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コタツの中
 
 
 祐巳と祐麒の父は建築家である。
 建築家としての腕は悪くはない(らしい)。その証拠に、仕事に困っている姿というのは見たことがない。もっとも、子供に好きこのんでそんな姿を見せる父親もいないだろうけれど。
 福沢家は、父が直接手をかけて作ったらしい。
 というわけで、福沢家には時々妙なものが出現する。
 普通のリビングにいきなり掘りゴタツ、もその一つだ。
 リビングの床板が一部外れて、そこが掘りゴタツの一部になるのだ。
 ちなみに、掘りゴタツはぬくもりやすいのだけれども、重大な欠点がある。それは、コタツの中で寝ることができないこと。
 強引に潜り込んで寝てしまうと、段差のせいでとても身体が痛い。
 どうしても寝たい時は、床板をはめ込む。
 けれど、福沢家ではこたつの中で眠ってしまう者はあまりいないため、結果として掘りゴタツは愛用されていた。
 
 祐麒は、鏡を見つめていた。
「……」
 湿った髪の毛が気持ち悪い。第一冬の最中にこの状態では風邪をひいてしまう。
 カチリ
 ドライヤーはウンともスンとも言わない。どうやら故障のようだ。
 何をどう間違えたのか、風呂場で足を洗うつもりが頭からシャワーを浴びてしまったのだ。お湯出しの切り替えがシャワー側になったままだったらしい。
 確か、昨日最後にお風呂に入ったのは祐巳だったはず。つまり、これは祐巳のミス。
 福沢家では、最後に入った人間はお湯出しの切り替えを蛇口側にしておくのが決まりなのだ。そうしておかないと、ついさっきの祐麒のような悲劇が起こる。
 そして頭から水を被った祐麒はこうして洗面台の前に立っているのだけれども、ドライヤーは故障している。
 身震い一つ。駄目だ、寒くなってきた。
 ふと、祐麒の頭にアイデアが閃く。
 そうだ、身体全体を暖めて、さらに髪まで乾く方法がある。
 祐麒は早速リビングに行くと、コタツのスイッチを入れて、床下に潜り込もうとする。
 床下には邪魔なクッションがあったので放り出す。いやに大きいなと思いながら放り出し、コタツに潜り込んでから気付いた。
 そういえば、祐巳が掘りゴタツの中に入れるクッションというのを買っていたような気がする。なんでも、足下に置いておくととても踏み心地がいいのだそうだ。多分パウダービーズの類なのだろう。
 そんなことはどうでもいい。今は暖まることが先決。幸い家には誰もいない。コタツの中に潜り込んでいても咎められる心配はない。
 しかも、かなり大きなコタツなので床下の部分もそれなりに大きく、それほど大柄でない祐麒が丸まって入るにはちょうどいい。
 じっとしていると温もってくる。濡れた髪の毛も乾いてきたような気がする。
 うとうととしてしまったようで、気がつくとずいぶん近くで祐巳の声がしていた。
「あ、コタツのスイッチが入ってる。祐麒、忘れていったのかな。まったく、不用心なんだから…」
 祐巳か…まあいいや。なんだか面倒くさいしこのままで……
「祐巳さんの家に来るのはこれで何回目かしら? 志摩子さんはどれくらい?」
 はい?
 この声は……?
「私はあまりないけれど、由乃さんは多いのかしら?」
 はい?
 ちょっと待ってください。
 祐麒は神を呪いながら身を固くした。今コタツから出たらどうなるか……というか、今の祐麒はTシャツ一枚とパンツ一丁。
 今出て行くとただの変態である。
「寒いから、コタツに入っててよ」
 祐巳!
 叫びたいのを堪えて、祐麒は全身の感覚を集中する。足の入ってきた方向から、咄嗟に身を避けるためだ。
 足に当たらないように逃げて、隙を見て逃げ出す。少しすれば祐巳の部屋へ由乃さんも志摩子さんも去って行くに違いない。その時がチャンスだ。
「うん。寒い時はコタツが一番」
「由乃さん、そんなに寒いならミニスカートはやめればいいのに」
 祐麒の体温が一気に上がったような気がした。
 ミニスカート!?
 いや、そのミニスカートがこのコタツに、このコタツの中に、自分のいるコタツの中に忽然と完全と燦然と慄然と出現するんですかっ!!
 ミニスカートってアレですよね、スカートの短い奴ですよね?
 既に錯乱気味の思考で祐麒は自問自答を繰り返す。
