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SWEET&BITTER
「祐巳さんと可南子ちゃん」編
 
 
 
 お弁当を食べ終わって、薔薇の館から出て、校舎に戻る途中に一年生達が待っていた。
「ご、ごきげんよう、祐巳さま」
「ごきげんよう」
 挨拶を返してから、祐巳は目の前の一年生達に見覚えがないことに気付く。
「えっと……」
 三人並んだ内の一人が、残りの二人に肘でつつかれるように押し出されると、小さな包みを差し出した。
「あ、あの。これ、私たち三人からの…」
「バレンタインのチョコレートというわけですか…確か、松組の明穂さん、恵さん、泉美さん」
 三人の背後からニュッと手を出して包みを受け取ったのは可南子。
「あ、それは」
 抗議するような視線と口調に、可南子は宥めるように言い返す。
「取り上げたりはしません。今の間、預かるだけです。ほら、お姉さまが貴方達に言いたいことがあるそうですよ」
 その言葉に三人は慌てて祐巳のほうに向き直る。
「うん。安心してね。可南子には預かってもらうだけで、ちゃんと私が受け取るからね」
 ニッコリと笑って、三人の手を順番に取る。
「ありがとう…明穂ちゃん、恵ちゃん、泉美ちゃん」
 猫の鳴くような奇声。声にならない声を挙げて三人は重なるように膝を崩し、頬を真っ赤に染める。
「あああ、祐巳さま…」
「素敵…」
「なんて…お可愛らしい…」
「廊下の真ん中で邪魔ですよ」
 可南子が三人を廊下の片隅に押しやり、祐巳にチョコレートを渡すと、手帳を開く。
「一年松組、御堂明穂、千日恵、四橋泉美…これで今日になって一年生だけで12人目ですね」
「あは…御免ね、可南子」
「お姉さまが謝ることではありません。それに、私は別に気にしていませんから」
「んー。それはそれでちょっと寂しいかな」
 悪戯っぽく目を輝かせる祐巳と、その言葉に頬を染める可南子。
「私は、由乃さまや瞳子さんみたいに嫉妬深くありませんから」
「でも、少しは嫉妬してくれると嬉しいな」
「な…、何を仰るんですか、もう…」
「うふふ。さあ、このチョコレートを薔薇の館にもどって、置いとかなきゃ…」
「私が持っていきますから。お姉さまは午後一番目の時間は体育なのでしょう? 早く着替えないと」
「あ、本当だ。…って、どうして可南子がそんなこと知ってるの?」
「私が覚えておかないと、いつもギリギリで忘れてた、って慌てるのはどなたですか?」
「だって、お昼休みは可南子に会いに来たいじゃない。一緒にご飯も食べたいし。だから、どっちにしても着替えるのはギリギリなんだよ」
 祥子さまが聞くと脳天からマグマを吹き出しそうな台詞を、あっさりと自然体に放つ祐巳。
 可南子は可南子で、照れてしまって何も言えない。
「それじゃあ…」
 祐巳がその場を立ち去ろうとしたとき、
「ごきげんよう、紅薔薇のつぼみ」
「あ、ごきげんよう」
 今度は二人組の一年生。
 可南子は心の中で小さく溜息をつくと、再び手帳を開く。
「一年桃組、谷町博子、長堀津留美…14人目ね…」
 あくまでもにこやかに対応する祐巳を見ながら、心の中で今度は大きな溜息。
(誰にでも優しい…。そんな所も、好きなんだけれど…)
 贅沢かな、と思うこともある。
 お姉さまの視線を自分だけに向けていたいなんて。
 けれども、それは駄目。
 もう一度、同じ間違いを犯してしまいそうになる自分が怖いから。
 可南子は手帳を閉じると、持参していた紙袋に詰めたチョコレートを薔薇の館へと運ぶ。
 チョコレートを置き、館を出ると、また一年生がいた。
 誰だろう?
 普段からお姉さまの回りに出没しているような一年生はチェックしているけれど、ここにいるのは始めて見る顔。
 もっとも、今まで思い詰めていて、今日になって一大決心するような子もいないわけではない。
「…ごきげんよう」
「なに? お姉さまなら、もう教室に戻られたわ。紅薔薇さまも、黄薔薇さまも白薔薇さまも、由乃さまももういないわよ」
「あ、あの、違います」
 それなら、答は二者択一。一年生ながら、人気のある二人だ。
「あらそう。それなら…乃梨子さんも瞳子さんも教室よ。残念だったわね」
「違います」
 彼女は、可南子をじっと見つめて一歩踏み出す。
「貴方…?」
「可南子さん。これ、もらってください」
 掌二つ分くらいの大きさの、真っ赤な薔薇の描かれた包装紙に包まれた箱。
「え? 私に?」
「はい。運動会の時から、ずっと見てました。あの…可南子さん、とてもかっこよくて…私、可南子さんの走る姿に見とれちゃって…長くて、あ、いや、髪が長くて綺麗で…あのそれだけじゃなくて足とか背も…高くて、私見とれて…あの…」
 どうしよう。
 そんな思いが先に立つ。
 こんな時、どうすればいいのか。
 考えたこともなかった。渡す方ならまだしも、もらう方だなんて。
「わ、私、一年菊組、堺千里です」
「そう。さかい、ちさと、さんね?」
「はい」
 続ける言葉に可南子が悩んでいると、予鈴が鳴り始めた。
「急がないと、午後の授業が始まるわよ」
 走り出す可南子、それを追うように走り出す千里。
 ところが、転んでしまう。
 放っておく訳にもいかないので、手を貸す可南子。
 可南子の午後の授業は音楽で、音楽室へは一旦教室に戻るよりも真っ直ぐ行ったほうが早い。
 こんな事もあろうかと、昼休みの内に教材は音楽室に置いていたのだが、それが裏目に出るかもしれない。
 教材だけが置いてあって本人がいない状態というのは、かなりみっともないのだ。
「ほら、早く」
「ああん、ごめんなさい、可南子さん」
「いいから急いで!」
 
