カクテル
「カクテル・ロサキネンシス」
蓉子、少し飲みなさいよ。貴方は堅物過ぎるの。
いいから、酔ってみるのも楽しいわよ。もう高校も卒業したんだし、少しくらいは…
せっかくのパーティなのに。それも、私たちの代から数えて五代そろい踏みなんて、滅多にないわよ。
特別な日の、少しは飲んでも……
あのね、私がどうして貴方にイッキ飲みをさせなきゃならないの? そんな馬鹿なことは言わないわよ、ジョークにも限度があるの。イッキ飲みなんて、ただの緩慢な自殺よ。
どうしたのよ、聖ちゃんがお姉さまばかりに構っていて寂しいの?
ジョークよ。今のは限度内でしょう。あ、勿論、蓉子が本当に聖ちゃんのことが好きだというのなら、限度を超えたジョークかも知れないわね。
そうなの? 蓉子。
…どうして黙っているの?
まあいいわ。
ええ、私は意地悪よ。意地悪すればするほど可愛くなる妹がいるのですもの、意地悪にもなるというものよ。
ほら、もう照れてる。わかりやすいのね、蓉子。本当に貴方が紅薔薇さまをきちんとこなしていたのかしら、正直疑問ね。
そうね、祥子ちゃんの方が、それらしいような気がするのよ。
なんていうのかしら、やっぱり、生まれの高貴さかしらね。
わかった? ええ、今のは正真正銘のジョークよ。薔薇さまに生まれの高貴も何も関係ないわ。ただ、選ばれた本人の意志の問題だけよ。その意味では、貴方は見事にこなしたのでしょうね。
そうよ。勿論、祥子ちゃんも。
だけど、祥子ちゃんのイメージも変わったわね。前はもっととげとげしいと思っていたけれど、なんだか物事も柔らかくなって。
それに、前はもっと…なんというか…そう、甘えてくれていたような気がするのだけれど…。
そうね、祥子ちゃんも紅薔薇さまだものね。
妹ができれば変わるわよね。
祐巳ちゃんか…。
祐巳ちゃんと祥子ちゃん、仲良さそうね。蓉子、妬いてる?
あ、認めたわね。貴方のそういう正直なところ好きだけれど、貴方を妬かせるなんてあの祐巳ちゃん、ちょっと凄いんじゃないかしら。
はい。どうぞ。
これは、カクテルよ。そうね、今適当に飲みやすそうなものを見繕ってみたのだけれど…うん、ロサキネンシスなんて名前のカクテルはどう?
ほら、とりあえず飲まなくてもいいからグラスを持って。貴方の妹が挨拶に来たわよ。
ごきげんよう、祥子ちゃん。久しぶりね。
ああ、そちらが祐巳ちゃんね、蓉子から噂は聞いているわ。なかなかの逸材らしいわね。
祥子ちゃん、貴方も飲む? ええ、乾杯のためよ。
ああ、さすがに祥子ちゃんは素直ね。貴方のお姉さまにも見習わせなきゃ。
それじゃあ、山百合会と薔薇の館のために、乾杯。
ふう…。なによ、蓉子、結局飲んだの?
あ、もう頬が赤い。弱かったのね。
ああ、無理して飲むことはないわ。その一杯でやめておきなさい。
楽しく酔うならまだしも、悪酔いしてもつまらないしね。
え? 祥子ちゃんと祐巳ちゃんには飲ませたりしないわよ。
だって、もうあの二人は酔っているわよ。見えないの?
一目瞭然じゃない。あの二人は互いの存在で酔っているもの。
「カクテル・ロサフェティダ」
江利子、久しぶりね。色々聞いているわよ。
子持ちの男の人とどうにかなりそうだって。
うん。え? 花寺の講師なの?
