コタツの中 可瞳編
「ごきげんよう」
声をかけても返事はない。薔薇の館にはまだ誰も来てはいなかった。
その代わりでもないだろうけれど、部屋の中央にコタツが置いてある。
「……?」
瞳子は不審な表情を隠そうともせず、コタツを眺める。
コタツを中心にゆっくりと周りを回りながら。
「コタツ…ですわね」
何故コタツがこんな所にあるのか。
どうして、薔薇の館の真ん中にコタツが置いてあるのか。
近づいてみると、卓上に紙が一枚貼ってある。
[寄贈]
誰かが持ってきたのだろうか?
コタツは一応家具。決して安いものではないはず。寄贈とは言っても、お菓子やお茶のように気軽に持ってこれるものではないのだ。
そうすると、これを寄贈したのは祥子さま? 少なくとも金銭的な負担だけを考えるならば、祥子さまにとってコタツの一つや二つどうと言うことはない。
けれども、祥子さまとコタツ、というのはなんとなくイメージが合わない。
やはり、今の山百合会でコタツと言われて一番しっくりと来るのは…
祐巳さまだ。
瞳子は自分の頬に赤みが差していることに気付いて慌てて周りを見る。誰もいない。
こんな所、例えば乃梨子さんにでも見られたらたまったものではない。祐巳さまのことなんて、意識しているなんて思われたくない。
考えてみると、祐巳さまがここに持ってきたというのもかなり無理があるような。
一番イメージにしっくりくるとは言え、コタツを薔薇の館のために買うとも思えない。
だからといって、既にあった物をわざわざ持ってくると言うのも不自然だろう。
そこで、瞳子はあることに気付いた。
そういえば、学園内の主要な建物で暖房が完備されていないのはこの薔薇の館だけだ。薔薇の館並みに古い建物は他にもあるけれど、ストーブ等を置いて暖房にしている。まったく設備がないのは薔薇の館だけだ。だから、余っているストーブがあったら優先的に回す、と先生方が言っていたような気がする。
もしかして、これはストーブの代わりだろうか。
代わりと言われても困るのだけれど。
困るのだけれど、実は少しドキドキしている。
瞳子の家は冷暖房完備。コタツなんてない。それどころか入ったことすらない。
「初めてですわ」
誰に話しかけるわけでもなく声が出た。
「でも、何事も経験。演技の勉強ですわ」
コタツに入る演技に需要があるのかどうかは判らないけれど。
とりあえず、瞳子はコタツに入ってみた。
コタツを置いた部分にはどこからか持ってきた絨毯が敷かれていて、直接床に座ることができるようになっている。
電源コードは壁のコンセントまで届かないけれど、用意のいいことに延長コードが添えられていた。
スイッチを入れて、足を差し込む。
じっとしていると、少しずつ暖かくなってくる。
温かくなると、つい卓上に手を伸ばす。身体を伸ばそうとすると、苦しい姿勢になるので、どうせなら、と横になる。
気持ちいい。
コタツってこんなに気持ちのいいものだったのか。
ふと、瞳子は歌の一節を思い出した。
猫はコタツで丸くなる。
それってどんな感じなのかしら?
誰もいないので大胆になったのか、瞳子はもぞもぞとコタツの中に入っていく。
温かい。
猫のように身体を丸めていると、なんだかポカポカと眠くなってくる。
外の寒さを思うと、出たくないような気もする。
なんだか、赤ちゃんみたい…
そう思うと、瞳子は目を閉じた。
だって、眠いのだもの。
「ごきげんよう」
扉を開けた可南子はそのままの姿勢で止まってしまう。
「…コタツ?」
どうしてこんな所にコタツが? それも、ご丁寧に床に絨毯まで敷いて。
近づこうとして、卓上の紙に気付く。
[寄贈]
…こんな物まで寄贈される世界なのね
リリアンに入ってからもうすぐ一年。可南子には未だに計り知れないモノが少なくない。
「そういえば…暖房器具を見ないわね」
瞳子と違ってなんの前情報もない可南子には、この館に暖房器具がないことなどわからない。
「もしかして、これがそうなの?」
コタツに目を落とす。
一瞬、ギョッとして身体が固まってしまう。
コタツの中からにょっきりと足が生えていた。勿論人間の足が。
可南子はそぉっとコタツ布団をめくった。
跪いて中を覗き込んでみると、瞳子が眠っているのだと判る。
「…瞳子さん?」
一体こんなところで何をしているのか。
コタツに潜り込んで、暖かさについ眠ってしまったのだろうか。
猫じゃあるまいし。
可南子は心の中で呟いて、ぶるっと震える。
そう、確かに寒いことは寒いのだから、瞳子の行動もそれほど的はずれな物ではないような気がしてくる。