 
「こ、これは……」
 写真部に呼ばれた由乃さんは、蔦子さんの出した写真を食い入るように見つめている。
「どう思う? これは祐巳さんには見せられないと思うのだけど」
 写真は、可南子ちゃんと別の一年生が手を繋いで走っている姿。
 可南子ちゃんが一年生から何かを受け取っている姿。
「これ、いつのもの?」
「今日の昼休み。急いで現像したのよ」
 そんな時間がどこにあったのか、とは由乃さんは聞かない。それはリリアン女学園の七不思議の一つ。触れてはいけない領域なのだ。
「祐巳さんは焼き餅を焼くようなタイプには見えないけど…」
「それは私もそう思う。だけど、可南子ちゃんのほうが嫌がるかな、と思って」
「それだったら、私より乃梨子ちゃんや瞳子に聞くべきね。可南子ちゃんと親しいのはあの二人だもの。で、本人には聞かないの?」
「本人が他人に秘密にしたいのかどうか、確信が無くて」
「ふーん。ちなみに瞳子よりは乃梨子ちゃんのほうが口は堅いわよ」
「そうなの」
 頷いて、由乃さんは一つ大きな伸び。
「もっとも、可南子ちゃんのことなら二人とも協力してくれると思うけどね。乃梨子ちゃんは喜んで。瞳子は嫌々と言いながらその実、喜んで」
「うーん。それじゃあ、笙子に聞いた方がいいかな…」
 結局、二人の心配は杞憂のものになった。
 なんのことはない。
 あっさりと、祐巳さんはそれを知ってしまったのだから。
 その頃、薔薇の館では……
「全部お断りしたよ」
「もったいないですわ」
「私には志摩子さんがいるもの」
「受け取るくらい、いいと思いますけど」
「ケジメはきちんと付けるの」
「乃梨子さん、堅いですわ」
「瞳子が軟派すぎるのよ」
「そんなことありませんわ」
 瞳子は大きな袋を一つ抱えていた。
 (演劇部員としての)瞳子のファンだという一年生達からのチョコレートだ。
「由乃さまが知ったらどうするかしら」
「それは心配ありませんの。このことはちゃんとお姉さまも知ってらっしゃいますから」
「由乃さまが? 意外ね。なんだか由乃さまは焼き餅を焼きそうなタイプに見えていたけれど…」
「令さまがおモテになっていましたから、慣れてしまったとお姉さまは仰ってましたわ。それにこの程度の数ならば、お姉さまが受け取るチョコレートの数には及ぶわけないですもの」
「志摩子さんは、私以外、誰からのチョコレートであろうと受け取らないわよ。唯一の例外が聖さまだから」
「ま、それはそれで羨ましいとだけ言っておきますわ」
「素直じゃないんだから」
「瞳子はいつでも素直ですわ」
 そこで声を潜める瞳子。
「それより乃梨子さん。可南子さんの噂を聞きましたか?」
「…ええ。聞いたわ。あの話、本当なのかしら?」
「わかりませんが、火のない所に煙は立たぬと言いますわ。誤解されたにしろ、何か原因となったことがあるはずです」
 噂。
 細川可南子の不倫疑惑。
 可南子と千里の姿は、別の一年生に目撃されていたのだ。そしてその一年生が、紅薔薇のつぼみの信奉者だったことで話しが少しややこしくなった。
 それでも、可南子と祐巳のバカップルぶりは二年生以上には有名な話なので、それほど噂が広がるわけがなかった。
 けれどもこの場合、たった一人に伝わればいいのだ。
「乃梨子ちゃん、瞳子ちゃん、ちょっといい?」
 いつになく厳しい表情の祐巳が、二人に有無を言わせない口調でどんと座る。
「一年菊組の堺千里って何者?」
 ついさっきまで噂話の材料になっていた名前だった。
「ゆ、祐巳さま、その名前をどこから」
「知っているのね、乃梨子ちゃん」
 ゆらりと立ち上がる祐巳に、乃梨子は身の危険を感じて思わず言う。
「全て瞳子が知っています」
「乃梨子さん!?」
「それじゃあ、瞳子ちゃん、知っていることを話してもらおうかしら」
「し、知りません! 瞳子は何も知りません!」
「うふふふふ。瞳子ちゃん、素直になったほうが身のためだよ」
「し、し、知りません…」
「それじゃあ久しぶりに行こうかな」
 祐巳の手が瞳子の脇腹に伸びる。
 福沢祐巳、必殺くすぐり責め。この攻撃に耐えられた一年生は今のところいない。
 結局、瞳子は知っていることを洗いざらい吐かされてしまった。
