「私は冷たい海の底から貴方を想い続ける…
…多分届かないだろうけれど」
夕食の支度を終えたユートニウム博士は、玄関のドアを破る勢いで飛び込んできた三つの小さな影を慌てて受け止める。
「博士ーっ」
バブルスが泣いている。
いや、バターカップもブロッサムも。
「どうしたの、三人とも」
バブルスが泣くのは珍しいことではない。でも、三人が三人とも泣いている。バターカップまで。
「博士はお父さんだよね」
バターカップが泣き声で尋ねる。
「私たちのお父さんだよね、博士は」
えぐえぐと泣きながらバブルスが必死に確認しようとしている。
「いったい、何があったんだい?」
いつものように幼稚園から帰る途中、市長からの連絡で悪人退治に出かけた三人。それで帰りが遅くなると聞いた博士は夕食の準備をして待っていた。
そして三人は泣きながら帰ってきたのだ。
「これ・・・」
ブロッサムが涙を拭いた手でMDレコーダを差し出す。
「これを聞いて欲しいって」
「なんだい? これは」
(MDの内容)
重い足を引きずりながら私は歩く。
痛い。でも、まだ我慢できない痛みじゃない。少なくとも、まだ歩き続けることは出来る。
これは私の自己満足。この録音を聞いてくれる人は多分いないと思う。でも、私は誰かに話したい。だからこうやって話している。
首にかけた小さなMDレコーダ。多分日本製。このレコーダをどこで手に入れたは聞かないで欲しい。それを話すと、長くなるから。
私は、お父さんのところへ帰る途中だ。なんとか、たどり着けると思う。野良犬や、意地の悪い子供達に見つからなければの話だけれども。
…うん。気を失っていたみたい。だんだん、気を失う間隔が短くなっているような気がする。
結果を知るのが怖くて、きちんと計ってみたことはないのだけれども。
ゆっくりと話を続けていようと思う。そうすれば、気を失わずに歩き続けることが出来るかも。
休むことは論外。私には時間がない。あとどれだけ残されているのか正確にはわからないけれども、時間がないことだけはわかっている。
だから私は歩く。痛くても。苦しくても。
そして、意識をはっきりさせるために私は話している。これを聞くのが誰になるかはわからないけれど。貴方が誰かはわからないけれど、出来れば聞いて欲しい。
私は、生まれ故郷へと帰っていく。私が生まれた工場へ。
私は、ただのゴミ屑にケミカルXをかけて作られたまがい物。パワーパフガールズを真似して作った粗悪品。
ユートニウム博士の研究成果を盗んだディック博士が、私のお父さん。
私は…いいえ、私たちはお父さんに作られた粗悪品、まがい物。
そして、私たちは売られた。パワーパフガールズを欲しがる人々に。
私は遠い国に箱詰めで送られた。箱を開けた男に従うために。
私は従った。逆らうことは出来ない。それが私の作られた理由であり、私の存在意義だったから。
しばらくして、お父さんが死んだと聞かされた。
私はその顛末を新しい妹に聞かされた。妹は、お父さんの死の瞬間を見ていた。
私たちはその頃オートメーションで作られ、発送されるようになっていた。そしてそのサイクルはお父さんの死後、工場が破壊される瞬間まで続けられていたのだ。妹は、お父さんの死を見ながら出荷されたいったのだ。
本物のガールズと博士によって自我に目覚めた妹たちは、お父さんに愛情がないことを呪った。そして、妹たちはケミカルXによって醜い怪物と化したお父さんと運命を共にした。
お父さんは、ケミカルXの力を借りなくても十分に怪物だったと私たちは知っている。彼の心は、人間らしいとはとても言えない。
それでも…
それでも、彼は私のお父さんなのだ。
だから私は、お父さんのところへ帰る。
売られた先を出ることは簡単だった。いや、正確に言えば出たわけではない。
妹が来た。その時、私は既に捨てられていたのだ。動けなくなり、そしてゴミ箱の中。
妹がケミカルXをわけてくれなければ、私はそのまま死んでいただろう。けれども妹は、私に命をわけてくれた。元々欠片ほどしか残っていないはずの命を。
私はその場を後にした。
…また、少し気を失っていた。今度は突然倒れたわけではない。野良犬に見つかったのだ。
私は追われた。そしてようやく、ここに逃げ込んだ。
乗り捨てられているらしいボロトラックの荷台。ここまでは野良犬もやってくることが出来ない。
代償は腕一本。どうせ、今にも外れそうになっていた腕だから、残っていたところでどうしようもなかったのだけれども。
ごく僅かなケミカルXと冗談のようなゴミ屑で作られた私たちの寿命は短い。たっぷりのケミカルXと、上質の材料、そして惜しみなく溢れんばかりの愛情で育てられている本物とは違う。
悔しいわけじゃない。私にだってお父さんはいるのだから。
心地よい、だけど底なし沼のような疲労が私を包んでいた。
