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祐巳さんと可南子ちゃん
 
「お姫さま抱っこ」
 
 
 
 薔薇の館では、ちょっとした調べものの真っ最中。
「去年も同じ行事はあったのだから、資料はあるはずなのよ」
「多分、棚の上のダンボールの中じゃないかな」
「ここ?」
 由乃が椅子の上に乗って背伸びする。
「危ないよ、由乃。ちゃんと脚立を使わないと…」
 令が慌てて椅子をしっかりと支える。けれど、逆に令が椅子を触った反動で由乃のバランスが崩れてしまう。
「あっ!?」
「危ない、由乃!」
 椅子の上から倒れる由乃を抱きとめる令。
 令に抱きとめられる前に椅子から離れた由乃は、お尻から受け止められることになった。
 そして、まるでお姫様抱っこのような体勢に。
 由乃は、無意識に令の首元にすがりついている。
「よ、由乃…」
「令ちゃん…」
 咄嗟のことに頭が回らず、ただ、この体勢になってしまったことだけを意識して見つめ合う二人。
 あらあら、と二人を見つめる残りの一同。
「ごほん」
 瞳子の静かな咳払い。
「令さま。早くお降ろしにならないと、由乃さまもご迷惑ですわ」
「そうかな」
 すっと腕を下ろしかけた令だが、瞳子の表情を見てイタズラっぽくニヤリと笑う。
「んー。でも、由乃はどうなのかな?」
「え?」
 令は、由乃に顔を近づける。
「由乃は、降ろして欲しいのかな?」
「え、え…」
 珍しくハッキリしない由乃。と言っても、この状態で毅然とした態度を取るのはたいそう難しいに違いない。
「由乃が降ろして欲しいのなら、私はいつでも降ろしてあげるよ?」
 囁くように、由乃の頬に吐息を浴びせながら、令は尋ねる。
「どうなの? 由乃?」
「…」
 由乃は無言で令にしがみついた。
「…な、何言ってるのよ。令ちゃんが勝手に私を抱っこしたんじゃないの。だから、罰として、令ちゃんが降りろッて言うまで降りてあげないからねっ!」
「じゃあ、言わない」
 クスクス笑いながら、令は由乃を抱いたままテーブルに向かって歩き始める。
「令さま! お姉さま! こんなところで…そんな……ふしだらですわ! 不純ですわ! 早く、降りて下さいッお姉さまッ!」
「ちょっと、何興奮しているのよ、瞳子」
 由乃が鼻白んだように言うと、瞳子は両手を口元で丸めて懸命に訴える。
「だって、お姉さまと令さまが…」
「瞳子ちゃん、羨ましいの?」
 祐巳が尋ねた。
「まあ、お姫様抱っこは、女の子の最大公約数的な確かに憧れですからね」
 こんな話題でもクールに分析してみせる乃梨子。
「ということは、乃梨子ちゃんもされてみたいんだ?」
「う…で、でも私は…」
 チラリと志摩子を見る乃梨子。
 由乃と令はかなりの別格である。剣道部で日夜鍛えている令と、元々病気がちだったためにあまり重くない由乃。この二人だからこそできると思っていい。
 そもそも志摩子では乃梨子を担ぎ上げることはまず無理だ。
 乃梨子の視線に気付いた志摩子は、ニッコリと首を傾げる。
「…ごめんなさい、乃梨子。私には乃梨子を抱えたままいられるような腕力はないもの」
「ううん。気にしないで、お姉さま。令さまが特別なだけだもの。それに、私だけってわけじゃないもの。志摩子さんだって、してもらえないわけだし」
「あら。私は結構してもらっていたわよ」
「え?」
