彦星と織姫
年に一度しか会わないなんて、馬鹿じゃないの?
会いたければ、会いに行けばいいじゃない。
未だに令は、由乃のそんな言葉を覚えていた。
織姫さまと彦星は、年に一回しか会わないんだよ?
そんな風に、得意そうに教えた令に向かって、由乃は心底不思議そうに言ったのだ。
会いたければ会いに行けばいいじゃない。
その通りだ。会いたければ会いに行けばいいのだ。
令は、由乃の言葉に納得した。
けれど、何かがおかしい。
令は少し考えて、言い直す。
年に一回しか、会いに行くことができないんだよ。
会いたくても、会えないんだよ。
今度は由乃が少し考えた。
愛が足りないわ。
好きなら、どんな障害を乗り越えても会いに行くべきよ。少なくとも、努力はして欲しい。年に一回しか会えないと言われて最初から諦めるなんて、愛が足りないんじゃない?
従妹ながら無茶苦茶言うなぁ。と令は思った。
だけど、言いたいことはわかるような気がする。
一年に一回しか会えないというのは確かにロマンチックなんだけれども、これが現実の話だったらもっと頑張って欲しいと思う。例え無理だとしても、努力はして欲しい。
そう考えていると、由乃が突然令が思いもつかないことを言い始めた。
私だったら、令ちゃんと一年に一回しか会えないなんて無理。絶対我慢できないよ。
一年一回どころか、月に一回、週に一回でも無理。頑張って我慢して、ようやく一日二回。
一日に何回も令ちゃんと会わないと、私は我慢できないもの。
そう言ってくれるのはものすごく嬉しいけれど。
私は、令ちゃんが相手だったらどんなことをしても会いに行くからね。一年に一回なんて、冗談じゃないわ。
でも、もし私が入院したりしていたら、令ちゃんが頑張って病院に来てね?
うん。行くよ。絶対にお見舞いに行くから。
約束だよ。
勿論。
その時交わした指切りを、令は未だに覚えている。
もしかすると由乃は忘れてしまっているかも知れない。そう考えると、令は少し鬱になる。
だけど、あの時の由乃の言葉は真実だ。
そう。会いたければ会いに行けばいいのだ。誰に憚ることがあろうか。
でもしかし。
だからってこの状況はどうだろう?
場所は由乃の家。
母に頼まれて、お昼ご飯の支度で借りていたお醤油を返しに来たところ。最近、色々と擦れ違っている由乃に会いたいなと思って、いそいそとやってきたのに。
「由乃なら部屋にいるわ? 菜々ちゃんが来ているみたい」
それで飛び込むのは野暮かも知れない。
菜々ちゃんにとってはお邪魔虫以外の何物でもないだろうし。
でも、自分は由乃の姉にして従妹、さらには幼馴染みという強力なアドバンテージがあるのだ。そう簡単に菜々ちゃんに負けるものではない。それに今まではずっと、七夕の夜は由乃と一緒に過ごしたのだ。
逆に考えれば、それなら今日の所は譲るべき?
ああ、確かにそういう考え方もある。自分と由乃はその気になればいつでも会える。わざわざ今日でなければならない理由はどこにもない。ただ、自分が会いたくなっているだけ。
会いたければ会いに行けばいいじゃない。
やっぱり由乃は強い。と令はしみじみ思った。
相手のことを考えすぎて、自縄自縛になるというのはナンセンスだろう。物事にはバランスというものがある。
だけど、由乃のことだと話は別だ。
由乃に関してなら、自分は強くなれる。はずだ。
よし、と一歩踏み出そうとしたとき、電話が着信を告げた。
思わずたたらを踏む令。
なんでこんなことでいちいち反応しているんだろう。我ながら、ヘタレだなぁと思う。
やっぱり、昔から由乃のことに関しては自分の中で別枠なのだ。良くも悪くも。
「令ちゃん? お家の方に電話だって。小笠原さんから」
「はい」
返事をして、自分の家に戻りながら令は内心首を傾げていた。
小笠原という知り合いは祥子しかいない。どうして祥子がこんな時に。
「令? もしかして、由乃ちゃんの所にお客様が来ているんじゃない?」
「祥子? どうして知っているの?」
「瞳子ちゃんに教えてもらったの」
「…山百合会絡みなの?」
「どうも、そうらしいわ」
ついこの前、七夕の話題で盛り上がった時に妙な企画が立ち上がったらしい。
題して『七夕の夜にお姉さまと過ごそう』
もっとも、盛り上がったのは主につぼみたち三人で、薔薇さまたちは妹たちに押し切られるように承諾したらしい。
「それで、菜々ちゃんが来てるのか」
「ええ、瞳子ちゃんも祐巳の所よ、今頃」
「なるほど…」
「それで、令は毎年の七夕の夜を、由乃ちゃんと過ごしていたって言っていたのを思いだしたのよ」
令は納得した。祥子も祐巳ちゃんにふられたのだ。
「良ければ、車を出させるから、来ない?」
「…祐巳ちゃんの代理は、私には勤まらないよ?」
「令!」
「あははは、図星だね」
「私だって、由乃ちゃんの替わりは務まらないわよ」
「うん。判ってる。私は祐巳ちゃんの身代わりじゃないし、祥子だって由乃の身代わりじゃない」
「そうね」
祥子の所の車を出してもらうことに関しては少し迷った。小笠原邸までは、その気になれば自転車でも行ける距離なのだ。
けれど、七夕イベントと言うのなら、多分帰りは夜になってしまう。帰りの心配をさせるよりも、素直に好意に甘えた方がいい、と令は思った。
電話終えて支度を済ませた頃に、見覚えのある車がやってくる。
「すいません」
乗り込むと、何度か会ったことのある初老の運転手さんはニッコリと笑う。
会釈を返しながら座席に座り、ふと空を見る。
まだ夕方にもなっていない時間帯では、空に星はまったく見えない。それでも、雲一つ無い空を見ていれば、今夜は星が綺麗に見えるだろうな、と想像もできる。
天の川を挟んだ彦星と織姫。
今年の織姫は祥子で、彦星は自分。
あるいは、菜々ちゃんと由乃。
それとも、瞳子ちゃんと祐巳ちゃん。
きっと、乃梨子ちゃんと志摩子。
それでもいいかも知れない。
一緒に過ごす人の数だけ、彦星と織姫がいる。
令は、由乃と菜々が会っていることを自然に受け入れている自分に気づいていた。