 短いのですよね。足が見えてるやつですよね。そして履いているのは由乃さんですよね、あの、島津由乃さんですよね!
 美少女揃いのリリアンの中でもトップクラスの由乃さんですよね!
「いいのよ。タイツが暖かいから。志摩子さんこそ、スカートこそ長いけれど、生足じゃないの。そっちの方が寒そうよ」
 生足!!!
 生足って生足ですか!!??
 何もない足ですか!?
 素肌ですか!
 NOソックス、NOタイツですかっ! いや、さすがに普通の靴下ははいているだろうけれど。
 コタツ布団が持ち上げられる気配に、それでも祐麒は身を伏せる。ここで見つかったら多分弁解は効かない。学校に行くこともできない。
 コタツの中に潜んでいた変態というレッテルは、二分ジャストで花寺全域にも広がるだろう。そうなったら、明日から引きこもるしかない。いや、今日この瞬間から。
 それは避けたい。花寺生徒会長として、そんな醜聞は絶対に避けなければならない。そう、これは花寺生徒会の名誉にも関わるのだ。祐麒一人の問題ではない。
 そう、これは花寺生徒会の名誉のために!
 生徒会の名誉のために隠れ続けなければならないのだ!
 邪な気持ちなどは一切ないっ! 
 そもそもこれは不幸な事故なのだっ!
 後ろ指をさされる覚えは一切ないっ!
 単なる言い訳という名の理論武装を終え、祐麒は身を潜める。
「二人とも遠慮せずに先に座ってて、お茶煎れてくるから」
「うん」
 由乃さんの声と共に足が入ってきた。
 ぶぎゅる
 踏まれた。
「……祐巳さん、コタツの中に何かあるみたいだけど……」
「あ、クッション入れてるの。足下用のクッションだから、踏み心地もいいはずだよ」
「踏み心地ね…」
 ぐいっぐいっ、と踏みにじられる祐麒。
 何となく屈辱的。けれど……祐麒は別の方向に走りそうになる思考を必死で引き戻す。
(違う、俺は変態じゃない! 踏まれて喜んでなんていないっ!!! 違う、違うんだーっ!!)
「あ、祐巳さん、お手洗いを借りたいのだけど…」
「こっちだよ、志摩子さん」
 二つの足音がパタパタと遠ざかっていく。
 由乃さんの足も離れる。祐麒はゆっくりと顔を上げた。
 ………由乃さんと目が合った。
「!!!!!?????」
「!!!!!?????」
 悲鳴を上げそうになる由乃さんに、祐麒は思わず伏し拝む。
「不幸な事故なんですっ」
 大声は上げられない。この期に及んでも、少なくとも志摩子さんと祐巳には見つかりたくないという思いがある。
「……祐麒さん……よね?」
「……はい。あの、これには深い事情が…」
「…いや、別に待ち受けていたとは思わないわよ。私も志摩子さんも、偶然祐巳さんに会ってお邪魔しているわけだから…だけど、どうしてそんなところに…」
「あの……ドライヤーが壊れてて…髪を乾かそうと思って入り込んだら、祐巳が帰ってきて…」
「で、出るに出られなくなった?」
「はい。あの……どうしてわかったの?」
 由乃さんが指を差した先には、祐麒がさっき放り出したクッション。
「クッションはあそこにあるのよ。おかしいでしょう?」
「あ…」
 首を振りながら、由乃さんは呆れたように言う。
「祐巳さんも気付かなかったのかしら。それにしても祐麒さん…クッションの代わりに入っていたとはね…」
「代わりって、別に隠れようとした訳じゃないですって」
「うん。それはさっき聞いたけれど、あわよくば美少女三人の足を拝もうとしてなかった?」
「いえ、そこまでは……」
「私の汚い足なんか見たくないと」
「いえ、見たい…あ、いや、そうじゃなくて、えっと、きれいです」
「見たのね」
 祐麒は言葉が止まる。
 由乃さんの、ゆっくりと、そしてハッキリとした言葉が祐麒を真綿のように締め上げた。
「見たのね?」
「ごめんなさい」
 と、突然、由乃さんが足で軽くこづいて、祐麒に伏せるように促す。
 伏せた祐麒の横にバサッとクッションが投げ落とされる。
「黙っててあげるから、少し待ってて」
 急いで言うと、コタツ布団を戻した由乃さんはきちんと座り直す。
「由乃さん、紅茶でいいよね?」
 二人分の足音。祐巳と志摩子さんが戻ってきたらしい。
 祐麒は身を伏せた。こうなったら由乃さんに全てを任せるしかない。
 志摩子さんの足が入ってくる。