まあ、頑張りなさいよ、貴方のことだから、本当に好きになったらどこまでも行っちゃうんでしょうね。
貴方は本当に好きなものがあると、とっても優しくなるか、とっても意地悪になるかのどっちかだものね。
私には優しかったわよ、貴方は。きっと、その男の人にもね。
そして、由乃ちゃんには意地悪だったわけだ。
ふふ、お見通しよ。
でも、そうなると令ちゃんが羨ましいのよね。
令ちゃんだけでしょう? 江利子の意地悪と優しいのを両方体験しているのって。
まあ、令ちゃんがその幸運を幸運と感じているかどうかはかなり疑問だけれども。
あ、噂をすれば影ね。江利子、私のグラスも持ってて。中身飲んでもいいわよ。
ごきげんよう、令ちゃん。本当に久しぶりね。
ええ、元気よ。由乃ちゃんも元気そうね。
そうよ、今はね……あ、ちょっと待って。
江利子、そんなに飲んでいいの? お腹の子が心配よ。ねえ、令ちゃん。
令ちゃん? どうしたの? 何をそんなに驚いているのよ。
あ、ちょっと。令ちゃん? ああ、行っちゃった。
……あ、どうしたのよ、江利子。貴方までそんな…。
え、いいじゃない。うん、それは嘘だけれど。令ちゃんも相変わらずね、貴方に鍛えられた割にはまだまだだわ。江利子、令ちゃんを甘やかしすぎたんじゃないの?
まあいいわ。
…わかっているわよ。その人とはキスもまだなんでしょう。 なんとなく、わかるわよ。貴方が好きになった男の人が、そんな当たり前の反応なんてするわけない。
それに、どうせ貴方の家のことだから、お兄さんもお父さんも猛反対なんでしょう?
だったら既成事実を先に作ってしまって、説得するのは後からでも。そういう暴走は貴方のお得意じゃなかったかしら。
ムードに酔わせるなりお酒に酔わせるなり、方法はいくらでもあるわよ。
そうそう。応援するわよ。
教えてあげる、スペシャルカクテル。
そうね、名付けてロサフェティダ。
「カクテル・ロサギガンティア」
これは滅多な事じゃ作っちゃいけないのよ?
貴方が何が何でも飲ませたいと思った時にだけ使うの。
そう簡単に飲ませちゃ駄目なのよ。
約束できる?
だったら教えてあげるわ、聖。
そう、その通りよ。さすがね、顔のいい子は筋もいいの。
なによ。
ええ? どうして私が貴方に使わないかって?
元白薔薇さまともあろう者が、そんなことできますか。その気になってこれと選んだ相手を口説くのに、いちいちスペシャルカクテルの力を借りていたら、白薔薇さまの名前が廃るというものよ。
それとももしかして聖、飲ませて欲しいの? うーん、貴方ぐらいきれいな子なら、確かに食指が動かされるけれど、まあ、やめておくわ。誰かに恨まれて、またお説教されそうだもの。
第一、本気で口説きたい相手にはね…聖、カクテルなんていらないの。貴方の心に浮かんだ言葉をそのまま伝えればいいの。
なんて…覚えてる? そうそう、私の卒業前のパーティね。
どう? あれから本気で口説きたい相手はできた?
あら、今貴方、蓉子ちゃんの方見なかった?
うふふふふ、冗談よ、冗談。そんなにムキになることないじゃない。
それにしても、あなたもずいぶん変わったわね。昔の貴方、そんなに笑わなかったわよ。
うん、ちょっとジェラシー。志摩子ちゃん…だっけ? 貴方が妹にしていたのは。
志摩子ちゃんのおかげ…あれ? 違うの? なに、蓉子ちゃん?
…あら、まあ、祥子ちゃんの妹?
うん、うん。ああ、あの子。祐巳ちゃんって言うの? ふーん、あの子が聖をね…。聖、あんな感じの子がタイプだったんだ。知らなかったわ。何よ、聖。…別にそんなこと言ってないわ。貴方があの子に手を出したなんて言ってないわよ。
それより、ほら…えーと、あ、令の横にいるのが噂に聞いていた由乃ちゃんね?
