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 心も、身体も。
 全部が全部、貴女のものです。
 そう。命だって、貴女に捧げるのです。
 それが、私の、貴女に向ける感情の全て。
 だから。貴女が望むなら、女の命だって捧げましょう。
 
―――ヘア・アレンジメント―――
 
「暇だね」
「…そうですね」
 放課後。薔薇の館には白も黄もいなくて、新しい紅である祐巳さまと可南子だけがいた。
 ちなみに黄色は部活動、白は私用だそうである。
 急ぎの仕事もなく、手慰み程度の仕事も全て片付いてしまっている為、どうしても暇になってしまうのだ。いや、ならば帰宅すればいいだけの話なのだが、可南子としては祐巳さまよりも早く帰るということは承知できないことだった。
 そんなわけで、のんびりとしたお茶会なわけだが、例え仲が良くてもたった二人では話題など続くはずもなく、もう三十分ほどもたまにポツリポツリ話すだけになっていった。
 こういうとき、可南子は自分がいかにつまらない人間かと落ち込んでしまう。
 少なくとも、由乃さまがいれば祐巳さまは退屈せずに済むのだろうが。
「む。しまった、空だった」
 口に運んだカップに注がれていたはずの紅茶は、すでに祐巳さまが飲んでしまったようだ。
 かといって、新しく淹れようとはしない。もう、お腹一杯なのだろう。
 可南子は、鞄の中からノートと教科書を出していた。宿題をどうせなら片付けていこうと思ったからだ。そのほうが、家に帰ってから気が楽だろう。
 祐巳さまが教科書を見て、むむ、と唸った。数学は苦手なのだろうか。
 ノートを開いて、指定されたところの問題を解いていく。
 すらすら、と走るシャーペンを見ながら、ほあ、と息をはく祐巳さま。表情をちらと見ると、お姉さまらしく教えてあげたいけど…数学は苦手なんだよね、でも教えるまでもなく解いてるな、すごいなぁ。 …といったことを考えているみたいな顔だった。相変わらず判りやすいひとだと思う。
 しばらく進めて、どうも引っかかる部分を考えていたら、突然。
「わ、やっぱり綺麗だね、可南子の髪」
「ひゃっ」
 可南子の長い髪を祐巳さまが手にとっていた。
 思わず変な声を出してしまったが、それは仕方が無いと思ってほしい。人間予想もしないことをされるとリアクションに気を配ることなんて出来ないのだ。
「おお、お姉さまっ。いきなり何されるんですか」
「あ、ゴメン。つい。邪魔だったね」
 軽く笑って、祐巳さまは謝罪の言葉を口にする。だが、可南子が聞きたいのはただの謝罪の言葉ではなく、何故そういったことをしたのか、ということなのだが。
「いやね、可南子の髪って綺麗だな、と思って。真っ直ぐでツヤがあって、長いのに綺麗だってことは…お手入れとか気を使っているの?」
「……いえ。あまり気を使ってはいないと思います。むしろ無頓着な方だと」
「ええ!? それなのにこんなに綺麗なんだ。いいなぁ、癖のない綺麗な髪」
 癖、か。確かに祐巳さまの髪はどちらかというと癖が強いほうではあるが、癖が無いからといっていいことばかりではないのだ。癖がないということは、風などの影響を受けやすいということだし。
 それに、面と向かっては言えないけれど、あの髪は祐巳さまに合っている気がする。
「んー。そういえば可南子、今の髪型――って言ってもロングのストレートか。くらいしか見たことないなぁ。やっぱりこの髪ならそれが一番映えるよね」
「……そうなんでしょうか。ただ、それ以外にしようと思ったことがないだけなんですが」
「あ、そうなの? ならね…」
 と言うと、祐巳さまは自分の髪を結んでいるリボンを解き――って、え? リボンを、解いた?
「お、お姉さま? 何をしているのですか?」
「んとね、たまにはイメチェンをしようかと」
 イメチェン――イメージチェンジ、ですか。
 しかしそれはどちらかというと朝方にするようなものではないでしょうか。放課後に行っても見る人なんか今ここにいる可南子くらいしかいないわけで。
 いや、見てみたいとは思うけれど。
 ――と、思ったところで、それが可南子の勘違いであると気付いた。
「わ、やっぱり分けるのもスムーズにいくね。羨ましいなぁ、私の髪もこうなら朝は少しのんびり出来るんだけどなぁ」
 祐巳さまは可南子の髪を一房とり、それにリボンをしゅるしゅると巻いていく。
 つまり。イメチェンは可南子に行われているわけだ。
「て、何を勝手にしているのですかっ」
 別にとてつもなく嫌だ、というわけでもないけれど。いきなりそんなことをはじめられたら、いろいろ気になってしまう。少し前からそうだった気がするけど、もう宿題なんて空気ではなかった。
「え、嫌? もし可南子が本気で嫌ならやめるけど、嫌がってないもんね。ならいい、ってことでしょう?」
「……そんな。何も言っていないのに判るのですか」
「私みたいに全部顔に出すわけじゃあないけれど。可南子は本当に嫌なときは顔に出るからねぇ、それだけは判るようになったのよ。 …あらら、やっぱり気付いていなかったのね」
 そう、なのだろうか。
 確かに、可南子は嫌なことは身体全体で拒否してきたところがあるけれど。それは数えられるくらいのことで、そんなふうに祐巳さまに看破されるほど繰り返したとは思えない。
 それとも。気付かないうちに沢山表に出ていたのだろうか。
「そんなわけで、おとなしくしているように。これ、お姉さま命令ね」
 ……祐巳さまは卑怯だ。そう言われたら、たとえ嫌でも従ってしまうことくらい、知っているだろうに。大体、そんな風に言わなくたって、可南子は祐巳さまの言うことならちゃんと聞くのだ。
 シャーペンから手を離して、太腿の上におく。
 少し俯いて、目を閉じた。
 
