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祐巳さんと可南子ちゃん
 
「夜のプールで」
 
 
 
 遅くなってしまった。
 夏は陽が落ちるのが遅いとはいえ、さすがにこの時間になると辺りは真っ暗だ。
「遅くなってしまいましたね、お姉さま」
 書類の後片づけをしながら、可南子は言う。
「うん。可南子は時間大丈夫だった? 遅くなって家の人が心配しない?」
「はい。連絡はしてありますし、明日は日曜日ですから。それにそもそも…」
 苦笑がついこぼれてしまう。
「母はこの時間ではまだ帰ってきません」
「そうなんだ?」
「はい。母は朝が遅くて夜が遅い仕事を選んでいて…」
 またもや苦笑。
「おかげで、この何年かで確実に家事の腕は上がってしまいました」
「それじゃあ、すぐにでもお嫁さんになれるね」
「ええ、相手さえいれば」
 書類をまとめながら、祐巳がふと首を傾げる。
「…あ、でも、可南子なら、メイドも似合いそう」
「私がメイドですか?」
「うん。メイドの服なんて、可南子に似合いそうだけれど…」
「メイドの服…」
「今度、お姉さまに頼んで借りてみようか?」
「え?」
「小笠原家のメイド服」
「そんなことしたら、また怖い怖い祥子さまに睨まれてしまいます」
 言葉の内容とは逆に、口調は楽しんでいるようだった。
 事実、可南子と祥子の祐巳争奪戦は、二人双方の楽しみにもなりつつあるのだ。
「……」
「お姉さま?」
 祐巳は何か考え事に夢中になっているらしく、可南子の言葉が耳に入っていないようだった。
「お姉さま?」
「……」
「お姉さま!」
「あ……、あ、ごめんなさい。ちょっと考え事を…」
「…メイド服を着た私と祥子さまを両脇に侍らせている所なんて想像してませんよね」
「ええっ!? も、も、勿論よ。そんなこと想像するわけないじゃない」
「でしたらいいんですけれど」
「さ、さあ、片づけは終わった? 帰りましょう」
 二人は外へ出る。
 暑い。
 館の中も、クーラーが来ているわけがないので暑さは変わらないのだが、気分の問題か、より暑くなったような気がする。
「それにしても…暑いわね」
「ええ。この制服、夏はちょっと過ごしづらいですね」
「…ああ、そうか、可南子はこの制服まだ二年目なんだね」
「リリアンは中等部もこんな感じの制服なんですか?」
「タイを別にすれば、ほぼ一緒よ」
 祐巳の言葉に呆れる可南子。
「もう少し、能率という物を考えた方がいいと思いますが」
「まあ、それは今言っても仕方ないし、慣れるとどうにかなるものよ」
「はあ…」
 敷地内とはいえ、夜はやはり暗い。
 二人は寄り添うようにとぼとぼと歩いていた。
「…そういえば、蔦子さんに聞いたんだけれど…ウチのプールって鍵がかかってないらしいのよ」
「え?」
 突然の話題に当惑する可南子。
「普通の学校は、プールの入り口に鍵がかかっているんだって。ところが、ウチはかかっていないのよ」
「…そうなんですか?」
「直接確かめた訳じゃないけれど、蔦子さんがそう言ってたんだよ」
 何故か誇らしげに自慢っぽく祐巳は言う。
「蔦子さまはそういった裏情報的なものはお詳しいですからね。信憑性があります」
 それに、と少し考えて可南子は付け加えた。
「リリアンは敷地内に入ることがそもそも難しいですから。貴重品でない限りは、敷地内でもう一度鍵をかける必要もないのでは?」
「そっか。さすが可南子。賢いね」
 祐巳がニコニコと頭を撫でる振りをすると、可南子は頬を赤らめてわざとそっぽを向く。
「お姉さまはいつもそうやって子供扱いするんですから」
「じゃあ、大人扱いがいいの?」
「え?」
 思わず振り向いた可南子の首を抱き、やや強引に近づくと頬にキス。
「ん…大人扱い。これでいい?」
「お、お姉さまっ!」
 聖さまの超スキンシップスキルを継承した祐巳にとって、この程度はどうということはない。
「大人の挨拶だよ、可南子」
 あくまでニコニコと微笑む祐巳に、可南子は毒気を抜かれて黙ってしまう。
「…お姉さま、いつもそうやって誤魔化すんだから…」
 可南子はそっぽを向くけれど、頬は赤く染まっている。
 クスクスと笑う祐巳は、ふとプールのある方向に目をやった。
「そうだ、可南子。プール入ってみようか?」
「え? こんな時間にですか? えーと……フィットネスなんかの室内プールなら開いているところもあるでしょうけれど」
「違う違う。学校のプールだよ」
「え? でも…」
 たじろぐ可南子の反応が正しい。けれど祐巳には、思いこんだら結構頑固なところもある。そして祐巳が強行すれば、可南子に逆らえるわけもなく。
「よし、行こう」
「祐巳さま!」
 なんだかんだ言っても大切に育てられている祐巳と、リリアンバスケットボール部エースの可南子とでは力の差は歴然としているのだけれども、可南子は当たり前のように祐巳に引きずられていく。
「プールって言っても、水着なんてありませんよ!」
「体育のスパッツがあるじゃない。あれを穿けばいいよ。泳ぐって言うより水に浸かりたいだけなんだし」
「で、でも、胸はどうするんですか、胸は!」
「胸……?」
「それに、タオルなんて一枚も持ってないですよ。濡れた後どうするんですか」
 ピタリと止まる祐巳。引きずられていた可南子はその隙に体勢を整えて、カバンを持ち直す。
「さあ、帰りましょう。お姉さま」
「ちょっと待って、可南子」
 なにやら思い出そうとでもするかのように、首を傾げて宙を仰ぐ祐巳。
「……タオル…タオル……あ!」
 祐巳は妖しく笑いながら、可南子の手を再び握り直した。
「タオルなら薔薇の館の一階倉庫にたくさんあるよ」
 可南子も思い出した。
 祥子さまが、大量のタオルを館の一階に持ち込んでいたのだ。
 確か……小笠原系列のとある会社の記念品として名前入りのタオルを大量発注したら、業者の手違いで誤字があったので使い物にならないタオルが大量に余ってしまった、と。
 それで、そのうちのいくらかを、何かに使えればと言うことで持ってきていたのだ。
 確かに、タオルは腐るものではないし、長期間放っておいても特に困らない。それに、無ければ無いでなんとかなるが、あればあるで何かに使うものだ。
「わかりました」
 可南子は我慢強く続ける。
「タオルの件は解決しましたけれど、水着の件は解決していませんわ。スパッツはいいとして、どうやって胸を隠すつもりです? まさか、ブラジャーをつけたままなんて言いませんよね。上半身まで体操服だと後始末が大変ですし…」
 ギクッ、と可南子の表情が変わる。
「まさか…いくらなんでもセミヌードは嫌ですよ?」
「…さすがにそれはね。そこまでは言わないよ」
 ホッと胸を撫で下ろす可南子。時々、祐巳は暴走する。そうなると可南子は止められない。もっとも、暴走を望んでいる部分も自分の中にあったりして、それはそれで結構複雑なのである、可南子も。
「でも、タオルがあるならね…」
「お姉さま?」
 