「今でも、頼めばしてくれると思うわ」
「ええっ!?」
 乃梨子は祐巳を見て、祐巳は祥子を見た。
 祥子は首を振っている。
 …聖さまがそんな力持ちなんて、聞いたこと無いわ。
「小さい時からいつも抱っこしてくれたもの」
 聖さまではないらしい。
 不審な顔の一同に、志摩子は首を傾げる。
「お兄さまの話だけれども…」
「あ、お姉さまのお兄さんか…って、今でも!?」
「多分、頼めばやってもらえると思うのだけれとも。あ、良かったら乃梨子も?」
「…遠慮します」
 慌てて辞退する乃梨子の横で、祐巳は考え込んでいる。
「祐巳さん?」
「祐巳さま?」
「…ねえ志摩子さん。私も頼んだらやってくれるかな?」
「ええ。きっとしてくれると思うわ」
 ちょっと待て、と言いたいのを堪えて乃梨子は別の質問を。
「祐巳さま…お姫様抱っこされたいんですか?」
「うーん。なんていうか、やっぱり女の子としては憧れちゃうかなぁって…」
「それはそうですけれど、会ったこともない男性にしてもらうというのはちょっと…」
 祐巳は苦笑していた。
「うう、まあね。でも、志摩子さんのお兄さんって、話に聞くだけでも何となくがっしりとして力はありそうだから」
「…祐巳さまには確か年子の弟さんがいらしたのでは?」
 言われて祐巳は想像する。
 祐麒にお姫様抱っこされた自分。
 うわ。
「…祐麒にされてもねぇ……」
 祥子が何か言いたげに祐巳の背後に回った。
「お姉さま?」
 無言で祐巳の肩に手を置くと、そのまま腰の辺りまでを撫でるように手を動かす。
「ひゃうっ! お姉さま!?」
「じっとしていなさい、祐巳。はしたなくてよ」
 そう言われても、突然こんなことをされてくすぐったがらない方がおかしいと祐巳は思う。
「お、お姉さま、一体?」
「じっとしてなさい、祐巳」
 祐巳は背後で祥子がしゃがみ込んだ気配を感じる。
 …お姉さま、もしかして?
「祐巳、動かないでよ」
 祥子の手が祐巳の背中と膝に回される。
 歯を食いしばるような祥子の呻き。祐巳は身体か浮くのを感じた。
 ぐらりと揺れる視界。
 やっぱり無理があった。祥子では祐巳を抱っこすることはできない。けれども実際試してみてから気付いても遅いわけで。
「きゃあっ!」
「お姉さまッ!」
 バランスを崩して倒れかけた祥子は、突然両腕にかかっていた重みが消えたことに気付いた。
 そして祐巳は、再び自分が浮いていることに気付く。
「…祥子さま、日頃鍛えているわけでもない人間が、人一人を支えようとするなんて無茶ですよ」
「可南子…」
 可南子が祥子の手から祐巳の身体を奪っていた。
「大丈夫ですか? お姉さま」
「うん。ありがとうね、可南子」
 祐巳を抱き上げたまま、祥子を見下ろす可南子。
「祥子さま、気持ちはわからないでもないですが、無謀です。祥子さまには無理ですわ」
 悔しそうに、祥子は可南子を睨みつける。
「可南子ちゃんは、鍛えているのね」
「はい。こんなこともあろうかと。それに、いざ事ある時にお姉さまをお守りするのは私の役得、いえ、役目ですから」
「あ、あの、可南子、もうそろそろ…」
 もじもじと、祐巳は言う。
「いえ。ここで降ろして、またどこかの不心得者が自分の非力も弁えずに祐巳さまを抱き上げようとすると大変ですから」
 聞こえよがしの可南子の言葉に祥子は眉を吊り上げる。しかし、祐巳を落としそうになったのは事実なので何も言えない。
 