「ワンちゃんっ。こんなところ遊んでちゃ危ないわよ」
声。この声は。
「何やってんのよ、そんな犬なんかどうでもいいじゃん。早く帰ろうよ、バブルス」
「ねぇねぇ、バターカップぅ。ワンちゃんがくわえているの何かしら」
嘘だ。どうしてあの二人がこんな所に。
「二人とも何してるの? 早く帰らないと博士が心配するわよ」
三人ともこんな所にいるなんて…
「聞いてよ、ブロッサム。バブルスがまた野良犬なんかと遊んでいるんだから」
「遊んでないもん。危ないところにいるから教えてあげただけだもんっ」
「二人ともいい加減に…何、あれ?」
「あれって? ああ、野良犬がくわえているのね。よーし」
「バターカップ、ワンちゃんの取っちゃ駄目っ。可哀想」
「へへーん。こんなの…うわぁああ。何これぇええ!!!」
「腕!」
「キャアアアアアアッ!」
「違う。それ、普通の人の腕じゃない。よく見て」
「よく見てって、こんなの気持ち悪…あれ、これって」
「そうよ。私たちと同じ腕!」
「でも、私はちゃんと腕はあるよ。バターカップとブロッサムは?」
「あるに決まってんじゃん」
「違うわよ、バブルス。もっとちゃんとよく見て。普通の人の腕とは違うけど、私たちの腕ともちょっと違うわ」
「ふ〜ん? ラウディラフボーイズかな?」
「違う。あいつらは私たちがぶちのめして、いなくなっちゃったんじゃない」
「そう。バターカップの言うとおり、この腕は私たちと似ているし、ラウディラフボーイズとも似ているけどちょっと違う。ケミカルXが不足している腕よ」
「ディック博士の作ったガールズだ!」
「なんでだよ。偽ガールズはみんないなくなったし、ディック博士だって工場と一緒に…」
「でもねバターカップ、偽ガールズが全部いなくなったかどうかはわからないわ。世界中に偽ガールズはばらまかれたんだもの」
「それじゃあ、この辺にもいるの?」
「そうかも知れない。みんなで探しましょ、放っておく訳にはいかないわ」
(MDの内容はここで終わっている)
博士は泣きじゃくる三人からその後の顛末を聞いた。
MDが止まった後…
ガールズは、彼女の願いを聞き届け、ディック博士の工場跡へ向かった。
彼女の望みは、工場のあった崖下の海に葬られること。
「一緒に行こうよ。博士なら、きっと治してくれる」
「そうだよ。ウチに来ればまだケミカルXがいっぱいあるんだよ」
「そうよ。ディック博士はもういない。それに、あの人は悪人なのよっ」
ブロッサムの言葉に彼女は、起きあがり、眼からビームを撃つ。
避ける間もなくビームはブロッサムの身体に当たるが、効き目は全くない。ぬるま湯をかけられたような感覚だけだ。
それでも、彼女は言った。
「お父さんの悪口は言わないでっ! 今度言ったら、本当に……、本当に本気で撃ってやる!」
だが、そのビームが今の彼女の力の最大限だと言うことは三人にはすぐにわかった。そしてそれが、彼女の残り少ない生命を燃やし尽くそうとしていることも。
「御免なさい。でも…貴方の身体は」
「わかってる。私はもう終わっちゃうの。ケミカルXも手遅れよ。私たちはこうやって生まれて、こうやって死んでいくの」
「死んじゃうの…」
バブルスは涙声になっている。
「諦めちゃ駄目だよっ!」
「ありがとうバターカップ。でももういいの。運命には従うわ」
「何か私たちに出来ることはないの?」
「うん。お願い。私をお父さんの工場まで連れて行って」
「そしてどうするの?」
「私はそこで眠りたい。これからずっと。私を作ってくれたお父さんのために」
「駄目、そんなの」
「一緒に行こうよ」
「バターカップ、バブルス!」
「…ブロッサム?」
「行こう」
「どうしてよ、アンタ、この子をこのままに」
文句を言いかけたバターカップは、ブロッサムの涙に気づいて絶句する。
「わかんない。わかんない。わかんないけど…この子の言うことがわかるような気がするから」
「ブロッサム…」
バブルスがバターカップの肩を叩く。
「グスン…行こ、バターカップ」
「元気で…っていうのも変だね」
「うん。でも、貴方達は元気でね」
「うん」
「ねえ」
「なに?」
「私、最後に貴方達に会えて、とても良かったと思う」
博士は泣き疲れて眠る三人をそっとベッドに運ぶと、自分は居間のソファに深々と座った。
ふとカレンダーを見る。
ディック博士がいなくなってから今日まで、彼女は生きていた。すると少量のケミカルXでも…
止めた。
博士は頭を振ると今の思いを打ち消した。
考えるべき事じゃない。
明日、もしかすると明後日、花を持っていこう。ガールズの好きな花を。
沢山。沢山海に流そう。
あの子達が寂しくならないように。
…私は海の底に眠る。
私は海の底で貴方を想う。
例え貴方が私のことを想ってくれないとしても。
私は冷たい海の底で貴方のことを想い続ける。
多分貴方には届かないだろうけど……