 
 十数分後、首尾良くプールに侵入した(やはり鍵は閉まっていなかった)祐巳が、誇らしげにフールサイドに立っている。
 スパッツをはいて、上半身には………
 ………………
 胸にタオルを巻いている。
「ふふふ、これならチューブトップみたいで恥ずかしくないでしょう」
 可南子の返事はない。
「可南子? まだ着替えてないの? 往生際が悪いなぁ」
 可南子が着替えているシャワー室へ向かおうとすると、ひょこっと可南子が顔を出す。
「あの、お姉さま?」
「どうしたの?」
「このタオル、普通より短くありません?」
「ううん、別に…?」
 首を傾げる祐巳と、それを哀しそうに見つめる可南子。
「あの…一枚だと届かなくて…」
「え?」
 目を細め、可南子の顔と自分の胸元を見比べ、そして祐巳はニコリと笑った。
「可南子、大きいんだね」
「そんなはっきり言わないでくださいっ」
「じゃあ二枚を繋げれば?」
「それが、うまくいかなくて」
「仕方ないなぁ」
 祐巳がシャワー室にはいると、可南子は無防備に背中を向けた。
「みな同じ長さのタオルなので、二枚を繋げるしかないんですけれど……祐巳さま?」
「ねえ、もうこの際、私だけしかいないんだから、トップレスでプールに入ったら?」
「な、何言ってるんですかっ!」
「駄目?」
「そんなの駄目に…」
 もう一度、「駄目?」と聞きながら祐巳は小首を傾げて可南子を見上げる。
「…お、お姉さま。そんなポーズとっても駄目です」
「ねえ、可南子ぉ」
「駄目ですっ!!」
「ケチ」
「そういう問題じゃありませんよ」
 ようやくタオルを二本繋ぐと、可南子それを胸に巻く。
「あ、可愛い」
 機嫌を直してにっこり笑う祐巳と、やれやれと言った顔ながらも頬を染めた可南子がプールサイドに出て行った。
 