可南子は、とりあえずコタツに入ることにした。
瞳子を起こさないように、そっと足を差し入れる。
当たり前だけれど、温かい。
座り直して落ち着くと、可南子は窓の外に目をやった。
あの時、あそこに行かなければ今頃ここにはいなかった。
そう思うと、偶然という物は世の中にあるのだなと思う。
今考えると、ずいぶんと恥ずかしいことをしていたと思う。ハッキリ言ってしまえば、祐巳さまにストーカーだと決めつけられても仕方ないだろう。そのまま遠ざけられていたかも知れない。
けれど、祐巳さまは自分を遠ざけなかった。それだけで凄いことだと思う。
逆の立場なら、自分はそれほど寛容にはなれなかっただろう。
今となっては恥ずかしい思い出に無意識に俯くと、瞳子の足が視線に入る。
瞳子は身体がコタツの中で、外に足がはみ出ている。
本末転倒とはこのことだろう。
あるいは、頭隠して尻隠さず。
ごろり、足が動いた。
一瞬、スカートの裾がめくれて可南子は目のやり場に困る。
…女同士なのだから、別に意識しなくても…足なんて、体育の時にいくらでも見慣れているのに…あ、いや、別に瞳子さんの足をいつも見ているというわけではなくて……
自分に自分で突っ込んで自分でフォローしている。見事な空回りの状況。
そっと覗いてみると、瞳子は苦しそうに顔を歪めて汗まで流している。やっぱりコタツの中は暑いらしい。それでも目を覚まさないのはあっぱれと言うべきか。
「瞳子さん?」
声をかけても反応はない。
可南子は小さくため息をつくと、乱れた裾を直すために瞳子のスカートに手をかける。
裾を戻したところで、思い直してもう一度コタツの布団をめくる。
「瞳子さん? 起きた方がよろしいのでは?」
三回名前を呼ぶと、ようやく瞳子が反応する。
「……」
ぼうっと可南子を見て、もう一度目を閉じる。
「……」
そこでハッと目を開く。
「可南子さん?」
慌てて起きあがろうとして、
「危ない!」
可南子の手も届かず、コタツの内側に瞳子は頭をしたたかにぶつけてしまう。起き抜けで自分の状況が咄嗟に判らなかったらしい。
頭を抑える瞳子を、可南子はやや強引に引きずり出した。
「瞳子さん、大丈夫?」
コタツを出たところで尋ねる。
「う…うう……」
頭を抑えながら瞳子は、涙目で可南子を睨みつける。
「起こすなら、もっと優しく起こして下さいまし」
「別に乱暴な起こし方はしてないわ」
「なにかもう少し気の利いた方法があったんじゃありませんの?」
「さあ?」
可南子はわざとらしく余所を向いて肩をすくめる。
「私は声をかけただけですから。慌てて勝手に起きたのは瞳子さんの責任ですよ?」
瞳子は、う、と一言呻いて黙ってしまう。
確かに可南子の言うとおりだった。そもそもコタツの中に上半身だけ入れて眠ってしまうということ自体が奇妙なのだ。それについて可南子が何も言わないだけでもこの場は感謝するべきかも知れない。
「それにしても…」
可南子がニヤリと笑った。
「コタツの中でうたた寝している人は見たことありますけれど、頭を入れて足を出していた人は初めてです」
「コタツに潜ったらたまたま足だけはみ出たんですの! 別にわざわざ頭だけを入れたわけではありませんわ!」
「潜るなんて、そんなにコタツが珍しいのかしら?」
「そ、それは、温かいから、つい…」
「コタツの中なんて臭いだけなのに」
「臭い?」
「…お父さんの靴下とか」
「?」
きょとんとする瞳子に、可南子は首を傾げる。
「臭いでしょう?」
首を傾げる瞳子。
「そんなの臭ったことありませんわ」
「私だってないけれど、コタツの中に入ったら嫌でも判らない?」
「瞳子の家にはコタツなんてありませんから」
「ないって……冬はどうしてるの?」
「全館冷暖房完備ですわ」
そこで可南子は目の前のクラスメートが令嬢だと思い出す。
そう。山百合会では小笠原祥子という超別格の存在で忘れがちだけれども、松平瞳子もれっきとした松平家の令嬢。
「コタツ、ないの?」
「ありませんわ」
「今日が初体験とか?」
「そうですけれど?」
可南子は思った。こんな経験は滅多にない、と。
「それなら納得しました。瞳子さんは、コタツの入り方を間違えています」
「え?」
瞳子は慌てた。コタツの入り方なんてあったのか。確かに自宅にコタツはないし、今まで入ったことはない。父母だって知らないかもしれない。
「入り方、ですの?」
「ええ。別に難しくはないのですけれど、マナーのようなものですわ」