 さらさら、しゅるしゅる。
 さらさら、きゅっ。
 
 視界が真っ黒になったことで、音が良く聞こえるようになった。
 髪の流れる音と、リボンを結ぶ音。
 いつもと違う位置で留められて、頭には違和感がある。
 だけど、そのおかげかいつも空気に触れないところが触れている。
 普段触れられないであろう頭皮が、祐巳さまの指でなぞられていく。
 暖かなその感触が、まるで可南子の身体だけでなく心も触られているような錯覚。
 そのせいなのか、なんだか、気持ちが穏やかになっていく気がして。
 知らず可南子はうとうとと、眠りの世界に片足を踏み込んでしまった。
 
「はい、完成っ。髪が長いから同じ、ってわけにはいかなかったけどね」
 その声で、胡乱だった意識が覚醒した。
 頭には、髪の毛には、もうあの暖かな指の感触はなかった。
 それが何だか寂しいような気がしたけれど、それをココロの中に押し込めた。何だかそれを素直に伝えるのは憚られたから。 …要するに恥ずかしいのだけれど。
 目の前には、祐巳さまの手鏡があった。
 その中を覗き込むと、いつもの祐巳さまのように二つに分けたヘアスタイルの可南子がいる。
 だけど、長い髪を二つにしているから印象がまるで違った。
 祐巳さまくらいの長さだと、ちょうど良くて、見た目にも可愛く映るのだけど。可南子の場合、何だか無理して可愛いように見せているように見えなくもない。
 それにこの手鏡だと確認できないだろうけど、可南子の長身ではやはり似合わないのではないだろうか。
「うん、可愛い可愛い。さすが可南子は何でも似合うよね」
 だから、その言葉だって何だか慰めにしか聞こえないのだ。
 いつもだったら、嬉しくてたまらない言葉なのに。
 思わず俯いてしまう。その姿を、見ていたくなかったのだ。
 もちろん、鏡に映る自分の姿だって。
「ん、どうしたの?」
 やっぱり祐巳さまは目ざとい。可南子のちょっとしたしぐさについていつも言及なさるのだ。
「私には似合いません。 …ほら。可愛くなんて、ないでしょう?」
 そうだ。それならはっきり言って欲しい。
 別に構わないのだ。自分が可愛いと呼ばれるようなタイプではないくらい判っているつもりだから。
「そんなことないよ。可南子は可愛い。今の髪型の可南子だって、皆に見せびらかしたいくらいよ」
「……嘘です。お姉さまは嘘をついてます」
「本当よ。この可愛い女の子が、私の妹なんです、って触れ回りたいくらいなんだから」
 そこまで言うと、祐巳さまは可南子の二つに分けられた髪の、右の房をとって「でもね」と小さく呟いた。
「この、可南子自身を表しているような。綺麗で真っ直ぐな髪を触ることが出来るのは、私だけの特権。この髪の柔らかさとか、さらさらの感触とか、『お姉さま』だけのものにしておきたいな…」
 そう言って。祐巳さまは、可南子の髪を口に持っていって。
 
 ふわり、と音がしそうなほど自然に、口付けた。
 
「あ…、お姉さま?」
「これはその約束の印。 ……いいでしょ可南子? この髪、私だけのものにしていいよね?」
 その視線は。いつか夢見た、無垢なる天使とは程遠く。
 だけど、慈愛に満ちたそれは、蕩けてしまうほどに熱を持って。
 可南子は、自分の頬が熱を持っていくのを自覚した。
「返事は? いいの? 駄目なの? ……教えて、可南子」
「い、いい……です。私の髪は、お姉さまだけ……お姉さまだけの、ものです」
「うん、約束。可南子の髪を触れるのは、私だけ。 …他の子には触らせちゃ駄目だよ?」
「……はい」
 その約束は。
 子供じみたものかもしれない。
 でも、祐巳さまが独り占めしたい、なんて。そしてそれが、可南子の髪だなんて。
 とても幸福なことであるのに間違いないのだ。
 そしてこの約束は、きっと違えられることはないと思う。
 だって、可南子は祐巳さまの言うことなら何だって聞くのだ。
 
「あ、そうだ」
 しばらくしてお互いもとの髪型に戻してから。さすがに遅くなったということで、帰り支度をしていると。
 祐巳さまは、これは名案、という顔で可南子を見た。
「こんどの日曜、二人で買い物にでも行こうか。可南子の髪に合うリボンとか、そういうのを見に行こう」
 そのお誘いを、断ることが出来る可南子ではないから。
 それ自体は決定になったのだけれど。
 ぶつぶつと何か考えているようだったから、こっそりと聞いてみるととんでもないことを口走っていた。
 
「む、何か文字が入れられる方がいいかな? 『祐巳専用』とか書いてあるリボンとかなら、可南子の髪は私用だってアピールできるよね…」
 ――いや。いくらなんでもそれはお断りしたいです、お姉さま。
 
 
あとがき
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