うんうん。あ、そうそう、聖の好みって言うと、その祐巳ちゃんよりも…そうね……あ、あそこの背が高いのは…駄目か、背が高すぎるし、聖の好みじゃないわね。あの縦ロールの子も可愛いけれど聖の好みじゃないだろうし……
どの子? どの子? 聖、早く紹介しなさいよ。
どうして? 仲が悪い? どういう事よ。昔の貴方なら知らないけれど、今の貴方と仲が悪いって…。
まさか、貴方悪い癖出してないでしょうね。聞いているわよ、私が卒業してから、白薔薇さまならぬエロ薔薇さまなんて影では呼ばれていたって。
あ、あの子、あの子よ。あの子って、聖のタイプじゃないの?
なによ、嫌そうな顔して。え? あの子が志摩子ちゃんの妹なの?
ふーん、乃梨子ちゃん。
聖の好きそうなタイプに見えるんだけど。
って…あの子、さっきからずっと志摩子ちゃんとベタベタしているように見えるんだけど、私の気のせいかしら。
あーあ、そう、あの子公立の中学校から来た子なの。
高校デビューしちゃった訳ね。
大変よ。『夜更けの雨は止みにくい』っていうしね。免疫のない子がいきなりウチに来てあんな美少女に射止められたんだ…これは一生ものよ、多分。
……ああ、そういうこと。
なるほど。
何よ、聖。その顔は何? 何が言いたいの? ええ、そうよ。私は思っているわよ。
聖が孫に妹取られて落ち込んでいるって。
何よ、違うの?
あからさまも何も、事実は事実よ。慌てることはないじゃない。
ねえ、乃梨子ちゃん。
あら、聖。どこに行くの? そこにいなさい。卒業までの約束って、それはあの時での話でしょう。私は今ここにいるんだから、私がいる限りはあの約束は有効なの。貴方は私の傍にいなさい。
酔ってない。大丈夫。酔ってないから。
聖、貴方誤魔化そうとしてない?
ああ、乃梨子ちゃん、初めまして、ごきげんよう。ええ、私が聖の姉。聖を山百合会に引きずりこんだ張本人よ。
私が引きずりこんで、蓉子ちゃんが捕まえて、志摩子ちゃんがくくりつけたの。
乃梨子ちゃんはどうするの?
送り出す?
……放り出す!?
……放り出す…くっ…く、ふふふふふふふ。
面白い、面白いね。本当、聖が好きそうなタイプだと思うんだけどね。
それじゃあ、特別に、スペシャルカクテルのレシピ、乃梨子ちゃんにも教えてあげようか。
うん、名付けてロサギガンティアよ。
遠慮しなくていいのに。
あら、大丈夫よ。今日は無礼講。マリア様に見守られてはいても、今日だけは特別、たまには羽目を外す日も必要よ。
ええ。それはそうよ。度を超すようなら別だけれど、少しくらいなら。クリスマスにはシャンパンくらいは飲むでしょう?
さあ、乃梨子ちゃんも飲みなさい。一杯くらいなら別に構わないでしょう? ああ、勿論、過敏症だというなら、無理強いはしないわよ。
何? 内緒話?
………ふふふふふ。
大丈夫よ、乃梨子ちゃん。ええ、私と貴方だけの秘密。聖には言わないから安心して。
そうね、それじゃあ教えてあげる。
…………
…気付いた? そう、今この部屋にある材料で作れるのよ?
そわそわしなくていいわよ。ええ、私は構わないから。聖もいるし。
はい、それじゃあね、乃梨子ちゃん。
まあ、あんな慌てて……。志摩子ちゃんに飲ますつもりかしら。
だけど、志摩子ちゃんも大変よね。
ただ苦いだけのカクテルを、聖にも乃梨子ちゃんにも飲まされるなんて。
どうしたの? 聖。何よ、その顔は。
何よ、貴方まだ気付いていなかったの?
意中の相手に呑ませるとうまくいく、そんな都合のいいカクテルなんてあるわけないでしょう? ちょっとしたジョークのつもりだったんだけれど……
そりゃあ…貴方が飲ませた時は…志摩子ちゃん、わかってて演技してたんじゃないの?
何悶えてるのよ。今さら恥ずかしくなったの?
いいじゃない。今から志摩子ちゃん、また演技しなくちゃならないのよ。
乃梨子ちゃんにも同じもの飲まされて…、本当に、苦労するわね、志摩子ちゃんも。