 一方、由乃は令の腕から降りていた。
 降りる理由もつもりもなかったのだけれど、自然の欲求には勝てない。
 由乃が手洗いに向かうと、令はニッコリと瞳子に微笑みかける。
「もしかして、瞳子ちゃんもして欲しい?」
「瞳子が? 令さまにですか?」
「瞳子ちゃんなら、由乃より軽いかも知れないし、大丈夫だよ?」
「あ、でも…」
 拒否の態度を見せながら、瞳子はじわじわと令に近づいていく。
 見事なタイミングで令は瞳子を捕まえた。
「はい、捕まえた。ほら、瞳子ちゃんじっとして」
 よっ、と瞳子を抱き上げる令。
「ほら、瞳子ちゃん」
 くるりと回って見せながら、令は囁いた。
「どうかな、瞳子ちゃん」
 そこはミスターリリアンに選ばれただけのことはあり、令がその気になって囁けばほとんどの女性は陥落する。勿論、瞳子も例外ではない。
 赤く染まった頬で、決まり悪げに由乃の出て行った扉をちらちらと見ている。
「由乃のことが気になるの?」
 令の顔が急接近。瞳子は頬どころか顔全体を真っ赤に染めてしまう。
「気にしなくていいよ。第一、由乃じゃ瞳子ちゃんを抱っこなんてできないもの」
 瞳子は何も言えず、かくかくと頷いている。
「瞳子さんも、隅に置けないわね。由乃さまを差し置いて黄薔薇さまと浮気だなんて」
「な、な、な、何を仰るんですか、可南子さん! と、瞳子は、浮気なんてっ!」
「それにしては嬉しそうだけれど」
「…馬鹿言わないで下さいまし! お姉さまのお姉さまと仲良くするのは、いけないことではありませんわ!」
 猛抗議の瞳子に、令はクスクスとほくそ笑む。なんだかんだ言ってもやはり黄薔薇の系譜。直接の幼馴染みであって何もかもわかり合っている由乃と違って、瞳子に対しては江利子直伝の悪戯心が湧き上がるらしい。
「じゃあ、もっと仲良くしようか?」
 とっておきの微笑みを瞳子の直前に持っていく。
 あわあわと口をパクパクさせる瞳子。上気した頬は爆発寸前の様相だ。
「やっぱり瞳子さん、嬉しそう」
 瞳子の矛先は宿敵兼親友の可南子に向けられる。
「可南子さん、そんなこと言って本当は羨ましいんでしょう!」
「え?」
「祐巳さまはおろか、祥子さまも、さらにはいくら令さまでも、可南子さんを抱っこするのは難しそうですもの」
「!」
 何か言いかけて、絶句する可南子。
 確かに。
 体型はスレンダーだ。けれども、身長差はどうしようもない。例え太っていなくても、身長差はそのまま体重差になる。仮に体重がさほど変わらないとしても、長い背は重心が取りづらい。
 単純に可南子の体重分を支えることができたとしても、お姫様抱っこは難しいだろう。
「可南子さん、本当はお姫様抱っこが羨ましいんでしょう?」
「う……」
 立ちつくす可南子の腕の中から、祐巳はすとん、と飛び降りた。
「瞳子は、こうやって黄薔薇さまにしてもらえますもの」
「うう…」
 静かに激しく悔しがる可南子の背後で、祐巳が祥子の肩をとんとんと叩く。
「お姉さま、ご相談が」
「なに?」
「実はちょっと、考えが……」
 祐巳はひそひそと相談。祥子は驚いた顔で聞き終えると腕を組んで考え込んだ。
「確かに…それはそうなのだけれど、実際やってみないことには何とも言えないのではないかしら」
「やりましょう、お姉さま」
「でも…」
「紅薔薇姉妹の結束の力です!」
「け、結束の力?」
「はい。結束の力を今こそ!」
 祐巳の力強い断言に押し切られたように祥子は頷いていた。
「わかったわ。やりましょう、祐巳」
 背後の会話を訝しんだ可南子が振り向いたと同時に、二人は行動を起こした。
「可南子ちゃん、じっとしていてね」
「可南子、じっとしていてよ」
 可南子の背後に回りこむ祥子。祐巳は可南子の足下にしゃがみ込んだ。
「行きますよ、お姉さま」
「ええ、よくってよ、祐巳」
 祥子が可南子の両脇から手を入れ、持ち上げる。
 同時に祐巳が可南子の両足を掴み、小脇に抱えて持ち上げた。
「きゃあ!」
 宙に浮く可南子の身体。
「ちょっと反則かも知れないけれど、お姉さまと二人がかりなら可南子を抱っこできると思うのよ!」
「ゆ、祐巳さま!」
 そこへ戻ってきた由乃が、目を丸くして言った。
「祐巳さん。可南子ちゃん誘拐してどうするの?」
「へ?」
 確かに、お姫様抱っこと言うよりも、どう見ても女子高生拉致の図である。
「……」
「……」
 顔を見合わせて、ゆっくりと可南子を降ろす二人。
「…えーと…可南子?」
 可南子は呆れたように祐巳を見つめている。
「……さすがに今のは驚きました、お姉さま」
 祐巳はニッコリと笑う。
「ああ、やっぱりこの計画には無理がありましたね、お姉さま」
「ええ、そうね」
 祐巳は首を振る。
「大丈夫です。お姉さまだって人間ですもの。間違えることだってあるって可南子もわかってくれますよ。元気出して下さい、お姉さま」
「そうね……え?」
 いつの間にか自分のせいにされていることに気付く祥子。
「はい。それはわかってます。勿論私は気になんてしてません、紅薔薇さま」
 何故か犯人小笠原祥子説が成立している。
「……あ、ありがとう、可南子ちゃん」
 そう答える祥子の瞳には光るものが滲んでいたとかいなかったとか。
 