 
「暑いときはプールに限るわね」
「…もおいい加減にしてくださいよ。お姉さま、OBとして後輩を指導なんて、実はただでプールに入りたいだけじゃないんですか?」
 三奈子は真美の指摘にも動じない。
「それじゃあ、真美だけ帰ってもいいわよ? 私は日出実ちゃんとたっぷり涼んでいくから。ね、日出実ちゃん」
「あ、あの、三奈子さま。…私は真美さまが帰るのなら一緒に…」
 ムッとした顔の三奈子。けれど、すぐに仕方ないと思い直す。
「わかったわよ。卒業したお婆ちゃんは一人でプールに入って溺れてしまえばいいのね…しくしく」
「お姉さま、何もそこまで」
 真美は、蔦子から聞いた「プールに鍵はかかっていない」という情報を三奈子に伝えてしまったことを少し後悔していた。
 けれど、そこで日出実がフォロー。
「三奈子さま、三人で一緒に入りましょう。今日は私も水着を持ってきていますから」
 その言葉を待っていましたとばかりにニヤリと笑った三奈子は、二人を両脇に抱えるようにして言う。
「それじゃあ行きましょうか。真美、私ね、新しい水着買ったのよ」
「って、これだけのためにですか!?」
「これだけって…真美に見せようと思ったのだけれど」
「あ……」
 頬を染めてうつむいてしまった真美と三奈子の間に、強引に日出実が身体を入れた。
「お姉さま、実は私も今日は新しい水着なんですッ!」
「日出実ちゃんは新しいスクール水着なの?」
「違いますッ!」
「二人とも喧嘩はしないで。騒いでいると警備員が来てしまうわ」
 真美の言葉に二人は口を閉じ、何故か忍び足になってプールへ向かう。
 実はこの三人、常習犯だった。
「プールと言えば、リリアンのプールは戦前からあるって本当でしょうか?」
 日出実の質問に、三奈子は訳知り顔で答える。
「リリアン自体が戦前からあるのだから、プールが戦前からあっても不思議ではないけれど…少なくとも補修や改築はしているでしょうね」
「私たちのクラスでは、戦時中の空襲で水を求めてプールに集まった被害者の霊が出るってもっぱらの噂なんです」
「面白いじゃない。幽霊が出てきたらリリアンかわら版で独占インタビューよ。で、どんな幽霊なの?」
 さすがはお姉さまだと真美は思った。正直真美は幽霊の類が大嫌いだ。スクープだとしても勘弁して欲しい。
「長い髪を身体中に張り付かせた、背の高いやせこけた幽霊だって…」
 さすがリリアン、幽霊まで女なのか。
 真美は再び感心した。
 今の日出実の話だと、そう、まるでプールサイドに立っている……
「ひぃぃっ!!!」
 叫び、指を差す真美。
 三奈子と日出実がその方向を見た。
 濡れた姿で佇む長身長髪の女。
「出たーーーーー!!!!」
 悲鳴を上げてガクガクと震える日出実。真美もパニックになっている。
「やぁあああああ!!!!」
 気合いだか悲鳴だかわからない声をあげながら、それでも三奈子は真美と日出実の制服の襟を掴み、無理矢理引きずるようにして走り出した。
 勿論、プールとは逆の方向へ。
 
 
「今の……真美さまと日出実さん?」
 可南子の横で、祐巳も首を傾げていた。
「それと…三奈子さま?」
 
 
 休み明けの月曜日、祐巳が登校すると蔦子が密かに声をかけてくる。
「祐巳さん祐巳さん。土曜の夜、プールに入ったでしょう?」
「あ、わかる?」
「それも可南子ちゃんと」
「う、うん」
「実はね…」
 夜になるとプールに勝手に入る者がいる。
 生徒が水遊びをする程度なら目くじらを立てるほどの事ではないかも知れないが、何か事故があってからでは遅い。
 だからといって監視員を立てれば、監視員がいない好きに入ってくるだけだろうし、四六時中監視員を付けるわけにも行かない。
 そこで蔦子は密かに隠しカメラの設置を頼まれた。音に反応して撮るタイプの暗視用カメラである。
 犯人を捕まえてどうこうというわけではなく、あくまで事故が起こらないように注意するためだと言われ、蔦子は承諾した。
 そして、日曜日の朝に回収してみると…
 月曜から金曜までは三奈子、真美、日出実。そして土曜の夜は可南子と祐巳が写っていたという。
「まあそういうことだから…」
「あの、蔦子さん?」
「はい?」
「プールの鍵が開いていることを教えてくれたのは蔦子さんだと思うけれど?」
「そうだったかしら?」
 まさか…。
 祐巳は尋ね続ける。
「もしかして、真美さんにも教えた?」
「なんのことかしら?」
 手を差し出す祐巳。
「蔦子さんのことだから外に出すことはないと思うけれど…」
「…可南子ちゃんの写真なら、全部引き渡すわよ。勿論、フィルム代と現像代、あとできれば+αも欲しいけれど」
「…交渉成立ね」
「毎度あり」
 
 同じ頃、笙子が可南子と同じ交渉をしていたりする。
 勿論そちらの材料は祐巳の写真。 
 
 そしてその日の昼休み。
 リリアンかわら版号外
「リリアンのプールに戦時中の亡霊がっ!?」
 が配布されたのは言うまでもないだろう。
 
 
 
 
あとがき
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