 生足。
 目を反らす祐麒。
 見ちゃ駄目だ。(多分)庇ってくれている由乃さんに応えるためにも、ここは紳士的に振る舞わなければならない。たとえ、リリアンでもナンバーワンの美少女の生足が目前にあっとしても。
 ぐにゅ
 何も知らない志摩子さんは容赦なく祐麒を踏んだ。
 ぐにゅ ぐにゅ ぶぎゅる 
 楽しそうにリズミカルに踏んでいる。
「ねえ、祐巳さん」 
 志摩子さんの嬉しそうな声。
「なに?」
「このクッション、本当に踏み心地がいいのね」
 げほっ、と由乃さんがむせる気配。
「なんだか楽しくなってきたわ」
 ぐにゅ ぐにゅ ぐにゅ ぐにゅ ぐにゅ ぶぎゅる
「えーと、志摩子さん?」
 由乃さんの声だ。
「どうしたの?」
「あの、あんまり強く踏むと、クッションが壊れてしまうんじゃないかしら」
「大丈夫よ、踏むためのクッションだもの」
 姉がナイスな意見を…もとい、余計なことを言う。
 どうでもいいことかも知れないが、志摩子さんは靴下すらはいていなかった。
 生足生足。
 祐麒は学校で習ったお経を心の中で唱えながら必死に平穏を保つ。
 これは、大の男が女性に素足で踏まれるという屈辱に対しての怒りを静めるためであってそれ以外の他意はない、フェチとかそういう言葉は関係ない。と自分に必死で言い聞かせる。
「このクッション、本当に気持ちいいわ。なんだか…そうね…踏むこと自体が楽しくなってきたわ。どうしてかしら」
 志摩子さんの声がどう聞いても本当に嬉しそうだ。
 なんだか踏む力も少しずつ遠慮のないものになってきている。いや、相手がクッションなら別にいいのだろうけれど。
 祐麒としては気持ちい……もとい、痛い。
 ぐにゅ ぐにゅ ぐいっ ぐいっ
 リズミカルに強弱をつけて。
 なんだかマッサージのような気もしてきた。うん、これはこれでいい。
 げしっ げしっ
 なんか音が変わった。そしてとても痛い。というか紛れもなく蹴られてる。
 踏まれていると言うより蹴られている。
「それでね、祐巳さん」
 なんだか志摩子さんのにこやかな声が聞こえてくるのは気のせいですか? 足下がこれだけ激しいのはなんですか?
 あれですか、白鳥が水面下で激しく水を掻いているようなものですか?
 げしっ げしっ げしっ げしっ
 足増えた!!!!!!
 いや、志摩子さん、足四本ありますか?
 違う、いや、これは……
 何してるんですか、由乃さん!!!
 祐麒は叫びだしたいのを堪えてひたすら耐える。
「あ、本当だ、結構楽しいね」
 楽しいねって、由乃さんわかっててやってるーーー!!
「ゆ…げふんげふん、クッションを蹴り飛ばすって結構楽しいわね」
 蹴り飛ばすって言い切ったーーーーー!!!
 いや、その…美少女二人に蹴ったくり回されるというのもこれはこれで……、いや、そうじゃなくて。
 こんなことなら、最初に素直に謝っておけば良かった…と祐麒が後悔し始めた時…
 げしっ げしっ げしっ げしっ げしっ げしっ
 また足増えた!!!!!
 ていうか、あと祐巳しかいない。
 こもる熱気と続く蹴撃、薄れゆく意識の中、祐麒は故障したドライヤーを恨んでいた。
 
 
 気がつくと、まだコタツの中だった。
 さすがにスイッチは切られている。スイッチは電気のコードに付属しているものだから、中に祐麒がいることを知らないまま、祐巳がスイッチを切ったのかも知れない。
 あの様子だと、由乃さんは何も言っていないだろう。それどころか、祐麒の存在自体忘れてしまったかも知れない。
 すぐに出ろ、と頭では思っていても、疲れ切った身体は簡単には動かない。
 少し休んでから、頭がハッキリしてから脱出しよう。
 そう思っていると……
「祐巳の家なんて、本当に久しぶりね」
「突然お招きいただいて…」
「でも、本当に偶然ね」
「ええ、まさか由乃さんと志摩子さんを送った先でお姉さまに会うなんて…。それに、可南子ちゃんまで」
「いいんですか、こんな時間に?」
「大丈夫だよ。さあさあ、外は寒かったし、コタツに入って」
 スイッチが入り明るくなるコタツの中で、祐麒は故障したドライヤーを心の底から恨んでいた。
 
 
 
あとがき
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