 翌日、薔薇の館にやってきた黄薔薇姉妹と紅薔薇姉妹は揃って目を丸くした。
「…乃梨子ちゃん、志摩子さん、何してるの?」
 代表として質問する祐巳に、志摩子はにっこり笑う。
「ああ、祐巳さん。昨日、乃梨子と相談して、家にたくさんあったから持ってきてみたの」
 そう言われても、乃梨子が励んでいるのは、どう見ても大工仕事。
 柱に釘を打っている。
「……丑の刻参り?」
 由乃の言葉に可南子が否を唱える。
「由乃さま、時間が早すぎますわ。それに、丑の刻参りは余人に見られては効き目がないどころか術者に怨念が還って来かねないのです。ですからこんな人目の多いところではまず行いませんわ」
「……可南子、詳しいね」
「…昔取った杵柄です」
「何してたのよ!」
「それは…お聞きにならないほうがいいかと」
「…聞かなかったことにするわ」
「賢明です、お姉さま」
 そうこうしているうちに、志摩子は大きなずだ袋を取り出した。
 中から姿を見せたのは…
「網?」
「網…ですね」
「いやあれは……あ、ハンモックだよ」
 令が何事かを悟って志摩子を手伝いに駆け寄る。
「志摩子と乃梨子ちゃんの考えていることがわかったよ。なるほど、これなら何とかなりそうだね」
「はい。一組だけではないですから、何組も同時に使えますよ」
「用意がいいんだね、というか、志摩子の家にそんなにたくさんハンモックがあったの?」
「昔、まだ私が小さい頃は、たくさんの方が家に泊まられることが多かったそうで、その頃に父が面白がって買いそろえていたそうです」
「ふーん。ここに持って来ちゃって良かったの?」
「ええ。最近では余所の方が多く泊まることは滅多にありませんし、ハンモックを喜ぶような人はもうほとんどいらっしゃいませんから」
 なんだかわからないが、令が手伝うのなら、と言うことで手伝い始める由乃と瞳子。そして、じっと見ていても仕方ないので手伝い始める可南子、祐巳、祥子。
 準備は整い、ハンモックが釣られた。
「それで、これをどうするの?」
「じゃあ乃梨子」
 パフパフと、スカートの埃を手で払いながら立ち上がる志摩子。
「試してみてね」
 志摩子は、慣れた動作でハンモックに飛び乗ると、そのまま横になった。
「お願い、乃梨子」
「ハイ、お姉さま」
 乃梨子はややぎくしゃくと、緊張した面持ちでハンモックに近づいていく。
「行きますよ、お姉さま」
「ええ、乃梨子」
 ハンモックの下に手を差し込んで、乃梨子は力を込めた。
 勿論、志摩子を完全に支えるのは無理だけれとも、ハンモックのおかげで地面に落とすことはない。
 そう、それはまさに、「お姫様抱っこ補助器」
 ようやく理解した一同は、早速別々のハンモックを確保する。
 可南子をお姫様抱っこする祐巳と祥子。
 瞳子と由乃も、替わりばんこに令を抱っこしている。
 
 本日の薔薇の館、お嬢様抱っこ大会。
 
 翌日、新聞部と写真部にも伝染したことは言うまでもない。
 
 
 
 
あとがき
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