自分も同じだった。
 ……あたしは玖我を裏切っている
 ……藤乃も玖我を裏切っている
 いや、それは本当に裏切りなのだろうか。
 玖我なつきにとって、藤乃静留は親友。事件は水に流し、今では親友としてつきあっている。だから玖我はかつての藤乃の行為を「媛星の影響で魔が差した」と認識し、藤乃もそうやって説明している。
 それで済むはずだった。済ませなければならなかった。
 そうであれば、自分の今の立ち位地など存在しなかったのだろうから。
 誰が見ても親友。どこから見ても親友。それが今の玖我と藤乃だ。
 自分と藤乃は、人の目を憚り出会っている。
 抱き寄せられ、奪われ、貪られ、高ぶらされ、運ばれる。
 もしも同性と身体を重ねることが罪ならば、とうに地獄に墜ちている。けれど、心は重ならない。いや、重ねない。
 それが藤乃の意志だった。藤乃の心は、常に玖我へと向けられていなければならないものだから。奈緒であっても、それはどうにもならないものだから。
 心を離したまま、身体だけが重ねられる。それが堪らなく哀しくて。心を求めれば身体すら離れていくとわかっていたから余計に。
「嫌になったら、いつでも言うてくれてええんよ? ウチは、嫌がる結城さんにしつこうする気はありませんよって……」
 言えるわけがない。それを知った上で藤乃は言っているのだ。
 ……卑怯だ
 悔しかった。
 哀しかった。
 それでも、言えなかった。
「あたしは、それでもいいよ。あたしだって、藤乃の心なんて欲しくないもの」
 精一杯の強がりで。見抜かれていることも知っていて。
 それでも、奈緒にはそれしか言葉はなかった。
「ご飯くらい、食べさせてよ」
 ……馬鹿だ、あたしは
 泣いてみせることすら、奈緒には許されていなかった。
 
 
 
 
あとがき
 
 
 
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