「マ、マナー!?」
マナーだとすれば、守らなければならない。
「いい機会ですから、教えて差し上げます」
「是非お願いしますわ。要らぬ恥をかくところでしたもの」
素直な瞳子の言葉にふと可南子は罪悪感を覚えるけれど、どうせこの場限りで終わらせるつもりなのだ。すネタ晴らしをしてしまえば冗談ですむだろう。
「ええ。簡単なことです」
可南子はコタツの前にしゃがむと、瞳子を手招きする。
そして、やおらスカートをめくる。
悲鳴を上げる瞳子。
「何をなさるんですの!! 可南子さん!」
可南子は涼しい顔で答えた。
「コタツの中ではスカートは脱ぐんです」
「え?」
「というより、コタツには素肌ではいるものなんですよ?」
「素肌……で?」
「ええ。さすがに全裸というわけではありませんけれど、コタツに入る部分だけは肌を出しておくんです」
「で、でも…」
さすがに瞳子は納得できないようだった。
「瞳子さん、サウナはご存じですよね?」
「え、ええ」
「サウナに服を着たまま入ります? コタツだって同じ事です。いわば、小規模な和風サウナなんですから」
「サウナ……確かに、サウナにはいるときは服など着ませんわね」
少し考えて、瞳子は尋ねる。
「でも、リリアンの制服ではスカートだけを脱ぐなんてことはできませんわ」
可南子、慌てず騒がず、
「ええ。ですからスカートをたくし上げて入るのです」
瞳子のスカートの裾に再び手をかける可南子。
「初めで恥ずかしいのは判りますが、最初は皆そうです。特に大きくなってから初めてコタツに入る人だと戸惑うのでしょうね。小さい内から入っている人は慣れてらっしゃるのですけれど」
そう言いながら、スカートの裾をゆっくりとたくし上げていく。
「いいですか。最近では、手間のことがあるので、靴下を穿いたままというのはマナー違反ではないそうですけれど、古風なお宅では靴下も脱ぐようにしているかも知れませんわね」
「そういうものなのですか」
「はい」
もうすぐ下着が見える、というところでさすがに可南子は躊躇した。
これ以上は冗談にしても行き過ぎかも知れない。この辺りが潮時…
と、その時、
「あ、あの、可南子さん……そんなところで止められたら恥ずかしいですわ」
可南子の中でなんか色々なモノがプチッとキレた。
「マナーですから」
するするとスカートを上げる可南子。
「そうですね。せっかくだから厳しい方で行きましょう。瞳子さん、靴下も脱いで下さい。はい、足を上げて。はい、あんよは上手。今のは冗談ですよ?」
扉が開いた。
「………」
「………」
「………」
見つめ合う三人。
「あ、あの、乃梨子さん。これはコタツのマナーで」
「あ、あの、いいのよ。うん。別に二人がそういう関係でも私は別に…。うん。あの、ただ、薔薇の館ではどうかなと思うし、祐巳さまが可哀想かなって言う気も…いや、あの、だから、私は別にそれぞれの嗜好は自由だと思うし…私だって志摩子さんと…いや、そうじゃなくて…あの…だから、ね? 可南子さんと瞳子の関係は二人の自由だし…うん、べつにヤキモチとか、いや、あの、ヤキモチなんて……可南子さんいつの間に! いやそうじゃなくて、私には志摩子さんが…いやそうじゃなくてその…えーと、なんていうか、その……二人の関係が…」
そのうちに「あああああああ」と頭をかきむしり始める乃梨子。
二人は乃梨子を見、そしてお互いを見た。
「さあ、瞳子さん、続けましょう」
「いや、今の乃梨子さん、あからさまに反応がおかしいじゃありませんの!!」
「気のせいですよ」
「絶対に違います!!」
「瞳子さんは、コタツのマナーを知りたくないんですか!」
「だからそれがおかしいって言ってるんですの!」
「コタツのマナー?」
激しくヘッドバンキングしていた乃梨子が、可南子の言葉に反応して近づいてくる。
「これがコタツのマナーなの?」
「ちが…」
瞳子の口を押さえて早口に説明する可南子。
「コタツのマナーは、スカートを脱ぐこと。コタツには素肌ではいること、そうですよね、乃梨子さん」
「そうね、可南子さん」
乃梨子の右手が何故か「グッジョブ!」の形に。
「瞳子。可南子さんの言う通りよ。さあマナー教室の続きよ」
「乃梨子さんまでーーーー!!」
「さあ、早くスカートを。ええい、もういいわ、全部脱ぎなさい!」
「えええええっ!!!」
十数分後、薔薇の館へやってきた祐巳は、コタツから顔だけ出している瞳子と、満ち足りた顔で満足げにお茶を飲んでいる乃梨子と可南子を見たという。