「なるほど。そう言うことなのね。可南子もモテるんだ…」
「は、はい…」
 悶絶して机に突っ伏せている瞳子。
 乃梨子は瞳子の前にお茶を置く。
「ご苦労様、瞳子」
「う、恨みますわよ、乃梨子さん…」
「ごきげんよう」
 そうこうしている内に、話題の渦中の人、可南子が姿を見せる。
「可南子。貴方、チョコレートもらったの?」
 単刀直入な祐巳の問いに、
「はい。戴きました。三人から」
 あっさりと、過激な内容を答える可南子。
「増えてるじゃないの!」
「昼休みに一人、ここに来るまでに二人です」
「あっさり受け取ったんだ」
「ええ。好意を無にするのは悪いと思ったので」
「う…、それはそうだけど…」
「お姉さま…もしかして、嫉妬?」
 涼しげな顔で、可南子は軽く言う。
「本当の事言うと、お姉さまがチョコレートをもらうたびに、私は同じ思いをしてたんですから」
 ツンと澄まして、可南子は座る。
「お姉さまも、同じ気持ちになればいいんです」
 瞳子と乃梨子は顔を見合わせていた。
 雲行きがおかしい。
 祐巳さまの嫉妬大爆発の予定だったのに。
「あ…可南子。やっぱり嫌だったの? もし可南子が嫌なら、私はもう誰からもチョコレートなんてもらわないよ」
「そこまでは言ってません。大人気の姉がいて、私だって鼻が高いですもの。だけど…」
 可南子は少しだけ、首を傾げる。
「私だって。人気はあるんですよ。少しぐらいなら」
「知ってる。だって、私が選んだ妹だもん。魅力ないわけがないじゃない」
 祐巳は立ち上がると、可南子の手を取った。
「だけど、可南子を一番好きなのは、私だよ」
 カーッと上気する可南子の頬。
「お姉さま、卑怯です、そんな…色仕掛けなんて…」
 おいおい、使う言葉おかしくないか、と横からツッコむ乃梨子。
「御免ね」
 祐巳はそのまま指定席〜可南子の隣に座る。
 そして、既に一つ開いていたチョコの箱を取り出す。
「ね、一緒に食べようよ。あーん」
 可南子の口元へチョコをひとかけら、持っていく。
 可南子は照れながらぎこちなく、チョコをくわえる。
 甘い物好きのお姉さまに合わせたのか、とてつもなく甘い。
「お返しです」
 可南子は自分のもらったチョコを取り出す。
 こちらはさっきのものと比べると、少しビターな感じ。それがきっと可南子のイメージなのだろう。
 そして二人はチョコを少し分け合った。
「可南子、私決めたから」
「なんですか?」
「少なくとも今年は、もう可南子以外のチョコをもらわない」
「嬉しいです」
「それで、いつもらえるのかな?」
「今夜、ご自宅に届けに行きます」
「…え…」
「ご迷惑でしたか?」
「ううん、そんなことない。お母さんとお父さんにも紹介するね、それから祐麒…は会ったことあるね」
「はい。お姉さまのご両親にもきちんとご挨拶します」
「うん。待ってる」
 瞳子は、帰るに帰ることができずに二人の様子を見ていたけれど、何か忘れているような気がし始めていた。
 なんだろう。
 今の二人の会話の中に、何か重要な見落としがあるような。
「ごきげんよう」
 今日は来ないはずの人の姿に、瞳子は心の中でポンと手を叩く。
「祐巳、今日はなんの日だったかしら」
 祥子は、嬉しそうに紙袋を差し出す。
「私からのバレンタインプレゼントよ」
 タイミングが悪すぎです、紅薔薇さま。
 乃梨子は心の中で叫び、瞳子は神に祈った。
 可南子がすっと、祥子の前に立ちはだかる。
「申し訳ありませんが紅薔薇さま。お姉さまは今年はもう私以外の人からのチョコレートを受け取らないそうですわ」
「え?」
「では、そう言うことで、あしからず。さあ行きましょう、お姉さま。ごきげんよう、乃梨子さん、瞳子さん」
 突然のことで口をもごもごさせている祐巳を引きずるように、可南子は扉の向こうへと消えていく。
 瞳子は乃梨子と目配せすると、カバンを手にとって扉へと…
「お待ちなさい、瞳子ちゃん、乃梨子ちゃん」
「は、はい」
「これがどういう事か、説明してくださるかしら?」
「全て瞳子が知っています」
「乃梨子さんーーーーーー!?」
 
 
 
 
あとがき
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